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2019年12月3日火曜日

JBPressの連載コラム第66回は、「ローマ教皇は宗教弾圧国家・中国とどう向き合うのか-世界が注目するバチカンと中国共産党の関係」(2019年12月3日)



JBPressの連載コラム第66回は、ローマ教皇は宗教弾圧国家・中国とどう向き合うのか-世界が注目するバチカンと中国共産党の関係(2019年11月19・20日)
⇒ https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/58413

ローマ教皇フランスシスコの訪日が無事終了し、先週11月25日に離日した。

今回の訪問はタイとあわせての8日間だったが、30℃を超える暑さのバンコクから、いきなり氷雨の降る東京、さらには長崎、広島、ふたたび東京への駆け足の移動は、82歳の教皇にとっては、かなり過酷なものがあったのではないだろうか。

長崎と広島では原爆廃絶のメッセージを全世界に向けて発信、日本国民に好印象を残していった教皇フランシスコ。東京ドームでのミサで5万人のカトリック信徒を集めた教皇フランシスコ。まさに「ロックスター教皇」の人気ぶりがうかがわれる。

だが、教皇フランシスコが昨年(2018年)9月に中国共産党と結んだ「合意」についてご存じだろうか。数年にわたる秘密交渉の末に、21世紀の「叙任権闘争」ともいうべき長年の対立を終結させた「合意」の内容は非公開だが、明らかになっているい点だけみても、中国共産党に歩み寄りすぎという印象は禁じ得ない。

バチカンは伝統的に反共産主義であり、共産主義を「悪魔」とみなして戦ってきた。そのバチカンがなぜ中国共産党に歩み寄っているのだろうか。疑問は尽きない。ソ連共産党と中国共産党とに、なにか大きな違いでもあるのだろうか?

バチカンは、あえて「悪魔」と手を握ったのか?

つづきは本文で https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/58413


<ブログ内関連記事>

JBPressの連載コラム第65回は、「ローマ教皇が仏教国のタイと日本を連続訪問する理由(前編・後編)」(2019年11月19・20日)

JBPressの連載コラム第64回は、「亡命から60年、懸念される偽ダライ・ラマの出現-チベット弾圧の中国政府、ダライ・ラマ後継者選びにも介入か」(2019年11月5日)


■バチカン関連

600年ぶりのローマ法王と巨大組織の後継者選びについて-21世紀の「神の代理人」は激務である

「免罪符」は、ほんとうは「免罪符」じゃない!?

書評 『バチカン株式会社-金融市場を動かす神の汚れた手-』(ジャンルイージ・ヌッツィ、竹下・ルッジェリ アンナ監訳、花本知子/鈴木真由美訳、柏書房、2010)

映画 『スポットライト』(2015年、米国)をみてきた(2016年5月5日)-カトリック司祭による児童の性的虐待スキャンダルを追うジャーナリズム魂、ローカルコミュニティに根ざす地方紙の葛藤

映画 『悪魔祓い 聖なる儀式』(2016年、イタリア)を見てきた(2017年12月4日)-シチリアのパレルモの教会で行われる悪魔祓い(=エクソシスト)を描いたドキュメンタリー映画


■イエズス会の布教メソッド「インカルチュレーション」

イエズス会士ヴァリニャーノの布教戦略-異文化への「創造的適応」

書評 『幻の帝国-南米イエズス会士の夢と挫折-』(伊藤滋子、同成社、2001)-日本人の認識の空白地帯となっている17世紀と18世紀のイエズス会の動きを知る
・・「イエズス会が日本布教から撤退した17世紀初頭、南米ではイエズス会のミッションは「教化村」という形で原住民たちとの理想郷をつくりあげていた。現在のパラグアイがその中心であった。南米大陸の中心にある内陸国である。(・・中略・・)イエズス会のミッションとしてはもっとも成功したが、160年の歴史をもちながら、いまではその痕跡が廃墟として残るのみとなった「パラグアイ・ミッション」は、清朝の中国における「典礼問題」とともに、同時代のヨーロッパではもっとも知られていたイエズス会の活動である」

(2020年1月19日、9月22日 情報追加)




(2020年5月28日発売の拙著です)


 
(2019年4月27日発売の拙著です)



(2017年5月18日発売の拙著です)


   
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2017年6月11日日曜日

映画『ローマ法王になる日まで』(イタリア、2015)を見てきた(2017年6月5日)― これぞサーバントリーダーの鑑(かがみ)だ!



映画 『ローマ法王になる日まで』(イタリア、2015)を見てきた(2017年6月5日)。アルゼンチン出身で、しかもイエズス会出身ではじめてローマ法皇(・・ただしくは教皇。以下、教皇と記述する)に選出されたフランシスコ1世の半生を描いた伝記映画だ。

オリジナルのタイトルは、イタリア語で ''CHIAMATEMI FRANCESCO - IL PAPA DELLA GENTE''(=『フランチェスコと呼んで-人びとのパパ』)。映画のスクリーンには、Call Me, Francis とあった。セリフの大半はスペイン語である。ちなみにフランシスコ教皇は、イタリア移民の出身である。

「人びと(=ピープル)のパパ(=教皇)。ヨーロッパ以外から初めてというだけでない。こんな素晴らしい人物がローマ教皇に選出されたのはじつに画期的なことなのであることが、この映画をみてよくわかった。

113分のこの映画を見て思うのは、フランシスコ1世こそ、「サーバント・リーダーの鑑(かがみ)というべき人だ(!)ということだ。「ロックスター・ポープ(=教皇)」という異名をもち圧倒的な人気をもつこの人は、真に民衆の側に立つ人である。


(日本の上映館で配布されていた冊子)


「サーバント・リーダー」とは、人びとに「奉仕」する「サーバント」(=召使い)として、人びとの先頭に立つというリーダーのことである。先頭に立ってリードするという点は通常リーダーとおなじなのだが、目線と立ち位置のあり方が根本的に異なるのが「サーバントリーダー」だ。

