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2014年5月16日金曜日

書評『裁かれた戦争裁判 ー イギリスの対日戦犯裁判』(林博史、岩波書店、1998)-「大英帝国末期」の英国にとって東南アジアにおける「BC級戦犯裁判」とは何であったのか


いわゆる「BC級戦犯裁判」を扱ったものだ。そのなかでもとくに、東南アジアで日本戦った大英帝国による日本人戦犯裁判について取り上げたものだ。

英国所蔵の膨大な史料を分析し、徹底的に解明を目指した労作である。著者自身の思想傾向は別にして、事実関係を解明した労作として評価すべきであろう。比較的バランスのとれた記述、ファクトベースの記述には好感がもてる。

いまだに「太平洋戦争」という呼称を使用するため、どうしても日本人はアメリカとの戦争しかイメージしないようだ。

だが、東南アジア(・・当時は日本は「南洋」といっていた)という表現は、英国が戦時中につくったものであり、日本は英国を中心とする連合軍と戦っているのである。「アジア太平洋戦争」と言い換えたところで、アジアから中国しか連想しないのがふつうの日本人ではあるまいか。英国の東南アジア司令部は1943年にインドのデリーで編成されている。

日本と日本人が東南アジアの ASEAN 諸国で経済活動を行い、深くコミットすればするほど、いずれ避けて通れなくなるのが歴史問題だ。第二次大戦中に日本がこの地域でなにをしたのか、すでに70年近い昔の話であるが、知っているのと知らないのでは大違いである。

あえて話題に持ち出す必要はないが、アタマのなかに入れておくべきことなのだ。それは謝罪や贖罪とは関係のない話である。とかく歴史意識が弱く、「水に流す」の美名のもと、過去を忘却しがちな傾向のある日本人は歴史的事実は事実として虚心坦懐に受け止めなくてはならない。この点において「無知は罪」であるという自覚をもたねばならない。

日本と東南アジアの関係の背後に、日英関係、英国と東南アジアの関係を読み込まねばならないのである。著者の表現を使えば、「日本軍によるアジア民衆に対する加害行為と宗主国イギリスの対応という、日本-アジア-西欧という三者の交錯」(P.17)である。

英国と日本、英国が統治してきた植民地という三つ巴(みつどもえ)の関係である。とくに重要なのが「宗主国英国」という存在だ。

大英帝国はもはや存在せず、香港返還後の英国はアジアには海外領土をもたないが、植民地化をつうじて英国が旧植民地にもたらした「近代の遺産」は、「負の遺産」も含めて、いまだに影響力を完全に失ったわけではないことを知らねばならない。

そういう実際的な観点からも、東南アジアを舞台にした日英関係の断面として「戦犯裁判」を歴史的事実として捉え直す必要があるとわたしは考えている。


「BC級戦犯」とはなにか

そもそも「BC級戦犯」とはなにか、まずは整理しておく必要があるだろう。

「A級」や「B級」という表現には「等級」を連想させる「級」というコトバが入っているので誤解を生じやすい。だが、「A級」が「B級」より「戦争犯罪」として上だと言っているのではなく、カテゴリー分けの表現に過ぎないのだが、当時の日本側が意図的に訳したわけではなかろう。

ちなみに「A級戦犯」の英語原文は Class A war criminals である。「BC級戦犯」は総計 5,700人が被告となり、984名が死刑となった。数量的にみれば「A級」よりも桁違いに多い

「A級」(Class A): 平和に対する罪(Crime against peace)
「B級」(Class B): 通例の戦争犯罪(War crimes per se)
「C級」(Class C): 人道に対する罪(Crimes against humanity)

なお、戦争犯罪を「ABCの3つのカテゴリー」で分類するのはアメリカ式で、英国は「主要戦争犯罪」(Major war crimes)と「軽戦争犯罪」(Minor war crimes)という二分法なのだという。厳密にいうと、英国の戦争裁判では「C級」に該当するものは裁いていないという。

だが、日本では一般に「BC級戦犯」とひとくくりにされているので慣用表現に従ったということらしい。じっさいは、戦犯の大半が「B級」であったようだ。いかにも現実主義の英国らしい。

