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2015年7月11日土曜日

「前橋汀子のバッハ無伴奏 ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ全曲」(神奈川県立音楽堂)に行ってきた(2015年7月11日)-心技体の一体化した入神の演奏に満場の拍手は鳴り止まず


「前橋汀子のバッハ無伴奏 ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ全曲」(神奈川県立音楽堂)を聴いてきた(2015年7月11日)。本日は梅雨の晴れ間の真夏日。そんな土曜日の午後に、日本を代表する国際的バイオリニスト前橋汀子氏が、3時間弱という長丁場を無伴奏で演奏し尽くした。

前橋汀子はバイオリンの小品の名曲を発掘してコンサートやCDとして発表してきたが、やはりなんといってもバッハの無伴奏ソナタ&パルティータ全曲が代表作だろう。

無伴奏ソナタ&パルティータ全曲は、二枚組のCDで何度も何度も繰り返し聞き込んだ。購入したのがいつか正確な記憶はないが、録音が1988年、CDの発行年が1993年とあるので、それ以降であることは確かだ。1990年代の半ばくらいではないだろうか。約20年目にしてナマで聴けることとなったのはじつにうれしい。まさか生演奏を聴けるとは思っていなかったからだ。

演奏会場は、横浜市の神奈川県立音楽堂。「近代建築」の第一人者・前川國男による設計。おなじく前川の設計になる東京文化会館と同様、音響のすばらしさでは定評のあるコンサートホールである。

しかも、バッハに代表されるバロック音楽は「西欧近代」そのもの。「西欧近代」そのものを究めるのには、理想的な演奏会場といえるかもしれない。神奈川県立音楽堂は訪れるのは今回が初めてだが、音響のすばらしさは、無伴奏のバイオリン演奏だからこそ価値あるものであるといっていいかもしれない。


本日のプログラムは以下のとおり。

ソナタ第1番 ト短調 BWV1001(全約17分)
パルティータ第1番 ロ短調 BWV1002(全約25分)
ソナタ第2番 イ短調 BWV1003(全約21分)
パルティータ第3番 ホ長調 BWV1006(全約17分)
 (休憩) 25分
ソナタ第3番 ハ長調 BWV1005(全22分)
パルティータ第2番 ニ短調 BWV1004(全32分)

J.S.バッハによる作品の通し番号である BWV に注目していただきたいが、本日のプログラムでは BWV番号どおりにはなっていない。BWV番号の最後にくるはずのパルティータ第3番 ホ長調 BWV1006 を「休憩」前にもってきて、順番を変えてパルティータ第2番 ニ短調 BWV1004 を最後にもってきているのだ。

これはじつに心憎い演出である。なぜなら、パルティータ第2番 ニ短調 BWV1004 の第5曲シャコンヌこそが、「バロック音楽のバイオリン曲では最高傑作」と評されているものだからだ。

それだけに超絶技巧の要求される難曲であるが、前橋汀子の演奏は、最後の最後にいたって、まさに神がかり的といっていいほどの心技体が一体化した入神状態のものであった。すでに70歳を越えているとは信じがたい入神の演奏。

無伴奏ソナタ&パルティータ全曲を弾き通したフィナーレがシャコンヌとは、計算し尽くされたものであるだけでなく、聴く側としてもすばらしいの一語に尽きる。満場の拍手が鳴り止まなかったも、当然といえば当然だろう。

前橋汀子は日本の至宝である。クラシック音楽が日本の「伝統芸能」ではないので人間国宝となることはないが、個人的にはそれに値するアーチストだと思っている。本日もあらためてその感をつよくしたのであった。





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(2021年1月31日 情報追加)


 
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2014年8月8日金曜日

書評『からくり人形の夢 ― 人間・機械・近代ヨーロッパ』(竹下節子、岩波書店、2001)―「西洋からくり人形」にさぐるバロック時代の精神世界



「からくり人形」というと、まず想起するのは江戸時代の「茶運び人形」などだが、同時代のヨーロッパにも「からくり人形」が存在した。「西洋からくり人形」である。

日本の「からくり人形」は、17世紀から19世紀半ばにかけてつくられたものだ。もっぱら見て楽しませるための娯楽用として製作されたものだが、「第一次グローバリゼーション」の16世紀に西洋から伝来した機械時計に使用されていた「歯車」(ギア)を応用したものだ。歯車はきわめて重要な機構部品である。

「西洋からくり人形」もまた17世紀から19世紀半ばまでが全盛期であったが、本書の表現を借りれば、「奇跡と遊びとパッションが一体をなしていたバロック時代」の産物である。おなじく工学的発想にもとづく「からくり人形」であるが、日本の「からくり人形」とは背景となる思想が異なっていた。

「西洋からくり人形」は、正確にはオートマタ(automata)という。単数形はオートマトン(automaton)直訳すれば自動機械である。機構そのものにプログラムを内蔵させたオートマトンは、機械言語によって動くコンピュータとロボットの前身である。

本書は、「西洋からくり人形」の背景を見ていくことによって、「近代科学」成立以前のバロック時代の科学観と人間観を明らかににしながら、「近代科学」成立によって切り捨てられていった初期近代の精神世界についてエッセー風に考察したものである。

