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2014年9月16日火曜日

書評 『ヒンドゥー・ナショナリズム』(中島岳志、中公新書ラクレ、2002)-フィールドワークによる現代インドの「草の根ナショナリズム」調査の記録


「ヒンドゥー・ナショナリズム」にかんする、現地フィールドワークにも基づく体験と思索の記録が読ませる力作だ。

なによりも執筆当時27歳の著者自身の「主語」が明確なのがよい。「自分」という研究者自身の存在が、研究対象に与える影響に自覚的なとことがいい。研究者は無色透明な存在ではありえないのである。

下手な要約よりも「著者からのコメント」をそのまま引用させていただくこととしよう。amazon に掲載されているものである。著者にとっては初の単著であろう。自著紹介の姿勢がポジティブでよい。

「著者からのコメント」(著者 中島岳志, 2002/07/29)
インドはどこに向かっているのか?
現代インドにおいて、RSS(=民族奉仕団)を中心としたヒンドゥー・ナショナリズムの潮流が急速に拡大している。1992年12月のアヨーディヤーにおけるモスク破壊事件。RSS から派生した BJP による政権奪取。そして、今年(2002年)のグジャラート暴動とアヨーディヤーのラーム寺院建設問題。近年のインドを揺るがす大きな問題の背景に常に関係するヒンドゥーナショナリズムの潮流を捉えることは、現代インドと関わる際、非常に重要であり、かつ必要不可欠である。
本書は、この RSS をはじめとした「サング・パリワール」諸団体の内部に入り込み、フィールドワークを行なってきた私の現場報告である。
RSS が最も重要視する毎日の「シャーカー」というトレーニング活動。「サング・パリワール」の団体が運営する学校や福祉団体の活動の現場。ヒンドゥー・ナショナリズムの有力なイデオローグへのインタビュー。緊張が続くアヨーディヤーにおけるRSS・VHPの活動。デモや政治集会の現場など、外部からはなかなか見えにくいヒンドゥー・ナショナリズムの最前線を、解説を付しながら詳細に伝える。ヒンドゥー・ナショナリズムの拡大にいたるインド現代史も収録。写真多数。(*太字ゴチックは引用者=さとう)

すでに12年前に発表された本である。現時点では副題の「印パ緊張の背景」は不要だろう。時事的テーマを扱うことの多い中公新書ラクレといいうフォーマットでの出版であったためだと推測されるからだ。

内容はそういった時事的なものよりも、現代インド社会の底流に流れているものをあぶり出してみせたことにある。「ヒンドゥー・ナショナリズム」という潮流そのものを、素手でつかみ取ろうという気負いもまたよい。

「右派ナショナリスト」団体というインド人の社会集団のなかに、若き日本人研究者が一人で入っていくということ。それは、研究対象であるインド人からみれば「異分子」以外の何者でもない。他者の言動が「自分」に与える影響だけでなく、「他者」の言動が「自分」に与える影響も当然ならがある。

フィールドワークとはそういうものだ。もちろん、著者の立ち位置からくる思考にすべて賛同する必要はない。著者の体験と考察というフィルターをとおして見えてくるものを、読者が自分自身のフィルターをといして吟味してみたらよいのである。

自分自身で直接体験できない対象であるからこそ、読者自身にもこのような態度が不可欠なのだ。


「近代化」=「ネーション」構築のまっただ中にあるインド

1974年生まれの日本人にとって、インドを研究することが何を意味するのかナショナリズムを研究することが何を意味するのか。1995年のオウム事件を19歳の時に体験しているのが、1974年生まれの世代である。そしてまた、「就職氷河期世代」でもある。自分という「存在」を意識せざるを得ない世代である。存在不安を抱えた世代なのである。

「近代のゆきづまり」のあとに出現した「宗教復興」という時代の流れに敏感なのはそのためだ。先行する世代でも一部の人間は気づいていたが、けっしてマジョリティではなかった。この感覚と、それにもとづいた自覚が、本書のような力作を生んだのだろうし、その後の旺盛な著作活動の原点となっているのであろう。

フィールドワークの記録の面白さは、著者の意図した解釈とはかかわりなく、読者それぞれの「読み」が可能だということにある。

たとえば、本書の「第1章 草の根のナショナリズム」というフィールドワークの記録に登場する「シャーカー」についての記述を読んでいて思うのは、インド人の「近代化」がまさにその渦中にあるという事実だ。

カラダをつうじて「規律」をたたき込むことによって、秩序感覚や時間感覚、自発性といった「近代」を内面化させる手法。これは明治時代に徴兵制と義務教育をつうじて日本人もたたき込まれたものだ。個人主義的なインド人に規律をたたき込み、カーストにとらわれない「均質なインド国民」をつくりあげるのである。日本人にとっては既視感がある現象だ。

