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2012年12月31日月曜日

書評 『西洋史学の先駆者たち』(土肥恒之、中公叢書、2012)-上原専禄という歴史家を知ってますか?

(肖像写真の右から二番目が上原専禄)

上原専禄(うえはら・せんろく 1899~1975)という歴史家の名前を知っている人は、いまやそう多くはないだろう。

阿部謹也(1935~2006)の読者であれば、とくに名著 『自分のなかに歴史をよむ』の読者であれば、「わかるとは変わること」「それをやらねければ生きていけないようなテーマ」といった名文句を吐いた歴史家として記憶のなかにあるかもしれない。

もちろん、わたしも上原専禄の名を知ったのは、恩師である阿部謹也先生を通じてである。そして本書の著者であるロシア史の土肥恒之氏は阿部先生の弟子にあたる。つまり、上原専禄の孫弟子にあたる人なのである。

著者は、もともと上原専禄という歴史家についての関心から出発したと「あとがき」で書いている。

最晩年の著書 『死者・生者-日蓮認識への発想と視点-』(1974年)における「死者との共闘」という姿勢など、近年さまざまなかたちで上原専禄再発見の兆しが見え始めているが、著者は世界史像の再構築を提唱した論客としての上原専禄や、日蓮との実存的関係など戦後の上原専禄には踏み込んでいない。

あくまでも、近代歴史学が日本に移植されて、自前のテーマ設定によって研究が自立していく戦前と戦中に時代を区切り、専門の歴史学者として「禁欲的に」仕事に専念していた時代の上原専禄を取り上げている。史学史からのアプローチである。

『正統と異端』という名著の著者で、東大の西欧中世史をリードした堀米庸三が、若き日に衝撃を受けたという上原専禄の仕事は、歴史家としては当たり前の「あくまでも原史料に基づいて研究する」という態度を西洋史研究において貫いたことにある。

日本史や東洋史では当たり前のこの態度は、90年前の西洋史研究の分野では当たり前ではなかった。それは、現在では考えられないほど日本と西洋の距離は心理的にも物理的にも遠かったこともあるだろう。研究蓄積の層の厚みがなかっただけでない。マイクロフィッシュもなかった時代、そもそも西洋史の原史料には日本ではアクセスできなかったのだ。

京都西陣の商家に生まれ、旧制高校ではなく東京商科大学(・・現在の一橋大学)に入学した上原専禄がたまたまその世界に入ったのがドイツ中世史研究であったが、たまたま留学する機会を得ることになったウィーン大学では、今度はたまたまではなく、みずからの意思で社会経済史の泰斗アルフォンス・ドープシュ博士のゼミナールを選択したことにあることが、すべての出発点であることが、本書を読むとわかる。

ときは大正時代、関東大震災直後の1923年である。ヨーロッパが舞台となった大戦が終結してから4年、ハプスブルク帝国解体後の小国オーストリア共和国の首都ウィーンであった。

ドープシュ教授のゼミナールで当たり前のように行われていたのが、原史料をもとにした徹底的な史料読み込みの演習である。上原専禄は、2年間の留学をつうじて、日本人としての主体性を失うことなくヨーロッパを理解するためには、その方法しかないと深く心に刻み込んだようだ。ディテールを徹底的に深ぼりすることをとおしてしか、全体を理解することはできないということであったのだろう。

そしてその成果は日本で論文として発表され、同業の西洋史学者たちを大いに驚嘆させることになったのだという。「原史料への沈潜」という方法論は、日本の西洋史研究においてはそれほど画期的なものであった。

いまでは考えられないようなことだが、90年前はそんな状況だったのだ。

わたしが西洋中世史のゼミナールで勉強したのはいまから約30年前の1980年代前半だが、その時とくらべても2012年時点では日本人にとっての西洋は異なるものとなっている。

日本も変化し、西洋も変化したからではあるが、世界における日本のポジションが向上し(・・現在はまた下降プロセスにあるが)、西洋はもはや仰ぎ見るべき存在ではないということが大きいだろう。つまり、それは日本人の意識の変化である。

明治維新以降、「近代化」=「西洋化」を選択した日本と日本人が、いかに西洋文明の根源に迫るべく格闘したか。技術や法律など実学的なプラクティカルな分野だけではなく、文明そのものに迫る試みが歴史学という分野でもそれは行われたのである。そのプロセスは、考えようによってはきわめてスリリングなものがあるではないか。

本書は、上原専禄とそれ以外の忘れられた西洋史家たちを取り上げて、日本における西洋史学確立に貢献した歴史学者たちを掘り起こしたものだ。

おそらく本書に登場する歴史家の名前は、現在ではほとんど忘れられているであろう。きわめて地味な内容の本だが、先人たちがいかなる格闘をしていたのか努力の足跡をたどることは、きわめて意義のあることである。




(参考) 山内昌之(歴史学者・明治大特任教授)による書評から(2012年7月16日 読売新聞) http://www.yomiuri.co.jp/book/review/20120709-OYT8T00404.htm

帝国大学だけでなく、慶応義塾や東京商科大学(一橋大学)の西洋史家たちが社会経済史の面で独特な学風を築いたことは、日本の歴史学の発展にとって幸いであった。ことに、著者の執筆動機となった上原専禄にそそぐ尊敬心と愛情はまことに好ましい。一九二三年からウィーンに留学してドイツ中世史を専門にした上原は、一次史料で欧州の中世史を学んだ第一世代といってもよい。人気教授の教室に出席して大入り満員ぶりに、「余り香しくない気持におそはれた」という上原の印象は、この碩学の器をよく表している。あまり学生のいないドープシュ教授に師事したことがその後の上原の大きなスケールと実証的学風の基礎となったのだろう。