「サーバントリーダー」は、つねに末端で苦労する声なき人びとの視点を共有しようと努力するリーダーだ。ピラミッドの頂点に立っているが、つねに視線はピラミッドの末端にある。

もともと「サーバントリーダー」という概念は、米国の実業家の実践から生まれてきた概念だ。もちろんその根底にはキリスト教がある。イエス・キリストその人が思考の原点にある。

フランシスコ1世の場合も、当然のことながらおなじである。新約聖書の「福音書」の精神に忠実に生きると、そういう道を歩むことになる。

冷戦構造時代、中南米やフィリピンなどのカトリック圏では、独裁政権のもとで苦難にあえいでいた民衆によりそう「解放の神学」に身を投じる司祭や修道士たちが多数いた。アルゼンチンでも軍事独裁政権のもと、多くの司祭や修道士が拷問され殺害されている。


(オリジナルのイタリア版のポスター)


アルゼンチンの首都ブエノスアイレスの大学で化学を専攻するホルヘ・ラファエル・ビデラが、修道士として神に仕える道を決めたのは20歳のとき。イエズス会に入会したのは、なんと日本(=ハポン)で宣教したかったからだった。日本人としては、見ていてつよい印象を受けるシーンだ。

日本は、イエズス会にとっては最大の成功事例であり、しかも悲劇的な結末に終わったことは日本史の常識といっていいだろう。16世紀半ば、戦国時代末期の日本にイエズス会の創設者のひとりであるフランシスコ・ザビエルが来日してから爆発的に拡がったキリシタン信仰だが、17世紀前半の「島原の乱」によって、ほぼ壊滅する。

そんなストーリーを、いつどこで知ったのか映画のなかでは語られていないのが残念だが、イエズス会士となって日本に派遣されることをつよく望んでいたのだという「原点」は、彼の人生の根底にありつづけたのであろう。

日本での「キリシタン迫害」の歴史と、アルゼンチン独裁政権での苦難の道が重なり合うようようだ。その後の人生を暗示しているかのようだ。


(右は「結び目を解くマリア」・・この意味は映画のなかで語られる)


若い頃に家族との会話で、Per aspera ad astra とラテン語の格言を引用して語っているシーンがある。「苦難をつうじて星まで」という意味だが、それが並大抵の「苦難」ではなかったことは、本人も知るよしはなかった。

軍事独裁政権のもと、つねに迫られた究極の選択にどう立ち向かい、切り抜けてきたか。組織のなかで責任をもつ立場ともなれば、現実世界においてはそれなりに妥協も迫られる。

組織を維持しなくてはならないが、しかしながら、あるべき正しい道を追求すべきであること。この映画は、そんな状況のなかで、いかに最善の解決をもとめて苦闘したかの記録でもある。


(ご自身が「目覚めよ!」と呼びかけるロックのアルバム)


もっぱら外面的な側面を中心に描いており、霊的な側面についての描写は最小限に抑えられているので、非キリスト教徒であっても違和感を抱くことなく見ることのできる映画である。

このような人が同時代人として、この地球上に存在しているのだと知るとき、まだまだ世界も捨てたもんじゃないという、つよい想いを抱くのである。


■日本(ハポン)への熱い想い

映画の最後に、「(教皇となったフランシスコ一世が)日本へいく日は近い」というメッセージがテロップと音声で流れる。

イエズス会士になって日本に派遣されることを夢みていた青年時代の夢が、人生の終わりに近くなって実現しようとしているのである。

いまだ来日は実現していないが、カトリック人口の規模からいえば、アジアでは優先順位の高いフィリピンと韓国が先行したのは当然だろう。

いま現在でも来日の日程が発表されていないが、逆にいえば、それだけ教皇フランシスコにとって日本(ハポン)の意味合いが特別に大きいためかもしれない。日本人としては、なんだか不思議な感じがするのだが、キリスト教徒でもカトリックでもないわたしも、その日をおおいに待ち望んでいる。

すでに80歳近い教皇にとって、人生の最後に近くなってようやく実現する想い。これは、本人以外には想像もできないものなのであろう。

教皇になるにあたって「フランシスコ」を選んだのは、アッシジの聖フランチェスコ(・・スペイン語ではフランシスコ)が念頭にあったのだとわたしは思い込んでいたが、もしかすると聖フランシスコ・ザビエルもまた念頭になったのかもしれない。

間違いなく、日本でも熱狂的な歓迎を受けることになろう。



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<関連サイト>

映画 『ローマ法王になる日まで』(日本版 公式サイト)

ロックスター法王と呼ばれ、人々を熱狂させるローマ法王の半生を描く『ローマ法王になる日まで』予告編(YouTube)



Chiamatemi Francesco Trailer Italiano (2015) HD - YouTube (イタリア版トレーラー)

現教皇の苦悩描く映画、公開へ (カトリック新聞、May 25, 2017)


アルゼンチンで繰り返される新自由主義とポピュリズム(WEDGE、2017年6月9日)
・・「この国は新自由主義と労働者向けポピュリズムを交互に繰り返し、国力を劣化させてきた。大まかな歴史概略は次のようになる。 最初の軍事独裁新自由主義政権は、対外債務、失業、格差、インフレの4悪をばら撒き、イギリスとのマルビーナス戦争(フォークランド戦争)という大博打を打ち、敗北の後に崩壊(1983年)。その後急進党のラウル・アルフォンシンの民主政治に戻り、一時小康を得たが、ポピュリズム的傾向から財政赤字増加、5000%のハイパーインフレ、対外債務デフォルト、崩壊。再びのペロ二ズム政権(1989~99)。(・・中略・・) この国は70年前から国民は分断されており、悪循環から逃れたことは一度たりともない。なぜだろうか?(・・中略・・)この国には、他のメスティーソの南米が持つ国民の統合などはない。国民ではなく単に個人がいるだけである。」




