「アタマの引き出し」は「雑学」ときわめて近い・・日本マクドナルド創業者・藤田田(ふじた・でん)に学ぶものとは?

◆「アタマの引き出し」つくりは "掛け算" だ : 「引き出し」 = Σ 「仕事」 × 「遊び」
◆酒は飲んでも飲まれるな! 本は読んでも読まれるな!◆ 
◆一に体験、二に読書、その体験を書いてみる、しゃべってみる!◆
◆「好きこそものの上手なれ!」◆

<旅先や出張先で本を読む。人を読む、モノを読む、自然を読む>
トについてのブログ
●「内向きバンザイ!」-「この国」日本こそ、もっとよく知ろう!●

■■ 「むかし富士山八号目の山小屋で働いていた」全5回 ■■
 総目次はここをクリック!
■■ 「成田山新勝寺 断食参籠(さんろう)修行(三泊四日)体験記 」全7回 ■■ 
 総目次はここをクリック!
■■ 「庄内平野と出羽三山への旅」 全12回+α - 「山伏修行体験塾」(二泊三日)を中心に ■■
 総目次はここをクリック!


「個」と「組織」のよい関係が元気をつくる!

「個」と「組織」のよい関係が元気をつくる!
ビジネス寄りでマネジメント関連の記事はこちら。その他の活動報告も。最新投稿は画像をクリック!



ご意見・ご感想・ご質問 ken@kensatoken.com にどうぞ。
お手数ですが、コピー&ペーストでお願いします。

© 2009~2026 禁無断転載!



ラベル 三島由紀夫 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 三島由紀夫 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2025年11月24日月曜日

40年目にして初めて日本公開が実現したという幻のハリウッド映画『Mishima』(1985年、米国)をDVDでひさびさに視聴(2025年11月23日)― 米国版のDVDなら現在でも入手可能だが、日本でもぜひ一般公開すべきであろう。

 

米国で公開されてから40年目に初めて日本公開が実現したという、幻の映画『Mishima』(1985年、米国)をDVDでひさびさに視聴した(2025年11月23日)。11月25日は三島由紀夫が自決してから55年になる。 

若き日のロバート・デニーロが主演したハリウッド映画『タクシードライバー』(1976年)の脚本を担当したポール・シュレーダーによる1985年度の作品。総指揮は、フランシス・コッポラとジョージ・ルーカス。 

当時は右翼の反発を恐れて、日本での公開が行えなかったという、いわくつきの作品だ。

名のみ高くして見ることの叶わないこの作品をなんとかして見たいと思って、米国の amazon.com から取り寄せたのは、2000年代の半ばだったと思う。それから20年近くたつ。 




原題を Mishima: A Life in Four Chapters という、三島の生涯を主要作品を軸に4部構成で描いたこの作品は、日本人俳優によるセリフはすべて日本語、三島の語りを活かしたナレーションは英語による。米国版のDVDでは日本語セリフに英語字幕がつく。 

初めて視聴したときの印象は、やはりなんといっても豪華絢爛だが前衛的な舞台装置であった。とくに金閣寺の模型と、砂に埋まった鳥居はインパクトがあって、ずっと記憶に残っていた。 そして、若き日の沢田研二の妖しい魅力と、右翼学生を演じた永島敏行の存在感。三島を演じた緒形拳には、ちょっと違和感を感じたものだった。 




だが、今回あらためて視聴してみて思うのは、この作品をすばらしいものとしたのは、緒形拳の迫真の演技があってこそ、ということだ。 

4部構成の最後は「ペンと剣の調和」と題されており、三島最後の日を描いたものだ。1970年11月25日、つまり三島の自決後に「憂国忌」となった日のことである。文武両道の意味。美を守るための武。そして、武の象徴であり、美の象徴でもある日本刀。 

「盾の会」の制服を着用し、森田必勝を含む学生4人とともに、いとも簡単に東部総監室に入ることができた三島由紀夫たち。そして、バルコニーからの演説と失望、三島みずからが監督主演した映画『憂国』をなぞるように自決に到るシーン。 