「A級」は東京で、BC級は現地で裁判が行われた。具体的には、フィリピンでは米国が管轄、それ以外の東南アジア各国はタイも含めて英国が管轄した(・・インドネシアはオランダ自体が欧州でドイツに占領されていたこともあり英国が代替)。

東南アジア全体を英国が管轄できなかったため、山下奉文将軍のようにシンガポール陥落作戦を実行したのち、フィリピンに転戦してその地で敗戦を迎えたような「B級戦犯」の裁判では、英国と米国のあいだで確執があったという。

この時点ですでに力関係は米国のほうが上であり、シンガポール陥落という屈辱を味わった英国であるが、山下将軍をシンガポールで裁判にかけることができなかったのである。背景には米国の支援なしには世界大戦を戦えなかった英国の実情があった。パワーポリティックスにおける力関係の違いである。

「BC級戦犯」の全貌にかんしては、同じ著者による『BC級戦犯』(岩波新書、2006)を参照すべきである。山下将軍のケースに端的にあらわれているように、「連合国」とひとくくりにはできない複雑な様相が見えてくるのである。
 


東南アジアにおける「大英帝国再建」と「威信の回復」がテーマ

東南アジアを考えるうえで、大東亜戦争とベトナム戦争は避けて通れないものだ。

ベトナム戦争はインドシナ三国を植民地としていたフランスが撤退し、そのあとをアメリカが戦ったものだが、大東亜戦争がなければベトナム戦争もなかったことは明白である。

そしてそれは、東南アジアにおける覇権が、「英米」から「米英」へと転換が進行するなかで戦われたものだ。ついつい「英米」なり「米英」とアングロサクソンをひとくくりにする傾向が日本人にはあるが、この両者の違いも含めた複雑な関係を知ることができるのも、この当時の東南アジアをめぐる状況なのである。

英国による「BC級裁判」であるが、英国内では一般的な関心が低かったようだ。英国は基本的に欧州国家であり、東南アジアは欧州から遠すぎるからだ。しかも、「戦勝国」でありながら経済的には苦境に陥っていたのが英国本土であった。

不足する法務将校(裁判官、検察官、弁護士)、限られた時間、泰緬鉄道建設などで疲弊した将兵の英国への復員を優先したことなどの制約条件から、「BC級裁判」には実務的に問題が多かったようだ。

「BC級裁判」は、英国にとっては「大英帝国再建」と「威信の回復」がテーマであった。

難攻不落であったはずのシンガポールがいとも簡単に陥落した大失態は、植民地の現地住民からみれば「大英帝国の威信」の失墜であり、大英帝国の衰退が誰の目にも明らかになってしまったからだ。東南アジアにおける「大英帝国再建」は英国にとっては切実な課題であったのだ。

そのため、英国主導の「BC級戦犯裁判」においては、「泰緬鉄道関連」もさることながら「華僑虐殺裁判」が中心となったという。英国の東南アジア統治において重要な意味をもったのが中国系移民の存在であった。

日本軍が東南アジア、とくにシンガポールを中心にマレー半島で華僑に対して行った行為を英国が裁く必要があったのは、植民地統治をふたたびスムーズに行う上で避けて通れない課題であったのだ。

インド独立がすでに既定路線であり、インド独立後にはインド植民地への食糧と燃料供給基地であったビルマ(=ミャンマー)も重要ではなくなったので独立させたのに対し、錫とゴムを米国に輸出して米ドルを稼ぐ存在であったマラヤは、英国にとっては大きな意味をもっていたのである。

植民地への完全復帰を狙ったオランダやフランスの強硬姿勢とは対照的に、英国は現地住民を懐柔する方向をとるのだが、1948年からはじまった「マラヤ非常事態」により、戦時中は同床異夢の協力関係にあったマラヤ共産党とのジャングルにおけるゲリラ掃討戦が開始、華人系住民との融和策が無意味化していく。「BC級戦犯裁判」が不徹底に終わったのは、現地における政治状況の変化も影響していた。