<ブログ内関連記事>

■バチカンとローマ教皇

600年ぶりのローマ法王と巨大組織の後継者選びについて-21世紀の「神の代理人」は激務である

書評 『バチカン近現代史-ローマ教皇たちの「近代」との格闘-』(松本佐保、中公新書、2013)-「近代」がすでに終わっている現在、あらためてバチカン生き残りの意味を考える

書評 『バチカン株式会社-金融市場を動かす神の汚れた手-』(ジャンルイージ・ヌッツィ、竹下・ルッジェリ アンナ監訳、花本知子/鈴木真由美訳、柏書房、2010)

書評 『韓国とキリスト教-いかにして "国家的宗教" になりえたか-』(浅見雅一・安廷苑、中公新書、2012)- なぜ韓国はキリスト教国となったのか? なぜいま韓国でカトリックが増加中なのか?
・・ローマ教皇フランシスコ一世が、初のアジア訪問先として選んだのは韓国


■イエズス会

イエズス会士ヴァリニャーノの布教戦略-異文化への「創造的適応」

スコセッシ監督が28年間をかけて完成した映画 『沈黙-サイレンス-』(2016年、米国)を見てきた(2016年1月25日)-拷問による「精神的苦痛」に屈し「棄教者」となった宣教師たちの運命

書評 『幻の帝国-南米イエズス会士の夢と挫折-』(伊藤滋子、同成社、2001)-日本人の認識の空白地帯となっている17世紀と18世紀のイエズス会の動きを知る


■アルゼンチン

書評 『精神分析の都-ブエノス・アイレス幻視-(新訂増補)』(大嶋仁、作品社、1996)-南米アルゼンチンの首都ブエノスアイレスは、北米のニューヨークとならんで「精神分析の都」である
・・アルゼンチン、とくにブエノスアイレスの精神風土についての洞察が深い。それは、その他の中南米諸国とは異なるものがある。そんなブエノスアイレスに生きるユダヤ系市民にとっての精神分析の意味

書評 『アルゼンチンのユダヤ人-食から見た暮らしと文化-(ブックレット《アジアを学ぼう》別巻⑨)』(宇田川彩、風響社、2015)-食文化の人類学という視点からユダヤ人について考える

映画 『マーガレット・サッチャー-鉄の女の涙-』(The Iron Lady Never Compromise)を見てきた
・・フォークランド紛争で英国に敗れ去ったアルゼンチン。現地ではマルビナス諸島というが、もともとアルゼンチンは英国文化の影響圏である。アルゼンチンが英国に敗北したことで、軍事政権は崩壊する。いわば意図せざる結果がもたらされたといえようか


■聖母マリア

書評 『聖母マリア崇拝の謎-「見えない宗教」の人類学-』(山形孝夫、河出ブックス、2010)-宗教人類学の立場からキリスト教が抱える大きな謎の一つに迫る


■アッシジのフランチェスコ

アッシジのフランチェスコ 総目次 (1)~(5)

書評 『マザー・テレサCEO-驚くべきリーダーシップの原則-』(ルーマ・ボース & ルー・ファウスト、近藤邦雄訳、集英社、2012)-ミッション・ビジョン・バリューが重要だ!

アッシジのフランチェスコ (4) マザーテレサとインド


■尊敬に値する人物

映画 『ダライ・ラマ14世』(日本、2014)を見てきた(2015年6月18日)-日本人が製作したドキュメンタリー映画でダライラマの素顔を知る

「ダライ・ラマ法王来日」(His Holiness the Dalai Lama's Public Teaching & Talk :パシフィコ横浜)にいってきた ・・「ダライラマ・スーパーLIVE横浜」(2010年6月26日)とでもいうべき一期一会

書評 『目覚めよ仏教!-ダライ・ラマとの対話-』 (上田紀行、NHKブックス、2007. 文庫版 2010)


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2014年7月6日日曜日

書評『幻の帝国 ― 南米イエズス会士の夢と挫折』(伊藤滋子、同成社、2001)― 日本人の「認識の空白地帯」となっている17世紀と18世紀のイエズス会の動きを知る



イエズス会が日本布教から撤退した17世紀初頭、南米ではイエズス会のミッションは「教化村」という形で原住民たちとの理想郷をつくりあげていた。現在のパラグアイがその中心であった。南米大陸の中心にある内陸国である。

「神の国」を現世に建設するという宗教的情熱。それを「新大陸」で実現すべく実験的に取り組んだベンチャーが「パラグアイ・ミッション」であった。イエズス会士の指導のもと、先住民のグアラニ族をキリスト教で「教化」した理想郷が「教化村」(=レドゥクシオン)であった。「伝道村」ともいう。

イエズス会のミッションとしてはもっとも成功したが、160年の歴史をもちながら、いまではその痕跡が廃墟として残るのみとなった「パラグアイ・ミッション」は、清朝の中国における「典礼問題」とともに同時代のヨーロッパではもっとも知られていたイエズス会の活動である。

「キリシタン禁教令」(1613年)による弾圧によってキリスト教が排除された結果、日本人の「常識」からは認識の空白地帯となっている17世紀と18世紀のイエズス会の動きについて、南米からの視点で知ることのできる歴史ノンフィクションが本書である。

なぜか本書『幻の帝国 ー 南米イエズス会士の夢と挫折』(伊藤滋子、同成社、2001)にはまったく言及がないのだが、ロバート・デニーロ主演の映画 『ミッション』(1986)の世界である。時間的な制約のある映画では描ききれていない複雑な背景や、「教化村」そのものをめぐる詳細な情報を与えてくれる本だ。

著者自身の中南米での豊富な経験と現地踏査も踏まえた記述には臨場感もある。


(映画 『ミッション』のパンフレット 筆者蔵)



17世紀の欧州と「新大陸」

背景にある17世紀の世界情勢とは以下のようなものだ。ヨーロッパ世界の南北アメリカ大陸という「新世界」への拡大と急膨張が始まった世紀である。一言でいえば第一次グローバリゼーションの時代である。それはまた「初期近代」(=近世)とよばれる時代でもある。