日本ではいまだに「科学技術」と4文字熟語で一緒くたにされているが、「科学」と「技術」(=工学)はイコールではない。近代科学を生み出した西欧と生み出せなかった日本。その違いについて考えるためにも、「西洋からくり人形」というオートマトンについて振り返ってみる意味がある。

以下、わたし自身の関心にしたがって、わたしのコトバで解釈しながら読んでみる。著者はオートマタととしているが、19世紀以降の「近代科学」のもとにおける発展を視野に入れた場合、オートマトンと表記したほうが適切であろう。、


オートマトンは機械式時計の技術と連動

「西洋からくり人形」のオートマトンは、本書によれば、精密機器である機械時計技術と連動して発展したらしい。からくり時計もその一つであるが、時計職人のブランドイメージのため製作されたもので、いわば技術のショーケースといった性格をもっていたようだ。

機械式時計の製作は、フランス・アルプスの北側グルノーブルからスイスのフランス語圏へと波及していった。だからオートマトンはフランスを中心に発達したようだ。レオナルド・ダヴィンチを生んだイタリアで発達せず、フランスで発達した理由も興味深い。

本書カバーの写真は、自らオルガンを弾く貴婦人の「西洋からくり人形」だが、もともと「自動楽器」のほうがオートマトンに先行していたようだ。

自動楽器は、音楽の保存方法として、楽譜による記譜法と並列して重要な役割をもっていたらしい。記録媒体としてのレコードと蓄音機が19世紀にエジソンによって発明される以前は、自動楽器が貴重な音源となっていた。18世紀から19世紀にかけて活躍したベートヴェンもまた、自動楽器向けの曲を作曲しているらしい。

自動楽器は、現代でもオルゴールとして生き残っているが、ピックという楔(くさび)のついたシリンダーを回転させ、楔を鍵盤をひっかけて音を再生する仕組みである。機構そのものにプログラムを組み込んだ記憶装置であり、再生装置であるといっていいだろう。

音楽の再生にあたって動力源は人力だが、オペレーターが手動で駆動しながら同時に制御するか、ゼンマイに蓄えたエネルギーを利用して自動再生するかの二種類があったが、機構そのものはおなじである。

この自動楽器の技術がオートマトンに活かされることになる。機構そのものにプログラムを組み込んだ記憶装置であり、再生装置である点は同じである。人間がプログラムを作成し、人間が動力源であり、オペレーターでもある。


オートマトンと「人間機械論」

オートマトンの製作は、初期近代のバロック時代の科学観が背景にある。いわゆる「近代科学」成立以前の科学観である。

そもそも機械式時計は、神が造った被造物の一つである天体の動きを、歯車のかみあわせでムーブメントとしてメカニカルに再現したものである。大宇宙であるマクロコスモスと小宇宙であるミクロコスモスがコレスポンデンス(=照応)しているという近代以前の神学的科学観が背景にある。

人工美を表現した幾何学的なフランス庭園もそうであるが、アタマのなかで考えたイメージを素材をつかって表現したいという西欧人の欲望がストレートに表現されたものといえるだろう。「目に見えるもの」をいじっているうちに「目に見えないもの」を感じ始める日本人とは、真逆の発想なのかもしれない。

オートマトンにおいては、神が造った被造物である人間を一個の機械として理解した「人間機械論」が思想的背景にある。「人間機械論」は、「心身二元論」で有名な哲学者デカルトが打ち出したものだが、当事の西欧世界に与えたインパクトはきわめて大きかったようだ。フランスがオートマトン製作の中心であった理由の一つがデカルト哲学の影響である。

初期近代は、数学と解剖学の時代であり、解剖学の知見がメカニズムの解明と再現へ、そして数学で世界を表現する思考が浸透していった。

だが著者によれば、「人間機械論」は、現代人のわれわれが理解している「心身二元論」とはニュアンスが異なるようだ。デカルトはあくまでも人間は神の被造物であるという前提に立っていたのである。身体のメカニズムの究明をつうじて、精神の秘密を探ろうとしていた。「目に見える身体」のメカニズムをつうじて「目に見えない精神」を、探ろうという方法論である。

オートマトンもまた、目に見える機構というメカニズムをつうじて魂の問題を探求するという姿勢があったことを著者は強調している。人形に魂が宿るという発想は、日本人的な発想と似ていなくもないが、「人間機械論」においては、探求心が向かう方向と方法論が日本人とは異なるようだ。

「近代科学」を生み出した西欧人の発想をオートマトンに見ることができるのである。


ロボットの原型としてのオートマトン

人形には魂が宿る。こういう感覚は日本人なら子ども時代に誰もが観じたことがあるのではないだろうか。ロボット工学者の森政弘博士による「不気味の谷」仮説がその一つの説明であろう。人間型ロボットは人間に近づくと親近感を増すが、ある閾値を超えると「不気味の谷」に入り込むという仮説である。

日本人に限らず、西欧人も人形には魂が宿るという感覚があったようだ。西欧人の深層意識に痕跡を残している古代的な感性といえようか。

自動人形のオートマトンであれ、マリオネットなどの操り人形であれ、人形自体には魂は存在しない。したがって誰かが動かしてやらなくてはならない。操り人形の場合は、人形師に憑依するという形で神の意志が反映されるというのは、ある意味では古代的な感性といえるだろう。