ラストは、義のために立ち上がり、美に殉じ、みずから死を選んでいった登場人物たちのシーンが走馬燈のように流れて行く。 このシーンを見ていながら、三島以前の日本の長い歴史、三島以後の短い歴史のなかで自刃した日本人たち(・・腹を切った男性たちが圧倒的多数だが、匕首で喉を突いた武家の女性たちもまた)を思い、熱いものがこみ上げてくるのを感じたのであった。 

つい最近、なにかに導かれるように乃木大将が自刃した部屋の前に立ったことが、そんな感想を引き出したのかもしれない。 


 







幻の映画『Mishima』は、今回40年目にして初めて映画祭での特別上映が実現したということだが、ぜひ一般公開すべきであろう。米国版のDVDなら現在でも入手可能だ。


「憂国忌」を前にして、あらためて三島由紀夫の自決の意味を考える今日この頃である。


 (画像をクリック!


<関連記事>

読売新聞オンライン: 映画「MISHIMA」ポール・シュレイダー監督に聞く…「三島由紀夫は三島由紀夫を創作した」 

クーリエ・ジャポン: 映画『MISHIMA』のシュレイダー監督が米紙に明かした「日本での抵抗」 


<ブログ内関連記事>







(2025年1月24日発売の拙著です 画像をクリック!

(2023年11月25日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年12月23日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年6月24日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年11月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年10月22日発売の拙著です 画像をクリック!

 (2020年12月18日発売の拙著です 画像をクリック!

(2020年5月28日発売の拙著です 画像をクリック!

(2019年4月27日発売の拙著です 画像をクリック!

(2017年5月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2012年7月3日発売の拙著です 画像をクリック!


 



ケン・マネジメントのウェブサイトは

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどう
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。

禁無断転載!







end

2023年1月24日火曜日

書評『三島由紀夫と司馬遼太郎 ―「美しい日本」をめぐる激突 』(松本健一、新潮選書、2010)― 陽明学の評価をめぐって対極にあった「戦後日本」を代表する2人の作家

 


先月のことだが、松本健一氏の遺著である『「孟子」の革命思想と日本 ー 天皇家にはなぜ姓がないのか』(昌平黌出版会、2014)を読んでいて、はじめて知った。2000年以降はあまり松本健一氏の著作を読んでいなかったので、うかつなことに見落としていたようだ。 

「戦後」を代表する2人の文学者は、2歳違いで司馬遼太郎が年上である。つまり同時代人であるが、これほど対極的な作家もいないだろう。 

純文学と大衆文学というジャンルの違いだけではない。誤診によって徴兵免除となり戦争体験をもたなかった(いや、もてなかったというべきか)三島由紀夫に対し、戦車兵として戦争体験をもつ司馬遼太郎

だが、なによりも対極にあるのは、「陽明学」の評価であった。思想をめぐるロマン主義とリアリズムの違いでもある。 

「知行合一」を説く陽明学にロマン主義的要素を見ていた三島由紀夫。思想は実行に移さなくてはならないとする陽明学に危険な側面があることを見ていた司馬遼太郎。三島由紀夫の1970年の自決に際して、司馬遼太郎は激烈に批判する文章を残しているという。 

ある意味では、陽明学の評価をめぐって対極にあった2人の作家は、鏡合わせのような関係にあったといえるかもしれない。 

本書は、そんな三島由紀夫と司馬遼太郎の対比を描きながら、著者自身の私的な回想的文章をはさんだエッセイ的評論である。 

読み終えて思うのは、三島由紀夫と司馬遼太郎、この2人を対比させて論じることのできる評論家は、この人くらいしかいないだろう、ということだ。 

抑制した筆遣いでありながら、三島由紀夫と司馬遼太郎の双方に対する著者自身の心情やエピソードが吐露されており、かつて松本健一氏の熱心な(?)読者であったわたしには、たいへん興味深く感じられた。 

戦後日本を呪詛して自決した三島由紀夫。その死からすでに半世紀を過ぎている。戦後日本を肯定しながらも、激しい批判のことば残して死んだ司馬遼太郎。その死からすでに四半世紀を過ぎている。 

