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2013年4月27日土曜日

「マリーアントワネットと東洋の貴婦人-キリスト教文化をつうじた東西の出会い-」(東洋文庫ミュージアム)にいってきた-カトリック殉教劇における細川ガラシャ



マリー・アントワネットといえば、「パンがないならお菓子を食べたらいいじゃない」という無邪気なセリフで有名な悲劇の王妃です。フランス革命で断頭台の露と消えました。

マンガや宝塚の『ベルサイユの薔薇』のイメージがひじょうにつよいわけでありますが、そのマリー・アントワネットが、ハプスブルク家の啓蒙専制君主マリア・テレジアの末娘としてウィーンの宮廷に生まれ育った幼い日から心に抱いていた「東洋の貴婦人」がいたのです。

それが、東洋文庫ミュージアムで現在開催中の「マリーアントワネットと東洋の貴婦人-キリスト教文化をつうじた東西の出会い-」のテーマです。開催期間は、2013年3月20日(水)~7月28日(日)。

その「東洋の貴婦人」とは、なんと日本の細川ガラシャ夫人。戦国大名の細川幽斎の息子・忠興の夫人となった細川ガラシャです。本能寺の変で織田信長を殺した明智光秀の三女でした。カトリックの洗礼を受けてキリシタンとなりガラシャという洗礼名をもらいましたが、ガラシャ(Gratia)とは恩寵を意味するコトバです。神の恩寵ですね。

マリー・アントワネット(1755~1793)と細川ガラシャ(1563~1600)は奇しくも、ともにカトリックの信仰に生き、37歳を一期に非業の最期を遂げた二人の貴婦人でありました。洋の東西、時代は16世紀と18世紀と異なる時空を生きた二人でしたが、時空を超えた魂の響き合いがあったのではと空想してみてもいいのかもしれません。

マリー・アントワネットは、もしかすると死の間際に細川ガラシャのことを思い起こしていたかもしれません。というのも、キリシタンとして死んだ細川ガラシャの悲劇的生涯は、なんと殉教劇としてバロックオペラの演目としてヨーロッパではひじょうに人気が高かった(!)そうなのです。

カトリックの海外布教の先兵として挺身していたイエズス会は、カトリック大国のハプスブルク帝国が支援していたこともあり、そのイエズス会の海外布教の最大の成功例であり、かつ最大の失敗例ともなった日本布教はイエズス会にとっての意味合いは大きなものがあったのでしょう。

イタリアやメキシコに、長崎で殉教した日本の二十六聖人を記念した教会や壁画が残っているのは、見える形で「記憶」として刻みつけることがその目的であったのでしょう。


細川ガラシャを主人公にした17世紀のカトリック殉教劇

1698年に発表された殉教劇のタイトルはラテン語で、『強き女、またの名を丹後王国の女王グラツィア』(Mulier fortis, cuius pretium de ultimis finibus, sive Gratia regni Tango Regina)といいます。この本の表紙をふくめた一部は、Google Bools で見ることができます。今回の展示においては『気丈な貴婦人』となっていますが、ラテン語を直訳すれば『強き婦人』くらいが適当ではないかと思います。


「丹後王国の女王」とは、細川ガラシャは細川幽斎が封ぜられた丹後(=現在の京都府北部)で人生を過ごしたからでしょう。ちなみにその父である明智光秀は丹波の福知山に城をもっておりました。細川幽斎の居城は丹後田辺城でありました。現在の京都府舞鶴市の西舞鶴ですね。舞鶴で生まれたわたしは親しみを感じます。