オートマトンは、アタマのなかで考えたイメージを素材をつかって表現したいという西欧人の欲望の表現であるが、オートマトンの延長線上にロボットがあると考えると、ロボットの原型となるイメージについて振り返ってみる意味もある。

著者は、オートマトンには以下の3つの類型があるとしている。わたしなりに補足して整理すると以下のようになる。

アダム型: 神自身が造った神の似姿(←旧約聖書 『創世記』)
ゴーレム型: ドッペルゲンガー型の分身。人格統合されるべき人間の「影」(←中欧ユダヤ伝承)
イヴ型: 自分の理想や夢の投影。ギリシア神話のピュグマリオン。ピノッキオ

アダム=ゴーレム型の代表としてドイツ文学の『ゴーレム』(グスタフ・マイリンク)イブ型の代表としてフランス文学の『未来のイヴ』(ヴィリエ・ド・リラダン)をとりあげて、内容を紹介しながらにくわしく解説している。

著者が使用していない精神分析的な解釈を加えれば、西欧人の深層意識を知るうえで有効な分析材料となるだろう。ロボットの原型としてのオートマトンについて考えることは、つまるところ人間の欲望について考えることなのである。

ロボットがますます身近な存在となりつつある現在、初期近代のバロック時代、「近代科学」以前の西欧を視野にいれることの重要性をあらためて感じるのである。


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目 次

はじめに
序章 オートマタのフランス
第1章 パリのバロック夢追い人たち
第2章 歴史の中の自動楽器
第3章 歴史の中のオートマタ
第4章 オートマタのファンタジー
終章 夢見るオートマタ
おわりに
参考文献について


著者プロフィール
竹下節子(たけした・せつこ)
1976年、東京大学大学院比較文学比較文化修士課程修了。同博士課程、パリ大学比較文学博士課程を経て、高等研究所でカトリック史、エゾテリズム史を学んだ。パリでアーティスト支援の文化協会を主宰し、室内楽アンサンブルのメンバーとしても活動中。著書に『パリのマリア』『ジャンヌ・ダルク』『ローマ法王』『バロックの聖女』『さよならノストラダムス』など(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。




<参考>

『機械式時計【解体新書】-歴史をひもとき機構を識る-』(本間誠二=監修、大泉書店、2002)
・・この本は時計職人が書いた機械式時計のメカニズムと歴史がつまった本。出版以来のロングセラー。




<ブログ内関連記事>

機械文明の原型

書評 『ねじとねじ回し-この千年で最高の発明をめぐる物語-』(ヴィトルト・リプチンスキ、春日井晶子訳、ハヤカワ文庫NF、2010 単行本初版 2003)-「たかがねじ、されどねじ」-ねじとねじ回しの博物誌
・・「(ヨーロッパでは)「紳士にとって旋盤を回すことは、婦人にとっての刺繍のようなもので、18世紀の終わりまで趣味として人気を保っていた」(第5章)」ことを同時にアタマのなかにいれておくとよい

『歴史のなかの鉄炮伝来-種子島から戊辰戦争まで-』(国立歴史民俗学博物館、2006)は、鉄砲伝来以降の歴史を知るうえでじつに貴重なレファレンス資料集である
・・銃器という機械もまた、西欧近代を推進した軍事テクノロジーである

電気をつかわないシンプルな機械(マシン)は美しい-手動式ポンプをひさびさに発見して思うこと
・・自動人形もエネルギー源に電気を使用しない機械である

書評 『ブランド王国スイスの秘密』(磯山友幸、日経BP社、2006)-「欧州の小国スイス」から、「迷走する経済大国・日本」は何を教訓として読み取るべきか
・・なぜスイスが機械式時計の一大生産地帯となったのか

『西洋事物起原 全4巻』(ヨハン・ベックマン、特許庁技術史研究会訳、岩波文庫、1999~2000)は、暇つぶしにパラパラとやると雑学に強くなれる本
・・近代が生み出したさまざまな機械についても、その起源を調べている


解剖学とバロック精神

書評 『猟奇博物館へようこそ-西洋近代の暗部をめぐる旅-』(加賀野井秀一、白水社、2012)-猟奇なオブジェの数々は「近代科学」が切り落としていった痕跡 
・・16世紀から18世紀にかけてのヨーロッパの知られざる世界

『バロック・アナトミア』(佐藤 明=写真、トレヴィル、1994)で、「解剖学蝋人形」という視覚芸術(?)に表現されたバロック時代の西欧人の情熱を知る
・・16世紀から18世紀にかけてのヨーロッパの知られざる世界


ロボットと魂

書評 『ロボット新世紀』(シリル・フィエヴェ、本多力訳、文庫クセジュ、2003)-ロボット大国ではないフランスのジャーナリストが簡潔にまとめたロボット開発の見取り図

書評 『ロボットとは何か-人の心を写す鏡-』(石黒浩、講談社現代新書、2009)-「人間とは何か」、「自分とは何か」という哲学的な問いを考える手引き ・・ロボットに魂をもちうるのか?

