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2025年2月17日月曜日

鈴木大拙はエマソンの愛読者であった ― 日本の仏教者たちは霊性(スピリチュアリティ)の立場に立つエマソンの『自己信頼』にインスパイアされてきた

(若き日に米国で暮らしていた大拙はエマソンの墓の前で座禅している) 


鈴木大拙というと「禅の大家」というイメージが流布している。これが一般人の認識であろう。

さらに、世界に禅仏教を広めた功績を知っている人も少なくないかもしれない。英語圏を中心に D.T. Suzuki 名義で出版された本は、現在なお新刊書として簡単に入手可能だ。

D.T. Suzuki の D が大拙であることは容易に推測できるだろう。では英語風のミドルネームの T はなにか? それは、本名の貞太郎(ていたろう)の略であり、言うまでもなくクリスチャンネームではない。現在でも華人が英語圏で「イングリッシュ・ネーム」をつかいたがるのと同様だ。

そんな大拙は、若き日にエマソンの「論文集」(エッセイズ)を読んで感激したと回想している。かの有名な『自己信頼』は「エッセイズ」に収録されている。

大拙自身の文章を引用しておこう。出典は「明治の精神と自由」(1947年)。『新編 東洋的な見方』(上田閑照編、岩波文庫、1997)に収録されている(読みやすくするために漢字は適宜かなに直し行替えを行った。本文にない注釈は(=●●)として示してある)


語学の勉強からどんな新鮮なものを取り得たかといま考えて見ると、「自由」ということであったらしい。(・・中略・・)
そのようなところから、セルフ・ヘルプの精神が強く、自由へのあこがれが深くなって行ったのは自然であろう。(・・中略・・)
その後、エマスンの論文集を何かの機会で読んだ。これがまた自分をして新たな思想に赴かしめた。そのなかに次のような言葉があったように今うろ覚えに覚えている。
「自分の心に動くことを表現するに躊躇するな。大人物だといわれている人でも、自分の心の中に在るもの以上に、何ものをも持っているのではない。今ここに一条の光明が射し込んで来て、自分の頭の上に落ちたとせよ。いかに微ほのかでも、この光の証人は自分だけのほかに誰もないのだ。これを天下に宣言するに誰を憚ることもいらぬ」と、このようなことがあったように覚えている。
自分はこれを読んだ時、深く感動した。これがセルフ・レライアンス(=自己信頼)だ、これが本当の自由だ、これが本当の独立不羈なるものだ。小さいといって自ら卑しめるに及ばぬ。小さいは小さいながらに、その持っているすべてを表現すればよいのだ、これがシンセリティ(=誠実)だと、こういう風に自分は感激したのだ。(・・中略・・)
エマスンの時代は、米国でも思想転換をやる時代であった。四囲の事情はもとより日本とは違っていた。が、新しいものをあこがれる気風は米国にもあった。ヨーロッパを通って入ってきた東洋思想すなわちインド思想は、ニュー・イングランドの思想家を動かした。そのスポークスマンになった一人はエマスンであった。日本の青年が彼を読んで、なんとなく共鳴せざるをえないのは、そのなかに東洋的なものがあるからではなかろうか。すなわち東洋的なものが、米国のはつらつとして若々しい人々の頭を濾過して来ると、その表現形式がまた清新の気がしてくるのである。(・・後略・・)


若き日に米国で暮らしていた大拙は、1900年頃のものだが、東海岸のコンコードにあるエマソンの墓の前で座禅している(上掲の写真)。この写真は『思い出の小箱からー鈴木大拙のこと』(岡村美穂子/上田閑照、燈影社、1997)に口絵として挿入されている。

大拙は、英文著書でもエマソンやその弟子のソローを引き合いに出して論じている。アメリカと東洋思想の接点がエマソンいあるからだ。

禅仏教の大家である大拙にとって、エマソンの『自己信頼』が根底にあって支えつづけたことが見て取れる。「自力」イメージの強い禅仏教だからだろう、そんな感想をもつかもしれない。