ラテン語の殉教劇 『気丈な貴婦人』は、wiki によればこんな内容のようです。

ラテン語の戯曲 『強き女...またの名を、丹後王国の女王グラツィア』 は、神聖ローマ帝国のエレオノーレ・マグダレーネ皇后の聖名祝日(7月26日)の祝いとして、1698年7月31日にヴィーンのイエズス会教育施設において、音楽つき戯曲の形で初演された。脚本は当時ハプスブルク家が信仰していたイエズス会の校長ヨハン・バプティスト・アドルフが書き、音楽はヨハン・ベルンハルト・シュタウトが作曲した。
ガラシャの改宗の様子は、当時日本に滞在中のイエズス会宣教師たちが本国に報告していたが、そのような文献を通じて伝わった情報をもとに、ガラシャの実話に近い内容の戯曲が創作される結果となった。
アドルフは、この戯曲の要約文書において、物語の主人公は「丹後王国の女王グラツィア」であると述べている。さらに、彼が執筆に際して直接の典拠としたのは、コルネリウス・ハザルト著『教会の歴史-全世界に広まったカトリック信仰-』の独訳本の第1部第13章、「日本の教会史-丹後の女王の改宗とキリスト信仰」であったことをも明記している。
戯曲では、グラツィア(=ガラシャ)の死が殉教として描かれている。夫である蒙昧かつ野蛮な君主の悪逆非道に耐えながらも信仰を貫き、最後は命を落として暴君を改心させたという、キリスト教信者に向けた教訓的な筋書きである。
この戯曲はオーストリア・ハプスブルク家の姫君たちに特に好まれたとされる。ただし、彼女たちが政治的な理由で他国に嫁がされるガラシャを自分たちの身の上に重ね、それでも自らの信仰を貫いた気高さに感銘を受けたとの解釈は、アドルフの脚本内容に基づかない日本人的な観点によるものであり、文献上の根拠は皆無である。

事実関係の記述に執筆者の個人的解釈もあって興味深い説明ですね。あまり想像をたくましくしてはうがち過ぎといったところでしょうか。

ソ連崩壊以後は、ロシア革命だけでなく、その前例であったフランス革命もまた顧みられなくなっていきましたが、フランス革命を、「革命された側」であるマリー・アントワネットの側からみるほうがドラマとしてもアピール度が高いのは、もしかするとハプスブルク大好きな人の多い日本だけではないのかもしれません。

フランスの文学者アナトール・フランスに 『神々は渇く』というフランス革命を題材にしたすぐれた文学作品がありますが、「革命する側」の精神状態を「(血を求めて)神々は渇く」と表現したわけです。その意味では、「革命された側」のマリー・アントワネットは「殉教」といっていいのかもしれません。

じっさい、フランス革命においてカトリック教会は徹底的に弾圧されることになります。修道院は破壊され、教会建築にも破壊の手が及びました。ロシア革命も文化大革命も、また日本の明治維新の際の廃仏毀釈とも共通するものがあります。

そんなことを考えながら、「マリーアントワネットと東洋の貴婦人-キリスト教文化をつうじた東西の出会い-」の展示品を見るとよいでしょう。




展示品についての若干の解説

会場には、『気丈な貴婦人』の一部を再現したチェンバロによる演奏が流れています。バロック音楽に浸りながらマリー・アントワネットの生涯と細川ガラシャの生涯を偲ぶことができる構成になっています。

以下、展示の説明文をそのまま引用しておきましょう。


マリー・アントワネットが旧蔵していたという『イエズス会士書簡集』、世界に唯一現存の天草本キリシタン版『(国重文)ドチリーナ・キリシタン』細川ガラシャ自筆の和歌短冊『たつね行』中国明朝のキリシタン貴婦人の伝記『徐カンディダ伝』など天下の稀品が一堂に会します。マリー・アントワネット憧れの東洋のキリスト教世界、この機会にぜひご堪能ください。

『どちりな きりしたん』(Doctrina Christam)は、カトリックの「カテキズム」(公教要理)のこと。教義を意味するドクトリンがなまって「どちりな」となったようですね。日本語をローマ字で記した教理問答集で、1600年に日本で出版されたキリシタン文書の一つです。



『イエズス会士書簡集』は、中国関連のものを中心に日本関連のものをふくめて、平凡社東洋文庫から日本語訳され出版されています。出版を目的として書かれたイエズス会士の報告書は、18世紀のヨーロッパの知識階層でよく読まれ、ひじょうに大きな影響を与えたことが知られています。

たとえば、哲学者のライプニッツは『易経』をもとに二進法のアイデアからコンピューターの原型となる発想を得ていますし、身分や階層にとらわれない官吏の登用方法としての「科挙」はヨーロッパに大きな影響を与えています。やや中国文明を理想化しすぎたという批判もありますが、『イエズス会士書簡集』を愛蔵していたということから、マリー・アントワネットの関心のありかをさぐることもできそうです。

