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2015年5月21日木曜日

「第1回 国際ドローン展」に行ってきた(2015年5月20日)-百聞は一見にしかず!

   (自律制御システム研究所の大型有線給電型ドローン)

幕張メッセで本日(2015年5月20日)から3日間にわたって開催中の「第1回 国際ドローン展」に行ってみた。事前登録で入場料無料。
    
「国際ドローン展」とうたっているものの、「テクノ・フロンティア2015」というメカトロニクスとエレクトロニクス分野の要素技術と製品設計関連の展示会の一部であった。ビジネス向けの展示会である。
  
ことし2015年の5月に入ってから、政府官邸に墜落していたことがテレビ報道で大々的に取り上げられてから、日本でもドローン関連の話題が一般化しているが、この展示会は社会で話題になる前に企画されたものであろう、無人機ドローン関連の出展者数は総計50社程度と少ないが、ドローンのビジネス用途を考えるうえではおおいに参考になる。
  
上空からの観測や空撮、監視とセキュリティ、災害現場や農場でのモニターなどでの使用など、多様な用途にすでに取り組んでいる企業の出展があり、見ていてなるほどと思わされた。具体的にいえば、建設現場での活用に取り組んでいるコマツやセキュリティ関連のセコム、それに中日本高速道路などである。法規制の問題は残るが、さまざまな用途での応用が活発に検討されるようになっていることが確認できる。
   
展示会のなかで一番存在感があったのが株式会社自律制御システム研究所の展示。千葉大学の野波研究室における研究成果を商業化するために設立された大学発ベンチャーである。ミニサーベイヤーという商品名で量産化に着手している。飛行実演のデモも行われた。冒頭に掲載した写真は、大型有線給電型ドローン、かなりの大きさである。


自律制御システムのドローンは、室内やトンネル内などGPSが利用できない環境での自律飛行を可能としたことが重要だ。ドローンは基本的に GPS で位置確認し、インターネットを利用した無線によって遠隔制御を行う。これらは、いずれも米国発の軍事技術が起源であるが、その枠組みの外にある技術開発に注目すべきだろう。

いまではあたり前の情報通信技術のインターネット、衛星をつかって位置を特定する GPS(=Global Positioning System)、これらはみな米軍の軍事技術として誕生し、その後に民間に開放されてきたものだ。無人機ドローンもまたそうであり、しかも先にあげたの2つの軍事技術なくしては誕生しなかったものである。無人機そのものはハードウェアだが、無人機の運用はインターネットとGPSを統合したシステムなのである。
  

自分の仕事には直接関係がなくても、あるいはすぐにはかかわらないものであっても、話題になっているものは、自分の目で直接見て確かめるべきだろう。百聞は一見にしかず、である。






<関連サイト>

「第1回 国際ドローン展」(2015年5月20日~22日 幕張メッセ)

「ドローン 可能性と脅威のはざまで」 (NHKクローズアップ現代、2015年5月21日放送)


<ブログ内関連記事>

書評 『無人暗殺機ドローンの誕生』(リチャード・ウィッテル、赤根洋子訳、文藝春秋、2015)-無人機ドローンもまた米軍の軍事技術の民間転用である
・・インターネットとGPS、そしてその延長線上の軍事技術として開発されたドローン

書評 『21世紀の歴史-未来の人類から見た世界-』(ジャック・アタリ、林昌宏訳、作品社、2008)-12世紀からはじまった資本主義の歴史は終わるのか? 歴史を踏まえ未来から洞察する
・・プライバシーがなくなり監視がつよまる世界という未来図

法哲学者・大屋雄裕氏の 『自由とは何か』(2007年) と 『自由か、さもなくば幸福か?』(2014年)を読んで 「監視社会」 における「自由と幸福」 について考えてみる
・・ドローンの普及は、ビジネス面における利便性向上と同時に、上空からの監視の強化にもつながるであろう

(2015年5月22日 情報追加)




(2012年7月3日発売の拙著です)











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2014年6月20日金曜日

法哲学者・大屋雄裕氏の 『自由とは何か』(2007年) と 『自由か、さもなくば幸福か?』(2014年)を読んで 「監視社会」 における「自由と幸福」 について考えてみる


「監視社会」と「自由」、いまこれほど刺激的なテーマはないかもしれない。この2つのキーワードを実際の行為として世界中に突きつけたのがエドワード・スノーデン氏であった。

「スノーデン事件」とは、米国の情報機関NSA(国家安全保障局)が行ってきた膨大な通信傍受と個人情報収集による監視を、元職員が暴露した「事件」である。「監視社会」を告発したスノーデン氏が「自由」を求めて「監視社会」のロシアに亡命さぜるを得なくなったというのは、まことにもって皮肉な事態ではあるが。

『自由とは何か-監視社会と「個人」の消滅-』(大屋雄裕、ちくま新書、2007)が出版されたのは、「スノーデン事件」が発生した2013年よりも6年前である。

ことし出版された『自由か、さもなくば幸福か?-21世紀の<あり得べき社会>を問う-』((大屋雄裕、筑摩選書、2014)とあわせて読んでみると、「監視」する主体が国家であろうとなにであろうと、現代を考えるうえで避けて通れないテーマであることがわかるはずだ。


「自由な個人」という幻想?

「自由な個人」として思考し、行動している。そうは思っていても、じつはかならずしもそうではない。無意識のうちに習慣となったことを繰り返しているのが日常生活というものだろう。

日常生活をスムーズに進めるためには、定型的で決まり切った手順や習慣に無意識にうちに従っうほうが効率的だ。「人間は習慣の奴隷である」という有名なフレーズもある。行動科学の立場からは人間の自由意志さえ否定される。

効率的であることがすべてだとは言わないが、「便利」で「安心」な生活のほうがいいに決まっている。そう考えるのがフツーの人の発想だろう。そうは思わない人もいるだろうが、このわたしも「便利」で「安心」な生活のほうがいいと思っている。

世の中はますます悪くなると思い、そういう「不安」をもらす人は多いが、ことテクノロジーの発達という点をみれば、あきらかに現在は10年前よりも、20年前よりも、「便利」で「安心」な生活が実現していることは、冷静に振り返ってみればおのずから理解されるはずである。

問題は、テクノロジーの発達に人間の意識が追いついていないということだろう。あるいはまだ過去にすり込まれた固定観念が消えずに残っていて、意識を支配し続けているためだろう。それほど人間が変化に追いついていくことは難しい。

だが、過去の経験をもたない世代であれば、それはけっして困難ではない。いま現在がすべての出発点となるからだ。変化の激しい時代には、知識は増大しても過去の知恵が通用しなくなる。

それは、21世紀の現在が「近代」が終わって次の時代に移行するトランジッションの状態にあるからだ。テクノロジーの発達は「意図せざる結果」を生み出しつつあるということだ。「自由」という概念もそれにともなって変化していく。

本書は、その移行期を法哲学の立場から分析して見せたものだ。権利や擬製(=フィクション)といったさまざまな法概念も俎上に載せて検討されることになる。

いま、さまざまな制度や概念が「機能不全」をおこしている。民主主義もまた「機能不全」状態にあることは、エジプトやタイといった中進国だけでなく、日本も含めた先進国もまたそうであることは世代間格差の問題を考えてみれば明白だろう。「一人一票システム」が民主主義の機能不全を生み出す要因となっている。

ビジネスパーソンは、コスト/ベネフィット思考でものを考えがちだが、経済的思考以外の法律的思考でものを考えてみることもときには必要だ。だが、本書の議論には「幸福」はあっても「便利」という経済的発想がないのが気にかかる。功利主義的発想の限界についての議論が弱いのではないだろうか。

たとえば、ベンサムの「最大多数の最大幸福」という功利主義を代表する有名なフレーズは、響きは美しいが経済学的には成り立たないことは冷静に考えてみればわかることだ。ミクロの総和はマクロとはイコールではない。資源の制約という前提が欠けた議論だからだ。経済学では、このミクロとマクロのあいだに存在するパラドックスのことをさして「合成の誤謬」と呼ぶ。


「監視社会」の主役である国家が別の「監視社会」の対抗軸となる!?

