『ネットと愛国』(安田浩一、講談社+α新書、2015)という本が面白い。読みでのある内容の濃いルポルタージュである。 「行動する保守」を自称する「在特会」と、その背後にある現在の日本のある種の「空気」を明らかにしようとしたものだ。
民族差別的な内容の、暴力的で聞くに耐えない「ヘイトスピーチ」を撒き散らす在特会である。はっきりいって「排外主義」で「偏狭なナショナリズム」の担い手である彼らの存在は、当然のことながら好ましいものではない。
だが、著者はアタマから一方的なレッテル張りをすることはなく、じっくりと取材対象者の話を聴くというスタンスを貫いている。取材者である著者と取材対象とのあいだのインタラクションは、たんなる取材を超えた「対話」の性格をもっているといえるかもしれない。
文庫版で500ページ近くあるが、最後まで興味深く読むことができるのは、取材対象者たちのナマの声が、取材者としての著者との対話で引き出されているからだ。取材対象者たちの本音を聞きだしながら、すこしづつ自分自身の認識を深めていこうとする姿勢。読者もまたそのプロセスのなかにいるのである。だから、読み進むにつれて多面的な理解が可能となっていく。
初版は2012年なので、扱われている状況は2011年現在のものが中心になっている。在特会はすでに最盛時の勢いを失っており(・・これは喜ばしいことだ)、その後の推移は長い「文庫版あとがき」に記されている。
現在では「ヘイトスピーチ」というコトバが市民権を得ているが、本書の初版当時はそうではなかったのだ。コトバが与えられれば、人はその事象を認識できるようになる。事象との距離を正確に把握し、その事象への対処も可能となる。
本書を通読しての、わたしなりの理解は、帰属すべきコミュニティを地域社会にも勤務先にも見出すことのできない、ネット世界に浮遊するデラシネ(=根こぎされた)の人々の、さまざまな特権をもつエリート層へのルサンチマン(=憎悪)を吸収することに成功したのが「在特会」に代表される団体なのだろう、と。リベラルな思想の持ち主は、概して官僚やマスコミなど高学歴者に多いのは事実だ。
デラシネとルサンチマン、ともにフランス語だが、この2つの単語ほど、かれらの深層意識でうごめく不安感を表現しているとはいえないだろうか? 未来を奪われた者たちは、攻撃対象つまり敵の存在を発見したとき、はじめて否定的な形であるがアイデンティティを取り戻し、かれらをつなぎとめる観念的な攻撃対象への憎悪心が求心力となって集団を形成するのだ。
暴力的で差別的言動。排外主義という偏狭なナショナリズム。在特会は、本来の意味における保守ではなく、従来型の右派でもない。あくまでもハンドルネームによる参加に示されているように、ネット世界のリアル世界への展開であって、リアル世界に根をもつものではない。だから暴力的な言動が可能なのだ。なにかに憑依されたかのように、無意識のうちに暴力的な別人格を演じているのだろう。
「在特会」そのものは2015年現在ではすでに勢いを失ったが、その背後にある「いやな空気」の存在に目を向けなくてはならない。「在特会」的なものの土壌を形成しているネトウヨ、さらにはリアル社会にも広範に存在する不安をもつ一般人がつくりだす空気。本書は、特別な団体に属する特殊な人たちのことを扱ったように見えながら、現在の日本社会そのものを扱った内容の本なのだ。
閉塞感が解消したとはいえず、不安感がさらに増しつつある現在の日本社会。冷静に現状を見つめるためにも、ぜひ読むことをすすめたい良質なルポルタージュである。
目 次
プロローグ
1 在特会の誕生-過激な "市民団体" 率いる謎のリーダー・桜井誠の半生
2 会員の素顔と本音-ごくごく普通の若者たちは、なぜレイシストに豹変するのか
3 犯罪というパフォーマンス-ついに逮捕者を出した「京都朝鮮学校妨害」「徳島県教組乱入」事件の真相
4 「反在日」組織のルーツ-「行動する保守」「新興ネット右翼」勢力の面々
5 「在日特権」の正体-「在日コリアン=特権階級」は本当か?
6 離反する大人たち-暴走を続ける在特会に、かつての理解者や民族派を失望し、そして去っていく
7 リーダーの豹変と虚実-身内を取材したことで激怒した桜井は私に牙を向け始めた…
8 広がる標的-反原発、パチンコ、フジテレビ…気に入らなければすべて「反日勢力」
9 在特会に加わる理由-疑似家族、承認欲求、人と人同士のつながり…みんな "何か" を求めている
エピローグ
文庫版 あとがき
解説 それでも希望はある(鴻上尚史)
著者プロフィール
安田浩一(やすだ・こういち)
1964年静岡県生まれ。「週刊宝石」「サンデー毎日」記者を経て2001年よりフリーに。事件、労働問題などを中心に取材・執筆活動を続ける。2012年『ネットと愛国 在特会の「闇」を追いかけて』(講談社)で第34回講談社ノンフィクション賞受賞。2015年には「ルポ 外国人『隷属』労働者」(「G2][講談社]掲載)で第46回大宅壮一ノンフィクション賞(雑誌部門)を受賞した。著書に『ルポ 差別と貧困の外国人労働者』(光文社)、『ヘイトスピーチ 「愛国者」たちの憎悪と暴力』(文藝春秋)、『ネット私刑』(扶桑社)ほか。(出版社サイトより)
<ブログ内関連記事>
■ナショナリズム-その二面性
書評 『ナショナリズム-名著でたどる日本思想入門-』(浅羽通明、ちくま文庫、2013 新書版初版 2004)-バランスのとれた「日本ナショナリズム」入門
『単一民族神話の起源-「日本人」の自画像の系譜-』(小熊英二、新曜社、1995)は、「偏狭なナショナリズム」が勢いを増しつつあるこんな時代だからこそ読むべき本だ
・・戦前の「革新」は右翼、戦後は「左翼」。そしていまは右翼か??