なお、イエズス会は海外布教方針をめぐってカトリック内部で批判にさらされ、権力闘争のすえ1773年にローマ教皇庁から解散命令を受けています。復興されたのは30年後の1814年、その時点ではすでに海外布教の主役は「パリ外国宣教会」などにとって代わられていました。

「平成27年(2015年)は「信徒発見」150年」というコピーのもと、「世界遺産候補 長崎の教会群とキリスト教関連遺産」というパンフレットが置かれていますが、長崎で隠れキリシタンがフランス人神父の前に名乗り出たのが1860年(万延元年)、その神父はパリ外国宣教会から派遣された宣教師だったのでした。


展示会場が暗くて展示品はすべてガラスケースのなかに入っているので、撮影OKなのですがなかなかよい写真がとれません。くわしい解説のある小冊子 『マリーアントワネットと東洋の貴婦人-キリスト教文化をつうじた東西の出会い-(時空をこえる本の旅5)』をぜひ会場で購入されるとよろしいかと思います(500円)。





PS マリー・アントワネットと日本の蒔絵コレクション

マリー・アントワネットと日本とのかかわりといえば、蒔絵漆器のコレクションについて触れなくてはならないだろう。

彼女が生前愛用した化粧箱は、なんと日本製だったのだ! 蒔絵の漆器の小箱のコレクションは、「japan 蒔絵-宮殿を飾る 東洋の燦めき」展(サントリー美術館、会期:2008年12月23日~2009年1月26日)でも公開されている。

フランス国王ルイ16世王妃マリー・アントワネットは、たいへんな蒔絵のファンでした。質・量ともにヨーロッパ随一を誇るアントワネットの蒔絵コレクションの中には、輸出用の注文品ではなく、上質でありながらも、京の店先で選ばれ買われたと考えられるものもあります。(企画展案内文より)

これらの平蒔絵コレクションは、18世紀にオランダ東インド会社(VOC)を通じて日本から欧州に輸出されたものである。ロココ時代の王宮には、かならずといっていいほど中国部屋と日本部屋があるが、贅沢品としての工芸品にかんしては日本製品が王侯貴族のあいだでは愛好されていたのであった。マリー・アントワネットの平蒔絵コレクションはヴェルサイユ宮殿美術館が所蔵している。彼女の趣味の良さがうかがわれる。

なお、マリー・アントワネットの旧蔵書である『イエズス会士中国報告』のフランス語訳版は、日本の東洋文庫が所蔵している。シノワズリー(中国趣味)とジャポニスム(日本趣味)は、18世紀の王侯貴族のあいだでは東洋の贅沢品として人気を博していたのであった。いまではもはやそうではないふぁ、かつて小文字の china は陶磁器、小文字の japan は漆器を9意味していたのである。

(2016年4月5日 記す)

マリー・アントワネットの漆器趣味は、母親のハオウスブルク帝国唯一の女帝マリア・テレジアゆずりのものであった。

「蒔絵 Japan」 ~美術展めぐり MYセレクション」というブログ記事には、上記の「japan 蒔絵-宮殿を飾る 東洋の燦めき」展の紹介がある。

オーストリアのハプスブルク家の女帝マリア・テレジアは「私は、ダイヤモンドより漆器よ」と言って、日本の絵を愛し、一家の住居であったウィーンのシェーンブルン宮殿にも「漆の間」を設けたほどでした。そんな母親の影響を受けて、フランスのブルボン家に嫁いだマリー・アントワネットも漆器好きで、マリア・テレジアから50点もの蒔絵を相続すると、さらにコレクションを増やしていき、そのマリー・アントワネットのコレクションはヨーロッパでも質量と随一のものとなりました。

(参考) マリー=アントワネットの漆器コレクション ヴェルサイユ宮殿美術館(MMM)。日本の漆器はフランス語で les laques du japon このキーワードで検索をかけてみるとよい。

(2016年4月22日 記す)

日本とは浅からぬ縁のあったマリー=アントワネットであったが、日本人とは直接見たことはなかった。同時代のロシアの女帝エカチェリーナは、1791年に漂流民の大黒屋光太夫に拝謁させている。マリー=アントワネットが捕まったのは1792年で翌年には処刑されているが、はたして大黒屋光太夫の情報は耳にしていたのだろうか?