というのも、禅仏教とは異なるが、おなじく大乗仏教で絶対肯定を説く『法華経』の信者にも、エマソンは大きな影響をあたえているからだ。

たとえば、創価学会を大規模組織に育て上げた池田大作は、『新編 若き日の読書』(第三文明社、2023)に収録された「民衆に愛された哲人 『エマソン論文集』」で、戦後になってからであるが、エマソンの『自己信頼』が支えになったことを回想的に記している。池田氏は、「エマソンは、しっかり読みなさい」と恩師の戸田城聖から勧められたと書いている。



「民衆に愛された哲人 『エマソン論文集』」の小見出しを抜き出してみよう。池田氏がエマソンになにを感じていたかがわかることだろう。


「変動する時代」の空気を吸って
「実践とはただの形式ではない」
ハーバード大学での講演の波紋
人間主義を宣した「自己信頼」の哲学


この文章の末尾は、「民衆に生きる人は強い。民衆に愛される人は永遠である。ダイヤモンドのごときエマソンの生涯は、私たちに限りない勇気をあたえてくれる」と結んでいる。

このように見ていくと、戦前の明治時代前半の鈴木大拙や、戦後になってからの池田大作がそうであったように、「自力」の禅仏教や、「絶対肯定」を説く『法華経』信者が、「自己信頼」(セルフ・リライアンス)を説くエマソンと親和性が高いことがわかることだろう。



■鈴木大拙は浄土真宗への目線も有していた

ところが、鈴木大拙は禅仏教に限らず、浄土真宗への目線も有していた世界的仏教学者というのが真相に近い。この事実を押さえておくと、「他力」を説く浄土真宗であっても、エマソンの世界はけっして無縁ではないと言えるのではないだろうか。

大拙は、米国で11年間過ごしたのち、日本に帰国後は学習院で英語を教えていたが、その後に大谷大学に招聘され教鞭をとっていた。

大谷大学は、浄土真宗の東本願寺系統の教育機関である。大拙は、その環境で浄土真宗にも親しく接していたわけだ。戦後になってから、90歳になってからの最晩年の大仕事として、浄土真宗の宗祖・親鸞聖人による『教行信証』(きょうぎょうしんしょう)の英語訳を完成している。

もともと、大拙の母親が浄土真宗の「秘事法門」の信者で、大拙自身も少年時代にそれに触れさせられていたことも、無意識レベルで影響をあたえているのかもしれない。




大拙の主著でもっとも知られており、実際に読まれているのは『日本的霊性』であろう。鎌倉時代に生まれた新仏教こそ、日本的霊性(Japanese spirituality)を生み出したのでありう、その重要な要素が禅仏教と浄土真宗である、というのがその骨子である。


(大拙の英文著書から。禅画の仙厓と浄土真宗の光明思想)


大拙は、浄土真宗を教義の側面ではなく、南無阿弥陀仏の名号を唱えることで浄土真宗を生きた妙好人(みょうこうにん)を取り上げて論じている。これは、学習院時代の生徒であった民藝運動の柳宗悦と共通する。柳宗悦には『南無阿弥陀仏』という著書もある。前近代の工芸職人に浄土真宗の信者が多いことに注意を向けている。

「自力」と「他力」と対比されがちな禅と浄土教だが、大乗仏教であることは共通している。自力と他力が融合してこそ、日本的霊性は完成するのであり、大乗仏教も完成すると考えるべきなのであろう。

禅仏教における座禅という自発的に行う瞑想も、大いなる存在の覚醒を求めるものであり、浄土教における念仏という行為もまた、生活習慣化されるまでは自発性をともなうものだ。


■宗教から霊性(スピリチュアリティ)の時代こそエマソンが読まれるべき

キリスト教の牧師から講演家へと転身したのがエマソンである。形式主義に堕した宗教ではなく、霊性(スピリチュアリティ)の観点から、イエスを親しい存在と感じていたエマソンである。

そんなエマソンが、明治時代前半において中村敬宇や内村鑑三といったキリスト者、トルストイと同様洗礼を受けたものの決別した徳富蘇峰・徳冨蘆花の兄弟だけでなく、禅仏教の鈴木大拙、そして戦後には池田大作など、キリスト教以外の仏教者にも影響をあたえていることは、けっして不思議ではないのである。

