2月11日は、日本にとっては「建国記念日」であり、イランでは「イラン・イスラム革命」が始まった日であり、昨年2011年はエジプトで「民主化革命」が始まった日でもある。いずれも起源となる記念日である。
地中海のチュニジアから始まった動きは、地域大国のエジプトにも波及し、のちに「アラブの春」と総称されるようになったが、そのキッカケはフェイスブック(facebook)やツイッター(twitter)などのSNS(=ソーシャル・ネットワーク・サービス)であったという説も根強い。
フェイスブック上の投稿が感想やコメントという書き込みを誘発し、さらにシェアという機能で容易に文字情報や画像情報、映像情報を共有することを可能とし、その結果、情報が急速に拡散していく。これをさしてバイラル(viral)と呼んでいるが、チュニジアやエジプトで起こったのは、まさにこのバイラルであったという解説である。バイラルとは日本語でいえばクチコミに近い。
昨年(2011年)12月のことだが、先日、ひじょうに面白い記事が The Economist に掲載されていたので紹介しておきたい。「Social media in the 16th Century - How Luther went viral Five centuries before Facebook and the Arab spring, social media helped bring about the Reformation」(16世紀のソーシャルメディア。 ルターはいかにバイラル化したのか-フェイスブックとアラブの春の500年前にソーシャルメディアが「宗教改革」をもたらした)というタイトルの記事である。Dec 17th 2011 付けの記事である。リンク先は以下のとおりだ。 http://www.economist.com/node/21541719?fsrc=nlw%7Cnewe%7C12-26-2011%7Cnew_on_the_economist ビデオも掲載されているので、文字を読むのが面倒な人は音声(英語、字幕なし)を聞くのもいいだろう。
やや長い記事だが、趣旨を簡単に要約しておけば、「アラブの春」を引き起こしたソーシャル・ネットワークは、別にいまはじまったことではなくて、すでに500年前のルターの「宗教改革」の際にみられた現象と同じだ、というものである。
500年前の「宗教改革」は、ルターという一人のカトリック司祭が、教会内部から起こした改革運動であるが、もちろん一人の改革者がプロテスト(抵抗)の思想表明をしたからといって、運動が進展することはない。
ルターの思想は、通俗的な形で、パンフレットやビラという印刷物の文字情報、風刺画といった印刷媒体の画像情報、そして唄(バラッド)という五感をつうじて感じる娯楽といった、複数のメディアを融合した、文字通りのマルチメディアによって、急速に「拡散」したのであった。
基本的にこの認識は正しいといってよい。このビラのことをドイツ語で Flugblatt というのだということは、大学学部時代にドイツ中世史の阿部謹也先生から聞いた記憶がある。
だが、この記事を読むに当たっては、21世紀と16世紀とでは根本的な違いがあることに留意しておきたいことがるので何点か書いておこう。
■21世紀のSNSは「文字情報」を抜きに語れないが・・・
まずは、16世紀当時の識字率の低さである。マルチメディアが効果を発揮したのは、文字を読める人間が少なかったからなのだ。これは「反宗教改革」(カウンター・レフォーメーション)の旗手イエズス会が、イメージ(図像)をフルに活用して海外布教をおこなった戦略にも影響しているように、ヨーロッパ自体の識字率はまだかなり低かったのである。
初等教育が普及していなかった当時、文字が読めるのは知識人を中心とした一部に限定されていた。ルターはそもそもがカトリックの聖職者であったから、当然のことながらラテン語の読み書きができたのである。というよりも、カトリック教会では、第二次大戦後にバチカン第二公会議で決議されるまでラテン語が使用されていたのである。これは日本も例外ではなかったことを知っておく必要がある。
だが、ルターが先駆者としての役割を果たしたのは、教会内の典礼に使用されるラテン語ではなく、一般民衆がつかうドイツ語に聖書を翻訳したことだ。ルター訳聖書が近代ドイツ語の基礎となったというのはそのことを指している。ドイツ語の読み書きが定着していったのは、それ以降のことであることに留意しておいたい。
基本的に、活動家が居酒屋でビラを読み上げるのを、一般民衆が耳を傾けて聞くのである。居酒屋の演説というと、わかき日のヒトラーがミュンヘンのビアホールでぶった演説を思い出すが、一般民衆というものは文字よりも、耳から聞いた情報で扇動されやすいということは、洋の東西を問わず共通しているといっていいだろう。
ルターの宗教改革によってプロテスタント化したのは、じつは個人単位ではなく、領国単位であったことにも注意しておきたい。個人が自主的に選択した結果ではなく、領主がプロテスタントになったあとに、プロテスタンティズムは個人に内面化していったということだ。順番は逆ではない。
たとえばドイツ例にとった場合、南北で宗教地図が塗り分けられているのは、その結果なのである。ドイツ南部がカトリック地帯であるのに対し、ドイツ北部はプロテスタント地帯である。冷戦時代は東西でドイツは分割されていたが、宗教という観点にたつと南北差が大きいのである。
これは、日本でも戦国時代末期にキリシタンが九州各地に拡がったのと、ひじょうによく似た現象だ。キリシタン大名という表現があるとおり、改宗はまず領主単位で始まった。なぜなら、布教というものは、領主という地上の権力者の保護がなければ、既存の勢力とのコンフリクトの解消が有効に行われないからである。
だから、キリスト教という天上の権力と領主という地上の権力が合体することによるパワー増大がコントロール不能状態になることを、時の最高権力者であった秀吉や家康が懸念を抱いたのは不思議でもなんでもないのである。
■「宗教改革」のその後と「アラブの春」にアナロジーは適用可能か?