書評 『動物に魂はあるのか-生命を見つめる哲学-』(金森修、中公新書、2012)-日本人にとっては自明なこの命題は、西欧人にとってはかならずしもそうではない
・・デカルトの「動物機械論」の波紋とその攻防の西欧近代思想史

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2013年5月1日水曜日

映画『ロイヤル・アフェア ー 愛と欲望の王宮』(2012、デンマーク他)を 渋谷の Bunkamura ル・シネマ)で視聴 ー 啓蒙の世紀」を小国デンマークから見る


オランダ王国では昨日(2013年4月30日)ベアトリクス女王の退位によってウィレム=アレクサンダー皇太子が新国王が即位、123年ぶりに男性国王となったことが報道されている。日本ではもっぱら雅子皇太子妃殿下が11年ぶりの公務としての公式訪問ということで話題になった。

フランス革命からはじまった共和制の流れのなか、第一次大戦と第二次大戦という二つの世界戦争をへて君主制がつぎからつぎへと消えていった欧州であるが、英国とオランダ、北欧のデンマーク、スウェーデン、ノルウェーは断絶することなく現在まで王室がつづいてきた(・・スペインは復活)。欧州の君主制は現在はみな立憲君主制である。日本もまたそうである。

映画 『ロイヤル・アフェア』は、18世紀後半の北欧の絶対王制のデンマーク王国を舞台にしたドラマである。

基本的に日本では女性をターゲットにプロモーションを行っているが、映画だからもちろんいろんな見方があるだろう。ちょっと違った観点からこの映画を見ると、なぜデンマーク王室が生き延びたのか、その理由の一端を知ることができるかもしれない。以下、わたしなりの見方である。



王室は国民と乖離していた

映画の宣伝文句としては、「デンマーク王室最大のスキャンダル」ということになっているが、この手のスキャンダルはじつは王室にはつきものだ。そもそも愛情をベースに婚姻関係が結ばれるのではなく、ヨーロッパをまたいだ王家どうしのつながりの強化が目的であった。

18世紀後半のデンマークが舞台の、この映画の主人公の王妃カロリーネ・マティルは英国出身であるが、けっして例外ではない。同時代のフランス王室に嫁いだマリー・アントワネットもウィーンのハプスブルク家出身であったことを思い出しておこう。そもそも当時の英国王室じたいがドイツ北部のハノーファー出身であった。

フランス革命により「国民国家」が成立する以前は、王室と国民が異なる民族であってもなんら問題にもされなかったのである。


王を演じるということ

映画 『アマデウス』におけるモーツァルトのようなけたたましい哄笑をするこの若いデンマーク国王は狂気であったのか、それとも狂気を装わざるを得なかったのか?

デンマークといえば、デンマークの王子ハムレットである。つまりシェイクスピアの『ハムレット』である。外国人医師ヨハン・フリードリヒ・ストルーエンセが、はじめて国王に謁見したときのシーンに注目しておこう。シェイクスピアからの引用のラリーがつづき、それによって国王は外国人医師にココロを許すことになる。

キーフレーズは、「この世は舞台、男も女もみな役者」(All the World's a Stage. All the Men and Women merely Players.)という『お気に召すまま』のセリフである。そう、男も女もみな役者、国王だって役を演じる役者なのだ。このセリフとシーンはじつに意味深長である。映画を見る際は、アタマのなかにいれておくといい。



啓蒙主義という自由思想が流行した18世紀

映画がはじまるのは1769年、「啓蒙の世紀」といわれた18世紀ヨーロッパは、ルソーやヴォルテールに代表される啓蒙主義が、時代の新思想として流行していた時代である。

自由思想(freethought)にもとづく啓蒙主義(Enlightenment)とは、知性を重視しキリスト教の権威に対抗し、一般民衆にチカラを与えるべきと主張した思想である。文字通りの意味は、「もっと光を!」という意味である。


この映画のほんとうの主人公は啓蒙主義という思想そのものであるという見方も可能だろう。啓蒙主義という当時の新思想が、ビーイクル(乗り物)としての主人公たちに感染し歴史を動かしたのであると。

啓蒙主義思想の著書を匿名で出版したドイツ人医師、その医師を侍医としてかかえココロを許したデンマーク国王、そしてアタマからココロ、最後はカラダまで虜にされた英国人王妃は、ある意味では啓蒙主義が演じさせた役者に過ぎないといえるかもしれない。映画のタイトルの「アフェア」とは事件や情事を意味するコトバである。

検閲制度によって啓蒙主義思想が浸透することを水際で防いでいたはずの北欧の小国デンマーク王室には、じつは国王と王妃というまさに頂点から啓蒙主義が浸透していったのだ。

映画のなかにドイツのプロイセン王国がでてくるが、これはおなじく映画に名前がでてくるフランスの啓蒙思想家ヴォルテールを招いたフリードリヒ2世のプロイセンのことである。

この時代には、プロイセンのフリードリヒ2世、ハプスブルク帝国のマリア=テレジア、ロシアのエカチェリーナ2世のように「啓蒙専制君主」とよばれた、上からの改革をすすめた君主たちがいた。

