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2011年12月5日月曜日

日印交流事業:公開シンポジウム(1)「アジア・ルネサンス-渋沢栄一、J.N. タタ、岡倉天心、タゴールに学ぶ」 に参加してきた


(左上から時計回りで、渋沢栄一、J.N.タタ、タゴール、岡倉天心。wikipedia掲載の写真から筆者が作成)

 国際文化会館主催の「日印交流事業:公開シンポジウム(1)「アジア・ルネサンス-渋沢栄一、J.N. タタ、岡倉天心、タゴールに学ぶ」にいってきました。二回シリーズのシンポジウムの一回目です。

日時: 2011年12月5日(月) 3:00~6:00 pm
会場: 国際文化会館 岩崎小彌太記念ホール
会費: 無料(要予約)
用語: 日本語・英語(同時通訳あり)
主催: 国際文化会館、国際交流基金

[パネリスト]

梶 正彦(タタ コンサルタンシー サービシズ ジャパン代表取締役社長)
ブリジ・タンカ (デリー大学東アジア学部教授、龍谷大学客員教授)
ジョーティルマヤ・シャルマー(ハイデラバード大学教授)
渋沢雅英(渋沢栄一記念財団)

[モデレーター]
ウルワシ・ブタリア(Zubaan Books代表)
竹中千春(立教大学教授)

[コメンテーター]
ヴィシャカ・デサイ(アジア・ソサエティ理事長)
アシシュ・ナンディ(発展途上社会研究センター研究員)
グレン・フクシマ(エアバスジャパン取締役会長)
堀本 武功(尚美学園大学教授)


 まずは、主催者によるシンポジウムの紹介文をそのまま引用しておきましょう。

19世紀末から20世紀初頭にかけ、日本とインドの間では、アジアを舞台に、現在では想像もつかないような壮大な交流が行われていました。「グローバリゼーション」という言葉が生まれる100年以上も前に、タゴールや岡倉天心は、アジアが「グローバル」な存在であることを大前提に交流を深め、タタ・グループの初代会長であるJ.N.タタや渋沢栄一は、欧州勢が独占する海上貿易にアジアから風穴をあけるべく、手を携えました。こうした先人たちの偉大な夢とビジョンを振り返りながら、日本とインドが軸となって、いかにグローバリゼーションの中心の一つであるアジアを創造していくかを考えます。

取り上げられた4人について

 「日本資本主義の父」である渋沢栄一の名前を知らない人は、すくなくともビジネスパーソンにはいないと思いますが(・・わたしの母校のOB会である「如水会」の命名者でもあります)、逆に岡倉天心のことは知らないという人はビジネスパーソンには少なくないかもしれません。

 渋沢栄一(1840~1931年)、J.N.タタ(1839~1904年)、岡倉天心(1863~1913年)、タゴール(1861~1941年)。こうならべてみると、渋沢栄一とJ.N.タタが 1歳違いの同世代岡倉天心とタゴールは 2歳違いの同世代であることがわかります。

 J.N.タタとタゴールという二人のインド人の名前は、インドに関心がなければまったく知らないかもしれませんが、それぞれインド最大のタタ財閥の総帥と、アジア人初のノーベル文学賞受賞者といえば少しはピンとくる人がいるかもしれません。

 渋沢栄一とJ.N.タタ、岡倉天心とタゴールは、それぞれビジネスパーソンとして日本とインドそれぞれの資本主義の父としての組み合わせ、芸術家と芸術プロモーターという組み合わせになります。それぞれが同時代人です。

 タゴールはインドのベンガル地方の出身ですが、岡倉天心はとくにベンガルとの関係が深い存在です。このことは比較的知られていることですが、渋沢栄一とインドとの関係は、恥ずかしながら今回のシンポジウムまで全然知りませんでした。


