航空科学博物館(成田空港)にはじめて行ってきた。
つい最近までその存在しか知らなかったのは、もっぱら成田空港は出国と入国とでしか使っていないからだろう。その周辺の土地にたいする関心がなくなってしまっていたためである。
出国以外の目的で成田空港に行く用事ができたので、ついでにどこか立ち寄るところがないか探していたら見つけたのが航空科学博物館だ。ちょうどその存在をしってから数日後、とあるカード会社の会員誌で取り上げられていたのも、単なる偶然ではないかもしれない。雑誌記事によると、2014年に開館25年だそうだ。
航空科学博物館は、日本最初の航空専門の博物館だそうだ。日本には成田のほかに、青森県の三沢空港や石川県の小松空港、また埼玉県の所沢にもあるようだ。博物館の性格上、空港や航空基地のそばに併設されている。
航空科学博物館に行ったは2013年12月の、とあるよく晴れて風のあまり強くない、絶好な航空日和であった。
航空科学博物館までのアプローチと航空科学博物館そのもの、そこで見ることができる航空機の離発着風景、そして博物館周辺について書いておきたいと思う。
■「日本一短い鉄道」である芝山鉄道を初体験
航空科学博物館までのアプローチは、公共交通機関をつかうのであれば成田空港からバスでいく方法と芝山鉄道の芝山千代田駅からバスでいく方法がある。この路線バスは成田空港と南三里塚までのあいだを循環するルートを走る。
わたしは、区間たった 2.2kmという「日本一短い鉄道」である芝山鉄道を初体験してくることにした。これは長年の懸案事項であったので、やっと解決できたのはたいへんうれしい。
京成線で成田駅から成田空港駅に向かうと、途中でトンネルが別々の入り口になって分岐する。左手が成田空港方面、直進して右手が東成田駅方面。ともに成田空港の敷地の地下になる。
(直進すると東成田駅、左のトンネルは成田空港駅)
右側のトンネルに入るとずっと地下になるが一駅目が東成田駅である。ここで京成線が終わり、そこから一駅区間2.2kmが芝山鉄道となる。芝山鉄道区間だけの鉄道運行はなく、成田駅発着かさらにその先まで京成線と乗り入れている。芝山鉄道は第3セクターの運営であるが、実質的に京成線の延長のようなものだ。
(終点の芝山千代田駅ホームから東成田駅方向を見る)
芝山鉄道は最初から最後まで単線で、地下から地上に出ると右手には空港で待機している貨物機が目に入ってくる。しばらく走ると終点の芝山千代田駅に到着する。ホームは一つで単線のまま。行きどまりになっている。
(芝山鉄道はここで行きどまり)
そもそも成田空港の建設にあたって住民からのつよい要望に応えて建設され、2002年に開業した芝山鉄道であるという。住民による延伸運動はあるが、2013年12月現在、延伸されるという話はなく、工事もまったく行われていない。延伸が実現すれば九十九里浜までつながるのだが・・・
(住民による延伸運動はあるが・・・)
あらためて成田の位置を地図で確認すると、千葉県北部のちょうど中間に位置していることがわかる。成田は内陸部という固定観念があるが、それほど九十九里浜から遠いわけではない。東南アジアからの帰国便なら、低空飛行している状態で上空から確認することができる。
(はたして町おこしの材料になるか?)