衰退過程にある現在の日本は、もはや三島由紀夫が予見したような「からっぽな経済大国」でもなく、司馬遼太郎が激烈に批判した「土地本位制資本主義社会」でもない。 

そして三島由紀夫と司馬遼太郎をおなじ俎上で論じた松本健一氏が2014年に亡くなってからすでに8年。

 廃墟となったような現在の日本が、はたしてすでに底を打っているのかどうかわからない。「日本再建」をどう行うか、われわれに残された課題は大きい。 

そのためには、「戦後日本」というスパンだけではなく、18世紀末以降から日本を考え直してみる必要があるのではないか「明治維新」も「戦後日本」も含んだ約2世紀半の歴史である。最近のわたしはそう考えている。 


画像をクリック!


目 次
序章 二つの「日本」 
第1章 二人にとって「戦後」とは何か
第2章 一瞬の交叉
第3章 ロマン主義とリアリズム
第4章 三島の「私」と司馬の「彼」
第5章 西郷隆盛と大久保利通
第6章 『坂の上の雲』の仮構
第7章 陽明学 ― 松陰と乃木希典
第8章 反思想と反イデオロギー
第9章 戦後的なるもの
第10章 人間の生き死
あとがき


著者プロフィール
松本健一(まつもと・けんいち)
日本の評論家、思想家、作家、歴史家、思想史家。麗澤大学経済学部教授。 中国日本語研修センター教授、麗澤大学経済学部教授、麗澤大学比較文明文化研究センター所長、一般財団法人アジア総合研究機構評議員議長、東日本国際大学客員教授、内閣官房参与(東アジア外交問題担当)などを歴任した。主な著書に『近代アジア精神史の試み』(岩波現代文庫、アジア・太平洋賞受賞)、『日本の近代1 開国・維新』(中公文庫、吉田茂賞)、『評伝北一輝 全五巻』(中公文庫、毎日出版文化賞・司馬遼太郎賞)など多数。2014年没。(本データは『「孟子」の革命思想と日本』2014年が刊行された当時に掲載されていたものに wikipedia 情報で加筆)


<ブログ内関連記事>







(2025年1月24日発売の拙著です 画像をクリック!

(2023年11月25日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年12月23日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年6月24日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年11月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年10月22日発売の拙著です 画像をクリック!

 (2020年12月18日発売の拙著です 画像をクリック!

(2020年5月28日発売の拙著です 画像をクリック!

(2019年4月27日発売の拙著です 画像をクリック!

(2017年5月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2012年7月3日発売の拙著です 画像をクリック!


 



ケン・マネジメントのウェブサイトは

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどうぞ。
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。

禁無断転載!








end

2021年10月16日土曜日

記録映画『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』(2020年、日本)―「熱情」と「言霊」という2つのことばが残響を残し続ける

(公式サイトより)


 『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』(2020年、日本)を amazon prime でようやく視聴。「伝説の討論会」をはじめて映像で見た。108分。 

1968年5月13日に開催された「伝説の討論会」の映像が残されているのは、TBSのカメラが入っていたから。すでに70歳台前半の全共闘の元関係者が「ライトがまぶしかった」と証言している。 その原盤フィルムが発見されたことが、この記録映画の公開につながった。




「対決」として始まったはずの討論会は、「天皇」というただ一点の相違をのぞいて、共通性を確認して終わる。

「盾の会」という極右は、新左翼の「全共闘」という極左は、「反米ナショナリズム」という点でおなじだったわけだ。「反対物の一致」だな。

「反知性主義」(・・「反アカデミズム的」という本来の意味で使用されている)においても、丸山真男に対する態度で両者は共通している。 

三島由紀夫が会場に残した「熱情」と「言霊」という2つの「ことば」が残響を残し続けている。この余韻は、50年を経た現在でも残っている。関係者の記憶だけでなく、映像記録として残ったことによって、その場に追居合わせなかった人びとの心にも。 


 

三島由紀夫は、東大の討論会の前に、一橋でも討論会を行っていたことを今回はじめて知った。

先にもみたように、「東大全共闘」は1968年当時かがやいていたブランドの一つであり、TVメディアも情報価値ありと認識していたから、映像が残されたわけだ。

三島由紀夫と全共闘。ともに1968年前後という時代を象徴する存在であった。


画像をクリック!



