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2017年6月11日日曜日

映画『ローマ法王になる日まで』(イタリア、2015)を見てきた(2017年6月5日)-これぞサーバントリーダーの鑑(かがみ)だ!


映画 『ローマ法王になる日まで』(イタリア、2015)を見てきた(2017年6月5日)。アルゼンチン出身で、しかもイエズス会出身ではじめてローマ法皇(・・ただしくは教皇。以下、教皇と記述する)に選出されたフランシスコ1世の半生を描いた伝記映画だ。

オリジナルのタイトルは、イタリア語で ''CHIAMATEMI FRANCESCO - IL PAPA DELLA GENTE''(=『フランチェスコと呼んで-人びとのパパ』)。映画のスクリーンには、Call Me, Francis とあった。セリフの大半はスペイン語である。ちなみにフランシスコ教皇は、イタリア移民の出身である。

「人びと(=ピープル)のパパ(=教皇)。ヨーロッパ以外から初めてというだけでない。こんな素晴らしい人物がローマ教皇に選出されたのはじつに画期的なことなのであることが、この映画をみてよくわかった。

113分のこの映画を見て思うのは、フランシスコ1世こそ、「サーバント・リーダーの鑑(かがみ)というべき人だ(!)ということだ。「ロックスター・ポープ(=教皇)」という異名をもち圧倒的な人気をもつこの人は、真に民衆の側に立つ人である。

(日本の上映館で配布されていた冊子)

「サーバント・リーダー」とは、人びとに「奉仕」する「サーバント」(=召使い)として、人びとの先頭に立つというリーダーのことである。先頭に立ってリードするという点は通常リーダーとおなじなのだが、目線と立ち位置のあり方が根本的に異なるのが「サーバントリーダー」だ。

「サーバントリーダー」は、つねに末端で苦労する声なき人びとの視点を共有しようと努力するリーダーだ。ピラミッドの頂点に立っているが、つねに視線はピラミッドの末端にある。

もともと「サーバントリーダー」という概念は、米国の実業家の実践から生まれてきた概念だ。もちろんその根底にはキリスト教がある。イエス・キリストその人が思考の原点にある。

フランシスコ1世の場合も、当然のことながらおなじである。新約聖書の「福音書」の精神に忠実に生きると、そういう道を歩むことになる。

冷戦構造時代、中南米やフィリピンなどのカトリック圏では、独裁政権のもとで苦難にあえいでいた民衆によりそう「解放の神学」に身を投じる司祭や修道士たちが多数いた。アルゼンチンでも軍事独裁政権のもと、多くの司祭や修道士が拷問され殺害されている。

(オリジナルのイタリア版のポスター)

アルゼンチンの首都ブエノスアイレスの大学で化学を専攻するホルヘ・ラファエル・ビデラが、修道士として神に仕える道を決めたのは20歳のとき。イエズス会に入会したのは、なんと日本(=ハポン)で宣教したかったからだった。日本人としては、見ていてつよい印象を受けるシーンだ。

日本は、イエズス会にとっては最大の成功事例であり、しかも悲劇的な結末に終わったことは日本史の常識といっていいだろう。16世紀半ば、戦国時代末期の日本にイエズス会の創設者のひとりであるフランシスコ・ザビエルが来日してから爆発的に拡がったキリシタン信仰だが、17世紀前半の「島原の乱」によって、ほぼ壊滅する。

そんなストーリーを、いつどこで知ったのか映画のなかでは語られていないのが残念だが、イエズス会士となって日本に派遣されることをつよく望んでいたのだという「原点」は、彼の人生の根底にありつづけたのであろう。

日本での「キリシタン迫害」の歴史と、アルゼンチン独裁政権での苦難の道が重なり合うようようだ。その後の人生を暗示しているかのようだ。

(右は「結び目を解くマリア」・・この意味は映画のなかで語られる)

若い頃に家族との会話で、Per aspera ad astra とラテン語の格言を引用して語っているシーンがある。「苦難をつうじて星まで」という意味だが、それが並大抵の「苦難」ではなかったことは、本人も知るよしはなかった。

軍事独裁政権のもと、つねに迫られた究極の選択にどう立ち向かい、切り抜けてきたか。組織のなかで責任をもつ立場ともなれば、現実世界においてはそれなりに妥協も迫られる。

組織を維持しなくてはならないが、しかしながら、あるべき正しい道を追求すべきであること。この映画は、そんな状況のなかで、いかに最善の解決をもとめて苦闘したかの記録でもある。

(ご自身が「目覚めよ!」と呼びかけるロックのアルバム)

もっぱら外面的な側面を中心に描いており、霊的な側面についての描写は最小限に抑えられているので、非キリスト教徒であっても違和感を抱くことなく見ることのできる映画である。

このような人が同時代人として、この地球上に存在しているのだと知るとき、まだまだ世界も捨てたもんじゃないという、つよい想いを抱くのである。








■日本(ハポン)への熱い想い

映画の最後に、「(教皇となったフランシスコ一世が)日本へいく日は近い」というメッセージがテロップと音声で流れる。

イエズス会士になって日本に派遣されることを夢みていた青年時代の夢が、人生の終わりに近くなって実現しようとしているのである。

いまだ来日は実現していないが、カトリック人口の規模からいえば、アジアでは優先順位の高いフィリピンと韓国が先行したのは当然だろう。

いま現在でも来日の日程が発表されていないが、逆にいえば、それだけ教皇フランシスコにとって日本(ハポン)の意味合いが特別に大きいためかもしれない。日本人としては、なんだか不思議な感じがするのだが、キリスト教徒でもカトリックでもないわたしも、その日をおおいに待ち望んでいる。

