『日本人とキリスト教』(井上章一、角川ソフィア文庫、2013)は、『キリスト教と日本人』(井上章一、講談社現代新書、2001)のタイトルをさかさまにして復刊したものである。あたらしいタイトルのほうが内容に即しているといてよい。
信者ではない一般の日本人はキリスト教をどう受けとめてきたか、歴史的にその推移をトピック的に取り扱った本である。
日本では明治時代になってからキリスト教が「解禁」されて以降も、いっこうに信者が全人口の1%を超えないことが「常識」となってひさしい。
しかし、だからといって日本人がキリスト教に背を向けているわけではない。それどころか、教義と信仰を除けばキリスト教的なものは全面的に受け入れているといってもいいくらいだ。キリスト教は日本では「習俗化」しているのである。
これは明治維新以降の日本では、アメリカの宣教師を中心に布教が行われたこと、アメリカ的な価値観が資本主義とともに日本人の精神構造にビルトインされて現在に至っているからと考えられる。
よく知られているように「第一次グローバリゼーション時代」は日本では戦国末期にあたるが、そのときはヨーロッパの宣教師によってカトリックを布教(・・その後は禁止)、「第二次グローバリゼーション時代」には、さきにもふれたようにアメリカの宣教師がプロテスタントを布教した。
「第一次グローバリゼーション時代」と「第二次グローバリゼーション時代」のあいだ、すなわち日本人がキリスト教と全面的に接触していなかった江戸時代において、日本人がキリスト教をどう捉えていたかが面白いのだ。これが本書の最大のテーマであり特色である。
江戸時代には、キリシタンは邪教で魔術をつかうといったイメージがひろく共有されていたようだ。日本人の想像力の産物といえるが、徳川体制に歯向かうものはキリシタンのイメージをレッテルとして貼っていたことから生まれたものでもある。
しかし、徳川吉宗の時代に洋書輸入規制が大幅に緩和されて以降は、キリスト教関連書籍の輸入はひきつづき禁止されていたもの、断片的なかたちで流入してきたようだ。ひそかにそれを読む者がいいたことは、日本人の知的好奇心の高さをあらわしている。
思想が統制されていた江戸時代には、限られた情報をもとにウワサや奇説・珍説が生まれてくるのはよく理解できる。不思議なことに、キリスト教が「解禁」されて以降も、妄想の類が現れては消え、また現れるという事態が続いていることだ。これは現代でもオカルト系の話では同様だ。
明治時代には仏教とキリスト教は同根とみなされていたこと、仏教が西漸したあるいはキリスト教が仏教に影響などの奇説は、日本にとっては仏教もキリスト教も、ともに外来宗教であったことが原因であろう。
読んでいて面白かったのは、いわゆる「日ユ同祖論」は明治時代以降に日本でさかんになっただけでなく、16世紀以降ヨーロッパではもたれていたという著者の指摘だ。本書は、「文明移転」論、あるいは「世界文明通低論」であり、「日本人とキリスト教」の関係をグローバルな視野で描いた好読み物である。
だが、著者が俎上に載せて扱っているテーマはまさに「トンデモ」系の「偽史」であり、妄説のたぐい「トンデモ」すれすれのものであることは、あらかじめアタマに入れておいたほうがいいだろう。
奔放な想像力は、ある意味では妄想そのものである。
<関連サイト>
江戸時代、「隠れキリシタン」はぜんぜん隠れていなかった!? 塗り替えられる禁教イメージ (堀井憲一郎、現代ビジネス、2017年9月12日
徳川以来、この国の政府がキリスト教を公式に「解禁」した事実はない 明治政府の本音と、黙認した事情 (堀井憲一郎、現代ビジネス、2016年10月1日)
キリスト教を絶対に体内に取り込まない「日本文化」の見えない力 大正時代のクリスマスからわかること (堀井憲一郎、現代ビジネス、2017年10月16日)
(項目新設 2016年10月17日)
<ブログ内関連記事>
讃美歌から生まれた日本の唱歌-日本の近代化は西洋音楽導入によって不可逆な流れとして達成された
・・「文庫版あとがき」で著者は築地本願寺の話を書いているが、内部に設置されているパイプオルガンの話は底が浅い印象を受ける。文庫版で読んだ人は、ぜひ安田寛氏の唱歌にかんする本を読んでほしい。限りなく一神教にちかい浄土真宗だけではなく、日本人全体が「キリスト教化」(・・ただし信仰抜きで)されているのだ。骨の髄までというより、脳髄の隅々まで
(築地本願寺では毎月最終金曜日にパイプオルガンコンサート開催)
「500年単位」で歴史を考える-『クアトロ・ラガッツィ』(若桑みどり)を読む
PS ブログ記事を参照。 「築地本願寺 パイプオルガン ランチタイムコンサート」にはじめていってみた(2014年12月19日)-インド風の寺院の、日本風の本堂のなかで、西洋風のパイプオルガンの演奏を聴くという摩訶不思議な体験 (2014年12月20日 追記)
・・「第一次グローバリゼーション時代」のカトリック布教と徳川幕府によるキリシタン禁圧と「思想統制」について
書評 『現代オカルトの根源-霊性進化論の光と闇-』(大田俊寛、ちくま新書、2013)-宗教と科学とのあいだの亀裂を埋めつづけてきた「妄想の系譜」
・・現代日本にはアメリカ経由で英語圏の「妄想」と「トンデモ」が絶えることなく流入してくる
書評 『メイド・イン・ジャパンのキリスト教』(マーク・マリンズ、高崎恵訳、トランスビュー、2005)-日本への宣教(=キリスト教布教)を「異文化マーケティグ」を考えるヒントに
・・「結婚式教会」は、宣教する側の意図せざる「土着」という形での日本人によるキリスト教受容の一形態であることは、この本を読むと納得できるだろう
・・「肥田春充の思想的・精神的バックボーンと日本型キリスト教関係者たち」という文章を書いているので御参照いただきたい
おもしろ本の紹介 『偽書「東日流(つがる)外三郡誌」事件』(斉藤光政、新人物文庫、2009) ・・キリスト教とは関係ないが東北人が生み出した奔放な想像力が「偽史」を生み出した。青森県新郷村(旧戸来(へらい)村)には「キリストの墓」というトンデモ遺蹟(笑)もある。ヘブライ⇒へらい、だとさ
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・・クリスマスは「習俗化」しているのである
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・・抜書きしておいた「日本におけるキリスト教の不振」にはぜひ目を通していただきたい。文化人類学者・泉靖一氏の見解に説得力がある
(2014年12月20日 情報追加)
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