■航空科学博物館でボーイング747のシミュレーターで操縦体験
航空科学博物館へは、芝山鉄道の芝山千代田駅から路線バスで約10分。ただし本数はきわめて少ない。このバスは成田空港から南三里塚までのあいだを循環するルート上にある。
航空博物館の手前にさしかかると、巨大な白いストゥーパ(仏塔)が目に飛び込んでくる。仏塔の存在には度肝を抜かれるが、なぜか案内文ではまったく言及されていない。仏塔については後述することにしよう。
航空博物館の建物の右手には屋外の航空機展示場がある。まずは博物館でチケットを購入して博物館内部を見学することから始めよう。入場料は大人500円である。
入館して見上げると目に飛び込んでくるのが PAN AM のロゴ。パンナムだ! 大相撲千秋楽の「ひょーしょーじょー(=表彰状)」のおじさんのパンナムだ。なつかしい! 航空業界を吹き荒れた規制緩和(=ディレギュレーション)の波のなか、真っ先に消えていったのがいまは亡きパンナム。わたしが最後に搭乗したのは1991年のマイアミ便であった。
(右下の操縦室から1/8サイズのB747を模擬操縦体験できる)
運がよければ、あるいは最初からその目的で時間にあわせて来館すれば、ボーイング747のシミュレーターで操縦体験ができる。一回のシミュレーションにつき一組二人で三組まで体験可能。これは無料だ。ボーイング747の客室の実物大モックアップは屋外に展示されている(写真はのちほど)。こちらは見学は別途必要なようだ。
(コックピットに座って操縦桿を握る筆者)
(パンフレットより博物館内部)
航空科学博物館の内部は以下のようになっている。
1階と2階は航空機などの各種展示。パンナム関係のグッズがある。2階から外に出て成田空港のA滑走路を眺めることが出来る(・・ただし風はつよい)。4階と5階は管制塔のような感じで、4階には成田空港を一望する展望レストラン「バルーン」、5階は展望室になっている。
5階の展望室には離発着する航空機を至近距離で撮影するマニアの常連さんが席を占拠している。屋外の2階からのほうが、至近距離で航空機を感じることができると思うのだが、室内の5階のほうがカメラアングルがいいのかもしれない。
(5階展望台から離着陸する航空機を見る)
わたし自身は、ふだんから海上自衛隊の対潜哨戒機などが低空飛行する地域に住んでおり、しかも羽田空港方面に向かう旅客機も至近距離で見ることのできるので、べつに航空機を間近で見たいという気持ちはとくにないのだが、子どもなら喜んでかぶりつきになるだろう。
わたしが展望台から見ていた時間帯はお昼で、離陸する航空機よりも、つぎからつぎへと着陸する貨物機が大半であった。成田空港は首都圏における巨大物流基地なのである。
(離陸直前のFedEx機 成田空港は首都圏における巨大物流基地)
タイ王国バンコクのスワンナプーム国際空港が開港するまえに管制塔の内部を見学させていただいたことが、わたしにとってはじっさいに管制塔のなか入った唯一の経験である。
(屋外展示のB747機首部分は実物)
屋外展示場にはYS-11試作機を初めとする各種航空機が展示されている。双発プロペラ機の 純国産機 YS-11はすでに旅客機として引退しただけでなく、その後に対潜哨戒機として海上自衛隊で使用されていたが、これもすでに退役した。試作機とはいえ実物を間近で見ることができるのは航空科学博物館ならではである。
(屋外展示の YS-11 試作機)
■「成田空港 空と大地の歴史館」(2011年開館)は必見
成田空港闘争の史実や反対派のヘルメットなどを展示した資料館「成田空港 空と大地の歴史館」は必見だ。航空科学博物館にいく機会があれば、かならず立ち寄るべきだといっておきたい。歩いて数分で入場無料である。
(「成田空港 空と大地の歴史館」パンフレット)
開館はまだ2年前の 2011年6月23日である。建設主体は成田国際空港株式会社で、成田空港闘争の史実や反対派のヘルメットなどを展示した資料館として建設されたものだ。
「成田闘争」といっても、2013年のいまとなってはもはや忘れられた過去の話かもしれない。「三里塚」といっても、その地名がかもしだすシンボリックな響きにただちに反応できる人も少なくなっているかもしれない。
そんなに大きくはない「成田空港 空と大地の歴史館」の展示を一通り説明書きを読みながら見て、三里塚の歴史を敗戦後からたどっていくと、いったい「成田闘争」とはなんだったのだろうか、「戦後」とはいったいなんだっただろうか? という思いがわきあがってくる。
(「成田空港 空と大地の歴史館」の内部)
羽田空港のキャパシティに限界があるから計画され、長期にわたる反対運動と流血のも引きおこした暴力闘争を招きながらも建設が強行され現在に至っている成田空港。羽田空港が国際化され滑走路も増強されハブ空港としての機能が強化されている現在、そもそも「成田空港」はいったいなんだったのかという問いがでてくるのも当然だ。
わたし自身についていえば、成田空港が開港するまでの三里塚闘争についてまったくしらなかったわけではない。というより三里塚闘争にはよい印象をもっていなかった。暴力闘争の「被害者」としての記憶が濃厚にあるためだ。
世間一般では「あさま山荘事件」(1972年)の終結によって過激派学生による運動は終焉したという理解がされているようだが、その後もえんえんと続いていた成田闘争は京成線沿線住民にとっては、しまいには迷惑行為と捉えられるようになっていたのだ。
汗水たらしながら未開地を開墾してきた開拓農民たちの反対運動は理解できなくはない。だが、過激派学生やその残党たちによる不法な暴力行為にはウンザリしていたのが沿線住民のホンネであったろう。
当時通っていた高校の正門前で成田闘争のアジビラを配っていた活動家がいたことを覚えている。それはなんと1970年代末期のことであったのだ!!
