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2015年7月2日木曜日

映画 『ターナー、光に愛を求めて』(英国・ドイツ・フランス、2014)を見てきた(2015年7月1日)-英国が生んだ風景画家の巨匠ターナーの知られざる後半生を描いた「動く絵画」



ターナーという画家の作品は、夏目漱石が『草枕』のなかで取り上げて以来、日本でもなじみのある存在だろう。風景画という点も、日本人好みなのかもしれない。黄色を中心にした独特の色づかいで光を捉えた作品は、フランス印象派にも大きな影響を与えている。

ターナーの正式名は、ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー(Joseph Mallord William Turner)。1775年に生まれ、1851年に76歳で亡くなった、英国ロマン派の風景画家である。

ターナーの前半生は、対岸の欧州大陸ではフランス革命とナポレオン戦争で動乱した時代。ネルソン提督のトラファルガーの海戦がターナーの代表作であるのはそのためだ。ターナーの後半生の英国は、ヴィクトリア女王の治世で大英帝国の最盛期にあたる。機械文明への過渡期の時代でもある。

(ミニサイズのリーフレット)

だが、ターナーという画家がどんな人物であったのかまで知られているわけではない。わたしも黄色を中心にした独特の色づかいの作品にはなじみがあったものの、どんな生涯を送った人であるかまで考えたことはなかった。おなじく黄色系統を好んだゴッホとの違いである。


この映画に登場するターナー氏(・・オリジナルのタイトルは Mr. Tuner とそっけないものだ)は、いわゆる典型的な英国紳士を擬人化したジョン・ブル(John Bull)のような肥満体の短軀で、自画像のようなハンサムとはほど遠い。


天才画家ではあったが、ハンサムとはほど遠く、しょっちゅう奇妙なうなり声をあげる容貌魁偉(ようぼうかいい)な中年男。正直いって好きになるようなタイプではない。英国にはよく登場する奇人変人系の人物として描かれている。


印象的なのは、嬉々として息子の助手をつとめていた元理髪師の父親が亡くなったときに見せた、ターナーの目尻ににじみ出る涙のシーン。激しく泣き叫ぶのでもなく、むせび泣くのでもない。静かな喪失感が画面から伝わってくる。抑制された演技が悲しみの深さを表現している。演技であることさえまったく感じさせない名演技である。

(Rain Steam and Speed the Great Western Railway  晩年の1844年)

ターナーを激賞した美術批評家のラスキンが登場するが、この映画のなかでは美男子だが狂言回しのような役割を演じている。ターナー後の19世紀末英国で主流となったラファエロ前派に否定的であったラスキンの存在を知っていれば、この映画をより楽しむことができるだろう。ターナー自身は機械文明すら絵画のテーマとした人である(・・上掲の作品はその一例)。

日本版のタイトルは、『ターナー、光に愛を求めて』となっているが、この映画をうまく表現したものといえうだろう。知られざるターナーの素顔を描いた、それ自体が絵画のような美しい色彩の映画である。映画じたいが動く絵画(moving picture)になっている。同じく光の画家であったフェルメールとその有名な絵画のモデルを描いた映画 『真珠の首飾りの少女』と並び賞されるべきだろう。カメラ・オブスキューラが登場する点も共通している。

あるいはターナー氏の人間くささを味わうことができる、酸いも甘いもかみしめた中高年以上の大人向け映画というべきだろうか。






<関連サイト>

映画「ターナー、光に愛を求めて」 オフィシャルウェブサイト


<参考> 夏目漱石とターナー

夏目漱石の『草枕』における画家ターナーへの言及は2カ所ある。『草枕』はネット上の「青空文庫」で公開されているので、関連箇所を引用しておこう。いずれも小説の前半部分である。

この故に天然にあれ、人事にあれ、衆俗の辟易(へきえき)して近づきがたしとなすところにおいて、芸術家は無数の琳琅(りんろう)を見、無上の宝※(「王+路」、第3水準1-88-29 ほうろ)を知る。俗にこれを名なづけて美化と云う。その実は美化でも何でもない。燦爛(さんらん)たる彩光(さいこう)は、炳乎(へいこ)として昔から現象世界に実在している。ただ一翳(いちえい)眼に在(あ)って空花乱墜(くうげらんつい)するが故に、俗累(ぞくるい)の覊絏牢(きせつろう)として絶ちがたきが故に、栄辱得喪(えいじょくとくそう)のわれに逼(せ)まる事、念々切(せつ)なるが故に、ターナーが汽車を写すまでは汽車の美を解せず、応挙(おうきょ)が幽霊を描えがくまでは幽霊の美を知らずに打ち過ぎるのである。
    ・・(中略)・・
「いいや、今に食う」と云ったが実際食うのは惜しい気がした。ターナーがある晩餐(ばんさん)の席で、皿に盛もるサラドを見詰めながら、涼しい色だ、これがわしの用いる色だと傍(かたわら)の人に話したと云う逸事をある書物で読んだ事があるが、この海老と蕨(わらび)の色をちょっとターナーに見せてやりたい。いったい西洋の食物で色のいいものは一つもない。あればサラドと赤大根ぐらいなものだ。滋養の点から云ったらどうか知らんが、画家から見るとすこぶる発達せん料理である。そこへ行くと日本の献立(こんだて)は、吸物(すいもの)でも、口取でも、刺身さしみでも物奇麗(ものぎれい)に出来る。会席膳(かいせきぜん)を前へ置いて、一箸(ひとはし)も着けずに、眺めたまま帰っても、目の保養から云えば、御茶屋へ上がった甲斐かいは充分ある。

夏目漱石(1867~1916)が文部省からの派遣で英語教育法研究のためロンドンに留学していたのは、20世紀前後の1900年から1902年にかけてである。

漱石は、画家ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー(1775~1851)とは同時代ではない。漱石の時代には、すでに風景画家としてのターナーの評価が定まっていたようだ。

「ターナーが汽車を写すまでは汽車の美を解せず」と漱石が書いているが、これは上掲の Rain Steam and Speed the Great Western Railway を指している。ターナー晩年の1844年の作品で、この絵についても映画にシーンがある。

漱石が好んだのは、留学時代と同時代であった、英国世紀末のラファエル前派のほうである。




<ブログ内関連記事>

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・・ターナーの生きた時代は、大英帝国が最盛期を迎えたヴィクトリア女王の時代である

書評 『大英帝国の異端児たち(日経プレミアシリーズ)』(越智道雄、日本経済新聞出版社、2009)-文化多元主義の多民族国家・英国のダイナミズムのカギは何か?

「ザ・ビューティフル 英国の唯美主義1860~1900」(三菱一号館美術館)に行ってきた(2014年4月15日)-まさに内容と器が合致した希有な美術展
・・ターナー後の英国美術。漱石が好んだのはラファエル前派




(2012年7月3日発売の拙著です)








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