1492年のいわゆる「レコンキスタ」によるイベリア半島からのイスラーム教徒とユダヤ教徒の追放、そして同じ年に開始されたクリストーバル・コロン(=コロンブス)による「インド発見」航海。その後の南米植民地をめぐるスペインとポルトガルの確執、カトリックの修道会であるフランシスコ会とイエズス会の海外布教をめぐる競争、イエズス会とパトロンとなる王国との関係、衰退するカトリック勢力と新興のプロテスタント勢力との勢力争い、などである。

ヨーロッパの「新大陸」への進出は、God(神)と Gold(金)を求めてのものであったとはよく言われることだが、まさに世俗権力の欲望とカトリックの海外布教は表裏一体のものであった。

この事実に気づいていた為政者がキリスト教勢力排除した後、島国のなかに引きこもって「パックス・トクガワーナ」(=徳川幕府時代の平和)という天下太平の夢を日本列島の住民が享受していたあいだ、「新世界」を舞台に展開していたことの一つがイエズス会の「パラグアイ・ミッション」なのである。

南米というとエンコミエンダという大土地所有制度が存在し、そのため貧富の格差が拡大したまま経済が停滞していたということを地理の授業で習った記憶があるかもしれない。労働集約型で生産性の低い大規模農場において、つねに不足していたのが人間であったことが重要である。不足する労働力はアフリカから連れてきた奴隷か、原住民狩りによって供給されていた。

こういう状況のなかで、植民者たちから原住民を保護することに貢献したのがイエズス会による「教化村」であった。

意外に思えるかもしれないが、激しい神学論争の末に先住民のインディオを「人間」として認める結論を下したのはバチカンであり、そのなかでもスペインだけは先住民保護に心を砕いたという側面があったのである。

初期のスペイン人征服者(=コンキスタドール)による中米やカリブにおける非道ぶりが目につくが、人口密度が低く希少であった南米では事情はやや違っていた。この点は本書の眼目でもあるので注意しておきたい。

ポルトガルの植民地であったブラジルでは、奴隷制度が廃止されたのは、なんと1888年(明治21年)だったのである。


(グアラニ布教地 「南米大陸のイエズス会布教地」 P.127より)


「教化村」は、比較的大規模な土地のなかに先住民のグアラニ族を囲い込んで安全を保障し、時間をかけながら住民をキリスト教化して価値観を共有共同体内部での農牧による食糧自給と、マテ茶を中心とした商品作物販売による現金獲得によって経済を成立させながら、文化的な側面でも西欧化という文明化を行った実験的な試みであった。そしてこの実験は一世紀にわたって成功を収めたのである。

グアラニ族は比較的早い段階でキリスト教化されただけでなく、好戦的な戦士としての性格をもちながも国家形成にまでいたっていなかったことが、イエズス会によるマネジメントが成功した理由の一つのようだ。マネジメントは統治の技法でもある。

そのために活用されたのが「カシケ」と呼ばれた首長たちで、かれらはグアラニ族のなかではもっとも早い段階でキリスト教を受け入れた人たちであった。その意味ではイエズス会の統治も「間接統治」であり、ある意味では、敗戦後の日本で米国を中心とする占領軍が行った統治と似ている。

イエズス会による「教化村」がモデルとしたのは、まずはアウグスティヌスの『神の国』である。このほかトマス・モアの『ユートピア』プラトンの『国家』が「モデルであった。

プラトンの『国家』は、少数の選ばれたエリートが行う「哲人政治」を説いたものだが、イエズス会による「教化村」もまた、現地に骨を埋める覚悟のきわめて少人数のイエズス会士が膨大な数の現地人をマネジメントする方法論として機能したという言い方も可能だろう。

「教化村」における活動がローマの本部に報告されるだけでなく、現地に散在する「教化村」どうしのあいだでイエズス会士たちは情報共有していたようだ。

ただし、イエズス会批判の急先鋒であった18世紀フランスの啓蒙主義者ヴォルテールが指摘しているように、パラグアイの「教化村」においては原住民自身による自治が行われていなかったことも否定できない事実だ。

この問題は、外資系企業におけるガバナンスとマネジメントをめぐる問題として、21世紀の現在でもアクチュアルな意味をもっているというべきだろう。


(映画 『ミッション』のパンフレットより 筆者蔵)



「パラグアイ・ミッション」のもつ意味

地上における「神の国」というユートピアを実現していた「教化村」だが、外部環境の激変によって終わりを告げることになる。

つねに拡大志向で勢力を伸ばすポルトガル勢力に対して、スペインとポルトガルの国境線に入植された屯田兵村のような存在でもあった「教化村」だが、移動命令を拒否したグアラニ族による、ヨーロッパにも衝撃を与えたという二度にわたるグアラニ戦争18世紀の啓蒙主義時代の欧州における反イエズス会のたかまりなどがその環境激変の内容だ。

その結果、1768年にはついには「教化村」も解体することになりイエズス会士も追放された。1609年にはじまった「教化村」は160年で歴史を閉じたのである。イエズス会のミッションが成功したがゆえに、攻撃を招いたという側面があったとも考えられる。

しかも、イエズス会じたい1773年には教皇令によって解体、フランス革命とナポレオン戦争による欧州動乱が収束した1814年まで40年間にわたって禁止されていた。今年はちょうどイエズス会復活から200年になる。本書には記述はないが、19世紀以降のカトリックの海外布教の担い手はイエズス会ではなく、フランスのパリ外国宣教会が中心となる。日本もまた例外ではなかった。

イエズス会による「教化村」は、功罪ともにある英国の植民地統治とならんで特筆に値すべきものだろう。現在なら外資系企業の方法論でもあるが、日本も海外のアウェイでは少人数で圧倒的多数の現地人をマネジメントする立場になることから考えれば、大いに参考になるのではないだろうか。

その意味では、「第7種 村のなかの生活」、「第8章 教化村の経済」、「第9章 教化村の文化」において、「教化村」の実際について詳しく書かれているのが参考になるだろう。とくにグアラニ族におkる、同時代の音楽であるバロック音楽の普及ぶりには驚かされるばかりだ。日本の西洋音楽受容は、いったん17世紀で断絶してしまったのだが・・・。