目 次

序に代えて
第1章 ドイツ史学の移植-ルートヴィヒ・リースとその弟子たち
第2章 歴史の経済的説明-欧州経済史学の先駆者たち
第3章 文化史的観照を超えて-大類伸のルネサンス論とその周辺
第4章 「原史料の直接考究を第一義とすること」-上原専禄とドイツ中世史研究
第5章 近代資本主義の担い手を求めて-大塚久雄の近代欧州経済史研究
第6章 「大東亜戦争の世界史的意義」-戦時下の西洋史家たち
あとがき
参考文献
本文中図版引用出典
人名索引

著者プロフィール  

土肥恒之(どひ・つねゆき)
1947年生まれ。一橋大学大学院社会学研究科教授を経て、同大学名誉教授。専攻はロシア社会史・史学史。著書は、『ロシア・ロマノフ王朝の大地 (興亡の世界史)』(講談社、2007)、『岐路に立つ歴史家たち-20世紀ロシアの歴史学とその周辺-』(山川出版社、2000)その他多数(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものより)。


PS 上原専禄がウィーン大学でゼミナールに参加したアルフォンス・ドープシュ教授の主著が『ヨーロッパ文化発展の経済的社会的基礎』(創文社、1980)。1100ページを超える大著である。(2016年10月29日 記す)




<関連記事>

記者の目:上原専禄さんが現代に問うもの=田原由紀雄(毎日新聞) [2010年10月26日(Tue)] 2010(平成22)年10月26日(火) 毎日新聞
・・「死者との共闘」という姿勢など、近年さまざまなかたちで上原専禄再発見の兆しが見え始めているが、その件についてはこの記事(のさらなる再録)を参照

『チマッティ神父の手紙』(1926年、帰国船における日本宣教に出発したサレジオ会修道士たちとの出会い)
・・「今回、日本に向かう私たちと上原専禄という方と一緒に撮った写真を贈る。この善良な若い先生は、自発的に、神秘な日本語の美しさを教えてくれると提案してきた。み摂理は、なんと素晴らしい! 私たちは、もう結構なところまで進み、文章も少し分かるようになった。神に感謝! 願わくは、神様が信仰の恵みをもってこの恩人を報いてくださるように。」

Intermission 謎の銅像絵葉書 上原専禄??
・・「大正13年1月18日 ウィーン王立博物館前 マリヤテレサの銅像の下にて 専禄」と書かれた 絵葉書を購入した人による記事


<ブログ内関連記事>

「如水会講演会 元一橋大学学長 「上原専禄先生の死生観」(若松英輔氏)」を聴いてきた(2013年7月11日)

書評 『封建制の文明史観-近代化をもたらした歴史の遺産-』(今谷明、PHP新書、2008)-「封建制」があったからこそ日本は近代化した!
・・「隠遁後」の上原専禄についての言及がある。今谷明氏は上原専禄と同じく京都出身の歴史家。封建制論争で苦言を呈した上原専禄への敬愛が感じられる本だ

書評 『ヨーロッパとは何か』(増田四郎、岩波新書、1967)-日本人にとって「ヨーロッパとは何か」を根本的に探求した古典的名著
・・付録の「実学としての歴史学」で上原専禄についても触れている。上原専禄の師匠であった歴史家で銀行頭取でもあった三浦新七はドイツ留学時代にランプレヒトの助手をつとめていた。その三浦新七がウィーンでドープシュに師事するよう命じたという。

書評 『向う岸からの世界史-一つの四八年革命史論-』(良知力、ちくま学芸文庫、1993 単行本初版 1978)
・・ゲルマン世界とスラブ世界の接点であるハプスブルク帝国の首都ウィーンを舞台に「挫折した1848年革命」を描いた社会史の記念碑的名著

映画 「百合子、ダスヴィダーニヤ」(ユーロスペース)をみてきた-ロシア文学者・湯浅芳子という生き方
・・「上原専禄(1899~1975)は、湯浅芳子(1896~1990)の3歳下になります。宮本(中條)百合子(1899~1951)と上原専禄は同年生まれになります。上原専禄は、わたしの大学学部時代の先生であった阿部謹也先生のの、さらに先生にあたる人です。 直接の接点があったのかどかどうかわかりませんが、湯浅芳子と上原専禄は、ほぼ同じ頃に京都の商家に生まれ、青春時代と職業人生を東京で過ごした京都人という共通点がある」

書評 『知の巨人ドラッカー自伝』(ピーター・F.ドラッカー、牧野 洋訳・解説、日経ビジネス人文庫、2009 単行本初版 2005)
・・1909年ウィーンに生まれたドラッカーは、第一次大戦に敗戦し帝国が崩壊した都市ウィーンの状況に嫌気がさして17歳のとき(1926年)、商都ハンブルクに移っている。経済学者シュンペーターが頭取をつとめていたウィーンのビーダーマン銀行は、1924年の株価暴落による不良債権膨張で経営危機に陥り、解任され巨額の借金を負っている。上原専禄が留学で滞在していたの1923年から二年間のウィーンは、そういう状況であったシュンペータはのち東京商大を訪問しているが、その際の記念写真には上原専禄も映っている。 
http://www.lib.hit-u.ac.jp/service/tenji/amjas/pamph.pdf

書評 『正統と異端-ヨーロッパ精神の底流-』(堀米庸三、中公文庫、2013 初版 1964)-西洋中世史に関心がない人もぜひ読むことをすすめたい現代の古典

(2016年10月29日 情報追加)


(2012年7月3日発売の拙著です)





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