この映画は、小国デンマークからみた「啓蒙の世紀」である。


結果として政治改革の予行演習が行われたデンマーク

「啓蒙主義」の時代にそれを推進するチャンスを得た外国人医師ヨハン・フリードリヒ・ストルーエンセは、王の侍医として、王妃カロリーネと関係(アフェア=情事)をつうじて、啓蒙主義思想にもとづく政治改革を実行する権限を手に入れる。国王を操り人形とすることに成功する。

しかし、急進的な政治改革、それによって利益を失うことになる貴族層の反発を招き、強力な敵としてしまうことになる。この侍医の野望はいったい何であったのか、映画からはよくわからないが、企業経営でも顧問などの形で入った人間が、実質的に権力を奪い取って会社を乗っ取ることはしばしばみられることである。そういう観点から見るのも面白い。

この映画の時代設定の約20年後の 1789年にフランス革命が勃発したことを念頭におきながらこの映画を見ていただきたいと思う。フランスでは国王のルイ16世も王妃のマリー・アントワネットも断頭台の露と消えたのである。

そしてデンマークは・・・。

デンマークにおいては、フランスのように王室そのものが打倒されることなく生き延びることができたのは、すでに啓蒙主義の実践を経験していたからだろうか。政治改革は反動時代というインターバルをはさんで確実に実行されることになる。

美しい映像にバロック音楽の調べ。啓蒙の世紀はまた、宮廷においてはバロック後期でもあった。バッハの時代であり、モーツァルトの時代でもある。

宮廷と対比される都市の一般民衆の劣悪な生活。冒頭の王妃が宮殿入りするシーンでの、首都コペンハーゲンの公衆衛生の悪さに注目してほしい。ドブネズミが走り回る下水もない市街地。

これはけっして例外ではなくヨーロッパ都市はみなそうであった。これが伏線となるので目を凝らして見逃さずにいてほしい。だからこそ、啓蒙主義的な政治改革が求められる素地があったのだ。

そしてギロチンによる処刑シーン。目をそむけたくなる人もいるだろうが、処刑場に集まる民衆の群れにも注目していただきたい。『アンデルセン自伝』には、1805年生まれのデンマークの童話作家アンデルセンが子ども時代に処刑を目撃したことが記されている。娯楽の少なかった当時、処刑は見世物でもあったのだ。


デンマークでは7カ月のロングランとなったという歴史エンターテインメント作品である。小国デンマークの知られざる歴史を知るよい機会となるだけでなく、啓蒙の世紀であり革命の時代でもあった18世紀後半のヨーロッパを小国デンマークから見るという視点がまたじつに興味深い。



『ロイヤル・アフェア 愛と欲望の王宮』(2012年)
(En kongelig affære)
監督: ニコライ・アーセル
脚本: ニコライ・アーセル、ラスマス・ヘイスターバング
主演: マッツ・ミケルセン他
上映時間:  137分
製作: デンマーク、 スウェーデン、チェコ
言語: デンマーク語




<関連サイト>

映画 『ロイヤル・アフェア』 公式サイト

クリスチャン7世(デンマーク) (wikipedia)

侍医ヨハン・フリードリヒ・ストルーエンセ (wikipedia)


<ブログ内関連記事>

映画 『偽りなき者』(2012、デンマーク)を 渋谷の Bunkamura ル・シネマ)で見てきた-映画にみるデンマークの「空気」と「世間」

「マリーアントワネットと東洋の貴婦人-キリスト教文化をつうじた東西の出会い-」(東洋文庫ミュージアム)にいってきた-カトリック殉教劇における細川ガラシャ

「自分の庭を耕やせ」と 18世紀フランスの啓蒙思想家ヴォルテールは言った-『カンディード』 を読む

書評 『大英帝国の異端児たち(日経プレミアシリーズ)』(越智道雄、日本経済新聞出版社、2009)-文化多元主義の多民族国家・英国のダイナミズムのカギは何か?


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2013年4月27日土曜日

「マリーアントワネットと東洋の貴婦人ーキリスト教文化をつうじた東西の出会い」(東洋文庫ミュージアム)にいってきた(2013年4月27日) ー カトリック殉教劇における細川ガラシャ



マリー・アントワネットといえば、「パンがないならお菓子を食べたらいいじゃない」という無邪気なセリフで有名な悲劇の王妃です。フランス革命で断頭台の露と消えました。

マンガや宝塚の『ベルサイユの薔薇』のイメージがひじょうにつよいわけでありますが、そのマリー・アントワネットが、ハプスブルク家の啓蒙専制君主マリア・テレジアの末娘としてウィーンの宮廷に生まれ育った幼い日から心に抱いていた「東洋の貴婦人」がいたのです。

それが、東洋文庫ミュージアムで現在開催中の「マリーアントワネットと東洋の貴婦人-キリスト教文化をつうじた東西の出会い」のテーマです。開催期間は、2013年3月20日(水)~7月28日(日)。

その「東洋の貴婦人」とは、なんと日本の細川ガラシャ夫人。戦国大名の細川幽斎の息子・忠興の夫人となった細川ガラシャです。本能寺の変で織田信長を殺した明智光秀の三女でした。カトリックの洗礼を受けてキリシタンとなりガラシャという洗礼名をもらいましたが、ガラシャ(Gratia)とは恩寵を意味するコトバです。神の恩寵ですね。