タタ財閥はパルシー(=ゾロアスター教徒)に起源をもつ、厳しい倫理観にもとづく理念経営

 会場でいただいた資料「経営理念の継承-経営人類学者の視点 2011年1・2月号 TCS(タタ・コンサルタンシー)ジャパン」と「経営理念の継承-経営人類学者の視点 2011年5・6月号 TCS(タタ・コンサルタンシー・サービシズ)-ITを現代インドの産業革命に」(PHP Business Review 抜き刷り、ともに天理大学国際学部教授 住原則也)を読むと、タタ財閥と渋沢栄一は同時代人であっただけでなく、それぞれ資本主義をつじて国作りに多大な貢献をした経営者でありプロモーターであったことがわかります。

 ジャムシェトジ・タタの要請で、ボンベイと横浜のあいだが日本郵船の航路として正式に開設されることになりましたが、この構想の実現のためジャムシェトジ・タタと渋沢栄一は日本で直接会っています。

 渋沢栄一がいわゆる「論語と算盤」というフレーズに象徴される儒教倫理でビジネスを律した人であったならば、タタ財閥の創始者で総帥であったジャムシェトジ・タタは父祖の宗教であるゾロアスター教の「良き考え、良きコトバ、良き行い」を文字どおり実践していたようです。

 そうなんですね、タタ・ファミリーはインドではマイノリティであるゾロアスター教徒なのです。ゾロアスター教は日本では拝火教ともいうように聖火を守る善悪二元論にたつ宗教です。ペルシアがイスラーム化されたことによりインド西部に逃れたゾロアスター教徒たちはボンベイ(・・現在のムンバイ)周辺に定住し、パルシーと呼ばれるようになります。そのななかからジャムシェトジ・タタもでてきたわけです。

 インドのパルシーからは、指揮者のズービン・メータ英国のロックバンド・クイーンのヴォーカリストであったフレディ・マーキュリーなどが著名人として輩出されています。

 わたしにとっては何よりも興味深く思われたのは、パネラーによるプレゼンといただいた資料にあった、タタ財閥の歴史と厳しい倫理観に基づく理念経営でした。こちらについては、かなりマネジメントよりの話になりますので、エッセンスは別途、姉妹編ブログ「ケン・マネジメント公式ブログ 中堅中小企業の組織変革とマネジメント国際化」に書いてみたいと思います。 


シンポジウムを聴講しての感想

 ついついタタ財閥とパルシー(=ゾロアスター教徒)の話が長くなってしまいました。

 岡倉天心とタゴールについては、比較的よく知られた話でありますし、このシンポジウムでは取り上げられませんでしたが、ベンガルをめぐる日印関係はチャンドラ・ボースと大東亜共栄圏の話を経て、現代ではさらにノーベル経済学賞受賞のアマルティヤ・セン博士にまで至るものでもあります。これについては別途とりあげたほうがいいでしょう。

 このようなシンポジウムで痛感されるのが、ビジネス界と知識人との対話が日本では成り立ちにくいという点です。ビジネス界と知識人の世界が互いに別世界で、その双方につうじた人は残念ながらなかなか存在しないということでしょう。

 もっとも現役の経営者にとっては、自社の経営の立場を離れて、自社も含めて突き放して客観的にモノを見るのはむずかしい課題ではあるようです。あまりにもそれをやってしまうと、現実から遊離した「評論家」というレッテルを張られる恐れもありますから。

 今回のシンポジウムはパネリストは日本人2人にインド人2人、モデレーターは日本人女性とインド人女性、コメンテーターは日本人に日系米人、インド人に在米インド人と、日本人とインド人という単純な括りでは語れない複雑性そのものが興味ひかれるものがありました。

 岡倉天心の「アジアは一つ」(Asia is One)というフレーズは、あくまでも日本美術史がインド美術と中国美術が極東の地において融合したことを示したに過ぎないのですが、どうしても一人歩きしがちであることは否定できません。

 わたしなら、「一にして多、多にして一」というネオ・プラトニズムのプロティノス的表現においてなら、「アジアは一つにして多、多にして一つ」と言い切っても構わないと思うのですが..

