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2015年7月12日日曜日

書評 『ユダヤ人の思考法』(大嶋仁、ちくま新書、1999)-ユダヤ系フランス人にとっての「西欧近代」と日本人にとっての「西欧近代」


1999年に購入してすでに読んでいたが、内容をすっかり忘れ去っていた本を再読すると、これがものすごく面白い。再読した現在(*)のわたしの関心とジャストフィットしているからだろう。

この本に著者のメッセージは、以下の一文に尽きるだろう。

二つの民族の共通性を挙げるなら ・・(中略)・・ 私の考えでは少なくともひとつあります。それは、ユダヤ人も日本人も長いあいだ伝統的な共同体生活をしてきたのだが、急に西欧近代社会と接することになり、そこで「近代化」の葛藤を経験してきたということです。この近代における運命の共通性は、知れば知るほど私たちの現在を知ることに役立つし、私たちの今後を考える指針にもなり得ると思います。
ゲットーの共同生活から近代社会に出ていったユダヤ人たちの状況は、鎖国状態から西欧文明との出会いを通じて近代化を強いられた日本人の状況に比することができる。したがって、西欧世界との葛藤から生まれた近代ユダヤ思想は、少なからず似たような道を歩んできた日本人にとって、意味があると思うのです。(P.15~16)

集中居住地域とされていたゲットーから解放され、19世紀初頭から遅れて西欧社会に入ってきたユダヤ人は、自分たちの「伝統」を守るため、西欧社会との「同化」をどう実行し、しかしそのために多くの「葛藤」を味わっただけでなく、ホロコーストという悲劇に巻き込まれることとなる。

いわゆる「鎖国」が実現した「パックス・トクガワーナ」で平和を享受していた日本人は、19世紀後半から西欧社会に参入し、「上からの近代化」によって西欧社会との「同化」を実行するが、そのために多くの「葛藤」を味わっただけでなく、原爆投下という悲劇に巻き込まれることになる。

こうした大きな悲劇がユダヤ人と日本人に起こったということは、ある意味では両方とも共通の近代をあゆんできたということから理解できます。両民族とも西欧近代の文明そのもののに挑戦したがために、「出る釘は打たれる」の論理で罰せられたのです。(P.187)

もちろん、これは単純化した図式的理解ではあるが、おなじく「非西欧民族」が西欧近代化を通じてたどった軌跡として、比較するに値することだ。

本書は、『ユダヤ人の思考法』(大嶋仁、ちくま新書、1999)とシンプルなタイトルだが、聖書やタルムードなどから「ユダヤ的思考」を抽出するといったタイプの本ではない。

アルゼンチンでユダヤ人とユダヤ思考に出会ったことによって救われたという著者が、フランス系ユダヤ人の思考の軌跡を追っていくいことで、おなじく「近代化」を体験してきたユダヤ人の体験と思想から、日本と日本人について考察した内容のものだ。

その意味では、「ユダヤ人にとっての「近代」 日本人にとっての「近代」といったような副題をつけたほうが、読者には親切だったのではないだろうか。さらにいえば、「フランス系ユダヤ人にとっての「西欧近代」といったほうが、より正確に内容を表現したものとなる。

たとえば、哲学者アンリ・ベルグソンが、かなり早くから日本で受容された理由と、それでもなお読みこめていない理由の記述が興味深い。ドイツのユダヤ系の哲学者フッサールと同時代人であったベルグソンについては、国際連盟をつじて深いかかわりのあった新渡戸稲造についての言及がないのは残念だが。

そして社会学者エミール・デュルケーム。『自殺論』というフランス社会学の古典的名著の著者であるデュルケームは、ユダヤ教の聖職者であるラビの家系に生まれながら、ラビの人生を選択しなかった人だ。デュルケーム社会学のエッセンスは、既存の秩序が崩壊する際に出現するアノミー状態(=規範なき状態)の考察にあるが、彼の出自を考えれば納得するものがある。

ちなみに、日本にも大きな影響を与えてきた社会学者で人類学者のマルセル・モースや、歴史学者のマルク・ブロックは、デュルケームの親類にあたる人たちだ。いずれもドイツとフランスの境界にあるアルザス地方の出身である。