すでに80歳近い教皇にとって、人生の最後に近くなってようやく実現する想い。これは、本人以外には想像もできないものなのであろう。

教皇になるにあたって「フランシスコ」を選んだのは、アッシジの聖フランチェスコ(・・スペイン語ではフランシスコ)が念頭にあったのだとわたしは思い込んでいたが、もしかすると聖フランシスコ・ザビエルもまた念頭になったのかもしれない。

間違いなく、日本でも熱狂的な歓迎を受けることになろう。



<関連サイト>

映画 『ローマ法王になる日まで』(日本版 公式サイト)

ロックスター法王と呼ばれ、人々を熱狂させるローマ法王の半生を描く『ローマ法王になる日まで』予告編(YouTube)



Chiamatemi Francesco Trailer Italiano (2015) HD - YouTube (イタリア版トレーラー)

現教皇の苦悩描く映画、公開へ (カトリック新聞、May 25, 2017)


アルゼンチンで繰り返される新自由主義とポピュリズム(WEDGE、2017年6月9日)
・・「この国は新自由主義と労働者向けポピュリズムを交互に繰り返し、国力を劣化させてきた。大まかな歴史概略は次のようになる。 最初の軍事独裁新自由主義政権は、対外債務、失業、格差、インフレの4悪をばら撒き、イギリスとのマルビーナス戦争(フォークランド戦争)という大博打を打ち、敗北の後に崩壊(1983年)。その後急進党のラウル・アルフォンシンの民主政治に戻り、一時小康を得たが、ポピュリズム的傾向から財政赤字増加、5000%のハイパーインフレ、対外債務デフォルト、崩壊。再びのペロ二ズム政権(1989~99)。(・・中略・・) この国は70年前から国民は分断されており、悪循環から逃れたことは一度たりともない。なぜだろうか?(・・中略・・)この国には、他のメスティーソの南米が持つ国民の統合などはない。国民ではなく単に個人がいるだけである。」






<ブログ内関連記事>

■バチカンとローマ教皇

600年ぶりのローマ法王と巨大組織の後継者選びについて-21世紀の「神の代理人」は激務である

書評 『バチカン近現代史-ローマ教皇たちの「近代」との格闘-』(松本佐保、中公新書、2013)-「近代」がすでに終わっている現在、あらためてバチカン生き残りの意味を考える

書評 『バチカン株式会社-金融市場を動かす神の汚れた手-』(ジャンルイージ・ヌッツィ、竹下・ルッジェリ アンナ監訳、花本知子/鈴木真由美訳、柏書房、2010)

書評 『韓国とキリスト教-いかにして "国家的宗教" になりえたか-』(浅見雅一・安廷苑、中公新書、2012)- なぜ韓国はキリスト教国となったのか? なぜいま韓国でカトリックが増加中なのか?
・・ローマ教皇フランシスコ一世が、初のアジア訪問先として選んだのは韓国


■イエズス会

イエズス会士ヴァリニャーノの布教戦略-異文化への「創造的適応」

スコセッシ監督が28年間をかけて完成した映画 『沈黙-サイレンス-』(2016年、米国)を見てきた(2016年1月25日)-拷問による「精神的苦痛」に屈し「棄教者」となった宣教師たちの運命

書評 『幻の帝国-南米イエズス会士の夢と挫折-』(伊藤滋子、同成社、2001)-日本人の認識の空白地帯となっている17世紀と18世紀のイエズス会の動きを知る


■アルゼンチン

書評 『精神分析の都-ブエノス・アイレス幻視-(新訂増補)』(大嶋仁、作品社、1996)-南米アルゼンチンの首都ブエノスアイレスは、北米のニューヨークとならんで「精神分析の都」である
・・アルゼンチン、とくにブエノスアイレスの精神風土についての洞察が深い。それは、その他の中南米諸国とは異なるものがある。そんなブエノスアイレスに生きるユダヤ系市民にとっての精神分析の意味

書評 『アルゼンチンのユダヤ人-食から見た暮らしと文化-(ブックレット《アジアを学ぼう》別巻⑨)』(宇田川彩、風響社、2015)-食文化の人類学という視点からユダヤ人について考える

映画 『マーガレット・サッチャー-鉄の女の涙-』(The Iron Lady Never Compromise)を見てきた
・・フォークランド紛争で英国に敗れ去ったアルゼンチン。現地ではマルビナス諸島というが、もともとアルゼンチンは英国文化の影響圏である。アルゼンチンが英国に敗北したことで、軍事政権は崩壊する。いわば意図せざる結果がもたらされたといえようか


■聖母マリア

書評 『聖母マリア崇拝の謎-「見えない宗教」の人類学-』(山形孝夫、河出ブックス、2010)-宗教人類学の立場からキリスト教が抱える大きな謎の一つに迫る


■アッシジのフランチェスコ

アッシジのフランチェスコ 総目次 (1)~(5)

書評 『マザー・テレサCEO-驚くべきリーダーシップの原則-』(ルーマ・ボース & ルー・ファウスト、近藤邦雄訳、集英社、2012)-ミッション・ビジョン・バリューが重要だ!

アッシジのフランチェスコ (4) マザーテレサとインド


■尊敬に値する人物

映画 『ダライ・ラマ14世』(日本、2014)を見てきた(2015年6月18日)-日本人が製作したドキュメンタリー映画でダライラマの素顔を知る

「ダライ・ラマ法王来日」(His Holiness the Dalai Lama's Public Teaching & Talk :パシフィコ横浜)にいってきた ・・「ダライラマ・スーパーLIVE横浜」(2010年6月26日)とでもいうべき一期一会

書評 『目覚めよ仏教!-ダライ・ラマとの対話-』 (上田紀行、NHKブックス、2007. 文庫版 2010)



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