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2014年6月19日木曜日

映画 『善き人のためのソナタ』(ドイツ、2006)-いまから30年前の1984年、東ドイツではすでに「監視社会」の原型が完成していた


映画 『善き人のためのソナタ』(2006年)は、1984年の東ドイツを舞台にしたドイツ映画である。

「1984年」というのは、言うまでもなくジョージ・オーウェルのディスユートピア小説『1984』が念頭にあるのだろう。1984年は、いまからちょうど 30年前になる。30年というと一昔前ということになるが、ずいぶん昔のうような気さえしてくる。

映画がドイツで公開されたのは2006年、「ベルリンの壁」が崩壊して東ドイツという国家が消滅してからすでに17年以上たってから製作・公開されたものだ。

壁が崩壊したときは全世界が歓喜に包まれたものだったが、その後明るみになったのは東ドイツが行ってきた盗聴による一般市民の監視。しかも、一般市民どうしに相互監視させ、密告も当たり前であったという事実。旧東ドイツ市民だけでなく、全世界がそのおぞましい事実に驚愕し、凍りついたのであった。「東側世界」の状況はそれとなくは伝わっていたが、そこまでひどい状況だったのか、と。

だが、こんな世界がじっさいに存在すると明らかになったのは、東ドイツが消滅したからだ。その体制が崩壊することがなかったら、明らかになることはなかったかもしれない。

2014年という時点でみると、「30年前にはこんな世界が小説のなかだけではなく、じっさいに存在したのですよ」、という語りで終わってしまうかもしれない。「ああ、いやだねえ」、と。

だからこそ、映画を見る際には、ただ単に映画を見ているのではなく、イマジネーションを全開にして、自分のなかでリアルタイム感を再現しながら見る必要がある。


オリジナルのタイトルは『他人の人生』

ドイツ語の原題は Das Leben der Anderen であり、英語版は The Lives of Others となっている。

日本語に直訳すれば『他人の人生』ということになる。「赤の他人」と言ってしまっていいだろう。自分とは直接関係のない人物。身内でも友人でもない「赤の他人」。「あなた」という二人称の人生ではなく、三人称の人生

上部機関からの命令によって三人称の「赤の他人」の人生の一部始終を、24時間にわたって盗聴をつうじて監視する監視者。監視する対象の名前は知っていても、監視行動においては固有名ではなくコードネームで呼ばれることになる。

監視される側は監視されていることに気づかず、あるいは気づいていても、特定の誰が監視しているのかはわからず、一方的に監視されていると感じる以上のことはできない。それは対等な関係ではなく、非対称的な関係である。

監視対象者の住居に仕込んだ盗聴器によって音声を拾い、有線で送信するというアナログな世界。それは現在のデジタルな監視と比べれば、表現は奇妙だが人間的で、「五感」すべてを駆使した監視である(・・監視カメラが設置されているわけではないのでリアルタイムの視覚情報はないが)。

通話内容や会話内容を盗聴して、その場で要点をタイプライターでメモにし、報告書にまとめる作業。やっていることは「覗き」以外のなにものでもない。

いまでは読まれることももないだろうが、フランスの作家アンリ・バルビュス『地獄』という小説がある。隣室で行われる状況に耳を傾けるという、江戸川乱歩の『屋根裏の散歩者』を想起させる内容の小説だ。「覗き」は、ある意味では文学になりうる要素もあるということだ。おかしな言い方だが、そこに生身の人間がかかわる以上、人間的である。

だが、それがあくまでも命令によって行うものであるという点が、情報機関による監視と一般の「覗き」行為との大きな違いである。

「スノーデン事件」で明らかになったような、通話記録やネットでのやりとりといった電子情報を「機械的」に収集し解析する、現在では主流のデジタル的な手法とは対極的な方法だ。現在からみれば、なんだか牧歌的(?)な印象さえ受ける。

その意味では、日本公開の際に「他人の人生(生活)」といった、そっけない即物的なタイトルではなく、『善き人のためのソナタ』と文学的なものにしたのは、ある意味ではこの作品の本質を表現しているといえる。

やや日本人好みの情緒的な印象がなくもないが。

(ドイツ語版のタイトルは『他人の人生』)


独裁国家と監視社会

この手の監視は、アジアではさほど珍しいことではなかったことは、北朝鮮やポルポト派支配下のカンボジアにおける密告社会の事例など、いくらでもあげることができる。

ただ、ヨーロッパ人、とくにドイツ人にとってショッキングだったのは、第二次世界大戦による敗北と徹底的な破壊とともに、ナチス的な全体国家とは無縁になったはずだったという思い込みがくつがえされたことにあるのだろう。