このほか取り上げられているユダヤ系フランス人の思想家は、レヴィ=ブリュエルやレヴィ=ストロース、シモーヌ・ヴェイユなど多数あるが、いずれも「近代西欧」の震源地であるフランスにおいて、現実と格闘しながら生きて考えつづけたユダヤ人である。

フランス革命という「近代化」の震源地となったフランスと、「フランス革命」の影響を受けながらも国家統一までの道のりが長く、かなり遅れて「近代化」が始まったドイツとでは、そのなかで生きたユダヤ人にとってもおのずから意味合いが異なっていることにも気づかされることだろう。人は環境の影響をつよく受ける生き物でもあるからだ。

その意味では、本書では取り上げられることのない、アメリカという普遍文明(?)で全面的に開花した「普遍志向のユダヤ人」についての思考はまた別途なされるべきものだろう。アメリカ文明(・・とくに北米のアメリカ合衆国)は西欧文明の延長線上にあるとはいえ、欧州と米国の違いはかなり大きい。著者自身は南米アルゼンチンでの体験を別途詳細に語っている

西欧近代との関係において、合わせ鏡のような関係にある日本人とユダヤ人。本書では、もっぱら共通性についてさまざまな事例をつうじて論じられているが、もちろんこの両者には大きな差異がある。

共通性と相違性の両者から、日本人とユダヤ人の比較を考えてみることは、日本人が21世紀以降に生きていくうえで不可欠なことだという著者の論旨には全面的に賛成である。



(*注)  2013年に書き始めた文章である。2015年のいま、再編集しながら書き直した。




目 次

第1章 「考える心」とは何か
第2章 共通の記憶を求めて
第3章 近代の病
第4章 神話的論理の可能性
第5章 文明人の中の原始人
第6章 「社会」の発見と創造
第7章 悲劇からの再生
あとがき


著者プロフィール

大嶋 仁(おおしま・ひとし)
1948年生まれ。1980年東京大学大学院博士課程(比較文学比較文化)修了。バルセロナ、リマ、ブエノスアイレス、パリで教鞭を執った後、現在福岡大学人文学部教授。専攻は比較文学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。



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書評 『精神分析の都-ブエノス・アイレス幻視-(新訂増補)』(大嶋仁、作品社、1996)-南米アルゼンチンの首都ブエノスアイレスは、北米のニューヨークとならんで「精神分析の都」である


フランス系ユダヤ人と「西欧近代」

映画 『ノーコメント by ゲンスブール』(2011年、フランス)をみてきた-ゲンズブールの一生と全体像をみずからが語った記録映画
・・スラブ系ユダヤ人ピアニストの父をもつフランスのアーチスト。ベルグソンもまたポーランド系ユダヤ人ピアニストの父をもつフランスの哲学者

書評 『現代世界と人類学-第三のユマニスムを求めて-』(レヴィ=ストロース、川田順造・渡辺公三訳、サイマル出版会、1986)-人類学的思考に現代がかかえる問題を解決するヒントを探る
・・日本びいきの人類学者レヴィ=ストロースも、日本に多大なる影響を与えてきた人

書評 『日本の文脈』(内田樹/中沢新一、角川書店、2012)-「辺境日本」に生きる日本人が「3-11」後に生きる道とは?
・・おなじフランス系思想をベースにしたものであっても、内田樹の『私家版 ユダヤ文化論』より『ユダヤ人の思考法』(大嶋仁)のほうがはるかに面白く感じられる。それは問題意識のあり方の違いであろう


ドイツ系ユダヤ人と「西欧近代」

『蛇儀礼』 (アビ・ヴァールブルク、三島憲一訳、岩波文庫、2008)-北米大陸の原住民が伝える蛇儀礼に歴史の古層をさぐるヒントをつかむ
・・「西欧人でありながらユダヤ人であることに悩みつづけた著者は、ハンブルクの著名な銀行家ヴァールブルク家の長男に生まれながら家督相続を拒否し、さらにはユダヤ教からも遠ざかるのですが、いくら自分の意識のなかでユダヤ性を遠ざけても、自分を見る周囲の目にはユダヤ人でしかないという矛盾を感ぜずにはいられないのでした。こうした自己認識と他者認識のズレが繊細な精神をもつ著者を、最終的に精神の病に追い込んだようです。
ドイツ人という西欧人であるはずの自分のなかに棲むユダヤというオリエント性、それは「魔術からの解放」されたはずの近代人の「合理性」のなかにひそむ古代人の「非合理性」を発見せざるをえないことのキッカケになったのかもしれません。
近代西欧世界に生きてききたユダヤ人の宿命、これは強いられた開国によって近代化=西欧化の世界に生きることになった日本人と共通する問題かもしれません。しかし、みずからの内なる古代性を発見するのに、日本人の場合は北米のインディアン(=ネイティブ・アメリカン)を見る必要はなかったといっていいでしょう。なぜなら、近代日本においてもそこらじゅうに古代日本が転がっているからです。これは21世紀の現在でも変わりません。」