(2016年4月29日 記す)




PS オペラ『細川ガラシャ』について

日本で最初のオペラ『細川ガラシャ』を作曲したのは、カトリックのサレジオ会の司祭で日本宣教の責任者として来日したヴィチェンツィオ・チマッティ師(1879~1965)である。

音楽的才能にめぐまれていたチマッティ師は、生涯に950曲を作曲している。1926年に46歳で来日して以来、戦時中の苦難も含めて終生にわたって日本にとどまった。現在は尊者として認定されており、聖者としての第二段階である福者への申請中である。

『細川ガラシャ』は音楽ドラマとして1940年に日比谷公会堂で初演、その後1960年には80歳のチマッティ師自身の手によってオペラに改作されたものが上演されている。


(参考) ドン・チマッティ (Don Cimatti) :オペラ『細川ガラシア (ガラシャ) 』より第1幕その1(小栗克裕 (Katsuhiro Oguri) 補作・管弦楽編曲) (YouTube)




(2016年8月27日 記す)


PS2 ヴェルサイユ宮殿の全面協力のもとに作成されたマンガ

『マリー・アントワネット (KCデラックス モーニング) 』(惣領冬実、講談社、2016)が、2016年9月に出版されている。製作の経緯については、「モーニング」の副編集長による「世界志向の編集者は言語の壁を超えて、 作家が触れたことのない「異物」との接触点をつくる」(北本かおり、WIRED、2015年10月30日)を参照。(2017年6月14日 記す)




<関連サイト>

ミュージアム 財団法人東洋文庫

舞鶴田辺城 (舞鶴観光協会)

細川ガラシャ ゆかりの地を巡る - ゆったり丹後 (丹後広域観光)

イエズス会日本管区(日本語)

パリ外国宣教会 公式サイト(フランス語)










<ブログ内関連記事>

「東洋文庫ミュージアム」(東京・本駒込)にいってきた-本好きにはたまらない!

「東インド会社とアジアの海賊」(東洋文庫ミュージアム)を見てきた-「東インド会社」と「海賊」は近代経済史のキーワードだ


■フランス革命

フランスの童謡 「雨が降ってるよ、羊飼いさん!」(Il pleut, Il pleut, bergère)を知ってますか?
・・「雨降り」とは「革命」の到来を暗示しているという説がある

フランス国歌 「ラ・マルセイエーズ」の歌詞は、きわめて好戦的な内容だ
・・革命歌の歌詞はじつに勇ましいだけでなく残酷だ

書評 『近代の呪い』(渡辺京二、平凡社新書、2013)-「近代」をそれがもたらしたコスト(代償)とベネフィット(便益)の両面から考える
・・フランス革命から「近代」が始まった


■カトリックとイエズス会

「500年単位」で歴史を考える-『クアトロ・ラガッツィ』(若桑みどり)を読む

イエズス会士ヴァリニャーノの布教戦略-異文化への「創造的適応」

カラダで覚えるということ-「型」の習得は創造プロセスの第一フェーズである
・・イエズス会の創始者イグナティス・デ・ロヨラの『霊操』について

書評 『神父と頭蓋骨-北京原人を発見した「異端者」と進化論の発展-』(アミール・アクゼル、林 大訳、早川書房、2010)-科学と信仰の両立をを生涯かけて追求した、科学者でかつイエズス会士の生涯

「泥酔文化圏」日本!-ルイス・フロイスの『ヨーロッパ文化と日本文化』で知る、昔から変わらぬ日本人
・・および『コリャード懺悔録』(大塚光信校注、岩波文庫、1986)

エル・グレコ展(東京都美術館)にいってきた(2013年2月26日)-これほどの規模の回顧展は日本ではしばらく開催されることはないだろう

書評 『聖書の日本語-翻訳の歴史-』(鈴木範久、岩波書店、2006)

書評 『ラテン語宗教音楽 キーワード事典』(志田英泉子、春秋社、2013)-カトリック教会で使用されてきたラテン語で西欧を知的に把握する

(2014年7月21日、2016年4月29日 情報追加)




(2017年5月18日発売の新著です)


(2012年7月3日発売の拙著です)







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