高校一年の期末試験の初日だったと思う。当時は八千代市から船橋市まで通っていたが、通学には京成電鉄を利用していた。
その日の朝、成田闘争の一環としてスカイライナーに火が放たれ線路に突き落とすという暴力的な妨害行為妨があり、京成線は不通となり、期末試験であったのにかかわらず、通えなかったのだ! そういう生徒が少数だがいたため、期末試験の一時限目は遅れて開始されたと記憶しているのだが・・・
展示を見ていて、開港当時のものものしい警戒の模様がTVニュースで放送されていたことを思い出した。開港からしばらくは過激派が突入する危険もあるので警戒厳重で、一般の見学は許されていなかった。わたし自身は、開港後10年後まで成田空港に行ったことはなかった。
同時代として成田闘争を知っている人、そうではない若い人たちも、ぜひ資料館「成田空港 空と大地の歴史館」にいうべきだと思う。三里塚という名の土地に刻まれた歴史を知る必要がある。
■日本山妙法寺の成田平和佛舎利塔(三里塚供養塔)
先にも記したが、航空科学博物館のすぐそばに白くて巨大なストゥーパ(仏塔)があることは今回はじめて知った。2階から屋外にでても、5階からもこの白くて巨大な仏塔を俯瞰することができるが、異様な印象はぬぐえない。
(道路をはさんで滑走路の反対側に巨大仏塔がある)
これは三里塚供養塔である。正式には日本山妙法寺・成田平和佛舎利塔という。wikipediaの記述によれば以下のようにある。(2013年12月15日現在)。
三里塚平和塔1967年、妙法寺の僧佐藤行通によって新東京国際空港4000メートル滑走路建設予定地に建立。妙法寺は「平和・非暴力」による空港建設反対運動に加わっていた。平和塔の移転に際しては、日本山妙法寺と運輸大臣、千葉県知事、新東京国際空港公団との間で「空港の軍事利用を行わない」旨が記された「取極書」が交わされた。
日本山妙法寺は藤井日達上人がつくったもの。反英闘争を行っていたガンディーと1930年にインドで出会って非暴力主義に共鳴し、戦後は不殺生、非武装、核廃絶を唱えて平和運動を展開した日蓮主義の僧侶である。
わたしは1995年にインドに仏蹟巡礼にでた際に、ラージギル(霊鷲山)の日本山妙法寺に立ち寄ったことがある。日本山妙法寺は、いちばん最初に立てられた仏教寺院である竹林精舎のあとに建立されたようだ。
日本山妙法寺を訪れるのはそれ以来18年ぶりということになるが、まさか日本国内にもあるとはまったく思いもしなかった。
日本山妙法寺・成田平和佛舎利塔は誰でも自由になかに入ることができる。せっかくの機会なので、わたしも仏塔の周りを時計回りに歩いてみた。
航空科学博物館にいっても、成田平和佛舎利塔まで行ってみようと思う人はあまりいないだろう。
だが、日本国内でインド的なものに出会うことができるスポットとして、アタマの片隅においておくといいかもしれない。
成田平和佛舎利塔の歴史もまた、三里塚における成田闘争の歴史の一環であることを理解すjることができた。三里塚という名の土地に刻まれた歴史の一部なのである。
この仏塔さえなければ、殺風景な成田空港の周辺はアメリカ的な空間だ。
///////////////////////////////////////////////////////////////////////