『日本会議の研究』(菅野完、扶桑社新書、2016)は、「いまこの国でひそかに進行していること」を「見える化」した必読の労作だ!
■街頭というリアル世界に飛び出したネトウヨ
「日本のいちばん長い日」(1945年8月15日)に思ったこと(2009年8月15日)
・・この日、九段下の交差点で遭遇したデモは「在特会」のものだったのだろうか? いまから6年前の2009年に書いたわたしの文章をここに再録しておこう。
「近隣諸国による、近年激しい応酬がなされてきた靖国神社問題にかんする感情的反発が核となった、いわゆる「ネット右翼」のオフ会のような雰囲気であるが、本人たちはかなり真剣に取り組んでいるようだ。参加しているのは大半が若者である。
排外主義を主張する内容は、あまりにも偏狭すぎてまったく賛同できないが、日本国内でこれほどエキサイトしているデモ集会の現場にでくわしたのは久々である。野次馬として至近距離で見ていたが、警察とはある意味なれ合いの関係にある街宣車型の旧来型右翼とはまったく異なる印象を受ける。
秋葉原の歩行者天国での無差別殺人事件もそうだったが、とくに若者のあいだで、なにかものすごく閉塞感が強く、抑圧され鬱屈した「空気」が、見えない深層で淀んでいるように感じられるのが、現在の日本の状況である。
今月末に総選挙が実施されるが、選挙演説なんか聞くよりも、こういった少数派ではあるが、極端な思想の持ち主の示威行動の現場を観察する方が、深層で進行している本当の変化について考えるためのいい機会になると考えてよいのではないか。
彼らの言動はひとことでいってしまえば、きわめて「内向きなナショナリズム」の発現である。海外生活において日本人のアイデンティティを自覚するタイプの「健全な外向型のナショナリズム」ではない、「不健全な、病的な、内向型のナショナリズム」だ。(2009年8月15日の感想)
■ユートピアと革命幻想の終焉
「東京オリンピック」(2020年)が、56年前の「東京オリンピック」(1964年)と根本的に異なること
・・貧困に起因するルサンチマンが描かれたマンガだが、そこにあるのは単なる憎悪ではなく、ある種のユートピア的世直し願望がある。革命幻想の一種であろうか?
「ユートピア」は挫折する運命にある-「未来」に魅力なく、「過去」も美化できない時代を生きるということ
・・「1970年から数年のうちに、近代の「理想主義」は死んだのである。理想主義者にとってのユートピアは死んだのである。」
書評 『革新幻想の戦後史』(竹内洋、中央公論新社、2011)-教育社会学者が「自分史」として語る「革新幻想」時代の「戦後日本」論
・・右派がつねに攻撃する左派リベラルだが、じつはとうの昔に死んでいるのである
■「求心力」となる敵対心と憎しみ
自分のアタマで考え抜いて、自分のコトバで語るということ-『エリック・ホッファー自伝-構想された真実-』(中本義彦訳、作品社、2002)
・・「魅力や引力といったポジティブなものだけでなく、怒りや憎しみといったネガティブなファクターが人々の気持ちを一つに結び合わせる求心力となりうることに思いが及んだ。Love & Hate という表現があるように、愛憎はオモテとウラの関係にある」
■ロストジェネレーション
書評 『失われた場を探して-ロストジェネレーションの社会学-』(メアリー・ブリントン、池村千秋訳、NTT出版、2008)-ロスジェネ世代が置かれた状況を社会学的に分析
・・「サービス経済化によって、中下位レベルの普通科高校卒の男子は、特定のスキルをもたないのでアルバイトなど非正規社員しか道がなく、「ワーキングプア」になる可能性が高い。女子と違って男子は、まだこういう状況を生き抜く術を身につけていない」
書評 『現代日本の転機-「自由」と「安定」のジレンマ-』(高原基彰、NHKブックス、2009)-冷静に現実をみつめるために必要な、社会学者が整理したこの30数年間の日本現代史
■ネットと「世間」
書評 『「空気」と「世間」』(鴻上尚史、講談社現代新書、2009)-日本人を無意識のうちに支配する「見えざる2つのチカラ」。日本人は 「空気」 と 「世間」 にどう対応して生きるべきか?
ネット空間における世論形成と「世間」について少し考えてみた
書評 『私とは何か-「個人」から「分人」へ-』(平野啓一郎、講談社現代新書、2012)-「全人格」ではなく「分割可能な人格」(=分人)で考えればラクになる
・・無意識のうちに別人格を演じているのが人間という存在だ
(2016年6月29日 情報追加)
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