先進国においては、すでに「近代」が完成し「近代化」がすでに終わっている。いっけんして「前近代」に戻ったような印象も受けるが、もちろん後近代と前近代はイコールではない。近代を経たのちの後近代である。

「国家」対「個人」という、対立関係を主軸に据えた左派の議論が陳腐に感じるのはそのためだ。「主権国家」は近代の産物だが、「国家」もまた、その他のプレイヤーの勢力拡大を前にしてパワーを失いつつある。「国家」は弱体化しつつあるのだ。いっけん「監視社会」の最大の主役のように見えて、かならずしもそうではないのである。

国家以外のプレイヤーとして筆頭にあげるべきものは、米国のIT系を中心とした超巨大グローバル企業であることは、「監視社会」を考えるにあたって絶対不可欠なことだ。

グーグルの「検索」やアマゾンの「レコメンド」機能、フェイスブックの「いいね!」、スマホの位置情報などなど。膨大な個人情報を収集し機械的に解析してフィードバックする「ビッグデータ」時代の覇者たちである。いずれも人工知能テクノロジーの進化がその背景にある。

グーグル会長のエリック・シュミット氏は、「インターネットと相互接続権力の台頭」という論文で、「インターネットに接続さえできれば、誰でも個人で発言し変化を起こすことのできるパワーを手に入れることができる。そうしてパワーを得た非政府組織と活動家が、世界全体で「パワー拡散」をさらに促進している」という意味の発言を行っている。

グーグルのような超巨大IT系企業もまた「変化を起こすことのできるパワーを手に入れた」存在である。国家だけでなく、超巨大企業も大きなパワーをもつにいたっているである。国家はそのなかでワンオブゼムとなりつつあるといえるのかもしれない。

フランスの思想家ジャック・アタリもいうように、民主主義国家においては財政破綻の危険がつねにつきものであり、先進国においては、ますます国家のパワーは相対的に減退するということだ。「国家」の使命は国民の生命財産を守ることにあるが、国家のパワーが減退すると、その使命も完全に果たすことができなくなる

「国家」もまた諸勢力の一つであったのは「前近代」の中世社会であるが、「近代社会」に生を受けて、ある年齢まではそのなかにいた人は、「近代」のなんたるかをアタマとカラダの両面で体験しているので、逆に現在進行中の事態に不安やを強く感じているのかもしれない。


「ミラーハウス型」の相互監視社会」とは「世間」のこと!?

著者は、「ミラーハウス型」監視社会という表現をつかっているが、これは別の言い方をすれば「相互監視型システム」ということになる。

さきにグーグル会長のエリック・シュミット氏の発言を紹介したが、「相互接続権力」(interconnected estate)とは、「相互接続状態」(interconnected stateのことである。

「ミラーハウス型」は「相互監視社会」のことだと考えれば、それは日本語でいう「世間」のことではないか、とわたしは思う。

「世間のしがらみ」という表現でネガティブに捉えられがちな「世間」であるが、濃淡は存在するものの、「世間」とは親族を中心とした、所属組織などの「想像の共同体」における人間関係のネットワークのことにほかならない。ネットワークであるということは、相互接続状態にあるということだ。そのネットワークのなかでは相互に監視し、監視される関係にある。

監視されるのはうっとおしいが、一方ではそのなかに居る限り「安全」と「安心」が保証される。世間のポジティブな側面について考えてみる必要がある。

一方的にいいだけのことも、一方的に悪いだけのことも、世の中には存在しない。なにごともオモテがあればウラがある。善悪はコインの両面である。

ノンフィクション作家の吉田司氏に『デジタル・パラノイア-電脳ニッポン興亡記-』(徳間文庫、2001)という作品がある。まっとうな学者である大屋雄裕氏のレーダーには引っかからないようなので、代わりにわたしが言及しておこう。「第3部 デジタルファンタジー日本」から。

年配の読者ならよくご存じだが、村(ムラ)の暮らしの中の日本人は互いにスゴイ情報通で、他人の家の二代前三代前の御先祖の悪行善行をつい昨日のように記憶していて、仕返ししたりされたりして暮らしていた。なにしろ自分の女房の肉体の奥深い秘密まで青年宿やら夜這い仲間によって、スッカリ熟知されている(笑)。個人主義というものが成立しない。(P.199)

やや下卑た表現だが、これが<ムラ>という地域共同体の相互監視社会の構造だ。吉田氏はこれを<ムラ>という記憶装置(=データ・バンク)と表現している。引用を続けよう。

<記憶装置としてのムラ>と<管理装置としてのムラ>が二重構造となって、日本人の魂を大地や田畑に縛りつけていた。<ムラ>とは、逃れ得ない<大地の記憶装置(コンピュータ)>だった。・・(中略)・・ そ~した古典的な<ムラ>構造は、つい戦後の高度成長期まで続いた。・・(中略)・・私たちはいま、二つの巨大な人間管理システムが交差するのを目撃しているのだ。すなわち古代から続いた伝統的な<大地の記憶装置=アナログ・コンピュータ>が崩壊し、<電子の>の記憶装置=デジタル・コンピュータ>が日本人の暮らしを管理するに至る、そのつかの間の、過渡期の時代を生きている。(P.200)(*太字ゴチックは引用者=さとう)

なんだか身も蓋もないような気もするが、実態はそんなもんだろう。

基本的に、その内部にいる者の安心と安全は保証されるが、内部から排除された者は「自由」だが特殊な生き方を選択せざるを得なくなる。それは前近代社会の日本でも西欧でも、放浪芸人や乞食など被差別の道であった。日本の「村八分」と同様に、西欧中世にも「人狼」という存在もあった。

「都市の空気は自由にする」(Stadtluft macht frei)という格言はその事情を表現したものである。そもそも日本だけでなくロシアにも、プライバシーというコトバも概念もなかったことを想起しておけばいいだろう。

目に見えない「しがらみ」というソフトな監視は、同時にそのなかにいれば普段は気がつくこともなく、安心を得ることができる。何事であれ、物事には両面がある。一方的にメリットだけだとか、デメリットだけなんて事象はこの世には存在しない。

これはカトリック教会が「聖なる世界」だけでなく、「俗なる世界」においても「監視社会」のメインプレイヤーとして君臨していた西欧中世もまた同じだった。

「近代」が終焉していながらも、まだその残滓を引きずっていた1980年代頃までは、日本にいても西欧の口まねで「暗黒の中世」というフレーズでラベリングをしていたのだが、じつは中世社会はそのなかに生きていた人々にとっては、暗黒でもなんでもなかったというのが真相である。むしろ中世崩壊後の「初期近代」の17世紀が過酷な時代であったのだ。