米国の思想史家ヴァン・ミーター エイムズ(Van Meter Ames)は、『禅とアメリカ思想』(中田祐二訳、欧史社、1995)という著書で、エマソンを「アメリカの菩薩」としていることも紹介しておこう。

エマソンと仏教、このテーマはさらに深掘りして考えるべきである。



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・・ジャーナリストの杉村楚人冠の旧宅である記念館の書庫にあった旧蔵書に鈴木大拙の著作が英文のものも含めて多数架蔵されている。我孫子と柳宗悦、学習院で生徒だった柳宗悦と英語教師の鈴木大拙との師弟関係。鈴木大拙は学習院で英語教師として柳宗悦の先生であったことを想起すべきだろう。白樺派の面々はみな学習院出身者であった。さまざまな縁で、つながれた人たちが集まっていたわけだ。 


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2023年8月22日火曜日

書評『現代スピリチュアリティ文化論 ― ヨーガ、マインドフルネスからポジティブ心理学まで』(伊藤雅之、明石書店、2021)― 異文化としての東洋文化を受容した現代西欧の「スピリチュアリティ文化」を概観する

 

かつて書店の棚を多く占めていた「精神世界」は、現在では縮小傾向にある。それにとってかわったのが、いわゆる「スピリチュアル」のコーナーである。

1970年前後の米国発の「ニューエイジ」や「トランスパーソナル心理学」がその中核をなしていた「精神世界」は、日本では1980年代から「教養主義」にとって代わる存在となり、サブカルチャーからメインカルチャーへと進化していった。

カウンターカルチャーとしての「意識変容」、私的空間での「自分探し」、そして自己の「スピリチュアリティ」を意識し、宗教にとって代わるものとして存在感を増大させる流れ。

日本において、「精神世界」にいったんストップをかけたのが、1995年の「オウム真理教事件」である。

それじたいが「精神世界」の申し子ともいうべき「オウム真理教」は、そのいびつな世界観と暴力的で反社会的な行動によって自滅の道を突き進むことになる。

この事件の発生とともに、「精神世界」も退潮していった。危険視され忌避されるようになったためだ。

その後、TVメディアを舞台に一般化した「スピリチュアル」のブームは、2020年代の現在にいたるまでつづいている。もともとその土壌のある日本独自の展開もあるが、「スピリチュアリティ文化」はグローバル化した世界における同時的現象でもある。


1990年代後半から2020年にいたる「スピリチュアリティ文化」

『現代スピリチュアリティ文化論 ー ヨーガ、マインドフルネスからポジティブ心理学まで』(伊藤雅之、明石書店、2021)は、そんな同時代現象としての「スピリチュアリティ文化」について、1990年代後半から2020年にいたる四半世紀の動きについて、その展開の状況をトレースしたものだ。

宗教社会学の立場からの解説であり、フィールドワークにもとづく研究である。その前史となる『精神世界のゆくえー宗教・近代・霊性(スピリチュアリティ)』(島薗進、秋山書店、2007) を読んでおくと、より理解が深まるであろう。

全体で3部構成となっており、キーワードとしては、「スピリチュアリティ」「マインドフルネス」「ヨーガ」「ポジティブ心理学」「ネオ・アドヴァイタ」などが重要だ。目次には登場しないが「ハッピネス」「ウェルビーイング」がキーワードである。