<関連サイト>



<ブログ内関連記事>





■1970年前後という時代

沢木耕太郎の傑作ノンフィクション 『テロルの決算』 と 『危機の宰相』 で「1960年」という転換点を読む
・・遅れてきた右翼少年によるテロをともなった「政治の季節」は1960年に終わり、以後の日本は「高度成長」路線を突っ走る。「世界の静かな中心」というフレーズは、 『危機の宰相』で沢木耕太郎が引用している三島由紀夫のコトバである。

映画 『バーダー・マインホフ-理想の果てに-』(ドイツ、2008年)を見て考えたこと
・・三島由紀夫と同時代の1960年代後半は、日本でもドイツでもイタリアでも「極左テロの季節」であった

書評 『高度成長-日本を変えた6000日-』(吉川洋、中公文庫、2012 初版単行本 1997)-1960年代の「高度成長」を境に日本は根底から変化した
・・「日本はなくなって、その代はりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目のない、或る経済大国が極東の一角に残るのであらう。それでもいいと思ってゐる人たちと、私は口をきく氣にもなれなくなってゐるのである。」(三島由紀夫)


ユートピアと革命幻想の終焉

「ユートピア」は挫折する運命にある-「未来」に魅力なく、「過去」も美化できない時代を生きるということ
・・「三島由紀夫が「盾の会」の制服を、辻井喬(=堤清二)の西武百貨店に依頼してつくってもらったことが『ユートピアの消滅』に回想されているが、この二人は主義思想の違いを超えて親しかったというだけでなく、同質の人間として、同じような志向を逆向きのベクトルとして共有していたというわけなのだ。つまり二人とも絵に描いたような「近代人」、しかも「近代知識人」であったということだ。」


(2025年1月24日発売の拙著です 画像をクリック!

(2023年11月25日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年12月23日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年6月24日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年11月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年10月22日発売の拙著です 画像をクリック!

 (2020年12月18日発売の拙著です 画像をクリック!

(2020年5月28日発売の拙著です 画像をクリック!

(2019年4月27日発売の拙著です 画像をクリック!

(2017年5月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2012年7月3日発売の拙著です 画像をクリック!


 



ケン・マネジメントのウェブサイトは

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどう
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。

禁無断転載!







end

2015年11月25日水曜日

「戦後70年」とは三島由紀夫が1970年に45歳で自決してから45年目にあたる年だ(2015年11月25日)

(三島由紀夫は自衛隊市ヶ谷駐屯地で自決した)

45年前のきょう(1970年11月25日)、三島由紀夫が自決した。45歳であった。

ことし2015年は「戦後70年」である。つまり、「戦後70年」とは「三島由紀夫が1970年に45歳で自決してから45年目にあたる年」ということにもなる。

老醜をさらすことを極度に嫌っていた三島由紀夫のことだから、「生きていれば・・・」という発言はナンセンスというべきだろう。享年の45歳の姿で永遠に記憶されることとなったからである。

三島由紀夫が自決した1970年(昭和45年)は、日本が敗戦してから25年の年であった。すでに25年たっていたというべきか、あるいはまだ25年しかたっていなかったというべきか。

大阪万博が開催された1970年は「高度成長」の絶頂期であったが、わずかその3年後の1973年に発生した石油ショックで「高度成長」が終焉するとは、三島由紀夫も予想できなかったのかもしれない。

1970年はまた新左翼主導の学生運動の絶頂期であったが そのわずか2年後の1972年におきた浅間山荘事件で学生運動が一気に収束するとは、三島由紀夫も予想できなかったのかもしれない。

1970年はいまだベトナム戦争がエスカレートしていた最中であったが、その3年後の1973年にはニクソン大統領が戦争終結を宣言し、米軍はベトナムから撤退することになる。

