「アタマの引き出し」は「雑学」ときわめて近い・・日本マクドナルド創業者・藤田田(ふじた・でん)に学ぶものとは?

◆「アタマの引き出し」つくりは "掛け算" だ : 「引き出し」 = Σ 「仕事」 × 「遊び」
◆酒は飲んでも飲まれるな! 本は読んでも読まれるな!◆ 
◆一に体験、二に読書、その体験を書いてみる、しゃべってみる!◆
◆「好きこそものの上手なれ!」◆

<旅先や出張先で本を読む。人を読む、モノを読む、自然を読む>
トについてのブログ
●「内向きバンザイ!」-「この国」日本こそ、もっとよく知ろう!●

■■ 「むかし富士山八号目の山小屋で働いていた」全5回 ■■
 総目次はここをクリック!
■■ 「成田山新勝寺 断食参籠(さんろう)修行(三泊四日)体験記 」全7回 ■■ 
 総目次はここをクリック!
■■ 「庄内平野と出羽三山への旅」 全12回+α - 「山伏修行体験塾」(二泊三日)を中心に ■■
 総目次はここをクリック!


「個」と「組織」のよい関係が元気をつくる!

「個」と「組織」のよい関係が元気をつくる!
ビジネス寄りでマネジメント関連の記事はこちら。その他の活動報告も。最新投稿は画像をクリック!



ご意見・ご感想・ご質問 ken@kensatoken.com にどうぞ。
お手数ですが、コピー&ペーストでお願いします。

© 2009~2024 禁無断転載!



2011年7月11日月曜日

「いまこそ高橋亀吉の実践経済学」(東洋経済新報社創立115周年記念シンポジウム第二弾) に参加してきた-「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」


 先週月曜日(2011年7月4日)、「いまこそ高橋亀吉の実践経済学」(東洋経済新報社創立115周年記念シンポジウム第二弾)に参加してきた。

 高橋亀吉(1894~1977)といっても最近の若い人には耳慣れぬ名前かもしれない。なんといっても、亀吉なんて、いまの時代にはほとんどいない、むかしの職人さんのような名前だ。じっさいのところ船大工の長男として生まれ、生家の衰退のため少年時代から丁稚奉公の日々を送ってきた、たたき上げの苦労人だ。

 高橋亀吉は、その名前に似合わず、日本初の「経済評論家」として、民間エコノミストの大先達として、経済分野で論陣を張ってきた人物である。

 戦後には自民党党首として短期間だが首相もつとめた石橋湛山(いしばし・たんざん)とならんで、東洋経済新報社の「顔」として活躍した人だ。

 というわけなので、東洋経済新報社による案内文をそのまま引用して掲載しておいたほうが、情報としては正確でかつ有用であろう。

 昨年11月、弊社は創立115周年を迎えました。
 これを記念して高橋亀吉の三大著作集-『大正昭和財界変動史』『日本近代経済形成史』『日本近代経済発達史』-を復刊することにいたしました。
 高橋亀吉は、1918年に東洋経済新報社に入社した後、1924年には『東洋経済新報』の編集長をつとめ、大正・昭和期を代表する言論人であり、日本で最初に経済エコノミストとして独立した経済評論の先達であります。亀吉の昭和金融恐慌の分析は、時代を超えて世界的な経済危機を読み解く最良の教科書となっております。
 さて現在の日本経済はというと、高度経済成長後の「失われた20年」を経て、新興国の台頭など新たな局面への対応を迫られています。そのうえ今回の東日本大震災や福島第一原発事故によって、各分野で閉塞感が強まっております。亀吉が生きた時代と現代との類似性を指摘する声もあります。自由経済の本質を解き明かした亀吉の教訓を踏まえ、新たな成長と発展の可能性を探ります。
 「東洋経済」を率いた言論人・石橋湛山の実像に迫った記念シンポジウム(2010年11月15日)は、満席のご好評をいただきありがとうございました。第2弾シンポジウムは、日本初の「経済評論家」高橋亀吉を取り上げます。
(*太字ゴチックは引用者(=わたし)によるもの)