話をルターの「宗教改革」に戻すが、カトリックとは違ってプロテスタンティズムにおいては、個人が神と一対一で対面することが要求される教義が個人に内面化されるようになってくると、さまざまなひずみももたらすようになってくる。果たして自分は救われるのかどうかという不安である。
この不安をしずめるために、ひたすら禁欲的に勤勉に職務に遂行する者が、世俗でも成功者への道を歩むことになる。これはとくにカルヴァン派について言及したマックス・ウェーバーの有名な『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』のテーマであるが、一方では不安に押しつぶされて精神を病む者もでてくる。後者が、この厳しい精神状況に堪えられず、逃避の方向を選択するに至ったのもけっして不思議ではない。
この点に考察を加えたのが、精神分析学者エーリヒ・フロムの名著『自由からの逃走』(Escape from Freedom)である。社会心理学の古典とされているこの本の話をすると、ナチスドイツに逃避した一般民衆の話を思い出す人が多いようだが、わたしはフロムによる「宗教改革」の事例の説明がつよく記憶に残っている。
「アラブの春」に「宗教改革」のはじまりを重ね合わせて考えてみるのは面白い。しかし、「宗教改革」のその後の進展を考えると、はたしてこのアナロジーがどこまで有効なのか、考えてみる必要はあるだろう。すくなくとも、「思想の拡散」というフェーズまではアナロジーが有効であるのは確かではあるが。
<ブログ内関連記事>
■「宗教改革」の時代
本の紹介 『阿呆物語 上中下』(グリンメルスハウゼン、望月市恵訳、岩波文庫、1953)
本の紹介 『阿呆船』(ゼバスチャン・ブラント、尾崎盛景訳、現代思潮社、新装版 2002年 原版 1968)
「免罪符」は、ほんとうは「免罪符」じゃない!?
「500年単位」で歴史を考える-『クアトロ・ラガッツィ』(若桑みどり)を読む
イエズス会士ヴァリリャーノの布教戦略-異文化への「創造的適応」
「泥酔文化圏」日本!-ルイス・フロイスの『ヨーロッパ文化と日本文化』で知る、昔から変わらぬ日本人
■「2-11」関連-「アラブの春」
本日(2011年2月11日)は「イラン・イスラム革命」(1979年)から32年。そしてまた中東・北アフリカでは再び大激動が始まった
エジプトの「民主化革命」(2011年2月11日)
書評 『中東激変-石油とマネーが創る新世界地図-』(脇 祐三、日本経済新聞出版社、2008)
書評 『アラブ諸国の情報統制-インターネット・コントロールの政治学-』(山本達也、慶應義塾大学出版会、2008)
■アラビア語復興運動とキリスト教聖書のアラビア語訳
書評 『新月の夜も十字架は輝く-中東のキリスト教徒-』(菅瀬晶子、NIHUプログラムイスラーム地域研究=監修、山川出版社、2010)
・・アラブ・ナショナリズムにつながるアラビア語復興運動は、聖書をアラビア語に翻訳する事業に携わったアラブ人キリスト教徒が指導的役割を果たした事実は、ルターによる聖書のドイツ語訳とのアナロジーを思わせるものがある
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