そう、1970年11月25日は、まさに激動の時代の最中だったのである。熱い時代だったのである。

 いわゆる「三島事件」があったとき、わたしはまだ小学校低学年であったので、当然のことながらその本質はわからなかった。大人たちが騒いでいたことは覚えている。 スキャンダラスな事件として、ワイドショー的なネタとして。

三島由紀夫の自決から45年もたっているが、はたして「精神の空洞化」は解消したといえるのだろうか?45年たったいまも、三島由紀夫が日本人に突きつけた問いの意味は失われていないのではないだろうか。

三島由紀夫が、自らの死をもって日本人に対して突きつけた問いは、日本人が存在しつづける限り、半永久的につき刺さったトゲとして消えることはないのではないか?

三島由紀夫が突きつけた問いに対して、ストレートに応えることのできない自分に「もどかしさ」を感じている。「もどかしさ」としか表現のしようがないのだ。


<ブログ内関連記事>

「憂国忌」にはじめて参加してみた(2010年11月25日)
・・三島由紀夫の命日が「憂国忌」である

「行動とは忍耐である」(三島由紀夫)・・・社会人3年目に響いたコトバ

「精神の空洞化」をすでに予言していた三島由紀夫について、つれづれなる私の個人的な感想


「憂国」と二二六事件関連

二・二六事件から79年(2015年2月26日)-「格差問題」の観点から「いま」こそ振り返るべき青年将校たちの熱い思い

書評 『近代日本の右翼思想』(片山杜秀、講談社選書メチエ、2007)-「変革思想」としての「右翼思想」の変容とその終焉のストーリー
・・ユートピア論の観点からみると、日本ではすでに1936年には「右翼」は終焉し、「左翼」もまた1991年には完全に消滅した


■1970年前後という時代

沢木耕太郎の傑作ノンフィクション 『テロルの決算』 と 『危機の宰相』 で「1960年」という転換点を読む
・・遅れてきた右翼少年によるテロをともなった「政治の季節」は1960年に終わり、以後の日本は「高度成長」路線を突っ走る。「世界の静かな中心」というフレーズは、 『危機の宰相』で沢木耕太郎が引用している三島由紀夫のコトバである。

映画 『バーダー・マインホフ-理想の果てに-』(ドイツ、2008年)を見て考えたこと
・・三島由紀夫と同時代の1960年代は、日本でもドイツでもイタリアでも「極左テロの季節」であった

書評 『高度成長-日本を変えた6000日-』(吉川洋、中公文庫、2012 初版単行本 1997)-1960年代の「高度成長」を境に日本は根底から変化した
・・「日本はなくなって、その代はりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目のない、或る経済大国が極東の一角に残るのであらう。それでもいいと思ってゐる人たちと、私は口をきく氣にもなれなくなってゐるのである。」(三島由紀夫)


ユートピアと革命幻想の終焉

「ユートピア」は挫折する運命にある-「未来」に魅力なく、「過去」も美化できない時代を生きるということ
・・「三島由紀夫が「盾の会」の制服を、辻井喬(=堤清二)の西武百貨店に依頼してつくってもらったことが『ユートピアの消滅』に回想されているが、この二人は主義思想の違いを超えて親しかったというだけでなく、同質の人間として、同じような志向を逆向きのベクトルとして共有していたというわけなのだ。つまり二人とも絵に描いたような「近代人」、しかも「近代知識人」であったということだ。」

(2015年11月30日 情報追加)


(2025年1月24日発売の拙著です 画像をクリック!

(2023年11月25日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年12月23日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年6月24日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年11月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年10月22日発売の拙著です 画像をクリック!

 (2020年12月18日発売の拙著です 画像をクリック!

(2020年5月28日発売の拙著です 画像をクリック!

(2019年4月27日発売の拙著です 画像をクリック!

(2017年5月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2012年7月3日発売の拙著です 画像をクリック!


 



ケン・マネジメントのウェブサイトは

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどうぞ。
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。

禁無断転載!








end