「スノーデン事件」で、ドイツのメルケル首相の個人用の携帯電話が、米国の情報機関 NSA によって盗聴されていたことが明らかになったときの過敏な反応は、メルケル氏が東ドイツに生きていた人であることと大いに関係している。

東ドイツは、ナチズムを払拭しないまま、社会主義体制のもとに全体主義的管理体制を温存していたということになる。かつ社会主義国としてソ連型の監視体制があったということでもあり、ナチズムとスターリニズムのかけ算という最悪の監視社会だったわけだ。

東ドイツにおいては、ドイツ的な秩序感覚が、ソ連以上に監視体制をメカニカルに実行せしめたというべきなのだろう。ドイツ語には「秩序は人生の半分」( Ordnung is halbe des Leben)というフレーズがある。

だが映画をみていてわかるのは、監視はするが肉体的な拷問はしないという点が重要だ。ここが大量粛正が行われたスターリン時代とは根本的に異なる点だ。裁判所の令状にもとづいて家宅捜索はするが、あくまで合法的という一線を超えることは絶対にしない

しかし、監視をしているという事実をちらつかせることで精神的に圧迫し、ときには取引をもちかけて密告の協力者に仕立て上げることで、精神的な支配を及ぼし、人間不信、罪の感覚を内在化させるという手法。精神的な苦痛のダメージは大きい。


盗聴や監視がなくなることはない?

1984年当時の監視が盗聴器によるアナログで人間が介在する余地の大きい監視であったとすれば、現在の監視はデジタルで機械的な解析であり、ある意味では、生身の人間が介在する余地の小さい「透明な監視」といえるかもしれない。

もちろんいまでも盗聴器による古典的な盗聴は現在の日本でも幅広く行われている。盗聴器も比較的入手しやすく、盗聴被害は後を絶たない。

露出癖でもない限り、盗聴されたいという人間はさすがに少数派だろうが、盗聴したいという欲望はおそらく多くの人に無意識レベルで存在するのではないだろうか。それは、知りたいという人間の根源的な欲望に直結しているからだ。「覗き」とはそういう欲望の一形態である。

隠すから見たくなるのである。隠されているからこそ知りたいという根源的な欲望を否定することは難しい。逆にいえば、秘密として隠すからこそ知りたい、詮索したいという欲望を喚起するわけであり、情報がすべて公開されてしまえば、盗聴する意欲も減退するということでもある。

こういう状況である以上、個人情報は意図的にすべて出してしまう、あるいは筒抜けであるという前提で生きていくほうが、精神的にラクかもしれない。盗聴を抑制するのは、法律か倫理感しかないからだ。とはいえ、自分はさておき他人の倫理観がどこまであてになるのか、はなはだ心許ない。盗聴や監視を肯定するつもりはまったくないのだが。

あらゆる人間が「公人」化しているのが現代という時代の特徴かもしれない。もちろん「公人」にもプライバシーは存在するのだが、その領域はきわめて小さい。だが、「私人」のプライバシー領域は小さくなる傾向にあり、「私人」と「公人」の違いが限りなく小さくなりつつある。

盗聴されたくはないが、盗聴したいという欲望そのものを消し去ることは不可能だ。まったくもって都合のいい話だが、人間というものがそういう存在である以上、それに対応して生きていくしかないのだろう。もちろん、「知られない権利」や「忘れられる権利」は確保したいとは思う。

映画 『善き人のためのソナタ』の感想として適切なものであるかどうかはわからないが、そんなことを考えてしまうのは、いまはすでに『1984』ですらないからだ。

1984年から30年後の2014年には、現時点の状況に応じた現実的な対応が求められる。幻想は捨てなくてはならない。







<関連サイト>

善き人のためのソナタ/DAS LEBEN DER ANDEREN (予告編 日本語 YouTube)

Das Leben der Anderen (DE 2005/2006) - Deutscher Trailer (ドイツ語トレーラー)

The Lives of Others trailer (英語字幕版rトレーラー)


Hubertus Knabe: The dark secrets of a surveillance state (TEDSalon Berlin 2014  19分:38秒  Filmed Jun 2014)
・・東ドイツの情報機関シュタージについて。クナーベ氏は東ドイツ出身の歴史家でベルリンのシュタージ博物館のサイエンス・ディレクター。ベルリンの壁崩壊以前はみずからも監視対象であったという。音声は英語(英語字幕あり)。

Googlephobia Germany’s opposition to American technology firms is short-sighted and self-defeating (The Economist, Sep 6th 2014)
・・不安心理を背景にしたドイツ人の「グーグル嫌い」(Googlephobia)。英米と欧州大陸国であるドイツやフランスの反応の顕著な違い

(2014年9月5日 情報追加)



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(2012年7月3日発売の拙著です)






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