「英国にとってのベトナム戦争」は1960年まで続くが、マレー系住民の民族意識が向上し、1957年にはマラヤ連邦として独立、1965年にはシンガポールがマレーシアから分離独立するという経緯をたどるこになる。

この間の英国は、復興日本とは正反対に国際社会における相対的パワーを低下させることになった。「戦勝国」であった英国は東南アジアからはほ完全に撤退したのに対し、戦後復興をアメリカの庇護のもと東南アジアでの経済活動を許可された「敗戦国」であった日本が支配的な地位を占めるようになったのであった。

歴史の皮肉というべきだろうか。


日本人として「戦犯裁判」をどう考えるか

日本人の側からみたら、不慣れな英米法による裁判を、有史以来はじめて大規模に体験したことになる「BC級戦犯裁判」。「BC級戦犯」は総計 5,700人の日本人が被告となったのである。

日本人が裁かれた「戦犯裁判」は、立場によってさまざまな評価がなされてきたが、すくなくとも事実関係だけはきちんと押さえておきたいものである。事実関係抜きで価値判断のみ行うことは不毛なことだ。歴史を知ったうえで付き合う必要があるのは、人間関係だけでなく国家間の関係も同じである。

「先の大戦」が終わってからすでに70年近くたっている。もはや「恩讐の彼方」の話ではあるが、「無知は罪」であると自覚したうえで、歴史から目をそらさず、自分にとって都合のいい側面だけ見るというマインドセットにならないよう戒め続ける必要がある。

日露戦争においては捕虜の扱いで国際的に絶賛された日本である。緊張感のあるときには国際基準の観点から規律を守ることがに腐心したのにかかわらず、しかしながら大東亜戦争においては国際法を徹底せず、暴走した末に末代に至るまでの醜態をさらした日本

この両面が日本と日本人にあることは、きちんと知っておかねばならないのである。一方だけをとりあげて夜郎自大になったり、自虐的になるのは、ともに歴史に対する正しい態度ではない。




目 次
序章 戦犯裁判はどのように議論されてきたのか
第1章 戦犯裁判の準備
第2章 戦犯裁判の実態
第3章 イギリスの対日戦犯裁判の特徴
第4章 イギリスの戦後アジア政策と戦犯裁判
 威信の回復
 マラヤの重要性
 イギリスの戦後マラヤ構想
 136部隊の活動
 マレー半島の136部隊
 中国系ゲリラ支援の政治的意味
 東南アジア司令部とマラヤ連合構想
 136部隊と戦犯捜査
 民衆からの処罰要求
第5章 裁かれた戦争犯罪・裁かれなかった戦争犯罪
 1. シンガポール華僑粛正
 2. マレー半島の華僑粛正
 3. ビルマの住民虐殺
 4. 裁かれなかった性暴力
終章 戦犯裁判とその後
 1. 戦犯裁判が終わって
  減刑の開始と日本への送還
  平和条約発行後 
  戦犯服役者の終焉
 2. 改めて戦犯裁判をめぐって
   植民地民衆への犯罪を裁いたイギリス裁判
   その後の東南アジアと戦犯裁判
   戦犯裁判の意義
あとがき
参考文献
索引

著者プロフィール
林 博史(はやし・ひろし)1955年生まれ。一橋大学大学院社会学研究科博士課程修了。現在、関東学院大学教授。専門は、現代史。著書に『華僑虐殺―日本軍支配下のマレー半島』(すずさわ書店、1992年)、『裁かれた戦争犯罪―イギリスの対日戦犯裁判』(岩波書店、1998年)、『沖縄戦と民衆』(大月書店、2001年)ほかがある。


<ブログ内関連記事>

大東亜戦争と東南アジア(=南洋)、そして英国

書評 『泰緬鉄道-機密文書が明かすアジア太平洋戦争-』(吉川利治、雄山閣、2011 初版: 1994 同文館)-タイ側の機密公文書から明らかにされた「泰緬鉄道」の全貌