イエズス会士によるグアラニ語の研究と標準語化が、現在のパラグアイにおいても活かされているることは特筆に値する。なんと内陸国パラグアイにおいてはスペイン語だけでなく、人口400万人のほとんどがグアラニ語を理解できるということだ。日本においてもイエズス会士による日本語研究の成果が『日葡辞書』などととして残されていることを考えれば、イエズス会による知的貢献には大きなものがあったというべきだろう。

日本人の「常識」からは認識の空白地帯となっていた17世紀と18世紀のイエズス会の動きについて知ることができるとは、以上のような意味なのである。イエズス会が清朝の中国において引き起こした「典礼問題」とともに、「パラグアイ・ミッション」についても「常識」としてきたいものだ。


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目 次

序-ユートピアを巡って(イエズス会士 バルトメウ・メリア博士)
関連人物一覧
序章 新大陸の「神の国」
第1章 ラプラタ地方のはじまり
第2章 イエズス会の到来
第3章 教化村の創設
第4章 外部の敵-バンデイランテ
第5章 内部の敵-カルデナス司教
第6章 教化村の隆盛とラプラタ地方
第7章 村のなかの生活
 人口の推移
 村の運営
 村人はみんなが兵士
 会士の役割 
 会士の暮らし
 家族の暮らし
 子どもの暮らし
 村の行事
 聖週間 
 守護聖人の祭
 信徒団
 司教の訪問
 病気の治療
 疫病が流行した時
 医療の水準
第8章 教化村の経済
 農業
 個人の土地と共同の土地
 マテ茶刈り
 マテ茶の輸出
 海の牧場
 松林の牧場
 その他の産業
 商業
 商品の輸送と販売
 村を訪れる商人
第9章 教化村の文化
 村の建設
 中期の村
 広場の役割
 建物の配置図
 伽藍の建設
 サン・イグナシオ・ミニ
 サン・ミゲルとトリニダード
 遺跡の復元と発掘調査
 発掘の一例-ロレト
 交通網
 グアラニ・バロックの彫刻
 グアラニ語の実用化
 グアラニ語の作品
 グアラニ自身の手になる作品
 グアラニ語の近代化
 印刷機
 教化村の音楽
 音楽家会士シボリ
 セップの活躍
第10章 ブルボン朝のもとで
第11章 グアラニ戦争
第12章 イエズス会の追放
参考文献
関連年表
あとがき


著者プロフィール

伊藤滋子(いとう・しげこ)
1942年大阪市に生まれる。1964年大阪外国語大学アラビア語学科卒業。NHK国際局アラビア語班に入局。1965年より大使館勤務の夫とともに中南米諸国に通算25年間在住。1965~1969年コレヒオ・デ・メヒコ(大学院大学)聴講生。1983年~1986年国立メキシコ自治大学修士コース聴講生。コロニアル時代の歴史(主にキリスト教布教史)を研究。1986~89年上智大学でラテン語、神学、哲学を聴講。1989年アルゼンチン在住のころよりイエズス会のグアラニ・ミッションに関する研究に従事(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。



<関連サイト>

The Mission - Trailer - (1986) - HQ (YouTube)
・・映画 『ミッション』 トレーラー(英語)



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映画 『アバター』(AVATAR)は、技術面のアカデミー賞3部門受賞だけでいいのだろうか?
・・「アバター」は中南米の先住民インディオの21世紀版メタファーである

「500年単位」で歴史を考える-『クアトロ・ラガッツィ』(若桑みどり)を読む
・・第一次グローバリゼーションとイエズス会による日本布教

「ユートピア」は挫折する運命にある-「未来」に魅力なく、「過去」も美化できない時代を生きるということ

書評 『現代世界と人類学-第三のユマニスムを求めて-』(レヴィ=ストロース、川田順造・渡辺公三訳、サイマル出版会、1986)-人類学的思考に現代がかかえる問題を解決するヒントを探る
・・ブラジルで「未開民族」をフィールドワークしたレヴィ=ストロース

書評 『ドラッカー流最強の勉強法』(中野 明、祥伝社新書、2010)-ドラッカー流「学習法」のエッセンス
・・「ルター派とイエズス会が同時並行的に採用した「自己目標管理」制度(MBO:Management by Objective)について付け加えておけば、イエズス会では6年ごとに配置転換がある」

なぜ「経営現地化」が必要か?-欧米の多国籍企業の歴史に学ぶ


17世紀ヨーロッパと新大陸-対抗宗教改革とイエズス会

書評 『1492 西欧文明の世界支配 』(ジャック・アタリ、斎藤広信訳、ちくま学芸文庫、2009 原著1991)-「西欧主導のグローバリゼーション」の「最初の500年」を振り返り、未来を考察するために

エル・グレコ展(東京都美術館)にいってきた(2013年2月26日)-これほどの規模の回顧展は日本ではしばらく開催されることはないだろう
・・エル・グレコ(1541~1614)が活躍したのは17世紀前後。大航海時代の地中海。バロック

本の紹介 『阿呆物語 上中下』(グリンメルスハウゼン、望月市恵訳、岩波文庫、1953)
・・ドイツ三十年戦争(1618~1648)。戦国時代を終えた日本とは違って戦乱に明け暮れたヨーロッパ

「ジャック・カロ-リアリズムと奇想の劇場-」(国立西洋美術館)にいってきた(2014年4月15日)-銅版画の革新者で時代の記録者の作品で17世紀という激動の初期近代を読む
・・ドイツ三十年戦争(1618~1648)。同上

イエズス会士ヴァリニャーノの布教戦略-異文化への「創造的適応」

「泥酔文化圏」日本!-ルイス・フロイスの『ヨーロッパ文化と日本文化』で知る、昔から変わらぬ日本人

「聖週間 2013」(3月24日~30日)-キリスト教世界は「復活祭」までの一週間を盛大に祝う
・・中米メキシコのサン・クリストーバル・デ・ラスカサスの「受難劇」の写真

カラダで覚えるということ-「型」の習得は創造プロセスの第一フェーズである
・・イエズス会士に必須のスピリチュアル・イメージトレーニングの『霊操』について言及している


18世紀ヨーロッパと新大陸

「リスボン大地震」(1755年11月1日)後のポルトガルのゆるやかな 「衰退」 から何を教訓として学ぶべきか?