マリー・アントワネット(1755~1793)と細川ガラシャ(1563~1600)は奇しくも、ともにカトリックの信仰に生き、37歳を一期に非業の最期を遂げた二人の貴婦人でありました。洋の東西、時代は16世紀と18世紀と異なる時空を生きた二人でしたが、時空を超えた魂の響き合いがあったのではと空想してみてもいいのかもしれません。

マリー・アントワネットは、もしかすると死の間際に細川ガラシャのことを思い起こしていたかもしれません。というのも、キリシタンとして死んだ細川ガラシャの悲劇的生涯は、なんと殉教劇としてバロックオペラの演目としてヨーロッパではひじょうに人気が高かった(!)そうなのです。

カトリックの海外布教の先兵として挺身していたイエズス会は、カトリック大国のハプスブルク帝国が支援していたこともあり、そのイエズス会の海外布教の最大の成功例であり、かつ最大の失敗例ともなった日本布教はイエズス会にとっての意味合いは大きなものがあったのでしょう。

イタリアやメキシコに、長崎で殉教した日本の二十六聖人を記念した教会や壁画が残っているのは、見える形で「記憶」として刻みつけることがその目的であったのでしょう。


細川ガラシャを主人公にした17世紀のカトリック殉教劇

1698年に発表された殉教劇のタイトルはラテン語で、『強き女、またの名を丹後王国の女王グラツィア』(Mulier fortis, cuius pretium de ultimis finibus, sive Gratia regni Tango Regina)といいます。この本の表紙をふくめた一部は、Google Bools で見ることができます。今回の展示においては『気丈な貴婦人』となっていますが、ラテン語を直訳すれば『強き婦人』くらいが適当ではないかと思います。


「丹後王国の女王」とは、細川ガラシャは細川幽斎が封ぜられた丹後(=現在の京都府北部)で人生を過ごしたからでしょう。ちなみにその父である明智光秀は丹波の福知山に城をもっておりました。細川幽斎の居城は丹後田辺城でありました。現在の京都府舞鶴市の西舞鶴ですね。舞鶴で生まれたわたしは親しみを感じます。

ラテン語の殉教劇 『気丈な貴婦人』は、wiki によればこんな内容のようです。

ラテン語の戯曲 『強き女...またの名を、丹後王国の女王グラツィア』 は、神聖ローマ帝国のエレオノーレ・マグダレーネ皇后の聖名祝日(7月26日)の祝いとして、1698年7月31日にヴィーンのイエズス会教育施設において、音楽つき戯曲の形で初演された。脚本は当時ハプスブルク家が信仰していたイエズス会の校長ヨハン・バプティスト・アドルフが書き、音楽はヨハン・ベルンハルト・シュタウトが作曲した。
ガラシャの改宗の様子は、当時日本に滞在中のイエズス会宣教師たちが本国に報告していたが、そのような文献を通じて伝わった情報をもとに、ガラシャの実話に近い内容の戯曲が創作される結果となった。
アドルフは、この戯曲の要約文書において、物語の主人公は「丹後王国の女王グラツィア」であると述べている。さらに、彼が執筆に際して直接の典拠としたのは、コルネリウス・ハザルト著『教会の歴史-全世界に広まったカトリック信仰-』の独訳本の第1部第13章、「日本の教会史-丹後の女王の改宗とキリスト信仰」であったことをも明記している。
戯曲では、グラツィア(=ガラシャ)の死が殉教として描かれている。夫である蒙昧かつ野蛮な君主の悪逆非道に耐えながらも信仰を貫き、最後は命を落として暴君を改心させたという、キリスト教信者に向けた教訓的な筋書きである。
この戯曲はオーストリア・ハプスブルク家の姫君たちに特に好まれたとされる。ただし、彼女たちが政治的な理由で他国に嫁がされるガラシャを自分たちの身の上に重ね、それでも自らの信仰を貫いた気高さに感銘を受けたとの解釈は、アドルフの脚本内容に基づかない日本人的な観点によるものであり、文献上の根拠は皆無である。

事実関係の記述に執筆者の個人的解釈もあって興味深い説明ですね。あまり想像をたくましくしてはうがち過ぎといったところでしょうか。

ソ連崩壊以後は、ロシア革命だけでなく、その前例であったフランス革命もまた顧みられなくなっていきましたが、フランス革命を、「革命された側」であるマリー・アントワネットの側からみるほうがドラマとしてもアピール度が高いのは、もしかするとハプスブルク大好きな人の多い日本だけではないのかもしれません。

フランスの文学者アナトール・フランスに 『神々は渇く』というフランス革命を題材にしたすぐれた文学作品がありますが、「革命する側」の精神状態を「(血を求めて)神々は渇く」と表現したわけです。その意味では、「革命された側」のマリー・アントワネットは「殉教」といっていいのかもしれません。

じっさい、フランス革命においてカトリック教会は徹底的に弾圧されることになります。修道院は破壊され、教会建築にも破壊の手が及びました。ロシア革命も文化大革命も、また日本の明治維新の際の廃仏毀釈とも共通するものがあります。