いずれもカタカナ語であるのは、それらがみな英語圏で成立した「現代スピリチュアリティ 文化」の構成要素であるからだ。

「目次」を紹介しておこう。


目 次
はじめに 
第1部 現代スピリチュアリティ文化の理論と研究アプローチ
 第1章 現代スピリチュアリティ文化の歴史と現在 ― 対抗文化から主流文化へ
 第2章 21世紀西ヨーロッパでの世俗化と再聖化 ― イギリスのスピリチュアリティ論争の現在
 第3章 現代宗教研究の諸問題 ― オウム真理教とそれ以後 
第2部 現代幸福論とスピリチュアリティ文化の諸相
 第4章 マインドフルネスと現代幸福論の展開
 第5章 現代マインドフルネス・ムーブメントの功罪 ― 伝統仏教からの離脱とその評価をめぐって
 第6章 グローバル文化としてのヨーガとその歴史的展開
 第7章 「スピリチュアルな探求」としての現代体操ヨーガ 
第3部 スピリチュアリティ文化の開かれた地平
 第8章 ポジティブ心理学と現代スピリチュアリティ文化
 第9章 人間崇拝の宗教としてのヒューマニズム ― ヒューマニストUKの活動を手がかりとして
 第10章 「自己」論へのアプローチ ― エックハルト・トールとネオ・アドヴァイタ・ムーブメント 
おわりに
初出一覧
参考・引用文献一覧
索引


宗教学、宗教社会学、宗教心理学の講義用の「教科書」として出版されたものであり、既出論文をまとめたものなので、かならずしも読みやすくない。寄せ集め感が払拭されていないからだ。

現代の「スピリチュアリティ文化」は英米中心であり、あるいは英語圏が中心になっているので、日本における現象を考える際には、日本との共通点や落差に注意して読む必要がある。この点の考察は、本書ではやや弱いという印象を受ける。


■グローバル文化としての「現代体操ヨーガ」と「ネオ・アドヴァイタ」

とはいえ、本書で興味を引かれるのは「グローバル文化としてのヨーガ」についてである。著者はヨーガの実践者でもあるようだ。

もともとインドで生まれた瞑想法と一体となっていたヨーガだが、英国の植民地時代に導入された北欧発のスウェーデン体操とミックスして心身鍛錬の体操化し、これが欧米社会に拡がることで、21世紀の「現代体操ヨーガ」に進化していく。

これがインドに「逆輸入」され、さらにインドのソフトパワーとしてグローバル化がさらに促進されるという東西往還。仏教の瞑想法が起源の「マインドフルネス」と同様、「脱宗教化」してグローバルに拡大していった経緯がよく似ているのである。

インドといえば、「ネオ・アドヴァイタ」についても触れなくてはなるまい。「アドヴァイタ」(Advaita)とは、古代インドのウパニシャッド由来の思想であり、日本語では「不二一元論」と訳される。梵我一如である。ブラフマンはアートマンであるという思想。自我を超えた存在との合一。

この思想の現代英語圏での展開が「ネオ・アドヴァイタ」なのである。その代表的な存在が、ドイツ出身で英語圏で著作活動を行っているエックハルト・トールである。

エックハルト・トールについては本書ではじめて知ったが、「スピリチュアリティにかんして世界的にもっとも影響力のある人物」のトップに位置づけられているらしい。

ここではその思想について説明しないが、「エックハルト」という名前をつかっていることからもわかるように、ドイツ中世の神秘主義者マイスター・エックハルトをおおいに意識しているようだ。

前面には出さないが、やはり自分のバックグラウンドであるキリスト教が背景にあるようだ。マイスター・エックハルトの思想が禅仏教に似ていることは、鈴木大拙が指摘して以来、よく知られている

東西のスピリチュアリティ文化の融合が、エックハルト・トールには体現されているのであろう。


■異文化としての東洋文化を受容した現代西欧の「スピリチュアリティ文化」

そんな西洋文化の人間にとって、スピリチュアリティにかんする東洋文化は「外来文化」であり「異文化」である。

西洋においては、東洋がまったく異質な文化であったらからこそ、最初は抵抗があったものの、サブカルチャーからメインカルチャー化していったのである。著者によるこの指摘はきわめて重要だ。

チベット人のダライラマや、ベトナム人のティック・ナット・ハンなど、現在でも著名な人たちのように、最初はアジア人の指導者が多かったが、現在の西洋社会では東洋のスピリチュアリティ文化を咀嚼して自分のものとした西洋人の指導者が中心になっている。

英語圏を中心とした「現代スピリチュアリティ」は、もはや東洋文化というよりも、西洋文化の一部となっているのである。「現代スピリチュアリティ」は、いっけん東洋文化と親和性が高いように見えても、ホンモノの東洋文化とは異なる存在なのである。