「自分の庭を耕やせ」と 18世紀フランスの啓蒙思想家ヴォルテールは言った-『カンディード』 を読む
・・イエズス会のパラグアイ・ミッション批判の急先鋒に立ったのがフランスの啓蒙主義者ヴォルテールであった

「マリーアントワネットと東洋の貴婦人-キリスト教文化をつうじた東西の出会い-」(東洋文庫ミュージアム)にいってきた-カトリック殉教劇における細川ガラシャ
・・マリー・アントワネットが生まれ育ったハプスブルク帝国はイエズス会の保護者であった

『ウルトラバロック』(小野一郎、小学館、1995)で、18世紀メキシコで花開いた西欧のバロックと土着文化の融合を体感する

(2014年7月25日 情報追加)


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2013年4月27日土曜日

「マリーアントワネットと東洋の貴婦人ーキリスト教文化をつうじた東西の出会い」(東洋文庫ミュージアム)にいってきた(2013年4月27日) ー カトリック殉教劇における細川ガラシャ



マリー・アントワネットといえば、「パンがないならお菓子を食べたらいいじゃない」という無邪気なセリフで有名な悲劇の王妃です。フランス革命で断頭台の露と消えました。

マンガや宝塚の『ベルサイユの薔薇』のイメージがひじょうにつよいわけでありますが、そのマリー・アントワネットが、ハプスブルク家の啓蒙専制君主マリア・テレジアの末娘としてウィーンの宮廷に生まれ育った幼い日から心に抱いていた「東洋の貴婦人」がいたのです。

それが、東洋文庫ミュージアムで現在開催中の「マリーアントワネットと東洋の貴婦人-キリスト教文化をつうじた東西の出会い」のテーマです。開催期間は、2013年3月20日(水)~7月28日(日)。

その「東洋の貴婦人」とは、なんと日本の細川ガラシャ夫人。戦国大名の細川幽斎の息子・忠興の夫人となった細川ガラシャです。本能寺の変で織田信長を殺した明智光秀の三女でした。カトリックの洗礼を受けてキリシタンとなりガラシャという洗礼名をもらいましたが、ガラシャ(Gratia)とは恩寵を意味するコトバです。神の恩寵ですね。

マリー・アントワネット(1755~1793)と細川ガラシャ(1563~1600)は奇しくも、ともにカトリックの信仰に生き、37歳を一期に非業の最期を遂げた二人の貴婦人でありました。洋の東西、時代は16世紀と18世紀と異なる時空を生きた二人でしたが、時空を超えた魂の響き合いがあったのではと空想してみてもいいのかもしれません。

マリー・アントワネットは、もしかすると死の間際に細川ガラシャのことを思い起こしていたかもしれません。というのも、キリシタンとして死んだ細川ガラシャの悲劇的生涯は、なんと殉教劇としてバロックオペラの演目としてヨーロッパではひじょうに人気が高かった(!)そうなのです。

カトリックの海外布教の先兵として挺身していたイエズス会は、カトリック大国のハプスブルク帝国が支援していたこともあり、そのイエズス会の海外布教の最大の成功例であり、かつ最大の失敗例ともなった日本布教はイエズス会にとっての意味合いは大きなものがあったのでしょう。

イタリアやメキシコに、長崎で殉教した日本の二十六聖人を記念した教会や壁画が残っているのは、見える形で「記憶」として刻みつけることがその目的であったのでしょう。


細川ガラシャを主人公にした17世紀のカトリック殉教劇

1698年に発表された殉教劇のタイトルはラテン語で、『強き女、またの名を丹後王国の女王グラツィア』(Mulier fortis, cuius pretium de ultimis finibus, sive Gratia regni Tango Regina)といいます。この本の表紙をふくめた一部は、Google Bools で見ることができます。今回の展示においては『気丈な貴婦人』となっていますが、ラテン語を直訳すれば『強き婦人』くらいが適当ではないかと思います。


「丹後王国の女王」とは、細川ガラシャは細川幽斎が封ぜられた丹後(=現在の京都府北部)で人生を過ごしたからでしょう。ちなみにその父である明智光秀は丹波の福知山に城をもっておりました。細川幽斎の居城は丹後田辺城でありました。現在の京都府舞鶴市の西舞鶴ですね。舞鶴で生まれたわたしは親しみを感じます。

ラテン語の殉教劇 『気丈な貴婦人』は、wiki によればこんな内容のようです。

ラテン語の戯曲 『強き女...またの名を、丹後王国の女王グラツィア』 は、神聖ローマ帝国のエレオノーレ・マグダレーネ皇后の聖名祝日(7月26日)の祝いとして、1698年7月31日にヴィーンのイエズス会教育施設において、音楽つき戯曲の形で初演された。脚本は当時ハプスブルク家が信仰していたイエズス会の校長ヨハン・バプティスト・アドルフが書き、音楽はヨハン・ベルンハルト・シュタウトが作曲した。
ガラシャの改宗の様子は、当時日本に滞在中のイエズス会宣教師たちが本国に報告していたが、そのような文献を通じて伝わった情報をもとに、ガラシャの実話に近い内容の戯曲が創作される結果となった。
アドルフは、この戯曲の要約文書において、物語の主人公は「丹後王国の女王グラツィア」であると述べている。さらに、彼が執筆に際して直接の典拠としたのは、コルネリウス・ハザルト著『教会の歴史-全世界に広まったカトリック信仰-』の独訳本の第1部第13章、「日本の教会史-丹後の女王の改宗とキリスト信仰」であったことをも明記している。
戯曲では、グラツィア(=ガラシャ)の死が殉教として描かれている。夫である蒙昧かつ野蛮な君主の悪逆非道に耐えながらも信仰を貫き、最後は命を落として暴君を改心させたという、キリスト教信者に向けた教訓的な筋書きである。
この戯曲はオーストリア・ハプスブルク家の姫君たちに特に好まれたとされる。ただし、彼女たちが政治的な理由で他国に嫁がされるガラシャを自分たちの身の上に重ね、それでも自らの信仰を貫いた気高さに感銘を受けたとの解釈は、アドルフの脚本内容に基づかない日本人的な観点によるものであり、文献上の根拠は皆無である。