そんなことを考えながら、「マリーアントワネットと東洋の貴婦人-キリスト教文化をつうじた東西の出会い-」の展示品を見るとよいでしょう。




展示品についての若干の解説

会場には、『気丈な貴婦人』の一部を再現したチェンバロによる演奏が流れています。バロック音楽に浸りながらマリー・アントワネットの生涯と細川ガラシャの生涯を偲ぶことができる構成になっています。

以下、展示の説明文をそのまま引用しておきましょう。


マリー・アントワネットが旧蔵していたという『イエズス会士書簡集』、世界に唯一現存の天草本キリシタン版『(国重文)ドチリーナ・キリシタン』細川ガラシャ自筆の和歌短冊『たつね行』中国明朝のキリシタン貴婦人の伝記『徐カンディダ伝』など天下の稀品が一堂に会します。マリー・アントワネット憧れの東洋のキリスト教世界、この機会にぜひご堪能ください。

『どちりな きりしたん』(Doctrina Christam)は、カトリックの「カテキズム」(公教要理)のこと。教義を意味するドクトリンがなまって「どちりな」となったようですね。日本語をローマ字で記した教理問答集で、1600年に日本で出版されたキリシタン文書の一つです。



『イエズス会士書簡集』は、中国関連のものを中心に日本関連のものをふくめて、平凡社東洋文庫から日本語訳され出版されています。出版を目的として書かれたイエズス会士の報告書は、18世紀のヨーロッパの知識階層でよく読まれ、ひじょうに大きな影響を与えたことが知られています。

たとえば、哲学者のライプニッツは『易経』をもとに二進法のアイデアからコンピューターの原型となる発想を得ていますし、身分や階層にとらわれない官吏の登用方法としての「科挙」はヨーロッパに大きな影響を与えています。やや中国文明を理想化しすぎたという批判もありますが、『イエズス会士書簡集』を愛蔵していたということから、マリー・アントワネットの関心のありかをさぐることもできそうです。

なお、イエズス会は海外布教方針をめぐってカトリック内部で批判にさらされ、権力闘争のすえ1773年にローマ教皇庁から解散命令を受けています。復興されたのは30年後の1814年、その時点ではすでに海外布教の主役は「パリ外国宣教会」などにとって代わられていました。

「平成27年(2015年)は「信徒発見」150年」というコピーのもと、「世界遺産候補 長崎の教会群とキリスト教関連遺産」というパンフレットが置かれていますが、長崎で隠れキリシタンがフランス人神父の前に名乗り出たのが1860年(万延元年)、その神父はパリ外国宣教会から派遣された宣教師だったのでした。


展示会場が暗くて展示品はすべてガラスケースのなかに入っているので、撮影OKなのですがなかなかよい写真がとれません。くわしい解説のある小冊子 『マリーアントワネットと東洋の貴婦人-キリスト教文化をつうじた東西の出会い-(時空をこえる本の旅5)』をぜひ会場で購入されるとよろしいかと思います(500円)。





PS マリー・アントワネットと日本の蒔絵コレクション

マリー・アントワネットと日本とのかかわりといえば、蒔絵漆器のコレクションについて触れなくてはならないだろう。

彼女が生前愛用した化粧箱は、なんと日本製だったのだ! 蒔絵の漆器の小箱のコレクションは、「japan 蒔絵-宮殿を飾る 東洋の燦めき」展(サントリー美術館、会期:2008年12月23日~2009年1月26日)でも公開されている。

フランス国王ルイ16世王妃マリー・アントワネットは、たいへんな蒔絵のファンでした。質・量ともにヨーロッパ随一を誇るアントワネットの蒔絵コレクションの中には、輸出用の注文品ではなく、上質でありながらも、京の店先で選ばれ買われたと考えられるものもあります。(企画展案内文より)

これらの平蒔絵コレクションは、18世紀にオランダ東インド会社(VOC)を通じて日本から欧州に輸出されたものである。ロココ時代の王宮には、かならずといっていいほど中国部屋と日本部屋があるが、贅沢品としての工芸品にかんしては日本製品が王侯貴族のあいだでは愛好されていたのであった。マリー・アントワネットの平蒔絵コレクションはヴェルサイユ宮殿美術館が所蔵している。彼女の趣味の良さがうかがわれる。

なお、マリー・アントワネットの旧蔵書である『イエズス会士中国報告』のフランス語訳版は、日本の東洋文庫が所蔵している。シノワズリー(中国趣味)とジャポニスム(日本趣味)は、18世紀の王侯貴族のあいだでは東洋の贅沢品として人気を博していたのであった。いまではもはやそうではないが、かつて小文字の china は陶磁器、小文字の japan は漆器を意味していたのである。

(2016年4月5日 記す)

