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2015年11月25日水曜日

「戦後70年」とは三島由紀夫が1970年に45歳で自決してから45年目にあたる年だ(2015年11月25日)

(三島由紀夫は自衛隊市ヶ谷駐屯地で自決した)

45年前のきょう(1970年11月25日)、三島由紀夫が自決した。45歳であった。

ことし2015年は「戦後70年」である。つまり、「戦後70年」とは「三島由紀夫が1970年に45歳で自決してから45年目にあたる年」ということにもなる。

老醜をさらすことを極度に嫌っていた三島由紀夫のことだから、「生きていれば・・・」という発言はナンセンスというべきだろう。享年の45歳の姿で永遠に記憶されることとなったからである。

三島由紀夫が自決した1970年(昭和45年)は、日本が敗戦してから25年の年であった。すでに25年たっていたというべきか、あるいはまだ25年しかたっていなかったというべきか。

大阪万博が開催された1970年は「高度成長」の絶頂期であったが、わずかその3年後の1973年に発生した石油ショックで「高度成長」が終焉するとは、三島由紀夫も予想できなかったのかもしれない。

1970年はまた新左翼主導の学生運動の絶頂期であったが そのわずか2年後の1972年におきた浅間山荘事件で学生運動が一気に収束するとは、三島由紀夫も予想できなかったのかもしれない。

1970年はいまだベトナム戦争がエスカレートしていた最中であったが、その3年後の1973年にはニクソン大統領が戦争終結を宣言し、米軍はベトナムから撤退することになる。

そう、1970年11月25日は、まさに激動の時代の最中だったのである。熱い時代だったのである。

 いわゆる「三島事件」があったとき、わたしはまだ小学校低学年であったので、当然のことながらその本質はわからなかった。大人たちが騒いでいたことは覚えている。 スキャンダラスな事件として、ワイドショー的なネタとして。

三島由紀夫の自決から45年もたっているが、はたして「精神の空洞化」は解消したといえるのだろうか?45年たったいまも、三島由紀夫が日本人に突きつけた問いの意味は失われていないのではないだろうか。

三島由紀夫が、自らの死をもって日本人に対して突きつけた問いは、日本人が存在しつづける限り、半永久的につき刺さったトゲとして消えることはないのではないか?

三島由紀夫が突きつけた問いに対して、ストレートに応えることのできない自分に「もどかしさ」を感じている。「もどかしさ」としか表現のしようがないのだ。









<ブログ内関連記事>

「憂国忌」にはじめて参加してみた(2010年11月25日)
・・三島由紀夫の命日が「憂国忌」である

「行動とは忍耐である」(三島由紀夫)・・・社会人3年目に響いたコトバ

「精神の空洞化」をすでに予言していた三島由紀夫について、つれづれなる私の個人的な感想


「憂国」と二二六事件関連

二・二六事件から79年(2015年2月26日)-「格差問題」の観点から「いま」こそ振り返るべき青年将校たちの熱い思い

書評 『近代日本の右翼思想』(片山杜秀、講談社選書メチエ、2007)-「変革思想」としての「右翼思想」の変容とその終焉のストーリー
・・ユートピア論の観点からみると、日本ではすでに1936年には「右翼」は終焉し、「左翼」もまた1991年には完全に消滅した


■1970年前後という時代

沢木耕太郎の傑作ノンフィクション 『テロルの決算』 と 『危機の宰相』 で「1960年」という転換点を読む
・・遅れてきた右翼少年によるテロをともなった「政治の季節」は1960年に終わり、以後の日本は「高度成長」路線を突っ走る。「世界の静かな中心」というフレーズは、 『危機の宰相』で沢木耕太郎が引用している三島由紀夫のコトバである。

映画 『バーダー・マインホフ-理想の果てに-』(ドイツ、2008年)を見て考えたこと
・・三島由紀夫と同時代の1960年代は、日本でもドイツでもイタリアでも「極左テロの季節」であった

書評 『高度成長-日本を変えた6000日-』(吉川洋、中公文庫、2012 初版単行本 1997)-1960年代の「高度成長」を境に日本は根底から変化した
・・「日本はなくなって、その代はりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目のない、或る経済大国が極東の一角に残るのであらう。それでもいいと思ってゐる人たちと、私は口をきく氣にもなれなくなってゐるのである。」(三島由紀夫)


ユートピアと革命幻想の終焉

「ユートピア」は挫折する運命にある-「未来」に魅力なく、「過去」も美化できない時代を生きるということ
・・「三島由紀夫が「盾の会」の制服を、辻井喬(=堤清二)の西武百貨店に依頼してつくってもらったことが『ユートピアの消滅』に回想されているが、この二人は主義思想の違いを超えて親しかったというだけでなく、同質の人間として、同じような志向を逆向きのベクトルとして共有していたというわけなのだ。つまり二人とも絵に描いたような「近代人」、しかも「近代知識人」であったということだ。」

(2015年11月30日 情報追加)




(2012年7月3日発売の拙著です)










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