だからこそ、いっけん日本でも受容しやすいように見えながら、西洋化した「現代スピリチュアリティ」がスムーズに定着しているわけではない。

日本を含めた東洋では、かえって仏教などの伝統文化からの反発もある。なにも「マインドフルネス」なんて輸入品の必要はない、昔からある「座禅」でいいではないか、というやつだ。それは反発といってもいいし、違和感といってもいい。

近代日本では、キリスト教などの西洋文化を受容して、「無教会派」などの「日本的キリスト教」を生み出した歴史がある。「日本化」である。キリスト教がまったくの「異文化」であったからこそ、可能となった文化変容だ。

その逆の事態が西洋では「現代スピリチュアリティ文化」として成立したわけだが、はたして今後の日本では、逆輸入された「現代スピリチュアリティ文化」がどうなっていくのだろうか。定着するのか、そうではないのか。

とはいえ、「マインドフルネス」や「現代体操ヨーガ」が、本来のわたしたち自身の伝統である「東洋の伝統的スピリチュアリティ」に目覚めるキッカケとなるなら、大いに意味のあることだろいえるだろう。

そんなことを考えさせてくれる「教科書」である。


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著者プロフィール
伊藤雅之(いとう・まさゆき)
愛知学院大学文学部宗教文化学科教授。1964年名古屋市生まれ。1998年、米国ペンシルバニア大学大学院社会学部博士課程修了(Ph.D)。専門は宗教社会学。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)



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2022年2月20日日曜日

書評『精神世界のゆくえ ― 宗教・近代・霊性(スピリチュアリティ)』(島薗進、秋山書店、2007)― 1980年代以降の日本で「教養主義」にとって代わった「精神世界」とは

 


昨年のことだが、たまたまブックオフの店頭で見つけて購入した本。これはじつに良い本を発掘したものだと、読んでみてわかった。 

もともとこのテーマには強い関心があるから購入したわけだが、1948年生まれの宗教学者・島薗進氏の著作を読むのはこれが初めてとなる。1996年刊の初版の改訂版とのことだ。 

この本は、研究書でありながら一般書としても読める内容で、幅広い視点による目配りの効いた、よく整理された内容には、読んでいて大いに頷くものを感じる。 


■1980年代以降の日本で「教養主義」にとって代わった「精神世界」 

とくに膝を打ちたくなったのが、「第3部 精神世界と知の構造の変化」である。「第3部」を構成する3章のなかでも「第8章 教養から精神世界へー高学歴層の自己形成の変容」である。 

この流れが顕在化し始めたのが1979年前後であり、1980年代以降は主流になっていたことが跡づけられている。 

なるほど、1981年に大学に入学したわたしの世代の人間は、多かれ少なかれ、ほぼ完全にこの流れにどっぷり浸かってきたのだと、現在から振り返ってみて大いに納得させられたのだ。 

この点は、わたしより1つ年上のエッセイスト・岸本葉子氏も、『生と死をめぐる断想』(中公文庫、2020)で述べており、共感するものがある。  

1973年のオイルショックで高度成長が終焉し、ノストラダムスの大予言やコックリさんなど、小学生時代に体験している世代である。近代合理主義の破綻が顕在化してきた時代を生きてきたわけだ。 

だからこそ、「精神世界」への親和性が高いのは当然であり、「教養主義」など見向きもしなかったのも当然なわけだな、と。わたしの場合は、合気道とヨーロッパ中世史がそれを増幅したような気もする。 

もちろん、1995年の事件を招いたオウムに流れたのは、そのごく一部であるが、既存の宗教からの離脱が進み、スピリチュアルの方向に向っていたのは、時代の流れといっていい。 


■米国発のニューエイジとニューサイエンス、そして日本
 
著者は、米国のカウンターカルチャー(対抗文化)から生まれてきた「ニューエイジ」や「ニューサイエンス」を踏まえたうえで日本への影響を論じて、それぞれグローバルな状況のなかに位置づける。 