大屋氏の『自由とは何か-監視社会と「個人」の消滅-』(2007年)では、阿部謹也氏の西洋中世のギルドにかんするの引用があるのに、「世間論」への言及がまったくないは残念なことだ。中世史家がなぜ日本の「世間」について鋭い指摘を続けたのか考えてみる必要がある。

法思想や法哲学の研究者は、近代日本が西洋法の承継のうえに成り立っているので、どうしても思考の準拠枠を西欧にもとめがちだが、それだけでは議論が日本人にしっくりくるものとはならない。

すでに近代を通過した現代という時代は、複数の、あるいは無数の「世間」が偏在している状態にある。出身地、出身校、家族、勤務先、地域社会、SNS・・・・。みな人的ネットワークと言い換えてもいいかしれない。一人の人間が複数の「世間」に足を突っ込んでいるのである。

「世間」という存在は、ネットワークの濃淡や外部性などの議論で理解することは可能だろう。相互監視社会はウチ・ソトを峻別するという構造をもっているので、世界が完全にフラットなのっぺらぼう状態になるとは考えにくい。 



テクノロジーの進化がさらに時代を「中世」に戻していく?

スノーデン事件は国家による個人の監視であったが、「国家」に勝るとも劣らぬ活動を行っているのが米国を中心としたIT系の巨大民間企業であることを失念すべきではない。

ビジネスの世界でいう「ビッグデータ時代」は、膨大な個人情報をもとに統計解析によって、ビジネスに有用な情報を探索する技術を背景に成立していることを確認しておく必要があるだろう。

しかも、国家と巨大民間企業この両者の関係もまた一筋縄でいくものではない。その力関係もいまではかならずしも国家のほうが上というわけでもない。

「監視社会」と「開かれた社会」、そのどちらが望ましいか言うまでもない。だが、家族の安全や国防上の安全という「監視社会」のメリット面にかんする議論になったとき、議論のシロクロを明確に言い切れる人はそう多くあるまい。メリットとデメリットは、ある種のトレードオフの関係にある。

国家からみれば、プライバシーという「私権」をどこまで制約できるかという問題である。個人の立場からいえば、プライバシーという「私権」をどこまで守ることができるかという問題である。

あらゆる「私人」が「公人」化しているのが現代という時代の特徴かもしれない。もちろん「公人」にもプライバシーは存在するのだが、その領域はきわめて小さい。だが、「私人」のプライバシー領域は小さくなる傾向にあり、「私人」と「公人」の違いが限りなく小さくなりつつある。

「自由」か「監視」かという問いに対しては、そう簡単に答えのでる問題ではないが、はっきりしているのはテクノロジーの進歩が止まることはないということだ。あとはテクノロジーが先行してつくりだす世界に、われわれ自身がどこまで適応(?)できるかという点にあるだけかもしれない。

著者の大屋氏は、まだまだ「近代」が生み出したリベラリズムに未練があるように見受けられるが、ジョージ・オーウェルの『1984』から30年後の2014年においては、現時点の状況に応じた現実的な対応が求められるのではなかろうか。幻想は捨てなくてはならない。

こんな言い方をすると、身も蓋もない話になってしまうかもしれないが・・・





『自由とは何か-監視社会と「個人」の消滅-』(大屋雄裕、ちくま新書、2007)

目 次

第1章 規則と自由
 「個人」の自己決定と法・政治
 自由への障害
 二つの自由-バーリンの自由論
 交錯する自由
第2章 監視と自由
 見ることの権力
 強化される監視
 ヨハネスブルク・自衛・監視
 監視と統計と先取り
 監視・配慮・権力
 「配慮」の意味
 衝突する人権?
 事前の規制・事後の規制
 規制手段とその特質
第3章 責任と自由
 刑法における責任と自由
 自己決定のメカニズム
 責任のための闘争-刑法40条削除問題
 主体と責任
おわりに-「自由な個人」のために






『自由か、さもなくば幸福か?-21世紀の<あり得べき社会>を問う-』((大屋雄裕、筑摩選書、2014)


目 次

はじめに
第1章 自由と幸福の一九世紀システム
 1. 近代リベラリズムと自己決定の幸福
 2. 契約自由の近代性
 3. 参政権-自己決定への自由
 4. 権利としての戦争
 5. 19世紀システムの完成-自己決定する「個人」
第2章 見張られる私-21世紀の監視と権力
 1. 監視の浸透
 2. 情報化・グローバル化と国家のコントロール
 3. 「新しい中世」
第3章 20世紀と自己決定する個人
 1. 19世紀から遠く離れて-戦争と革命の20世紀
 2. 個人と人間の距離
 3. 個人の変容への対応
 4. Why not be Perfect?-アーキテクチャと完全な規制)
第4章 自由と幸福の行方-不安社会/民主政の憂鬱
 1. 過去への回帰願望
 2. 新たなコミュニティ・ムーブメント
 3. アーキテクチャと「感覚のユートピア」
 4. ホラーハウス、ミラーハウス
おわりに 三つの将来
謝辞



著者プロフィール

大屋 雄裕(おおや・たけひろ)
1974年生まれ。東京大学法学部卒業。法哲学を専攻。現在、名古屋大学大学院法学研究科教授。著書に『法解釈の言語哲学-クリプキから根元的規約主義へ-』(勁草書房)、『自由とは何か-監視社会と個人の消滅』(ちくま新書)が、共著に『岩波講座 憲法1』(岩波書店)、『情報とメディアの倫理(シリーズ人間論の21世紀的課題』(ナカニシヤ出版)などがある。(出版社サイトより)


<関連サイト>

書評 自由か、さもなくば幸福か? 二一世紀の〈あり得べき社会〉を問う [著]大屋雄裕 [評者]萱野稔人(津田塾大学教授・哲学) [掲載]2014年05月04日

Christopher Soghoian: Government surveillance — this is just the beginning TED Fellows Retreat 2013 · 8:18 · Filmed Aug 2013

アップル社CM『1984』 (リドリー・スコット監督)
・・『1984』世界は「ビッグ・ブラザー」による一方的な監視社会。

グーグルは神なのか-「忘れられる権利」判決で惑うグーグル (原 隆、日経ビジネスオンライン、2014年6月16日)
・・「「忘れられる権利」裁判では、人の目で判断して差配すべしという判決が出たようなもの。殺到する削除要請に対し、その善悪の判断をグーグルに委ねる判決でもあるのだ。・・(中略)・・はたしてデータの中身の善悪を民間企業が判断し、コントロールすることが正しいのだろうか。グーグルに「私的な検閲」(東京大学大学院特任講師の生貝直人氏)という新たな権利を渡し、結果、神格化を進めてしまう結果に繋がらないのか」

生きる目的や倫理は蒸発する 人類が行きつく「幸福なデータ奴隷」とは?(Forbes Japan
 編集部、2019年3月25日)
・・デジタル経済学者・成田祐輔氏へのインタビュー。議論はこういう段階まで来ている

(2022年7月22日 情報追加)


<ブログ内関連記事>

監視社会と自由

書評 『スノーデンファイル-地球上で最も追われている男の真実-』(ルーク・ハーディング、三木俊哉訳、日経BP社、2014)-国家による「監視社会」化をめぐる米英アングロサクソンの共通点と相違点に注目

