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2011年5月2日月曜日

書評 『リスクに背を向ける日本人』(山岸俊男 + メアリー・ブリントン、講談社現代新書、2010)-社会学の視点から見た日米比較論


日米双方の社会に精通した二人の社会学者が語り合う、社会学の視点から見た日米比較論

 米国社会に精通した日本の社会学者と日本社会に精通した米国の社会学者が対談という形式で語り合った、社会学の視点から見た日米比較社会論である。最初のページから最後のページまで実に面白い。

 山岸氏の主著である『信頼の構造』ブリントン氏の主著である『失われた場を探して』はともに専門研究書であるが、いずれも知的刺激にすぐれた好著である。この二冊を読んだことのない読者も、本書で展開される議論は実に明快で、ものがハッキリ見えるようになった感想をもつことだろう。

 社会問題については、とかく日本文化論といった特殊論や、安易な精神論で語られがちな日本であるが、社会学に代表される社会科学的な視点で、社会を動かしているメカニズムとその社会のなかで行動する個人の行動原理に着目してものを見て考えると、世間一般の常識に反する見解が見えてくるのだというメッセージが本書には一貫している。

 たとえば、「セカンドチャンス」のない日本社会のほうがリスクが大きいので、日本人の多くの人が「リスク回避行動」をとりがち「資格」よりも「場」に帰属することで「安心」を得たいのが日本人

 その反対が米国人。個人がリスクをとって生きざるを得ない米国社会のほうが、「信頼」を重視し協調的行動を取る傾向が強い、などなど。

 私がとくに興味深く思ったのは、「第5章 空気とまわりの目」である。日本社会に存在する「世間」や「空気」については、社会学の研究者のあいだでは、すでに1970年代にから語られてきたという。

 山岸氏はこれを「デフォルト戦略」という概念を用いて、「日本ではまわりの人たちから監視されていると思って行動することがデフォルトだってこと」と解説してみせる。ここでいうデフォルトとはコンピュータ用語でも使う初期設定のことである。

 「世間」のなかに生きる日本人、とくに割を食っている若者たちが、自分の思うように生きてゆくにはどううすればいいかという、日本人にとっては避けて通れない生き方についても、さまざまな示唆を与えてくれる本でもある。

 しかしそうはいっても、日本的コンテクストのなかでは、社会をメカニズムで説明すると冷たい見方だと見なされて、誤解に基づく反発を受けやすい。

 山岸氏もいうように、合理的な思考は、おそらく多くの日本人がアタマでは理解できたとしても、社会生活においては有利にならないので、自分の意見として表明し、生き方として押し通すことはできないだろう。日本社会では、大人の態度ではないとされるからだ。

 本書では全篇にわたって、「ウィークタイズ」「デフォルト戦略」「プリベンション行動」など、社会学や社会心理学の専門用語が、カタカナ語のまま使われているので、こういった用語には不慣れな読者にはちょっと不親切かもしれない。

 そういう読みにくさがあるにもかかわらず、本書は日本社会にも米国社会にも共通して観察される事象を、社会学の専門タームを使って、一般読者向けに普遍的な説明を与えようと試みた本である。

 読めばアタマのゴミがとれる、そういう読後感を得ることのできる本である。ぜひ一読を薦めたい。


<初出情報>

■bk1書評「日米双方の社会に精通した二人の社会学者が語り合う、社会学の視点から見た日米比較論」投稿掲載(2010年12月23日)
■amazon 書評「日米双方の社会に精通した二人の社会学者が語り合う、社会学の視点から見た日米比較論」投稿掲載(2010年12月23日)





目 次

第1章 日本を覆う「リスク回避傾向」
第2章 はしごを外された若者たち
第3章 どこで自分を探すのか?
第4章 決められない日本人
第5章 空気とまわりの目
第6章 なぜ日本人は子どもを産まないのか?
第7章 グローバル化の意味
第8章 女性の能力を生かすには
第9章 ジャパン・アズ・ナンバースリー


著者プロフィール

山岸俊男(やまぎし・としお)

1948年、愛知県名古屋市に生まれる。社会心理学者。一橋大学社会学部、同大学大学院を経て、1981年ワシントン大学社会学博士。北海道大学大学院文学研究科教授、同大学社会科学実験研究センター長。社会的ジレンマ、信頼、社会的知性など心と社会の関係について、認知科学、心理学、社会学、経済学などの多くの側面から、実験、調査、コンピュータを通じて総合的に研究。2004年、紫綬褒章受章(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。

メアリー・ブリントン(Mary C. Brinton)

ハーバード大学社会学部長兼ライシャワー日本研究所教授。シカゴ大学、コーネル大学を経て、2003年より現職。主な研究テーマは、ジェンダーの不平等、労働市場、教育、日本社会など。1990年代に日本に長期間滞在し、日本の経済状況の変化が若者の雇用環境にもたらした影響を研究(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。