著者は、この流れを「新霊性運動」ないし「新霊性文化」と命名し、その内容と意味について幅広く、かつ深く考察している。 「集団レベルの救い」から「個人レベルの癒やし」へのシフトは、先進国では共通に見られる現象なのである。ただし、もともと既存の宗教が弱い日本の特殊事情についての指摘は重要だ。 

現代社会を理解するうえで、「精神世界」の動向に注意を向ける必要があるのは、この流れが経済やビジネスとも密接な関係をもっているからだ。島薗進氏のその他の著作を読んでみたいと思う。 


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目 次
はじめに 
第1部 グローバルな現象としての精神世界
 第1章 精神世界とは何か
 第2章 ニューエイジ運動とその周辺
 第3章 新霊性運動
第2部 新霊性運動の体験と生の形
 第4章 ニューエイジ運動の多中心性ーチャネリング流行の意味
 第5章 ニューエイジャーの癒やしと救いーS・マクレーンの「自己自身への旅」
 第6章 自己変容体験とその参与観察ーセミナーの倫理と愛
 第7章 ニューサイエンス理論のなかの心ー心=意識は何をなしとげうるか
第3部 精神世界と知の構造の変容
 第8章 教養から精神世界へ-高学歴層の自己形成の変容
 第9章 精神世界の主流文化への浸透ー霊性的知識人の台頭
 第10章 新霊性運動と代替知運動ーある農業運動の事例から
第4部 現代世界のなかの新霊性運動
 第11章 セラピー文化のゆくえ
 第12章 宗教を超えて?ー新霊性運動と「宗教」観の変容
 第13章 救済とルサンチマンを超えて?ー現代宗教における「悪」について
 第14章 救済宗教と新霊性運動ー軸の時代からポストモダンへ
あとがき
索引


著者プロフィール
島薗進(しまぞの・すすむ)
1948年生まれ。東京大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得退学。東京大学名誉教授、上智大学神学部特任教授・同大学院実践宗教学研究科教授、同グリーフケア研究所所長(2021年度まで)、大正大学客員教授。専門は宗教学、近代日本宗教史、死生学。著書多数。


PS 『精神世界のゆくえー宗教・近代・霊性(スピリチュアリティ)』は、宝蔵館から2022年11月に『精神世界のゆくえ: 宗教からスピリチュアリティへ』と改題されて文庫化された。

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■「自分史」と精神世界-合気道とヨーロッパ中世史




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2020年5月7日木曜日

書評『輪廻転生 ― <私>をつなぐ生まれ変わりの物語』(竹倉史人、講談社現代新書、2015)― 科学的精神の持ち主こそ読んでほしい本



輪廻転生-<私>をつなぐ生まれ変わりの物語』(竹倉史人、講談社現代新書、2015は、「輪廻転生」をめぐる入門書であり、かつ科学的精神の持ち主にこそ読んでほしい本だ。

「輪廻転生」というと非科学的だと一方的に決めつけていては、けっして科学的だとはいえない。科学的に実証されたわけではないものの、「輪廻転生」を否定できる根拠が確立しているわけでもない。輪廻転生がないと言い切れるのは、いわゆる「科学信仰」の持ち主か、たんなる無知のいずれかである。

著者は、宗教人類学の上田紀行氏のもとで宗教人類学を学んでいる学徒であるが、その姿勢は一貫して学問的であり、科学的であるといえる。

まずは、「輪廻転生」を3つに分類する。


1. 伝統社会で生まれた一族内での生まれ変わり 
2. インドで生まれた輪廻転生(サンサーラ)の思想 
3. 近代西欧で生まれたリーインカーネーションの思想


伝統社会における「生まれ変わり」は、生まれてきた子どもに、祖父母の名前をつけるという風習によく現れている。伝統社会では、生まれ変わりは当然のことと受け止められていたが、あくまでも一族のなかで転生を繰り返すと受け止められてきた。

狭い意味での「輪廻」といえば、古代インドで生まれ、ヒンドゥー教に引き継がれた「サンサーラ」(samsara)の世界観であり、日本人も伝統的に仏教をつうじて慣れ親しんできたものだ。