 当日のプログラムは以下のものであった。

プログラム概要
開会挨拶 13:30~13:45
基調講演(40分) 13:50~14:30  
 講演テーマ:「ケインズ、ハイエク、高橋是清、そして高橋亀吉」
 講演者:田中直毅氏(たなか・なおき)国際公共政策研究センター理事長
特別講演(40分)14:35~15:15
 講演テーマ:「国難来ル-エコノミスト高橋亀吉の闘い」
 講演者:若田部昌澄氏(わかたべ・まさずみ)早稲田大学政治経済学術院教授

1965年生まれ。早稲田大学政治経済学術院教授。早稲田大学政治経済学部経済学科卒業後、早稲田大学大学院、トロント大学大学院に学ぶ。早稲田大学政治経済学部助手、助教授を経て現職。著書に『経済学者たちの闘い』、『改革の経済学』、『危機の経済政策』(第31回石橋湛山賞)、『「日銀デフレ」大不況』、共著に『昭和恐慌の研究』(第43回日経・経済図書文化賞)、『伝説の教授に学べ!』他がある。

 このあとにシンポジウムもあったのだが、時間の都合で退席したので省略させていただく。

 田中直毅氏の話は高橋亀吉そのもの話ではないので、わたしにとってはどうでもいい内容だったが、早稲田大学の若田部昌澄氏の話は、高橋亀吉と石橋湛山と比較対照した面白い内容であった。

 大学時代に経済学をちゃんと勉強していなかったわたしにとって、当時から「実践派エコノミスト」としてすばらしいと絶讃されていた『私の実践経済学』(高橋亀吉、東洋経済新報社、1976)は、社会人になってからそれほど時間のたっていなかった時期に、大手町の書店で購入して読んだ。

 高橋亀吉は理論派ではなく、まさに実践派現場でものを考えて自分の理論を構築した人である。

 若田部教授はまさにこの点が、高橋亀吉の強みであり弱みであると指摘されていた。数々のハンディキャップを背負っていた高橋亀吉の刻苦勉励の人生にみる「情念の人」、これが「実践派」の姿勢につながり、魅力の源泉となったのであろう。

 経済史にかんする膨大な著述を完成させた高橋亀吉には、『昭和金融恐慌史』(高橋亀吉/森垣 淑、講談社学術文庫、1993 単行本初版 1968)という著書がある。昭和2年(1926年)の「昭和恐慌」について書かれた本だが、読むとひじょうに有益な教訓を得ることができる。

 高橋亀吉の著作は「生きた経済史」であり、「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という格言を思い起こさせてくれるのである。






<ブログ内関連記事>

沢木耕太郎の傑作ノンフィクション 『テロルの決算』 と 『危機の宰相』 で「1960年」という転換点を読む
・・池田勇人を支え、「高度成長」のイデオローグとなった官庁エコノミストの下村治もまた、借り物の経済学ではなく、日本という現実から自前の経済学を構築したエコノミストであった

書評 『クオリティ国家という戦略-これが日本の生きる道-』(大前研一、小学館、2013)-スイスやシンガポール、北欧諸国といった「質の高い小国」に次の国家モデルを設定せよ!
・・意図せずして東洋経済新報の石橋湛山のようなことを主張する大前研一もまた、経済学以外の分野からやってきて自前の経済学を構築した人

グンゼ株式会社の創業者・波多野鶴吉について-キリスト教の理念によって創業したソーシャル・ビジネスがその原点にあった!
・・亀吉や鶴吉といった、動物を含む名前は明治時代には少なくなかった

書評 『国債・非常事態宣言-「3年以内の暴落」へのカウントダウン-』(松田千恵子、朝日新書、2011)-最悪の事態はアタマのなかでシミュレーションしておく

書評 『持たざる国への道-あの戦争と大日本帝国の破綻-』(松元 崇、中公文庫、2013)-誤算による日米開戦と国家破綻、そして明治維新以来の近代日本の連続性について「財政史」の観点から考察した好著

自分のアタマで考え抜いて、自分のコトバで語るということ-『エリック・ホッファー自伝-構想された真実-』(中本義彦訳、作品社、2002)

(2014年8月14日 項目新設)



(2021年11月19日発売の拙著です)


(2021年10月22日発売の拙著です)

 
 (2020年12月18日発売の拙著です)


(2020年5月28日発売の拙著です)


 
(2019年4月27日発売の拙著です)



(2017年5月18日発売の拙著です)

(2012年7月3日発売の拙著です)


 



ケン・マネジメントのウェブサイトは

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどうぞ。
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。

禁無断転載!







end