インドはいま、草の根レベルで「近代化」が行われているのである。「近代のゆきづまり」のあとに出現した「宗教復興」という時代と同時進行で観察されるという不思議さ。これは同じく「近代化」を体験した日本とのズレである。

著者自身の問題関心とは異なるかもしれないが、わたしはこの章を読んで納得するとともに、大いに安心を覚えたこれなら、インドが製造業大国となる必要条件はできつつあるな、と。

この件についてはブログに書いた、日体大の『集団行動』は、「自律型個人」と「自律型組織」のインタラクティブな関係を教えてくれる好例 や 修道院から始まった「近代化」-ココ・シャネルの「ファッション革命」の原点はシトー会修道院にあった を読んでいただきたい。パラドクシカルであるが、個人レベルの自律があって、はじめて集団としての自律も可能なのである。

規律をたたき込み、身分差別意識を払拭させることで、「国民」で構成される「ネーション」を成立させることの大きな意味。

もちろん、共通の敵を設定することで求心力を求めるという負の側面もあるのだが、西欧も日本もこの「近代化」プロセスを経ているからこそ、次のステージに行くことができたのである。順番を間違えてはいけない。その意味では、解釈は別にして事実関係を記してくれたことを評価したい。

組織という社会集団の一員として働くとはどいうことか、組織を動かすとはどういうことか、ここらへんは、大学院生しか体験していない27歳の若者にはアタマでは理解したつもりでも、カラダでは理解できない点だろう。著者がその後どういう経験を積んだかは知らないが、思考が成熟していることを望みたい。


インドは「アジア主義」の枠内で捉える必要はない

わたしは、『中村屋のボース-インド独立運動と近代日本のアジア主義-』(白水社、2005)を読んでおおいに感心したのが著者の作品を読んだ最初の経験だ。大川周明や頭山満といった右翼人のインドとの接点が、チャンドラ・ボースではない、「中村屋のボース」を軸に描かれている。これもまた力作である。

「アジア」は、中国や韓国などの東アジアだけではないのである。東南アジアも南アジアも「アジア」である。

「アジアは一つ」(岡倉天心)は、唯一神的汎神論の響きのある表現だが、その意味ではインド的でもある。「一にして多、多にして一」である。多様性をもった一つの存在だ。

反米保守の西部邁(にしべ・すすむ)氏と親しい中島岳志氏は、「リベラル保守」(?)を自称しているようで、「アジア主義」の復権を図ろうとしている印象を受けるのだが、わたし自身は、もはや「アジア主義の時代」ではないと考えている。基本は親米でいくのが現実的だからだ。「アジア "主義" の時代」ではなく、「アジアの時代」なのである。

だがさらにいえば、わたしはむしろ、梅棹忠夫が『文明の生態史観』で表明している「中洋」という地理認識のほうが、インドを考えるうえではるかに重要だと考えている。西隣に中近東世界と隣接した南アジアという認識である。西洋と東洋の中間に位置する「中洋」である。

大英帝国の植民地となる前に、インドはイスラーム王朝であるムガール帝国によって支配」されていたわけである。インドは、東南アジアには直接的に、東アジアには間接的に影響を与えてきたが、インドそのものは中近東世界の影響を多大に受けてきた存在である。イスラームと西欧による支配という重層的な歴史が、現代インドを性格づけている事実なのである。

だからこそ、インドにとって「内なるイスラーム」とどう向き合うかが、ナショナリズムを偏狭なものとするか、開かれた健全なものとするかの分かれ道と考えるべきなのである。反イスラーム色を全面に出している「ヒンドゥー・ナショナリズム」について知っておくことが重要なのはそのためだ。

はたして RSS は、今後も偏狭なナショナリズムを追求していくのか、それとも政権党である BJP との関係から穏健なナショナリズムとなるのか? 

いまから12年前の本であるが読む価値があるのは、たんなる文献調査ではない、生きた現実をフィールドワークした記録だからである。






目 次

地図-南アジアとインドの州
序章 ヒンドゥー・ナショナリズムの現場から
第1章 草の根のヒンドゥー・ナショナリズム-RSSのシャーカー活動
第2章 ムスリムとの対立
第3章 RSSの諸活動
第4章 宗教ナショナリズムの台頭
第5章 現代インドの現場からの問い-リベラリズムの限界・宗教復興の可能性
あとがき


著者プロフィール
 中島岳志(なかじま・たけし)
1975年、大阪生まれ。大阪外国語大学外国語学部卒業。京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科博士課程修了。学術博士(地域研究)。現在、北海道大学大学院法学研究科准教授。専門は南アジア地域研究と近代政治思想史。アジア研究を背景に日本の近代政治思想史を読みかえ、再構築する仕事を続けるとともに現代の政治状況についても積極的に発言している。『中村屋のボース』(大佛次郎論壇賞、アジア・太平洋賞大賞)など著書多数(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。



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(2014年9月23日、10月23日、2016年3月7日 情報追加)






(2012年7月3日発売の拙著です)










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