事実関係の記述に執筆者の個人的解釈もあって興味深い説明ですね。あまり想像をたくましくしてはうがち過ぎといったところでしょうか。

ソ連崩壊以後は、ロシア革命だけでなく、その前例であったフランス革命もまた顧みられなくなっていきましたが、フランス革命を、「革命された側」であるマリー・アントワネットの側からみるほうがドラマとしてもアピール度が高いのは、もしかするとハプスブルク大好きな人の多い日本だけではないのかもしれません。

フランスの文学者アナトール・フランスに 『神々は渇く』というフランス革命を題材にしたすぐれた文学作品がありますが、「革命する側」の精神状態を「(血を求めて)神々は渇く」と表現したわけです。その意味では、「革命された側」のマリー・アントワネットは「殉教」といっていいのかもしれません。

じっさい、フランス革命においてカトリック教会は徹底的に弾圧されることになります。修道院は破壊され、教会建築にも破壊の手が及びました。ロシア革命も文化大革命も、また日本の明治維新の際の廃仏毀釈とも共通するものがあります。

そんなことを考えながら、「マリーアントワネットと東洋の貴婦人-キリスト教文化をつうじた東西の出会い-」の展示品を見るとよいでしょう。




展示品についての若干の解説

会場には、『気丈な貴婦人』の一部を再現したチェンバロによる演奏が流れています。バロック音楽に浸りながらマリー・アントワネットの生涯と細川ガラシャの生涯を偲ぶことができる構成になっています。

以下、展示の説明文をそのまま引用しておきましょう。


マリー・アントワネットが旧蔵していたという『イエズス会士書簡集』、世界に唯一現存の天草本キリシタン版『(国重文)ドチリーナ・キリシタン』細川ガラシャ自筆の和歌短冊『たつね行』中国明朝のキリシタン貴婦人の伝記『徐カンディダ伝』など天下の稀品が一堂に会します。マリー・アントワネット憧れの東洋のキリスト教世界、この機会にぜひご堪能ください。

『どちりな きりしたん』(Doctrina Christam)は、カトリックの「カテキズム」(公教要理)のこと。教義を意味するドクトリンがなまって「どちりな」となったようですね。日本語をローマ字で記した教理問答集で、1600年に日本で出版されたキリシタン文書の一つです。



『イエズス会士書簡集』は、中国関連のものを中心に日本関連のものをふくめて、平凡社東洋文庫から日本語訳され出版されています。出版を目的として書かれたイエズス会士の報告書は、18世紀のヨーロッパの知識階層でよく読まれ、ひじょうに大きな影響を与えたことが知られています。

たとえば、哲学者のライプニッツは『易経』をもとに二進法のアイデアからコンピューターの原型となる発想を得ていますし、身分や階層にとらわれない官吏の登用方法としての「科挙」はヨーロッパに大きな影響を与えています。やや中国文明を理想化しすぎたという批判もありますが、『イエズス会士書簡集』を愛蔵していたということから、マリー・アントワネットの関心のありかをさぐることもできそうです。

なお、イエズス会は海外布教方針をめぐってカトリック内部で批判にさらされ、権力闘争のすえ1773年にローマ教皇庁から解散命令を受けています。復興されたのは30年後の1814年、その時点ではすでに海外布教の主役は「パリ外国宣教会」などにとって代わられていました。

「平成27年(2015年)は「信徒発見」150年」というコピーのもと、「世界遺産候補 長崎の教会群とキリスト教関連遺産」というパンフレットが置かれていますが、長崎で隠れキリシタンがフランス人神父の前に名乗り出たのが1860年(万延元年)、その神父はパリ外国宣教会から派遣された宣教師だったのでした。


展示会場が暗くて展示品はすべてガラスケースのなかに入っているので、撮影OKなのですがなかなかよい写真がとれません。くわしい解説のある小冊子 『マリーアントワネットと東洋の貴婦人-キリスト教文化をつうじた東西の出会い-(時空をこえる本の旅5)』をぜひ会場で購入されるとよろしいかと思います(500円)。





PS マリー・アントワネットと日本の蒔絵コレクション

マリー・アントワネットと日本とのかかわりといえば、蒔絵漆器のコレクションについて触れなくてはならないだろう。

彼女が生前愛用した化粧箱は、なんと日本製だったのだ! 蒔絵の漆器の小箱のコレクションは、「japan 蒔絵-宮殿を飾る 東洋の燦めき」展(サントリー美術館、会期:2008年12月23日~2009年1月26日)でも公開されている。

フランス国王ルイ16世王妃マリー・アントワネットは、たいへんな蒔絵のファンでした。質・量ともにヨーロッパ随一を誇るアントワネットの蒔絵コレクションの中には、輸出用の注文品ではなく、上質でありながらも、京の店先で選ばれ買われたと考えられるものもあります。(企画展案内文より)

これらの平蒔絵コレクションは、18世紀にオランダ東インド会社(VOC)を通じて日本から欧州に輸出されたものである。ロココ時代の王宮には、かならずといっていいほど中国部屋と日本部屋があるが、贅沢品としての工芸品にかんしては日本製品が王侯貴族のあいだでは愛好されていたのであった。マリー・アントワネットの平蒔絵コレクションはヴェルサイユ宮殿美術館が所蔵している。彼女の趣味の良さがうかがわれる。