映画 『善き人のためのソナタ』(ドイツ、2006)-いまから30年前の1984年、東ドイツではすでに「監視社会」の原型が完成していた

エンマ・ラーキンの『ジョージ・オーウェルをビルマに探して』(Finding George Orwell in Burma)を読む-若き日のオーウェルが1920年代、大英帝国の植民地ビルマに5年間いたことを知ってますか?
・・「オーウェルはビルマについて一冊の小説を書いたが、実は三部作だ。すなわち『ビルマの日々』『動物農場』『1984』だ」、という軍政下ビルマ人のジョーク

書評 『海賊党の思想-フリーダウンロードと液体民主主義-』(浜本隆志、白水社、2013)-なぜドイツで海賊党なのか?
・・どうも情報公開にかんする敏感さにかんしては、日本人とドイツ人の感覚は真逆の関係にあるようだ

書評 『原爆と検閲-アメリカ人記者たちが見た広島・長崎-』(繁沢敦子、中公新書、2010)-「軍とメディア」の関係についてのケーススタディ


すでに「近代」は終わり現在は次の時代への移行期にある

書評 『21世紀の歴史-未来の人類から見た世界-』(ジャック・アタリ、林昌宏訳、作品社、2008)-12世紀からはじまった資本主義の歴史は終わるのか? 歴史を踏まえ未来から洞察する
・・「第Ⅳ章は、21世紀に押し寄せる「第一波」として民主主義・政治・国家を破壊する「超帝国」について言及される。第Ⅴ章ではつぎの「第二波」として従来の戦争や紛争を超える「超紛争」が発生することが語られる。市場と民主主義、その興亡の未来史が「第一波」と「第二波」である。現在も進行中の学校や軍事など公共サービスの民営化は、先進国が軒並み財政危機にあえぐなかでは、さらに推進されていくことは大いに予想されることだ。そこに出現するのは、市場の勝利と民主主義の敗北である。そして最後に「第三波」として民主主義を超える「超民主主義」が出現するのだという。だが、あらかじめ著者自身も予防線張っているとはいえ、やや理想的に響くのは仕方かなかろう。なんだか『黙示録』の構造を想起するが、最後が正義が勝つ、ということか」

書評 『持たざる国への道-あの戦争と大日本帝国の破綻-』(松元 崇、中公文庫、2013)-誤算による日米開戦と国家破綻、そして明治維新以来の近代日本の連続性について「財政史」の観点から考察した好著
・・民主主義が機能不全状態で行われた、国家による過った意志決定のツケは、結局は国民が支払うことになる(・・「戦前」の日本においても、大日本帝国憲法のもとで議会制民主主義は不完全ながら機能はしていたのだが・・・)


「国家」を超える存在となったグローバル企業の存在

書評 『グーグル秘録-完全なる破壊-』(ケン・オーレッタ、土方奈美訳、文藝春秋、2010)-単なる一企業の存在を超えて社会変革に向けて突き進むグーグルとはいったい何か?

書評 『アップル帝国の正体』(五島直義・森川潤、文藝春秋社、2013)-アップルがつくりあげた最強のビジネスモデルの光と影を「末端」である日本から解明
・・「国家」を超える存在となったグローバル企業という「帝国」の代表がアップルだ。ただし急速に「帝国」化したアップルも未来永劫に盤石である保証はない

書評 『ゲームのルールを変えろ-ネスレ日本トップが明かす新・日本的経営-』(高岡浩三、ダイヤモンド社、2013)-スイスを代表するグローバル企業ネスレを日本法人という「窓」から見た骨太の経営書

書評 『日本式モノづくりの敗戦-なぜ米中企業に勝てなくなったのか-』(野口悠紀雄、東洋経済新報社、2012)-産業転換期の日本が今後どう生きていくべきかについて考えるために

TGIF 「ああ、やっと金曜日!?」 いいえ、Twitter, Google, iPhone and Facebook の頭文字が TGIF


テクノロジーの「指数関数的」発達と「相互接続型社会」の出現

書評 『2045年問題-コンピュータが人間を超える日-』(松田卓也、廣済堂新書、2013)-「特異点」を超えるとコンピュータの行く末を人間が予測できなくなる?
・・「冒頭で 「amazon からつよくレコメンドされた」と書いたが、これこそまさに人工知能の産物である。「amazon のレコメンド」もまた、「機械学習」という人工知能のあたらしい潮流のなかにある。「Google の検索」については言うまでもない。・・(中略)・・「特異点」(singularity)という発想の根底にあるのは、技術の発展は直線的(=リニア)ではなく、指数関数的(exponential)に発展するという経験則だ。ヒトゲノム解読など、みなコンピュータの演算処理能力の爆発的な増大で想像以上のスピードで達成されてきた。S字カーブの繰り返しによるスピード上昇である」

書評 『グーグル秘録-完全なる破壊-』(ケン・オーレッタ、土方奈美訳、文藝春秋、2010)-単なる一企業の存在を超えて社会変革に向けて突き進むグーグルとはいったい何か?

書評 『100年予測-世界最強のインテリジェンス企業が示す未来覇権地図-』(ジョージ・フリードマン、櫻井祐子訳、早川書房、2009)-地政学で考える


「相互接続型社会」とは「世間」のこと

書評 『「空気」と「世間」』(鴻上尚史、講談社現代新書、2009)-日本人を無意識のうちに支配する「見えざる2つのチカラ」。日本人は 「空気」 と 「世間」 にどう対応して生きるべきか?
・・「世間」とは持続性のある相互監視の視線であり、「空気」とは持続性はないが濃度の濃い相互監視の視線の集まりと考えてよいのではないだろうか。いずれにせよ日本人の人間関係を息詰まるものにしている正体について「空気」だけでなく、「世間」で考える必要はある


「個」の解体とその全面的肯定

書評 『私とは何か-「個人」から「分人」へ-』(平野啓一郎、講談社現代新書、2012)-「全人格」ではなく「分割可能な人格」(=分人)で考えればラクになる
・・分割不可能な「人格」という近代が生み出した固定観念が現代の日本人を縛って苦しめているという不幸

「是々非々」(ぜぜひひ)という態度は是(ぜ)か非(ひ)か?-「それとこれとは別問題だ」という冷静な態度をもつ「勇気」が必要だ
・・複数の「世間」(=人的ネットワーク)に足を突っ込んでいるからこそ、「是々非々」というマインドセットが生み出されるには日本だけでなく先進国共通である


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2014年6月19日木曜日

映画『善き人のためのソナタ』(ドイツ、2006)ー いまから30年前の1984年、東ドイツではすでに「監視社会」の原型が完成していた


映画 『善き人のためのソナタ』(2006年)は、1984年の東ドイツを舞台にしたドイツ映画である。

「1984年」というのは、言うまでもなくジョージ・オーウェルのディスユートピア小説『1984』が念頭にあるのだろう。1984年は、いまからちょうど 30年前になる。30年というと一昔前ということになるが、ずいぶん昔のうような気さえしてくる。

映画がドイツで公開されたのは2006年、「ベルリンの壁」が崩壊して東ドイツという国家が消滅してからすでに17年以上たってから製作・公開されたものだ。

壁が崩壊したときは全世界が歓喜に包まれたものだったが、その後明るみになったのは東ドイツが行ってきた盗聴による一般市民の監視。しかも、一般市民どうしに相互監視させ、密告も当たり前であったという事実。旧東ドイツ市民だけでなく、全世界がそのおぞましい事実に驚愕し、凍りついたのであった。「東側世界」の状況はそれとなくは伝わっていたが、そこまでひどい状況だったのか、と。