書評 『同盟国タイと駐屯日本軍-「大東亜戦争」期の知られざる国際関係-』(吉川利治、雄山閣、2010)-密接な日タイ関係の原点は「大東亜戦争」期にある

『戦場のメリークリスマス』(1983年)の原作は 『影の獄にて』(ローレンス・ヴァン・デル・ポスト)という小説-追悼 大島渚監督
・・原作は南アフリカ出身の英国陸軍コマンド部隊大佐、ジャワ島の日本軍捕虜収容所を舞台にした日英の相克と奇妙な友情の物語

原爆記念日とローレンス・ヴァン・デル・ポストの『新月の夜』
・・原爆投下による日本降伏によって捕虜収容所から生きて出ることができたと考える著者の回想録。同様の意見を表明する元捕虜は少なくない

本の紹介 『潜行三千里』(辻 政信、毎日新聞社、1950)-インドシナに関心のある人の必読書
・・この男がシンガポールにおける華僑虐殺の主張者なのだが、この本じたいは面白い

三度目のミャンマー、三度目の正直 (5) われビルマにて大日本帝国に遭遇せり (インレー湖 ④)
・・日本軍占領下のビルマで発行されたルピー軍票に書かれた大日本帝国の文字

書評 『大英帝国衰亡史』(中西輝政、PHP文庫、2004 初版単行本 1997)-「下り坂の衰退過程」にある日本をどうマネジメントしていくか「考えるヒント」を与えてくれる本
・・「植民地喪失」と大英帝国の終焉


A級戦犯と東京裁判

「日本のいちばん長い日」(1945年8月15日)に思ったこと

書評 『松井石根と南京事件の真実』(早坂 隆、文春新書、2011)-「A級戦犯」として東京裁判で死刑を宣告された「悲劇の将軍」は、じつは帝国陸軍きっての中国通で日中友好論者だった

書評 『東京裁判 フランス人判事の無罪論』(大岡優一郎、文春新書、2012)-パル判事の陰に隠れて忘れられていたアンリ・ベルナール判事とカトリック自然法を背景にした大陸法と英米法との闘い

書評 『アメリカに問う大東亜戦争の責任』(長谷川 煕、朝日新書、2007)-「勝者」すら「歴史の裁き」から逃れることはできない

書評 『新大東亜戦争肯定論』(富岡幸一郎、飛鳥新社、2006)-「太平洋戦争」ではない!「大東亜戦争」である! すべては、名を正すことから出発しなくてはならない


「加害者」と「被害者」の和解は可能か?

映画 『レイルウェイ 運命の旅路』(オ-ストラリア・英国、2013)をみてきた-「泰緬鉄道」をめぐる元捕虜の英国将校と日本人通訳との「和解」を描いたヒューマンドラマは日本人必見!

書評 『プリーモ・レーヴィ-アウシュヴィッツを考えぬいた作家-』(竹山博英、言叢社、2011)-トリーノに生まれ育ち、そこで死んだユダヤ系作家の生涯を日本語訳者がたどった評伝
・・アイシュヴィッツで生き残ったが戦後だいぶたってから自殺した作家

書評 『忘却に抵抗するドイツ-歴史教育から「記憶の文化」へ-』(岡 裕人、大月書店、2012)-在独22年の日本人歴史教師によるドイツ現代社会論 ・・アウシュヴィッツから半世紀以上たって、ようやくドイツでも「記憶」をつねに想起させるため、「見える形」で「記念碑」の建築を行った。「和解」には時間がかかるのである

書評 『国際メディア情報戦』(高木 徹、講談社現代新書、2014)-「現代の総力戦」は「情報発信力」で自らの倫理的優位性を世界に納得させることにある ・・ユーゴスラビアの戦犯裁判のなかで浮上したのが「エスニック・クレンジング」(民族浄化)という表現。「現代の総力戦」は「情報発信力」で自らの倫理的優位性を世界に納得させることにある。「国際メガメディア」という英米系の英語メディアが牛耳るグローバル世界。「泰緬鉄道」も、日本人はこの文脈のなかでキチンと受け止めなければならない



(2022年12月23日発売の拙著です)

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