このあと路線バスに乗車して成田空港第2ターミナルに向かった。空港に入るにはバス内で検問があるのだが、パスポートを持参するのを忘れていた。スマホで検索して調べたら保険証や免許証でも問題ないことがわかったのでホっとする。
(検問を過ぎれば第2ターミナルはすぐ)
第2ターミナルにくるのはじつにひさびさで約20年ぶり(?)であり、しかも京成線ではなく地上からバスでのアクセスであったので勝手がよくわからなかったが、むかしとあまり変わっていなかった。
そこにいるのは、国内外を行き来する旅行者たちである。
(格安航空中心の飛行場として生き残りを図る成田空港)
<関連サイト>
「航空科学博物館」 公式サイト
成田航空科学博物館(千葉県山武郡芝山町) (アトラスウェブにアップされた情報 写真多数)
アクセス方法:
京成電鉄本線 成田空港駅又は空港第2ビル駅下車
路線バス: 第1ターミナル30番バス乗り場から)
「AMB南三里塚行き」航空科学博物館バス停(本館前)下車 (乗車時間約15分)
(第2ターミナル3階5番バス乗り場でも乗車できます)
芝山鉄道終点芝山千代田駅下車
路線バス 「AMB南三里塚行き」航空科学博物館バス停(本館前)下車 (乗車時間約10分)
開館時間: 午前10時から午後5時(入館4時30分まで)
休館日: 毎週月曜日(月曜日が祝日の場合はその翌日) 、年末12月29日から31日
<ブログ内関連記事>
■成田空港と航空会社関連
書評 『空港 25時間』(鎌田 慧、講談社文庫、2010 単行本初版 1996)-「現場」で働くナマの人間の声で語られた「仕事」=「人生」
鎮魂!「日航機墜落事故」から26年 (2011年8月12日)-関連本三冊であらためて振り返る
海上自衛隊・下総航空基地開設51周年記念行事にいってきた(2010年10月3日)
・・退役前のYS-11の対潜哨戒機を見た
■「戦後」史関連
書評 『革新幻想の戦後史』(竹内洋、中央公論新社、2011)-教育社会学者が「自分史」として語る「革新幻想」時代の「戦後日本」論
書評 『「鉄学」概論-車窓から眺める日本近現代史-』(原 武史、新潮文庫、2011)
・・この本の第7章がまさに「革新幻想」の時代=高度成長期
『王道楽土の戦争』(吉田司、NHKブックス、2005)二部作で、「戦前・戦中」と「戦後」を連続したものと捉える
・・著者の吉田司氏は「小川プロ」の結成メンバーの一人として三里塚闘争のドキュメント映画「日本解放戦線 三里塚の夏」制作に演出助手として参加した経験をもっているが、農民賛歌の背後にある偽善性を批判して離脱している
書評 『必生(ひっせい) 闘う仏教』(佐々井秀嶺、集英社新書、2010)-インド仏教復興の日本人指導者の生き様を見よ!
書評 『男一代菩薩道-インド仏教の頂点に立つ日本人、佐々井秀嶺-』(小林三旅、アスペクト、2008)-こんなすごい日本人がこの地球上にいるのだ!
(2023年11月25日発売の拙著です 画像をクリック!)
(2022年12月23日発売の拙著です 画像をクリック!)
(2022年6月24日発売の拙著です 画像をクリック!)
(2021年11月19日発売の拙著です 画像をクリック!)
(2021年10月22日発売の拙著です 画像をクリック!)
(2020年12月18日発売の拙著です 画像をクリック!)
(2012年7月3日発売の拙著です 画像をクリック!)
end