だが、こんな世界がじっさいに存在すると明らかになったのは、東ドイツが消滅したからだ。その体制が崩壊することがなかったら、明らかになることはなかったかもしれない。

2014年という時点でみると、「30年前にはこんな世界が小説のなかだけではなく、じっさいに存在したのですよ」、という語りで終わってしまうかもしれない。「ああ、いやだねえ」、と。

だからこそ、映画を見る際には、ただ単に映画を見ているのではなく、イマジネーションを全開にして、自分のなかでリアルタイム感を再現しながら見る必要がある。


オリジナルのタイトルは『他人の人生』

ドイツ語の原題は Das Leben der Anderen であり、英語版は The Lives of Others となっている。

日本語に直訳すれば『他人の人生』ということになる。「赤の他人」と言ってしまっていいだろう。自分とは直接関係のない人物。身内でも友人でもない「赤の他人」。「あなた」という二人称の人生ではなく、三人称の人生

上部機関からの命令によって三人称の「赤の他人」の人生の一部始終を、24時間にわたって盗聴をつうじて監視する監視者。監視する対象の名前は知っていても、監視行動においては固有名ではなくコードネームで呼ばれることになる。

監視される側は監視されていることに気づかず、あるいは気づいていても、特定の誰が監視しているのかはわからず、一方的に監視されていると感じる以上のことはできない。それは対等な関係ではなく、非対称的な関係である。



監視対象者の住居に仕込んだ盗聴器によって音声を拾い、有線で送信するというアナログな世界。それは現在のデジタルな監視と比べれば、表現は奇妙だが人間的で、「五感」すべてを駆使した監視である(・・監視カメラが設置されているわけではないのでリアルタイムの視覚情報はないが)。

通話内容や会話内容を盗聴して、その場で要点をタイプライターでメモにし、報告書にまとめる作業。やっていることは「覗き」以外のなにものでもない。

いまでは読まれることももないだろうが、フランスの作家アンリ・バルビュス『地獄』という小説がある。隣室で行われる状況に耳を傾けるという、江戸川乱歩の『屋根裏の散歩者』を想起させる内容の小説だ。「覗き」は、ある意味では文学になりうる要素もあるということだ。おかしな言い方だが、そこに生身の人間がかかわる以上、人間的である。

だが、それがあくまでも命令によって行うものであるという点が、情報機関による監視と一般の「覗き」行為との大きな違いである。

「スノーデン事件」で明らかになったような、通話記録やネットでのやりとりといった電子情報を「機械的」に収集し解析する、現在では主流のデジタル的な手法とは対極的な方法だ。現在からみれば、なんだか牧歌的(?)な印象さえ受ける。

その意味では、日本公開の際に「他人の人生(生活)」といった、そっけない即物的なタイトルではなく、『善き人のためのソナタ』と文学的なものにしたのは、ある意味ではこの作品の本質を表現しているといえる。

やや日本人好みの情緒的な印象がなくもないが。

(ドイツ語版のタイトルは『他人の人生』)


独裁国家と監視社会

この手の監視は、アジアではさほど珍しいことではなかったことは、北朝鮮やポルポト派支配下のカンボジアにおける密告社会の事例など、いくらでもあげることができる。

ただ、ヨーロッパ人、とくにドイツ人にとってショッキングだったのは、第二次世界大戦による敗北と徹底的な破壊とともに、ナチス的な全体国家とは無縁になったはずだったという思い込みがくつがえされたことにあるのだろう。

「スノーデン事件」で、ドイツのメルケル首相の個人用の携帯電話が、米国の情報機関 NSA によって盗聴されていたことが明らかになったときの過敏な反応は、メルケル氏が東ドイツに生きていた人であることと大いに関係している。

東ドイツは、ナチズムを払拭しないまま、社会主義体制のもとに全体主義的管理体制を温存していたということになる。かつ社会主義国としてソ連型の監視体制があったということでもあり、ナチズムとスターリニズムのかけ算という最悪の監視社会だったわけだ。

東ドイツにおいては、ドイツ的な秩序感覚が、ソ連以上に監視体制をメカニカルに実行せしめたというべきなのだろう。ドイツ語には「秩序は人生の半分」( Ordnung is halbe des Leben)というフレーズがある。

だが映画をみていてわかるのは、監視はするが肉体的な拷問はしないという点が重要だ。ここが大量粛正が行われたスターリン時代とは根本的に異なる点だ。裁判所の令状にもとづいて家宅捜索はするが、あくまで合法的という一線を超えることは絶対にしない

しかし、監視をしているという事実をちらつかせることで精神的に圧迫し、ときには取引をもちかけて密告の協力者に仕立て上げることで、精神的な支配を及ぼし、人間不信、罪の感覚を内在化させるという手法。精神的な苦痛のダメージは大きい。


盗聴や監視がなくなることはない?

1984年当時の監視が盗聴器によるアナログで人間が介在する余地の大きい監視であったとすれば、現在の監視はデジタルで機械的な解析であり、ある意味では、生身の人間が介在する余地の小さい「透明な監視」といえるかもしれない。

もちろんいまでも盗聴器による古典的な盗聴は現在の日本でも幅広く行われている。盗聴器も比較的入手しやすく、盗聴被害は後を絶たない。

露出癖でもない限り、盗聴されたいという人間はさすがに少数派だろうが、盗聴したいという欲望はおそらく多くの人に無意識レベルで存在するのではないだろうか。それは、知りたいという人間の根源的な欲望に直結しているからだ。「覗き」とはそういう欲望の一形態である。

隠すから見たくなるのである。隠されているからこそ知りたいという根源的な欲望を否定することは難しい。逆にいえば、秘密として隠すからこそ知りたい、詮索したいという欲望を喚起するわけであり、情報がすべて公開されてしまえば、盗聴する意欲も減退するということでもある。

こういう状況である以上、個人情報は意図的にすべて出してしまう、あるいは筒抜けであるという前提で生きていくほうが、精神的にラクかもしれない。盗聴を抑制するのは、法律か倫理感しかないからだ。とはいえ、自分はさておき他人の倫理観がどこまであてになるのか、はなはだ心許ない。盗聴や監視を肯定するつもりはまったくないのだが。

あらゆる人間が「公人」化しているのが現代という時代の特徴かもしれない。もちろん「公人」にもプライバシーは存在するのだが、その領域はきわめて小さい。だが、「私人」のプライバシー領域は小さくなる傾向にあり、「私人」と「公人」の違いが限りなく小さくなりつつある。

盗聴されたくはないが、盗聴したいという欲望そのものを消し去ることは不可能だ。まったくもって都合のいい話だが、人間というものがそういう存在である以上、それに対応して生きていくしかないのだろう。もちろん、「知られない権利」や「忘れられる権利」は確保したいとは思う。

映画 『善き人のためのソナタ』の感想として適切なものであるかどうかはわからないが、そんなことを考えてしまうのは、いまはすでに『1984』ですらないからだ。

1984年から30年後の2014年には、現時点の状況に応じた現実的な対応が求められる。幻想は捨てなくてはならない。





<関連サイト>

善き人のためのソナタ/DAS LEBEN DER ANDEREN (予告編 日本語 YouTube)

Das Leben der Anderen (DE 2005/2006) - Deutscher Trailer (ドイツ語トレーラー)