ただし、輪廻から脱するのが覚醒者ブッダの理想であったが、その後に発展した大乗仏教では真逆になってしまっている。輪廻から脱することは、まず普通の人間にはできないことだからだ。せいぜいのころ、人間に使役される牛馬に転生しないことを祈るばかりというのが、前近代社会における一般庶民の願いとなっていたわけだ。

チベット仏教でもまた「輪廻転生」を重視していることは、ハリウッド映画『リトルブッダ』や、最高指導者のダライ・ラマ自身が、転生によって継承されてきた事実によってよく知られていることだ。現在のダライ・ラマ14世法王の死後、中国共産党が介入することが間違いないので懸念されている。

「生まれ変わり」を「リーインカーネーション」(re-incarnation:再-受肉)として訳してしまうと、意味のズレが生じることが、本書を読むとよく理解できる。これは、あくまでも近代になってからフランスで生まれた概念であり、伝統社会のそれや古代インドの思想的系譜にあるものではない

もちろん、キリスト教以前の古代ギリシアにおいても、ピュタゴラスは輪廻転生を信じており、ピュタゴラス教団は輪廻転生とベジタリアンをもって知られていた。そして、この両者は密接な関係にあり、プラトンを経由してキリスト教思想にも流れ込んでいる。 

著者によれば、現代日本には、この3類型が同時に存在するという。じつに興味深い指摘だ。伝統社会の風習をいまなお残しているうえに、仏教が継承した古代インドの輪廻(サンサーラ)が社会に浸透し、さらに近代になってからはキリスト教的なリインカーネーション的な転生も受け入れてきたわけだ。

日本が、さまざまな事物の集積地帯であるのと同様、輪廻転生の思想においても集積地帯となっているのは、ある意味では当然というべきなのだろう。
 
なんといっても印象深いのは、「第4章 前世を記憶する子どもたち」だ。「前世を記憶する子どもたち」の存在によって「死後の世界」が実証可能かという研究が、米国では大学医学部で(!)行われ続けており、事例の相当数が蓄積されているという事実だ。あくまでも医学研究の一環として、科学的研究が行われているのだ。

本書に取り上げられた「前世を記憶する子どもたち」の事例を読んでいると、あながち否定できないのではないかという気持ちにさせられるのは、私だけではないだろう。

いや、私自身、輪廻転生を否定しているのではない。調査によれば「日本人の約4割が輪廻転生を信じている」というが、わたしもそのなかに入れてもらってもいい。より正確にいえば、「そうであっても不思議ではない」と考えている、ということだ。

帯にあるように「輪廻転生、それは生きる力を与えてくれる観念」というフレーズに、大いに共感を感じている。本書を読んだ人の多くは、そう思うことであろう。

それは「死後の世界」をつうじての「つながり」の確認なのである。死ねば終わり、ではないのだ。「つながり」感覚が、生きている人間の存在を支えるのである。

それでもなお「輪廻転生」や「生まれ変わりに」の存在について疑問に感じている人もいるだろう。冒頭にも書いたように、むしろ、そんな人ほど、読むべき1冊だといっていい。大いに薦めたい。


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目 次
はじめに
プロローグ 世界中に広がる「輪廻転生」
第1章 再生型-自然のなかを循環する人間
第2章 輪廻型-古代インド起源の流転の思想
第3章 リインカネーション型-近代版生まれ変わり思想 
第4章 前世を記憶している子どもたち 
第5章 日本における生まれ変わり 
エピローグ 輪廻転生とスピリチュアリティ文化のゆくえ 
おわりに 「看取り大国ニッポン」に寄せて 
主な参考文献



著者プロフィール 
竹倉史人(たけくら・ふみと) 
1976年、東京都生まれ。東京大学文学部思想文化学科を卒業後、予備校講師などを経て、東京工業大学大学院修士課程に入学。現在、同大学院社会理工学研究科博士課程に在籍中。専門は宗教人類学。日本社会を中心に現代宗教やスピリチュアリティについて考察。とりわけ「輪廻転生」と呼ばれる死生観に注目している(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。


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