これはビジネス書ではない。そう思って読むべきではない。
「仕事術」とあるので、あこがれ(?)の対象である指揮者の仕事術からビジネスパーソンが学ぶべきものという内容かなと思って購入し、かなりたったいま読んでみたのだが、内容は「指揮者の仕事術」そのものであった。
現役の指揮者で作曲家であり、音楽基礎理論の研究者でもある著者による「指揮者の仕事術」なのである。
オーケストラ作品やオペラ作品の演奏において指揮者はなにをするのか、そしてその指揮者が理解しておくべき理論や身につけておくべき技術とはなにかを、具体的な作品に即して解説した、一般向けの音楽関連書なのである。
さすが、指揮者として理解しておくべき音響理論を学ぶため、音楽大学ではなく一般大学で物理学を専攻した人だけに、音響を軸にした説明はきわめてロジカルで納得のいくものになっている。しかも音楽理論の基礎を踏まえたうえでの、作品世界の解読法まで幅広く扱っているので、知的な刺激にもみちあふれている。
日本では年末の風物詩となってひさしいベートヴェンの『第九』やワーグナーの楽劇(オペラ)についての解説をじっくり読んでみると、歌詞(=コトバ)を介して音楽と思想が結びつく、19世紀ドイツにおける音楽史と思想史のうねりを感じ取ることが指揮者には求められることを知るのである。
音響という観点から教会音楽と建築との関係も踏まえた内容は、西洋音楽史の特別講義に参加しているようで、読んでいてなるほどと思わされることの連続であった。今年も『第九』に参加したり、演奏会を聴きにいく人はあらかじめ読んでおいたほうがいいだろう。シラー原詩の『喜びの歌』のほんとうの意味を知っおいたほうがいいからだ。
「全体を見ながら細部を的確に判断し指示する」(P.213)ことこそ指揮者の仕事であり、経営者もその一つである組織や人間集団のトップがなすべき仕事なのである。
この結論を導き出されるには、「指揮者の仕事」を「見える化」して具体的に説明するためのまる一冊必要だったといっていいだろう。
だから、この本を読んで直接ビジネスのヒントにすることは意識しなくてはいい。本書の特色は、エッセンスを導き出すためのプロセスそのものの具体的な記述そのものにある。
音楽鑑賞を趣味にしている人にとっては、指揮者とは何かを具体的に知ることのできる好著である。
目 次
はじめに
イントロダクション なぜ音を出さない音楽家が生まれたのか-優れた監督が選手の力を千倍にも生かす
第1章 「攻撃と守備」から考える-危機管理という仕事
第2章 聴こえない音を振る-音を出さない演奏家
第3章 リハーサルこそ真骨頂-プロを納得させるプロ
第4章 「正しく直す」って何だろう?-魅惑の「ズラシのテクニック」
第5章 言葉に命を吹き込む仕事-「第九交響曲」の魂を訪ねて
第6章 片耳だけで聴く音楽?-野生の両耳/知性の利き耳
第7章 「総合力」のリーダーシップ-指揮者ヴァーグナーから学ぶこと
終章 「夢見るちから」を生かすために
あとがき
著者プロフィール
伊東 乾(いとう・けん)1965年生まれ。作曲家=指揮者。ベルリン・ラオムムジーク・コレギウム芸術監督。東京大学大学院情報学環・作曲=指揮・情報詩学研究室准教授。東京大学理学部物理学科、同修士課程、同総合文化研究科博士課程修了。第一回出光音楽賞ほか受賞。創作・演奏の傍ら脳認知生理学に基づく音楽表現の国際基礎研究プロジェクトも推進する。『さよなら、サイレント・ネイビー』(集英社文庫)で第四回開高健ノンフィクション賞受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものに加筆)。
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書評 『オーケストラの経営学』(大木裕子、東洋経済新報社、2008)-ビジネス以外の異分野のプロフェッショナル集団からいかに「学ぶ」かについて考えてみる
・・「もともと日本には、教会の響きのなかで賛美歌を歌いながらハーモニー(調和・和声)を創っていくという習慣がない。そのため、お互いの音を聴き合ってハーモニーを創っていくという意識が、どうしても低くなっているようにみえる」(P.157~158)」 日本と西欧との大きな違い
書評 『国家と音楽-伊澤修二がめざした日本近代-』(奥中康人、春秋社、2008)-近代国家の「国民」をつくるため西洋音楽が全面的に導入されたという事実
・・日本人を近代産業に適した近代的身体に改造することが明治時代初期の課題であった。幕末の鉄砲隊はリズムに合わせて発砲するためのドラマー(=鼓手)を必要とした
「アラブの春」を引き起こした「ソーシャル・ネットワーク革命」の原型はルターによる「宗教改革」であった!?
(2014年4月25日、9月21日 情報追加)
(2012年7月3日発売の拙著です)
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