The Lives of Others trailer (英語字幕版rトレーラー)


Hubertus Knabe: The dark secrets of a surveillance state (TEDSalon Berlin 2014  19分:38秒  Filmed Jun 2014)
・・東ドイツの情報機関シュタージについて。クナーベ氏は東ドイツ出身の歴史家でベルリンのシュタージ博物館のサイエンス・ディレクター。ベルリンの壁崩壊以前はみずからも監視対象であったという。音声は英語(英語字幕あり)。

Googlephobia Germany’s opposition to American technology firms is short-sighted and self-defeating (The Economist, Sep 6th 2014)
・・不安心理を背景にしたドイツ人の「グーグル嫌い」(Googlephobia)。英米と欧州大陸国であるドイツやフランスの反応の顕著な違い

(2014年9月5日 情報追加)



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書評 『スノーデンファイル-地球上で最も追われている男の真実-』(ルーク・ハーディング、三木俊哉訳、日経BP社、2014)-国家による「監視社会」化をめぐる米英アングロサクソンの共通点と相違点に注目


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2014年6月18日水曜日

書評『スノーデンファイル ― 地球上で最も追われている男の真実』(ルーク・ハーディング、三木俊哉訳、日経BP社、2014)― 国家による「監視社会」化をめぐる米英アングロサクソンの共通点と相違点に注目



スノーデン関係についてはなかなか関連書籍が発行されていなかったが、ようやくここにきて2冊の翻訳書が出版された。『暴露:スノーデンが私に託したファイル』(新潮社) と 『スノーデンファイル』(日経BP社)の二冊である。

前者は、副題にあるようにスノーデンと香港で密会し、直接ファイルを託された米国人の弁護士で活動家のグリーンウォルド氏によるもの。少数派の自由の侵害に反対する彼はパートナーとともにブラジル在住である。後者は、スノーデンが収集した機密情報の暴露をマスメディアとして行った英国のガーディアン紙の記者によるもの。今回ここで取り上げたものである。

さすがに二冊とも読もうとまでは思わないが、どちらか一方だけでも読みたい思ってレビューをさがしてみた。その結果、どうやらグリーンウォルドは活動家で性格も激しいようであり、そういう観点から書かれた本はわたしの趣味ではないな、そんなことを考えていたとき本書のレビューを頼まれた。「渡りに船」というやつである。グッドタイミングだ。

わたし自身は、スノーデン氏の行為に賛同とか反対とかいう以前に、「事件」そのものを突き放して眺めたいと考えていた。その目的のためには、英国のガーディアン記者でジャーナリストの著者の手になる本書のほうがよいだろうと考えていたこともある。米国人のスノーデンに対する適切な距離感が確保できるのではないかという期待である。

本書は、原題は、Luke Harding, The Snowden Files: The Inside Story of the World's Most Wanted Man である。2001年の「9-11」テロ後に肥大した米国政府の通信監視活動の実態を暴き、2014年度のピュリッツァー賞を受賞した英国の『ガーディアン』紙記者が描いた「事件」の舞台裏のドキュメントである。

翻訳のレベルは高く読みやすい。読んでいて、さすがにアメリカ人ではなく、英国人の書いたものだという感想をもつ。そこらへんの感覚は直接読んで感じてみてほしい。

本書の読みどころが「推薦のことば」として、元外務相主任分析官の佐藤優氏が2ページで簡潔にまとめているが、かならずしもこれに従う必要はない。読み手によって問題関心のあり方が異なるであろうからだ。


(原著の米国版)



米英は通信監視における密接なパートナーだがその関係は非対称的

わたしにとってもっとも興味深く思われたのは、米英は通信監視における密接なパートナーだがその関係は非対称的という事実についてだ。

米国の情報機関 NSA(国家安全保障局)による通信監視が大規模に行われているという事実が明らかになったこと自体は、それほど衝撃的な話ではない。そもそも十数年前前から軍事目的の大規模な通信傍受システムであるエシュロンの存在は日本でも知られていたし、この手の監視が技術的に可能なことは考えるまでもないことだ。こんなことで驚いていてはナイーブすぎる。

それよりも興味深いのは、もっとも密接な関係にあると見なされがちなアングロサクソン世界の盟友である米国と英国であるが、じつは思われているほど、そう一筋縄でいく関係ではないという事実が明らかになったことだ。

本書にもしばしば登場する「ファイブ・アイズ」(Five Eyes)という米英中心にカナダ、オーストラリア、ニュージーランドを加えたアングロサクソン圏の SIGINT(シギント:通信、電磁波、信号等を媒介とした諜報活動)ネットワークは知る人ぞ知る存在だが、これは中核にある UKUSA協定を多国間で結んだ協定である。

UKUSA(UK:英国+US:米国)の中核にあるのは文字通り英米であるが、斜陽化した小国・英国と超大国・米国のあいだには圧倒的な力関係の違いが存在するという事実である。米英は対等ではなく非対称的な関係なのである。


(「ファイブ・アイズ」協定国はアングロサクソン・ファミリー wikipediaより)


米国からみて英国がもっとも信頼のおけるパートナーであることは、ともに英語圏であるということと、基本的な価値観を共有するからであるが、なによりも海底ケーブルによる通信トラフィックにかんしては米英間が量的にみて圧倒的であることも背景にある(下図を参照)。


(The internet's Undersea World を加工)


北米大陸からの海底ケーブルは英国西端のコーンウォルで上陸し、そこから欧州大陸に分岐している。つまり英国は情報の結節点に位置しているわけであり、米国からみて通信監視を行うにあたってきわめて都合のいいポジションにあることがわかる。

英国は、いわば「地の利」を活かしているわけであるが、英国のGCHQ(政府通信本部)はカウンターパートの米国 NSA から多額の資金援助を受け、その見返りに NSA と情報共有を行っているだけでなく、通信監視にかんする最先端の技術を開発し知恵を出すという関係にあるという。英国の生き残り戦略の一環と見ることもできよう。

これも英国人ジャーナリストの立場で書いているからこそ明らかになったことだろう。



ジャーナリズム活動にかんする米英の違いは「憲法」の存在の有無にある

米国と米国人にとっての「合衆国憲法」の存在がいかに大きなものであるか、この事実について気がつかせてくれるのも、本書が米国人ではなく、英国人ジャーナリストの手になるものだからだ。これも米英の「距離感」のもたらしてくれる重要な視点である。

英国には「成文憲法」がない。これは「常識」ではあるが、米国と対比した際にきわめて重要な意味をもつ。英国では憲法のしばりがないので、国家による監視活動の制約が小さいのだ。

人口あたりの監視カメラ数が世界でもっとも多いのは英国であることを想起したらいいだろう。ジャーナリズム活動への制約が存在することは、英国当局がガーディアン紙に命じて、スノーデファイルのハードディスクの破壊命令を実行させたことに象徴的にあらわれている。

スノーデン氏自身、「合衆国憲法」への思い入れが強く、とくに「憲法修正第4条」の「不当な逮捕・捜索・押収の禁止、安易な礼状発行の禁止」へのこだわりが、NSAによる通信監視の実態を暴露する動機になったようだ。

政治的には共和党支持者で、思想的にはリバタリアンらしい。リバタリアニズム( libertarianism)とは、国家や政府の介入は最小限であるべきだというアメリカ特有のレッセフェール思想のことで、自由を志向することは共通するものの、大きな政府を志向するリベラリズムとは根本的に異なる思想である。