マリー・アントワネットの漆器趣味は、母親のハプスブルク帝国唯一の「女帝」マリア・テレジアゆずりのものであった。

「蒔絵 Japan」 ~美術展めぐり MYセレクション」というブログ記事には、上記の「japan 蒔絵-宮殿を飾る 東洋の燦めき」展の紹介がある。

オーストリアのハプスブルク家の女帝マリア・テレジアは「私は、ダイヤモンドより漆器よ」と言って、日本の絵を愛し、一家の住居であったウィーンのシェーンブルン宮殿にも「漆の間」を設けたほどでした。そんな母親の影響を受けて、フランスのブルボン家に嫁いだマリー・アントワネットも漆器好きで、マリア・テレジアから50点もの蒔絵を相続すると、さらにコレクションを増やしていき、そのマリー・アントワネットのコレクションはヨーロッパでも質量と随一のものとなりました。

(参考) マリー=アントワネットの漆器コレクション ヴェルサイユ宮殿美術館(MMM)。日本の漆器はフランス語で les laques du japon このキーワードで検索をかけてみるとよい。

(2016年4月22日 記す)

日本とは浅からぬ縁のあったマリー=アントワネットであったが、日本人とは直接相まみえたことはなかった。同時代のロシアの女帝エカチェリーナは、1791年に漂流民の大黒屋光太夫に拝謁させている。マリー=アントワネットが捕まったのは1792年で翌年には処刑されているが、はたして大黒屋光太夫の情報は耳にしていたのだろうか?

(2016年4月29日 記す)





PS オペラ『細川ガラシャ』について

日本で最初のオペラ『細川ガラシャ』を作曲したのは、カトリックのサレジオ会の司祭で日本宣教の責任者として来日したヴィチェンツィオ・チマッティ師(1879~1965)である。

音楽的才能にめぐまれていたチマッティ師は、生涯に950曲を作曲している。1926年に46歳で来日して以来、戦時中の苦難も含めて終生にわたって日本にとどまった。現在は尊者として認定されており、聖者としての第二段階である福者への申請中である。

『細川ガラシャ』は音楽ドラマとして1940年に日比谷公会堂で初演、その後1960年には80歳のチマッティ師自身の手によってオペラに改作されたものが上演されている。


(参考) ドン・チマッティ (Don Cimatti) :オペラ『細川ガラシア (ガラシャ) 』より第1幕その1(小栗克裕 (Katsuhiro Oguri) 補作・管弦楽編曲) (YouTube)




(2016年8月27日 記す)


PS2 ヴェルサイユ宮殿の全面協力のもとに作成されたマンガ

『マリー・アントワネット (KCデラックス モーニング) 』(惣領冬実、講談社、2016)が、2016年9月に出版されている。製作の経緯については、「モーニング」の副編集長による「世界志向の編集者は言語の壁を超えて、 作家が触れたことのない「異物」との接触点をつくる」(北本かおり、WIRED、2015年10月30日)を参照。(2017年6月14日 記す)




<関連サイト>

ミュージアム 財団法人東洋文庫

舞鶴田辺城 (舞鶴観光協会)

細川ガラシャ ゆかりの地を巡る - ゆったり丹後 (丹後広域観光)

イエズス会日本管区(日本語)

パリ外国宣教会 公式サイト(フランス語)



<ブログ内関連記事>

「東洋文庫ミュージアム」(東京・本駒込)にいってきた-本好きにはたまらない!

「東インド会社とアジアの海賊」(東洋文庫ミュージアム)を見てきた-「東インド会社」と「海賊」は近代経済史のキーワードだ


■フランス革命

フランスの童謡 「雨が降ってるよ、羊飼いさん!」(Il pleut, Il pleut, bergère)を知ってますか?
・・「雨降り」とは「革命」の到来を暗示しているという説がある

フランス国歌 「ラ・マルセイエーズ」の歌詞は、きわめて好戦的な内容だ
・・革命歌の歌詞はじつに勇ましいだけでなく残酷だ

書評 『近代の呪い』(渡辺京二、平凡社新書、2013)-「近代」をそれがもたらしたコスト(代償)とベネフィット(便益)の両面から考える
・・フランス革命から「近代」が始まった


■カトリックとイエズス会

「500年単位」で歴史を考える-『クアトロ・ラガッツィ』(若桑みどり)を読む

イエズス会士ヴァリニャーノの布教戦略-異文化への「創造的適応」

カラダで覚えるということ-「型」の習得は創造プロセスの第一フェーズである
・・イエズス会の創始者イグナティス・デ・ロヨラの『霊操』について

書評 『神父と頭蓋骨-北京原人を発見した「異端者」と進化論の発展-』(アミール・アクゼル、林 大訳、早川書房、2010)-科学と信仰の両立をを生涯かけて追求した、科学者でかつイエズス会士の生涯

「泥酔文化圏」日本!-ルイス・フロイスの『ヨーロッパ文化と日本文化』で知る、昔から変わらぬ日本人
・・および『コリャード懺悔録』(大塚光信校注、岩波文庫、1986)

エル・グレコ展(東京都美術館)にいってきた(2013年2月26日)-これほどの規模の回顧展は日本ではしばらく開催されることはないだろう

書評 『聖書の日本語-翻訳の歴史-』(鈴木範久、岩波書店、2006)

書評 『ラテン語宗教音楽 キーワード事典』(志田英泉子、春秋社、2013)-カトリック教会で使用されてきたラテン語で西欧を知的に把握する

(2014年7月21日、2016年4月29日 情報追加)


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