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2010年7月5日月曜日

むかし富士山八号目の山小屋で働いていた (3) お客様からおカネをいただいて料理をつくっていた

(剣が峰からみたクレーター wikipedia英語版より)


                
 山小屋の重要な業務の一つに「食事の提供」ということがある。食事を作ってお客様に食べていただくという業務は、客引きに劣らずきわめて重要な業務なのだ。

 山小屋は、本質的に宿泊サービス業であり、宿泊サービス業は飲食業でもある。28年前の経験を思い出しながら書いてみよう。


お客様からカネをとって料理をつくって出す

 食事づくりもまた、山小屋にとってはメインの仕事である。

 飲食の持ち込みが禁止されているなんてことはないが(笑)、荷物を減らしたいので食事は山小屋でとる、ちょっと追加で何か食べてみたいというニーズは、富士山の場合、一般の登山客が中心なので間違いなくある。

 自衛隊員は先にも書いたが、自分たちのレーション(ration)を持参しているので基本的に山小屋に食事を頼むことはない。比較的大きな缶詰にはいった加工食品である。シールも何もはっていないので無味乾燥な缶詰だ。

 山小屋では、お客さんに各種料理を出すのはたいへん喜ばれる。といっても、材料の関係からたいした料理を提供できるわけではないのだが、ヒマなときや、天気が悪くて登山客が少ない日などは、ちょっと工夫した料理もつくってみた

 大学一年のときに町の中華料理店でバイトしたことがあるが、本格的にカネをとって食事を提供するのは、はじめての経験である。七号目半の山小屋では、実質的に私がすべての料理をつくっていたので料理人としても活動していたことになる。

 しかも料理本など山小屋にはおいてなかったので、見よう見まねで記憶していた料理をレシピなしで再現して提供していた。



高度3,000メートルでコメを炊く

 富士山の山小屋では、スイス製の圧力釜でコメを炊く。

 なにせ、3,000メートル前後の高度があるので、平地より気圧が低く、沸点が100℃にならない。3,775メートルの山頂でなくとも、普通の炊飯器でコメを炊いたのでは芯が残ってしまうはずだ。

 理科の授業では習った知識であるが、実際に体験して観察してみると、はじめてなるほどと納得できるのである。こういう記憶はけっして色あせることはない。

 スイス製の業務用圧力鍋があるということは、スイスの山岳地帯では日常的に圧力釜を使用しているのだろうか? これはいま書いていてふと疑問に思ったことだが、この件については実際にみたことがないのでわからない。どなたかご教示いただけると幸いである。

 業務用の圧力釜を使ったのはそのときが最初で最後だが、日本では平地の料理店で圧力釜を使うことはあまりないのではないのではないか。これも調べてみないとわからないが。

 コメの炊き方を山小屋の主人に教えて貰ってからは、私の仕事となった。1回か2回くらい失敗したことがあったような気もするが、習うより慣れよ、その後は安定して、ふっくら炊けたおいしいご飯が食べられるようになった。



山小屋には冷蔵庫はない-山小屋に備蓄されている食材

 基本的に、山小屋には冷蔵庫はない

 電気がないわけではないが、電線が敷かれているわけではないので、電気はガソリン式の自家発動機で発電していた。燃料代がもったいないので、限られた時間しか電気は使用しない。発電機を起動するのも私の仕事になっていた。

 富士山の場合、夏でも早朝は氷点下になることもある。たいていは摂氏零度くらいになるので、冷暗所であれば1~2ヶ月は、腐らずに貯蔵できるのである。天然の冷蔵庫、といってよいだろうか。

 貯蔵されていたのはコメのほか、タマネギやニンジンなどの野菜、インスタントラーメンなど。このほか缶ジュースや缶ビール、調理用の水などである。これらはすでに書いたが、改造ブルドーザーで山頂まで持ち上げられる。

 貯蔵食糧のなかでは、なんといっても特筆すべきは、大量の塩漬けの骨付き鶏肉である。とにかくたくさんあるので、なにかあるとグリルで食べていたが、ものすごく塩っぱいし、飽きてくる。

 あるとき、大雨でお客が少なかったときに宿泊したお客さんたちのために、鳥の唐揚げをつくって出したところ、たいへん喜ばれた。まさか、山小屋で鶏の唐揚げが食べられるとは期待しないだろう。鶏の唐揚げなどつくったのはその時が初めてだが、なんとかうまくできたし、おいしいといって食べてくれたのはたいへんうれしい事であった。

 掘りごたつにはいって、お客さん数人とこじんまりした感じだったが、きっとお客さんもいい記憶を持って帰ってもらったんじゃないのかな。



ありあわせの食材から料理を工夫してみる

 あるときふと思いついて、ベーコンとキャベツのスープをつくったみたら、山小屋の主から「うめえ、「こんなうめえもの食ったことがねえ!」といわれたのは、本当にうれしかった。

