2010年に90歳で亡くなった「知の巨人」梅棹忠夫にかんする本格的な評伝である。500ページにもおよぶ大冊であるが、飽きることなく最後まで読みとおすことができる内容だ。
著者は山とアウトドア関係の雑誌記者として梅棹忠夫に接しロングインタビューを何度も行ってきた人だ。みずからを登山家、探検家としていた梅棹忠夫自身も、山と渓谷社から出版される本書の完成を心待ちにしうていたそうだ。だが、残念ながら生前には間に合わなかったのだという。
副題のさらに副題に Desiderium Incognita なるコトバが書かれている。デジデリウム・インコグニタと読むこのラテン語は、本文でも説明があるが「未知への欲望」とでもいうべき内容だろうか。自らの内から湧き上がってくる抑えようのない情動のことであろう。
国立民族学博物館という研究組織の運営上はきわめて合理的に振る舞った梅棹忠夫も、個人レベルにおいては「知りたい」という子どものよう情熱は最後まで失われることはなかったようだ。きわめてつよい内発的動機といってもいいかもしれない。
低山ながらも山に囲まれた京都に生まれ、登山をつうじて昆虫少年から生物学に目覚め、大学では動物生態学を専攻することになった梅棹忠夫は、ラテン語の学名を理解するために、かなり早い時期からラテン語を習得していたらしい。そもそもが文理融合の人だったわけだ。
すでにさまざまな関係者が梅棹忠夫については書いているが、登山と探検という軸で描ききった「知の巨人」梅棹忠夫の評伝は、戦前から戦後を連続して生き抜いた主人公をめぐる大河ドラマのような印象がある。著者の藍野氏は、梅棹忠夫の聞き書きの「声」をそのまま活かしながら、ブレもなく、よくこれだけのボリュームをまとめあげたものだと思う。
そしてまた、あらためて振り返りたいのは、梅棹忠夫をめぐる「知の巨人」たちの群像である。先駆者としての今西錦司、西堀榮三郎といった同じ京都一中の登山家の先輩たちや、「知的生産の方法論」の分野においては戦後のビジネスパーソンに多大な影響を与えたKJ法の川喜田二郎の名も忘れてはなるまい。
とくに忘れてはならないのは、パトロンとしての渋沢敬三の存在である。敗戦後に日銀総裁を務めた渋沢敬三は渋沢栄一の孫であり経済人であったが、私財を投じて民族学と民俗学の発展に尽くしただけでなく本人もまたすぐれた学者であった。渋沢敬三が蒐集した民具のコレクションがみんぱくのコレクションの一部として引き継がれたことは知っておきたいことだ。
弟子筋にあたる人たちはその多くが学者やジャーナリストだが、梅棹忠夫の真骨頂は「知的生産」を一般大衆に開放したことにあることから考えると、本書のように直接の弟子ではない、しかも学者ではない人が書いた評伝もまた意味あるものといっていいだろう。
梅棹忠夫のファンであれば、個々の事実関係についてはすでに知っていることはあっても、大河ドラマとして大いに楽しみながら読むことのできる評伝である。
目 次
序章 梅棹資料室
第1章 京都-山城三十山
第2章 三高山岳部-雪よ岩よ
第3章 京都探検地理学会-最後の地図の空白部
第4章 西北研究所-モンゴル遊牧民
第5章 ヒマラヤ-マナスル登頂計画
第6章 AACK-文明の生態史観
第7章 東南アジア-カカボ・ラジ登頂計画
第8章 京大人文研究所-アフリカとヨーロッパ
第9章 日本万国博覧会-人類の進歩と調和
第10章 国立民族学博物館-比較文明学
終章 再び梅棹資料室
あとがき
著者プロフィール
藍野裕之(あいの・ひろゆき) 1962年東京都生まれ。法政大学文学部卒業。広告制作会社、現代美術のギャラリー勤務の後、フリーの雑誌記者に。『サライ』『BE‐PAL』『山と溪谷』などの雑誌で取材と執筆に携わる。自然や民族文化などへの関心が強く、日本各地をはじめ南太平洋の島々など、旺盛に取材を重ねている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。
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