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2011年6月2日木曜日

「免罪符」は、ほんとうは「免罪符」じゃない!?


  
 「免罪符」(めんざいふ)というのは、日本語の会話のなかでも実によく使われるコトバだ。

 とくに「3-11」以後しばらくしてからのさまざまな発言には、「免罪符」としてのものが多いように思うのだが。とりあえず、哀悼の意を2~3行さえ書いておけば、あとは「免罪」されるつもりなのか? こんなふうに思ったりもするのは、私が天の邪鬼(あまのじゃく)だからだろうか?

 それはさておき、日常生活でもやや "高級な" 会話をするときには、「免罪符」というコトバを知っていれば、ボキャブラリーが豊富な人と思ってくれるだろう。少なくとも、「世界史」の授業で習ったことの意味くらいはわかっていることが言外に示されるから。


ほんとうは「免罪符」ではない?!

 とあるカトリックの神父様を囲んで飲み会(!)をしていたときに、「免罪符」の話題がでたことがある。カトリック教会では飲酒は禁止されていない。パンと赤ブドウ酒(ワイン)が、キリストの肉と血を意味していることはよく知られているだろう。

 ワインでほろ酔い加減の神父様がいうには、「免罪符という日本語は正確ではないので使ってほしくない。カトリック教会では「贖宥状」(しょくゆうじょう)と言っている」、と。「いまでは高校の世界史の教科書でも「贖宥状」となっているはずです」、とも。

 神父様がそう言うのであればそうかもしれない。たしかに「免罪符」という日本語は、神社で売っている「護符」や「お札」みたいな連想があって、よろしくないのかもしれないな、と。

 いまを去ること30年前(?)、高校の「世界史」の授業で習ったときは、間違いなく「免罪符」と書いてあったのは否定できない。カトリック司祭であったマルティン・ルターが「宗教改革」に踏み出したした理由は、「免罪符」の販売によるカトリック教会のカネ儲け姿勢に納得がいかず、批判的になったからだ、プロテスト(=抗議)するから、プロテスタントなのだ、とも。

 そんな会話をしたことを思い出しながら、あらためて「免罪符」について考えてみた。

 まずは、あらためて「贖宥状」(≒免罪符)について調べてみよう。


「贖宥状」(しょくゆうじょう)とは?

 「贖宥状」(しょくゆうじょう)は、Indulgentia(ラテン語)という。英語では Indulgence だ。なぜ、贖宥状(免罪符)が、悪事に耽るという意味の indulgence なのか??

 カトリック用語は、いや広くキリスト教用語は、英語でも一般的な用法とは大きく意味が離れたものが多い。

 たとえば、Passion、一般的には「情熱」を意味するが、カトリック用語としては大文字で「受難」。これは知っている人も少なくはないだろう。
  
 では、Assumption は? 一般には「仮定」を意味するが、カトリック用語としては、なんと「聖母被昇天」。これらは知っていなければまったく類推すら不可能だ。ちなみに、タイの有名私立大学にアサンプション大学というものがあるが、果たしてその意味を知っている人はどれだけいるのだろうか?


 Indulgence もまたしかり。罪や快楽に耽ることが、なぜ罪を贖すという「贖宥」に???

 indulgence を辞書で調べてみると、以下のような意味がのっている。『研究社 新英和辞典CD版』による。    

1a 悪い習慣などに ふけること,耽溺(たんでき) b 道楽,楽しみ.  
2a 気ままにさせること、甘やかし. b わがまま,放縦.
3a 大目に見ること,寛大. b 恩恵. c (商)支払い猶予.
4 (カトリック)a  免償. b 免罪符.

the Declaration of Indulgence
(英国の)信仰自由宣言 1672 年 Charles 2 世が, 1687 年 James 2 世が発布したもの.

 
 この辞書ではまだ「免罪符」となっているが、それはさておき、まあ考えてみれば、信仰にふけることも、悪事に耽ることも、精神のあり方としては似たようなことかも(?)しれない。甘やかし、赦すこと。もちろん、私は善悪について論じているわけではないし、信仰を否定しているわけではない。

 「贖宥」とは「信徒が果たすべき罪の償いを、キリストと諸聖人の功徳によって教会が免除すること」(出典:デジタル大辞泉)。直接に赦されるのではなく、教会という仲介者、媒介者によって代わりに赦されるということだ。


 実際の「贖宥状」がどんなものかは、wikipediaのラテン語版には画像がアップされている(左の写真)。wikipedia ドイツ語からの転載とある。ちなみに、「バチカン第二公会議」で決議されるまで、カトリック教会ではラテン語が使用されていた。日本も例外なく。

 世界史の授業で習ったように、マルティン・ルターの発言かどうか定かではないが、「贖宥状を購入してコインが箱にチャリンと音を立てて入ると霊魂が天国へ」という一節がアタマにこびりついている。ルターはこの行為を激しく批判して、カトリック司祭の地位を捨て、プロテスタントの創始者となった神学者である。

 ごくごくフツーの日本人的にみれば、神社のお賽銭やお祓い、あるいは密教寺院の護摩(ごま)のようなもので、カネ出したとしても、それで救われるならいいじゃないか(笑)、という気もしなくもない。

 高校生ぐらいの若い時分には、ルターの「英雄的行為?」には喝采を送りたくもなったものだが、それは中身をよく知らなかったからに過ぎないのだと思う。世の中はそんなに単純ではない。

 教会だって現世の組織である以上、組織を維持するための経費がかかる。すべてを寄進でまかなえればいいものの、そうもいかないこともあろう。

 「贖宥状」(Indulgence)は読んで字の如く、善であれ悪であれ、耽り(indulgence)過ぎるのもよろしくないということか? 何ごともほどほどに、「過ぎたるは及ばざるが如し」である。



P.S. 本日(2011年6月2日)は、「キリスト昇天祭」 (Ascension Day)

 復活祭から40日目にあたるのが「キリスト昇天祭」「Ascension Day」であるが、いわゆる「アセンション」というオカルトの話とは違うので要注意! 
 なお、「キリスト昇天祭」が、インドネシアでは休日になっているというのは興味深い。インドネシアは世界最大のムリスム大国だがイスラームは国教ではない。マイノリティだが、キリスト教徒も、ヒンドゥー教徒
も仏教徒もいる。
 東南アジアでも、イスラームを国教とするマレーシアとは違うことに注意しておきたい。



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