スノーデン氏の言動には、そもそも憲法というものは、国家権力の恣意的な運用を牽制するために、国民が国家に対して課すものだという原点を想起させてくれるものがある。いわゆる「立憲主義」であるが、これは近代西欧の法思想の核心に存在するものだ。その意味ではスノーデン氏は思想犯であり、しかも確信犯であることがわかる。

米国は2001年の「9-11」同時多発テロ以降、「愛国法」の成立によってNSAによる監視社会という怪物フランケンシュタインを生み出したわけだが、立憲主義の存在の有無が、おなじアングロサクソンでありながら、米国と英国との違いを生み出していることを知ることができるわけだ。


(原著の英国版)



「監視社会」に敏感なドイツ

とはいえ、ドイツを考慮に入れると、米英はやはり似たもの同士だなと思わされるものもある。

ドイツのメルケル首相の個人使用の携帯電話が NSA によって盗聴されていた事実。旧東ドイツの秘密警察・情報機関シュタージの盗聴世界のなかで生き抜いてきたメルケル氏にとっては、まさに悪夢の再来ともいうべき事態であったことだろう。

この件が明るみになってドイツの世論に火がついたのだが、東ドイツ時代の秘密警察シュタージによる監視社会を体験しているドイツ人は、ことさら監視についてはナーバスであり、西ドイツ出身者であってもナチズム体制を体験している点においてドイツ人にとっての共通認識であるのかもしれない。

ドイツと比べると、全体主義を体験していない英国や米国はどうもこの点にかんしてナイーブな印象を受ける。監視社会についてはジョージ・オーウェルの『1984』がつねに引き合いに出されるが、『1984』はあくまでもフィクションの世界であってアタマのなかの話であり、体感をともなう実感ではないのかもしれない。

全体主義を体験しているという点では、日本人はドイツ人と共通の体験があるはずだが、個人意識の強くない日本人には、「見てみないふりをする」、「長いものには巻かれろ」的な国民性があるためか、ドイツ人ほどナーバスではないようだ。そもそも日本にはプライバシーという概念もコトバも存在しなかった。

この点、日本と米英はいっけん似ているような印象を受けないでもないが、日本と米英との違いは危険を冒してカラダを張ってでも告発する勇気をもったジャーナリズムの存在の有無であろう。

監視技術を含めて、テクノロジーというものはそれ自体のロジックによって無限に進化していくものだ。テクノロジーの発達と法律による規制はいたちごっこの関係であり、テクノロジーの暴走に歯止めをかけることができるのは倫理感のみだといっても過言ではない。その倫理感を支えているのはジャーナリズム活動による牽制だという認識である。

国際メディアは米英が支配する世界だが、そちらをポジとすれば、おなじ「情報」の世界といっても諜報の世界はネガである。情報機関とメディアとのせめぎあいと表現することもできる。

いわゆる「タブロイド戦争」の存在する英国の激しいメディア状況と比較すると、米国は政府とのなれ合いが存在するように見えると著者はいうが、マスコミにかんしては、日本の状況はとてもそんなものではないことは現在では多くの人にとっての「常識」であろう。

米英アングロサクソン世界は、国家による「監視社会」化が進行しているが、一方ではジャーナリズムによる牽制も存在する。「スノーデン事件」においては、米英圏においてはジャーナリズムがまだまだ健在であることが実証されたわけでもある。



国家による「監視」と巨大IT企業による「監視」

スノーデン事件は国家による個人の監視であったが、国家に勝るとも劣らぬ活動を行っているのが米国を中心としたIT系の巨大民間企業であることを忘れるべきではない。

ビジネスの世界でいう「ビッグデータ時代」は、膨大な個人情報を統計解析によって分析し、ビジネスに有用な情報を探索する技術を背景に成立していることを確認しておく必要があるだろう。ビジネスにおけるデータマイニング技術は、国家による通信監視の情報解析と基本的に同じである。

しかも、国家と巨大民間企業この両者の関係もまた一筋縄でいくものではない。その力関係もいまではかならずしも国家のほうが上というわけでもない。

「監視社会」と「開かれた社会」、そのどちらが望ましいか言うまでもない。だが、家族の安全や国防上の安全という「監視社会」のメリット面にかんする議論になったとき、議論のシロクロを明確に言い切れる人はそう多くあるまい。メリットとデメリットは、ある種のトレードオフの関係にある。

ぞれはプライバシーという私権をどこまで制約できるかという問題である。

そう簡単に答えのでる問題ではないが、はっきりしているのはテクノロジーの進歩が止まることはないということだ。あとはテクノロジーが先行して切り開いていく世界に、生身の人間であるわれわれ自身がどこまで適応(?)できるかという点にあるだけかもしれない。

こんな言い方をすると、身も蓋もない話になってしまうかもしれないが・・・



PS. この書評は、R+(レビュープラス)さまより献本をいただいて執筆したものです。


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目 次 

推薦のことば
序文
プロローグ  ランデブー
第1章 The True HOOHA(ザ・トゥルー・フーハ)
第2章 市民的不服従
第3章 情報提供者
第4章 パズル・パレス
第5章 男との対面
第6章 スクープ!
第7章 世界一のお尋ね者
第8章 際限なき情報収集
第9章 もう十分楽しんだだろう
第10章 邪悪たるべからず
第11章 脱出
第12章 デア・シットストーム
第13章 「押し入れ」からの報道
第14章 おかど違いのバッシング
エピローグ  故国を追われて
謝辞
訳者あとがき



著者プロフィール

ルーク・ハーディング(Luke Harding)
ジャーナリスト、作家、『ガーディアン』海外特派員。デリー、ベルリン、モスクワに勤務し、アフガニスタン、イラク、リビア、シリアの紛争も取材。2007年から2011年まで『ガーディアン』モスクワ支局長。冷戦後初となる国外追放処分をロシア政府から受けた。ノンフィクションの著書が3冊ある。The Liar: The Fall of Jonathan Aitken(オーウェル賞候補作)とWikiLeaks: Inside Julian Assange's War on Secrecy(邦題『ウィキリークス アサンジの戦争』)は、いずれもデヴィッド・リーとの共著。Mafia State: How One Reporter Became an Enemy of the BrutalNew Russia は2011年に刊行された。著書は13カ国語に翻訳されている。妻のフィービー・タプリン(フリージャーナリスト)、2 人の子どもとハートフォードシャーに住む。

翻訳者プロフィール
  
三木俊哉(みき・としや)
1961年、兵庫県生まれ。京都大学法学部卒業。企業勤務をへて、主に産業翻訳に従事。訳書に、『世界はひとつの教室』(ダイヤモンド社)、『ヘッジファンド-投資家たちの野望と興亡』(楽工社)、『完全網羅 起業成功マニュアル』(海と月社)などがある。


<関連サイト>

Five Eyes (wikipedia英語版)
・・いわゆる米英を中心にした「ファイブ・アイズ」について。監視対象となっていた著名人の情報も実名で紹介されている。ジェーン・フォンダやジョン・レノン、ダイアナ妃も監視対象となっていたことがわかる。こういう重要な項目の日本語版がないのは(2014年6月現在)、日本人のアングロサクソン認識の欠落を意味しているといってよい。