なお、マリー・アントワネットの旧蔵書である『イエズス会士中国報告』のフランス語訳版は、日本の東洋文庫が所蔵している。シノワズリー(中国趣味)とジャポニスム(日本趣味)は、18世紀の王侯貴族のあいだでは東洋の贅沢品として人気を博していたのであった。いまではもはやそうではないが、かつて小文字の china は陶磁器、小文字の japan は漆器を意味していたのである。

(2016年4月5日 記す)

マリー・アントワネットの漆器趣味は、母親のハプスブルク帝国唯一の「女帝」マリア・テレジアゆずりのものであった。

「蒔絵 Japan」 ~美術展めぐり MYセレクション」というブログ記事には、上記の「japan 蒔絵-宮殿を飾る 東洋の燦めき」展の紹介がある。

オーストリアのハプスブルク家の女帝マリア・テレジアは「私は、ダイヤモンドより漆器よ」と言って、日本の絵を愛し、一家の住居であったウィーンのシェーンブルン宮殿にも「漆の間」を設けたほどでした。そんな母親の影響を受けて、フランスのブルボン家に嫁いだマリー・アントワネットも漆器好きで、マリア・テレジアから50点もの蒔絵を相続すると、さらにコレクションを増やしていき、そのマリー・アントワネットのコレクションはヨーロッパでも質量と随一のものとなりました。

(参考) マリー=アントワネットの漆器コレクション ヴェルサイユ宮殿美術館(MMM)。日本の漆器はフランス語で les laques du japon このキーワードで検索をかけてみるとよい。

(2016年4月22日 記す)

日本とは浅からぬ縁のあったマリー=アントワネットであったが、日本人とは直接相まみえたことはなかった。同時代のロシアの女帝エカチェリーナは、1791年に漂流民の大黒屋光太夫に拝謁させている。マリー=アントワネットが捕まったのは1792年で翌年には処刑されているが、はたして大黒屋光太夫の情報は耳にしていたのだろうか?

(2016年4月29日 記す)





PS オペラ『細川ガラシャ』について

日本で最初のオペラ『細川ガラシャ』を作曲したのは、カトリックのサレジオ会の司祭で日本宣教の責任者として来日したヴィチェンツィオ・チマッティ師(1879~1965)である。

音楽的才能にめぐまれていたチマッティ師は、生涯に950曲を作曲している。1926年に46歳で来日して以来、戦時中の苦難も含めて終生にわたって日本にとどまった。現在は尊者として認定されており、聖者としての第二段階である福者への申請中である。

『細川ガラシャ』は音楽ドラマとして1940年に日比谷公会堂で初演、その後1960年には80歳のチマッティ師自身の手によってオペラに改作されたものが上演されている。


(参考) ドン・チマッティ (Don Cimatti) :オペラ『細川ガラシア (ガラシャ) 』より第1幕その1(小栗克裕 (Katsuhiro Oguri) 補作・管弦楽編曲) (YouTube)




(2016年8月27日 記す)


PS2 ヴェルサイユ宮殿の全面協力のもとに作成されたマンガ

『マリー・アントワネット (KCデラックス モーニング) 』(惣領冬実、講談社、2016)が、2016年9月に出版されている。製作の経緯については、「モーニング」の副編集長による「世界志向の編集者は言語の壁を超えて、 作家が触れたことのない「異物」との接触点をつくる」(北本かおり、WIRED、2015年10月30日)を参照。(2017年6月14日 記す)




<関連サイト>

ミュージアム 財団法人東洋文庫

舞鶴田辺城 (舞鶴観光協会)

細川ガラシャ ゆかりの地を巡る - ゆったり丹後 (丹後広域観光)

イエズス会日本管区(日本語)

パリ外国宣教会 公式サイト(フランス語)



<ブログ内関連記事>

「東洋文庫ミュージアム」(東京・本駒込)にいってきた-本好きにはたまらない!

「東インド会社とアジアの海賊」(東洋文庫ミュージアム)を見てきた-「東インド会社」と「海賊」は近代経済史のキーワードだ


■フランス革命

フランスの童謡 「雨が降ってるよ、羊飼いさん!」(Il pleut, Il pleut, bergère)を知ってますか?
・・「雨降り」とは「革命」の到来を暗示しているという説がある

フランス国歌 「ラ・マルセイエーズ」の歌詞は、きわめて好戦的な内容だ
・・革命歌の歌詞はじつに勇ましいだけでなく残酷だ

書評 『近代の呪い』(渡辺京二、平凡社新書、2013)-「近代」をそれがもたらしたコスト(代償)とベネフィット(便益)の両面から考える
・・フランス革命から「近代」が始まった


■カトリックとイエズス会

「500年単位」で歴史を考える-『クアトロ・ラガッツィ』(若桑みどり)を読む

イエズス会士ヴァリニャーノの布教戦略-異文化への「創造的適応」

カラダで覚えるということ-「型」の習得は創造プロセスの第一フェーズである
・・イエズス会の創始者イグナティス・デ・ロヨラの『霊操』について

書評 『神父と頭蓋骨-北京原人を発見した「異端者」と進化論の発展-』(アミール・アクゼル、林 大訳、早川書房、2010)-科学と信仰の両立をを生涯かけて追求した、科学者でかつイエズス会士の生涯

「泥酔文化圏」日本!-ルイス・フロイスの『ヨーロッパ文化と日本文化』で知る、昔から変わらぬ日本人
・・および『コリャード懺悔録』(大塚光信校注、岩波文庫、1986)

エル・グレコ展(東京都美術館)にいってきた(2013年2月26日)-これほどの規模の回顧展は日本ではしばらく開催されることはないだろう

書評 『聖書の日本語-翻訳の歴史-』(鈴木範久、岩波書店、2006)

書評 『ラテン語宗教音楽 キーワード事典』(志田英泉子、春秋社、2013)-カトリック教会で使用されてきたラテン語で西欧を知的に把握する

(2014年7月21日、2016年4月29日 情報追加)


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