 アジアとしての共通性をもちながら、相違点も多い日本とインド。西欧近代による激動の世界史のなか、かろうじて植民地にならずに済んだ日本と、英国の植民地として苦難を味わったインド。実利性を重視しながらも精神性も重視するインドと、仏教をつうじて深い精神性をもつに至った日本。

 モダンが終わってすでにポストモダン(=後近代)の日本ですが、いまだ「戦前」の日本の再評価が緒に就き始めたばかりの状況では、日印関係も過去の歴史を踏まえたうえで真の未来志向を構築するには、まだまだその基盤が脆弱ではないのだろうかと思わざるをえないものがあります。

 そんなことをパネルディスカッションを聞きながら考えてました。明日のシンポジウム(2)は未来志向の話ですが、出席しないのでどういう議論がなされるのかは知りませんが。





<参考文献>

『ゾロアスター教史-古代アーリア・中世ペルシア・現代インド-(刀水歴史全書)』(青木 健、刀水書房、2008)
 とくに第4章「第二次暗黒時代 第2節 インド西海岸への脱出」、第5章「インドの大財閥としての発展(16世紀~現代)」がインドに関係がある。なお、この本では表記はターターとなっている。

PS 新版が2019年に発売された


(2023年9月19日 情報追加)





<関連サイト>

「日印交流事業:公開シンポジウム(1)「アジア・ルネサンス-渋沢栄一、J.N. タタ、岡倉天心、タゴールに学ぶ」(国際文化会館ウェブサイト)


(2021年6月19日 情報追加)


<ブログ内関連記事>

■渋沢栄一関連

書評 『渋沢栄一 上下』(鹿島茂、文春文庫、2013 初版単行本 2010)-19世紀フランスというキーワードで "日本資本主義の父" 渋沢栄一を読み解いた評伝

書評 『渋沢栄一-社会企業家の先駆者-』(島田昌和、岩波新書、2011)-事業創出のメカニズムとサステイナブルな社会事業への取り組みから "日本資本主義の父"・渋沢栄一の全体像を描く

書評 『渋沢栄一-日本を創った実業人-』 (東京商工会議所=編、講談社+α文庫、2008)-日本の「近代化」をビジネス面で支えた財界リーダーとしての渋沢栄一と東京商工会議所について知る


岡倉天心関連

岡倉天心の世界的影響力-人を動かすコトバのチカラについて-
・・"Asia is One"(アジアは一つ)と "being in the world" (世界内存在)いうコトバについて


日本とインド

『大アジア燃ゆるまなざし 頭山満と玄洋社』 (読売新聞西部本社編、海鳥社、2001) で、オルタナティブな日本近現代史を知るべし!

「ナレンドラ・モディ インド首相講演会」(2014年9月2日)に参加してきた-「メイク・イン・インディア」がキーワード

アマルティア・セン教授の講演と緒方貞子さんとの対談 「新たな100年に向けて、人間と世界経済、そして日本の使命を考える。」(日立創業100周年記念講演)にいってきた


インド全般

書評 『インド 宗教の坩堝(るつぼ)』(武藤友治、勉誠出版、2005)-戦後インドについての「生き字引的」存在が宗教を軸に描く「分断と統一のインド」
・・ぞ第1章は「第1章 拝火教徒はなぜ混合を嫌うのか」、つまりインドのパルシーすなわちゾロアスター教徒の話

書評 『巨象インドの憂鬱-赤の回廊と宗教テロル-』(武藤友治、出帆新社、2010)-複雑きわまりないインドを、インドが抱える内政・外交上の諸問題から考察

書評 『インドの科学者-頭脳大国への道-(岩波科学ライブラリー)』(三上喜貴、岩波書店、2009)


大飢饉はなぜ発生するのか?-「人間の安全保障」論を展開するアマルティヤ・セン博士はその理由を・・・

(2014年9月5日、12月8日、2016年7月28日 情報追加)



(2022年12月23日発売の拙著です)

(2022年6月24日発売の拙著です)

(2021年11月19日発売の拙著です)


(2021年10月22日発売の拙著です)

 
 (2020年12月18日発売の拙著です)


(2020年5月28日発売の拙著です)


 
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