<書評への付記>

「安心」と「安全」について「3-11」から50日たったいま、あらためて考えてみる

 「3-11」前に書いた書評だが、とくに「原発事故」という人災が発生してから50日近くたったいまこそ読むべき本だという思いを強くしている。

 「安心」や「安全」こそ、誤解を生みやすいコトバもない。これは著者たちがいくら強調しても、なかなか日本では変わらないのではないか? そういう感をあらためて感じたのがこの50日間だ。

 もちろん、いまこの時点で求められているのは、何よりも「安心」と「安全」であることは、私自身もその必要を痛感している一人として異論はない。

 「大震災」と「大津波」という自然災害については、防災という観点から、最低レベルの「安全」は保障されなければならないし、「放射能漏れ」から始まった「食の安全」についてもそのとおりだ。

 何が「安全」なのか示して「安心」させてほしい、という願いはよくわかる。「不安」のレベルを解消してくれ!という願いはよくわかる。

 しかし、ちょっと立ち止まって考えてみる必要があるのではないだろうか?

 「風評被害」があっというまに拡散してパニックがもたらされる背景には、自分で徹底的に考えて結論を出すという行為を回避しているのではないだろうか? 「安心」さえさせてくれれば、考えなくて済むという依頼心が露骨にでているのではないだろうか?

 「備えあれば憂い無し」というわけで防潮堤は作ったが、しかし1000年に一度という「想定外」の大津波は防潮堤を大きく越えて町を破壊してしまった。「安全」だと「安心」していたのに、あっという間の一瞬で「安全」も「安心」も破壊されてしまったのだ。「安全」神話に「安心」しきっていたのだ。 

 「リスクがあってもないことにしてしまうというメンタリティ」、これは日本人によくある、「見えていても見えないことにしてしまうという特技」(中島義道)と構造的に同じである。日本人に根強く存在するコトダマ思考の悪しき側面である。

 結局のところ、「安全」と「安心」が確保されたと思った瞬間から、「安心」は「慢心」に変わっていくのではないか? 自省をこめてこう記しておきたい。

 もちろん、本書は、「安心」や「安全」を否定しているわけではない、これは重要だ。誤解がないよう。

 著者たちは、「安心」や「安全」によりかかってしまうことのリスクについて語っているのだ。

 災害救助と被災者支援のなかで大きな役割を果たしているのが「信頼」である。これはあらためて確認されたのではないかと思う。

 まったく知らない人たちからの祈り、励まし、応援、手伝い・・・。

 「世間」という、利害関係のからんだ狭い人間関係のなかだけで「安心」を求めるのではなく、知らないどうしであっても、人間としての「共感」と「信頼」の関係がリスクを減少させる。独立心のある人間のほうが協調的行動をとるという、社会心理学の観察結果がここにもあらわれている。

 「安全」や「安心」について、あまり考えずに騒ぎ立てる段階はもうそろそろ終わりにしたい。そろそろ、自らの行動を振り返り、「安全」や「安心」について、キチンと考えてみることが必要だろう。

 そんな気持ちをもったときには、この本を手にとって読んでみることをぜひ薦めたい。



<ブログ内関連記事>

著者の主著

書評 『失われた場を探して-ロストジェネレーションの社会学-』(メアリー・ブリントン、池村千秋訳、NTT出版、2008)


世間

書評 『「空気」と「世間」』(鴻上尚史、講談社現代新書、2009)

本の紹介 『醜い日本の私』(中島義道、新潮文庫、2009)
 

「自分」の重要性と「安心」のもつ問題点

書評 『ヒクソン・グレイシー 無敗の法則』(ヒクソン・グレイシー、ダイヤモンド社、2010)-「地頭」(ぢあたま)の良さは「自分」を強く意識することから生まれてくる
・・「3-11」以前の 2010年12月17日に、すでにこういう文章を書いているので参照してほしい。ヒクソン・グレーシーは、ブラジルのリオ・デ・ジャネイロという危険な都市で生き抜いてきた人間だ。

 もちろん「自分」について意識することは、利己主義を意味しない。「自分」という小さな存在が生きて行くには、自分一人のチカラだけでは不可能なことは当たり前である。
 だからこそ、ほんとうの意味で他者をリスペクトし、「信頼」関係を結ぶ姿勢が生まれてくるわけなのだ。何も考えない「安心」状態とはまったく異なる態度である。

 日本も20年以上前のような「予定調和的な世界」はすでに崩壊して久しい

 「崩壊後の世界」のなかで生きてゆくには、「自分」をある程度まで殺して、ぶら下がり型の「安心」に逃げ込みたくなる気持ちもわからなくはないが、実は「安心」ほど脆いものはないことに気がつかねばならない。

 「安心」など一瞬にして崩壊してしまうのだ。その脆さは「希望」と同じである。

 何があっても生き残るという強い意志をもって生きるには、「自分」を正確に知って、「自分」を軸にして、「信頼」関係をベースに他者と共存していくしかない。そしてもつべきは「勇気」である。

 「自分」を意識し、自分を知るのは早ければ早いほどいいのだ。






(2012年7月3日発売の拙著です)






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