 山小屋の主人は、その当時すでに60歳を越えていた人なので、間違いなく普段は和食派であろう。主人はベーコンとキャベツのスープなどは食べたことがなかったようだ。

 そのときレシピもみず、初めてつくってみた簡単な料理なのだが、つくった料理をうまいといって食べてくれるのは、何よりの喜びである。

 人間素直に感謝の気持ちを示すことは大切である。感謝された記憶は長く潜在意識のなかに蓄積していくものだ。主婦の気持ちになってあげたいものである。



大量の料理を一人でつくるのは実に大変なことだった

 富士登山マラソンのテレビ中継のためテレビ局(静岡テレビ?)が入っていたが、20数人分の食事を一人で作るのは実に大変だった。

 富士登山マラソンは毎年8月中旬に行われる、富士山を舞台にした最大のスポーツイベントだが、3,000メートル以上の高地を走るのがどういうことか、実際に滞在した経験がないと想像がつきにくいかもしれない。

 前にも記したが、屈強な米軍兵士ですら準備不測だと高山病でへたってしまうし、私もずっと3,000メートル前後の高地に滞在していても、走ると息が切れた。

 フラットな水平移動であれば走ってもそれほど息が切れることはないが、上下移動では息が切れやすい。しかも、実際に富士山に登った経験があればわかると思うが、遠くから見たら優美な富士山も、実際にきてみればコークスのような瓦礫の山であり、足元のコンディションは必ずしもよいものではない。

 こういう過酷な条件のもとで行われる駅伝が、富士登山マラソンである。

 さきに自衛隊員のマラソン選手が合宿していた話を書いたが、たいへんなのは、取材のために滞在するテレビ局関係者たちのお世話なのだ。

 山小屋がテレビ中継地点になるのだが、おそらく私がいた七合目半の山小屋だけでなく、山頂の山小屋でも中継が行われていたのだろう。

 山小屋を通過するのはお昼過ぎなのだが、撮影時間はたいして長くない。しかし、中継地点にはテレビカメラなどの機材が持ち込まれ、万全の体制が組まれている。テレビのクルーは総勢20数名だったと思う。

 山小屋の主人から私に課せられたミッションは、この20数人のテレビ関係者の昼食を準備せよ、というものだった。

 私の結論は焼き飯をつくる、というものだった。

 焼き飯なら、同じものを大量につくることができるだろうし、すでに何回かつくっていたので問題はないだろう、と思ったからだった。

 材料はコメ、タマネギ、ニンジンに例の鶏肉。これにスープをつける。

 とにかく、大量にコメを炊くのが大変だった。もちろん材料を切るのも、調理するのもすべて私一人である。一度に大量に同じ料理をつくるのは、簡単なようにみえて実は作業的には大変である。海軍の飯炊きのようなものだろうか。

 お昼に会わせて作業したのだが、仕事に追われてなかなか食事ができないテレビ関係者もいて、なんだか気の毒な感じもあった。

 私が一人で料理しているので、出来た順に焼き飯を出していくことになる。あたたかいご飯をいち早く食べることのできたラッキーな人もいれば、出される順番が遅いので、中継作業が終わったあとに2時過ぎに冷えた焼き飯を食べることになる者もいる。熱いうちに食べたらうまかったのに・・・

 これまた人生というものか。

 いずれにせよ、焼き飯を20数人分つくったのは、現在に至るまで私にとってはの最高記録である。



(4)につづく


むかし富士山八号目の山小屋で働いていた 総目次

サイダーはサイダーではない!?-外国製品が日本化すると・・・
・・これは富士山八合目の山小屋ではたらいていたときの経験をもとにしたもの


PS 読みやすくするために改行を増やし、文意の取りにくい字句の修正を行った。内容には手は入れてない。 (2014年9月1日 記す)


<ブログ内関連記事>

『檀流クッキング』(檀一雄、中公文庫、1975 単行本初版 1970 現在は文庫が改版で 2002) もまた明確な思想のある料理本だ
・・「料理をつくる男」 戦後の代表選手といえようか

邱永漢のグルメ本は戦後日本の古典である-追悼・邱永漢
・・この人もまた「料理をつくる男」であった

グルマン(食いしん坊)で、「料理する男」であった折口信夫
・・戦前の「料理をつくる男」 

『こんな料理で男はまいる。』(大竹 まこと、角川書店、2001)は、「聡明な男は料理がうまい」の典型だ

『聡明な女は料理がうまい』(桐島洋子、文春文庫、1990 単行本初版 1976) は、明確な思想をもった実用書だ
・・これは必読書!

映画 『大統領の料理人』(フランス、2012)をみてきた-ミッテラン大統領のプライベート・シェフになったのは女性料理人
・・大統領府を退職後、フランスの南極探検基地の料理人になった主人公

『きのう何食べた?』(よしなが ふみ、講談社、2007~)
・・男が男につくる料理
       
海軍と肉じゃがの深い関係-海軍と料理にかんする「海軍グルメ本」を3冊紹介
・・海軍の軍港として発展した日本海側の舞鶴と瀬戸内海の呉。このふたつの軍港は「肉じゃが発祥の地」をめぐってライバル関係にある

「生命と食」という切り口から、ルドルフ・シュタイナーについて考えてみる

書評 『缶詰に愛をこめて』(小泉武夫、朝日新書、2013)-缶詰いっぱいに詰まった缶詰愛

「小国」スイスは「小国」日本のモデルとなりうるか?-スイスについて考えるために

庄内平野と出羽三山への旅 (8) 月山八号目の御田原参籠所に宿泊する
・・ひさびさに山小屋に泊まったときの記録

(2014年9月1日 項目新設)





(2012年7月3日発売の拙著です)








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