書評 『対話の哲学-ドイツ・ユダヤ思想の隠れた系譜-』(村岡晋一、講談社選書メチエ、2008)-生きることの意味を明らかにする、常識に基づく「対話の哲学」
・・フランス革命以降の啓蒙精神のなか、ドイツに「同化」したユダヤ人」が、20世紀になってから「同化」を捨て、父祖の宗教であるユダヤ教にアイデンティティを見いだす自己探求の旅の思索は、日本人にとっても無縁ではない、いやむしろ共感さえ覚えるのである

『ユダヤ教の本質』(レオ・ベック、南満州鉄道株式会社調査部特別調査班、大連、1943)-25年前に卒論を書いた際に発見した本から・・・
・・ベルリンの主任ラビを務め、第二次大戦後アメリカに移住したレオ・ベックが説く「ユダヤ教の本質」は、じつによく日本(教)と似ていることに驚かされる


日本人と「西欧近代」

書評 『日本近代史の総括-日本人とユダヤ人、民族の地政学と精神分析-』(湯浅赳男、新評論、2000)-日本と日本人は近代世界をどう生きてきたか、生きていくべきか?
・・「近代世界のメインストリームである欧米西洋社会に入ってきた新参者としての苦労と悲哀、成功と失敗、いまなお残る差別。これは表層をみているだけではけっしてわからない、精神の深部に沈殿している憎悪である。畏怖からくる差別感情であろう。日本民族より少し前に、欧米中心の近代世界のなかに参入し、畏怖とともに差別されてきたが、したたかにかつ毅然と生き抜いてきたユダヤ民族から学ぶべきものはきわめて大きい」 基本的な問題関心のあり方に 『ユダヤ人の思考法』(大嶋仁、ちくま新書、1999)と共通するものがある

『近代の超克ー世紀末日本の「明日」を問う-』(矢野暢、光文社カッパサイエンス、1994)を読み直す-出版から20年後のいま、日本人は「近代」と「近代化」の意味をどこまで理解しているといえるのだろうか?

福澤諭吉の『学問のすゝめ』は、いまから140年前に出版された「自己啓発書」の大ベストセラーだ!

日本が「近代化」に邁進した明治時代初期、アメリカで教育を受けた元祖「帰国子女」たちが日本帰国後に体験した苦悩と苦闘-津田梅子と大山捨松について
・・とくに津田梅子は帰国した時点でほぼ完全に日本語を忘れていたのである

語源を活用してボキャブラリーを増やせ!-『ヰタ・セクスアリス』 (Vita Sexualis)に学ぶ医学博士・森林太郎の外国語学習法
・・「津和野の人 森倫太郎」として死んだ鴎外にとっては西欧近代は上半身にしか過ぎなかったのか?

詩人・佐藤春夫が、おなじく詩人・永井荷風を描いた評伝  『小説 永井荷風伝』(佐藤春夫、岩波文庫、2009 初版 1960)を読む
・・永井荷風にとっての「西欧近代」とは「個」に徹底的にこおだわることであった

「精神の空洞化」をすでに予言していた三島由紀夫について、つれづれなる私の個人的な感想
・・近代化する日本との相克に身を引きちぎられる思いをしていた

書評 『「肌色」の憂鬱-近代日本の人種体験-』(眞嶋亜有、中公叢書、2014)-「近代日本」のエリート男性たちが隠してきた「人種の壁」にまつわる心情とは
・・非西欧人としての日本人の実存

(2015年7月17日 情報追加)





(2012年7月3日発売の拙著です)










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