「スノーデン暴露本」ストーン監督が映画に 2014年06月04日 12時34分
 【ロンドン=佐藤昌宏】 http://www.yomiuri.co.jp/world/20140604-OYT1T50031.html
・・米映画監督オリバー・ストーン氏が『スノーデンファイル-地球上で最も追われている男の真実-』の映画化権を取得。一方、映画会社ソニー・ピクチャーズエンタテインメントもグリーンウォルド氏の『暴露:スノーデンが私に託したファイル』の映画化権を取得した」そうだ。わたしとしてはオリバー・ストーンの作品のほうが面白そうな気もするが・・・

Googlephobia Germany’s opposition to American technology firms is short-sighted and self-defeating (The Economist, Sep 6th 2014)
・・不安心理を背景にしたドイツ人の「グーグル嫌い」(Googlephobia)。英米と欧州大陸国であるドイツやフランスの反応の顕著な違い

海底ケーブルから情報が盗まれる? 国家戦略としての重要性 (ウェッジ、2014年11月6日)
・・海底ケーブルから盗聴されていることは常識。それ以外でもケーブルの結節点に英米があることはブログ記事で触れたとおり

監視社会に向かいつつある世界 治安かプライバシーか、テロへの恐怖で拍車がかかる通信データ保存をめぐる議論(河口マーン恵美、JBPress、2015年2月10日)
・・「ドイツ人はもともと、当局のプライバシーへの介入を極端に嫌う。そのため、国勢調査もできないほどだ。前回2011年の国勢調査は、なんと、西では24年間ぶり、東では30年間ぶり。もちろん、90年に東西が統一してから初の国勢調査だった。 それも、抵抗が大きかったので、無作為に抽出された3分の1の家庭のデータから作られた。そして、ようやく実施してみたら、いつも公表していたよりも、人口が160万も少ないことが判明した。 こういうお国柄だけあって、データの保存など、その言葉を聞いただけで絶対反対となる。法務省もデータ保存には元から反対している。通信の秘密という基本的人権が侵害される危険があるからだ。」

新たな“情報の生命線”始動へ--日米をつなぐ光海底ケーブル「FASTER」が陸揚げ (CNet Japan、2015年6月18日)
・・「日本は、米国との海底ケーブルの敷設に適した位置にあるという。「オレゴン州と日本は最短距離で結べる。およそ9000km~1万kmの間。平面の地図だとわかりにくいかもしれないが、地球は丸い。球状で見ると、アジアから米国へつなぐ場合に日本はいい位置にいる。そのため多くのケーブルが日本を経由して作られている」(梧谷氏) 日本とアジアをつなぐ光海底ケーブル「SJC」 日本とアジアをつなぐ光海底ケーブル「SJC」 日本をハブとして、シンガポールなど東南アジアのデータセンターと米国西海岸のデータセンターとの間を最短ルートで接続する「South-East Asia Japan Cable(SJC)と組み合わせ、米国とアジアを最短ルートで接続していく。 このほかにも新潟県の直江津にも海底中継所があり、日本とロシアを結ぶ光海底ケーブル「RJCN」を経由してロンドンと繋がっているという。」

(2014年9月5日、11月7日、2015年2月11日、6月19日 情報追加)


<ブログ内関連記事>

諜報(インテリジェンス)と情報(インフォーメーション)

書評 『ウィキリークスの衝撃-世界を揺るがす機密漏洩の正体-』(菅原 出、日経BP社、2011)-「無極性時代のパワー」であるウィキリークスと創始者アサンジは「時代の申し子」だ
・・SIGINT(シギント:通信、電磁波、信号等を媒介とした諜報活動)を暴露したアサンジよりも、スノーデンのほうるかに破壊力はすさまじく大きい

映画 『ゼロ・ダーク・サーティ』をみてきた-アカデミー賞は残念ながら逃したが、実話に基づいたオリジナルなストーリーがすばらしい
・・SIGINT(シギント:通信、電磁波、信号等を媒介とした諜報活動)によって米国の情報機関によって居場所を突き止められた苦い経験をもつビンラディンは・・・

『大本営参謀の情報戦記-情報なき国家の悲劇-』(堀 栄三、文藝春秋社、1989 文春文庫版 1996)で原爆投下「情報」について確認してみる

「石光真清の手記 四部作」 こそ日本人が読むべき必読書だ-「坂の上の雲」についての所感 (4)
・・古典的なHUMINT(ヒューミント:人間を媒介にした諜報活動)の記録として第一級の資料でもある

『図説 中村天風』(中村天風財団=編、海鳥社、2005)-天風もまた頭山満の人脈に連なる一人であった
・・古典的なHUMINT(ヒューミント:人間を媒介にした諜報活動)として、日露戦争では軍事探偵の仕事についていた中村天風


「監視社会」

法哲学者・大屋雄裕氏の 『自由とは何か』(2007年) と 『自由か、さもなくば幸福か?』(2014年)を読んで  「監視社会」 における「自由と幸福」 について考えてみる

書評 『海賊党の思想-フリーダウンロードと液体民主主義-』(浜本隆志、白水社、2013)-なぜドイツで海賊党なのか?
・・「監視社会」にナーバスなドイツ社会

映画 『善き人のためのソナタ』(ドイツ、2006)-いまから30年前の1984年、東ドイツではすでに「監視社会」の原型が完成していた

エンマ・ラーキンの『ジョージ・オーウェルをビルマに探して』(Finding George Orwell in Burma)を読む-若き日のオーウェルが1920年代、大英帝国の植民地ビルマに5年間いたことを知ってますか?
・・「オーウェルはビルマについて一冊の小説を書いたが、実は三部作だ。すなわち『ビルマの日々』『動物農場』『1984』だ」、という軍政下ビルマ人のジョーク

書評 『アラブ諸国の情報統制-インターネット・コントロールの政治学-』(山本達也、慶應義塾大学出版会、2008)
・・アラブ世界におけるインターネット上の情報統制と監視を技術の観点から考える

書評 『原爆と検閲-アメリカ人記者たちが見た広島・長崎-』(繁沢敦子、中公新書、2010)-「軍とメディア」の関係についてのケーススタディ


成文憲法と立憲主義

書評 『憲法改正のオモテとウラ』(舛添要一、講談社現代新書、2014)-「立憲主義」の立場から復古主義者たちによる「第二次自民党憲法案」を斬る

書評 『自民党憲法改正草案にダメ出し食らわす!』(小林節+伊藤真、合同出版、2013)-「主権在民」という理念を無視した自民党憲法草案に断固NOを!


「市民的不服従」という米国社会の伝統

『エコ・テロリズム-過激化する環境運動とアメリカの内なるテロ-』(浜野喬士、洋泉社新書y、2009)を手がかりに「シー・シェパード」について考えてみる


アメリカの政治思想における「リバタリアン」

書評 『追跡・アメリカの思想家たち』(会田弘継、新潮選書、2008)-アメリカの知られざる「政治思想家」たち
・・スノーデンもその「一人であるリバタリアンという政治思想について知る


アングロサクソン世界の情報をめぐるポジとネガ

書評 『国際メディア情報戦』(高木 徹、講談社現代新書、2014)-「現代の総力戦」は「情報発信力」で自らの倫理的優位性を世界に納得させることにある


日本にジャーナリズムは存在するのか?

書評 『官報複合体-権力と一体化する新聞の大罪-』(牧野 洋、講談社、2012)-「官報複合体」とは読んで字の如く「官報」そのものだ!

(2014年6月24日、27日、7月13日 情報追加)


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