マリー・アントワネットといえば、「パンがないならお菓子を食べたらいいじゃない」という無邪気なセリフで有名な悲劇の王妃です。フランス革命で断頭台の露と消えました。
マンガや宝塚の『ベルサイユの薔薇』のイメージがひじょうにつよいわけでありますが、そのマリー・アントワネットが、ハプスブルク家の啓蒙専制君主マリア・テレジアの末娘としてウィーンの宮廷に生まれ育った幼い日から心に抱いていた「東洋の貴婦人」がいたのです。
それが、東洋文庫ミュージアムで現在開催中の
「マリーアントワネットと東洋の貴婦人-キリスト教文化をつうじた東西の出会い」のテーマです。開催期間は、2013年3月20日(水)~7月28日(日)。
その
「東洋の貴婦人」とは、なんと日本の細川ガラシャ夫人。戦国大名の細川幽斎の息子・忠興の夫人となった細川ガラシャです。本能寺の変で織田信長を殺した明智光秀の三女でした。カトリックの洗礼を受けてキリシタンとなりガラシャという洗礼名をもらいましたが、
ガラシャ(Gratia)とは恩寵を意味するコトバです。神の恩寵ですね。
マリー・アントワネット(1755~1793)と細川ガラシャ(1563~1600)は奇しくも、
ともにカトリックの信仰に生き、37歳を一期に非業の最期を遂げた二人の貴婦人でありました。洋の東西、時代は16世紀と18世紀と異なる時空を生きた二人でしたが、時空を超えた魂の響き合いがあったのではと空想してみてもいいのかもしれません。
マリー・アントワネットは、もしかすると死の間際に細川ガラシャのことを思い起こしていたかもしれません。というのも、キリシタンとして死んだ細川ガラシャの悲劇的生涯は、なんと殉教劇としてバロックオペラの演目としてヨーロッパではひじょうに人気が高かった(!)そうなのです。
カトリックの海外布教の先兵として挺身していたイエズス会は、カトリック大国のハプスブルク帝国が支援していたこともあり、そのイエズス会の海外布教の最大の成功例であり、かつ最大の失敗例ともなった日本布教はイエズス会にとっての意味合いは大きなものがあったのでしょう。
イタリアやメキシコに、長崎で殉教した日本の二十六聖人を記念した教会や壁画が残っているのは、見える形で「記憶」として刻みつけることがその目的であったのでしょう。
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細川ガラシャを主人公にした17世紀の「カトリック殉教劇」
1698年に発表された殉教劇のタイトルはラテン語で、『強き女、またの名を丹後王国の女王グラツィア』(Mulier fortis, cuius pretium de ultimis finibus, sive Gratia regni Tango Regina)といいます。この本の
表紙をふくめた一部は、Google Bools で見ることができます。今回の展示においては『気丈な貴婦人』となっていますが、ラテン語を直訳すれば『強き婦人』くらいが適当ではないかと思います。
「丹後王国の女王」とは、
細川ガラシャは細川幽斎が封ぜられた丹後(=現在の京都府北部)で人生を過ごしたからでしょう。ちなみにその父である明智光秀は丹波の福知山に城をもっておりました。細川幽斎の居城は
丹後田辺城でありました。現在の京都府舞鶴市の西舞鶴ですね。舞鶴で生まれたわたしは親しみを感じます。
ラテン語の殉教劇 『気丈な貴婦人』は、
wiki によればこんな内容のようです。
ラテン語の戯曲 『強き女...またの名を、丹後王国の女王グラツィア』 は、神聖ローマ帝国のエレオノーレ・マグダレーネ皇后の聖名祝日(7月26日)の祝いとして、1698年7月31日にヴィーンのイエズス会教育施設において、音楽つき戯曲の形で初演された。脚本は当時ハプスブルク家が信仰していたイエズス会の校長ヨハン・バプティスト・アドルフが書き、音楽はヨハン・ベルンハルト・シュタウトが作曲した。
ガラシャの改宗の様子は、当時日本に滞在中のイエズス会宣教師たちが本国に報告していたが、そのような文献を通じて伝わった情報をもとに、ガラシャの実話に近い内容の戯曲が創作される結果となった。
アドルフは、この戯曲の要約文書において、物語の主人公は「丹後王国の女王グラツィア」であると述べている。さらに、彼が執筆に際して直接の典拠としたのは、コルネリウス・ハザルト著『教会の歴史-全世界に広まったカトリック信仰-』の独訳本の第1部第13章、「日本の教会史-丹後の女王の改宗とキリスト信仰」であったことをも明記している。
戯曲では、グラツィア(=ガラシャ)の死が殉教として描かれている。夫である蒙昧かつ野蛮な君主の悪逆非道に耐えながらも信仰を貫き、最後は命を落として暴君を改心させたという、キリスト教信者に向けた教訓的な筋書きである。
この戯曲はオーストリア・ハプスブルク家の姫君たちに特に好まれたとされる。ただし、彼女たちが政治的な理由で他国に嫁がされるガラシャを自分たちの身の上に重ね、それでも自らの信仰を貫いた気高さに感銘を受けたとの解釈は、アドルフの脚本内容に基づかない日本人的な観点によるものであり、文献上の根拠は皆無である。
事実関係の記述に執筆者の個人的解釈もあって興味深い説明ですね。あまり想像をたくましくしてはうがち過ぎといったところでしょうか。
ソ連崩壊以後は、ロシア革命だけでなく、その前例であったフランス革命もまた顧みられなくなっていきましたが、
フランス革命を、「革命された側」であるマリー・アントワネットの側からみるほうがドラマとしてもアピール度が高いのは、もしかするとハプスブルク大好きな人の多い日本だけではないのかもしれません。
フランスの文学者アナトール・フランスに 『神々は渇く』というフランス革命を題材にしたすぐれた文学作品がありますが、「革命する側」の精神状態を「(血を求めて)神々は渇く」と表現したわけです。その意味では、「革命された側」のマリー・アントワネットは「殉教」といっていいのかもしれません。
じっさい、フランス革命においてカトリック教会は徹底的に弾圧されることになります。修道院は破壊され、教会建築にも破壊の手が及びました。ロシア革命も文化大革命も、また日本の明治維新の際の廃仏毀釈とも共通するものがあります。
そんなことを考えながら、
「マリーアントワネットと東洋の貴婦人-キリスト教文化をつうじた東西の出会い-」の展示品を見るとよいでしょう。
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展示品についての若干の解説
会場には、『気丈な貴婦人』の一部を再現したチェンバロによる演奏が流れています。バロック音楽に浸りながらマリー・アントワネットの生涯と細川ガラシャの生涯を偲ぶことができる構成になっています。
以下、展示の説明文をそのまま引用しておきましょう。
マリー・アントワネットが旧蔵していたという『イエズス会士書簡集』、世界に唯一現存の天草本キリシタン版『(国重文)ドチリーナ・キリシタン』、細川ガラシャ自筆の和歌短冊『たつね行』、中国明朝のキリシタン貴婦人の伝記『徐カンディダ伝』など天下の稀品が一堂に会します。マリー・アントワネット憧れの東洋のキリスト教世界、この機会にぜひご堪能ください。
『どちりな きりしたん』(Doctrina Christam)は、カトリックの「カテキズム」(公教要理)のこと。教義を意味するドクトリンがなまって「どちりな」となったようですね。日本語をローマ字で記した教理問答集で、1600年に日本で出版されたキリシタン文書の一つです。