わたしもまたそうであるが、とくに熱心なクラシックファンというわけではなくても、小澤征爾という名前を聞いたことのない日本人は少ないのではないだろう。オーケストラの指揮者として、トップを走り続けた「世界の小澤」である。
小澤征爾がボストン交響楽団の音楽監督であった時代、ちょうどわたしもアメリカ東海岸にいたこともあって、なんどかボストンに行く機会があったにもかかわらず、一度もコンサートに行くことができなかったのは残念な記憶として残っている。
小澤征爾が亡くなったのは、いまから2年前の2024年、享年88であった。その最後まで走り続けようとしたエネルギーと執念、驚くばかりである。
ボストン交響楽団時代の小澤征爾についてもっと知りたいと思って、『タクトは踊る 風雲児・小澤征爾の生涯』(中丸美繪、文藝春秋、2025)という本を読んでみた。没後に最初に出版されたこの評伝である。
オーケストラの指揮者という実力主義の世界でトップにいつづけるためには、つねに走り続けなくてはならない。その厳しさはアスリートとおなじであるが、クラシック音楽を生み出した欧州の出身ではない日本人の奮闘ぶりは、読んでいて恐れ入るばかりだ。
とはいえ、小澤征爾の生涯でもっとも興味を引かれるのは、38歳でボストン交響楽団の音楽監督に就任すあるまでの前半生である。
尋常ではないエネルギーと執念、失敗を恐れない胆力。父親が名づけた征爾という名前に体現されているように、戦前の満洲に生まれ、幼少期を過ごした大陸的な人物であり、英語が不得意にもかかわらず海外に飛び出していった、日本人ばなれした行動力には目を見張らされる。
本書は、クラシック音楽関係で数多くの評伝をものしてきた著者による最新作で、音楽関係者のみならず、小澤征爾を支援してきた経済人など、さまざまな関係者への精力的な取材によって、外側から小澤征爾の全体像を浮き彫りにしようとした試みである。
個人的には、もっとボストン時代について深掘りの記述を期待していたのだが、小澤征爾がボストンに腰を据えることなく、日本を含めて世界中を飛び回っていたこともあって、思ったより少なかったのが残念であった。
小澤征爾自身が文筆家ではなく、表現活動のほぼすべてをパフォーマンスとしての音楽にかけていたこともあり、小澤征爾の内面を知るには限界がある。パフォーマンスそのものは一回限りのものであり、まったくおなじものを再現することはできない。
1935年(昭和10年)生まれの小澤征爾は、わたしからみたら父親と同世代の人物である。大学学部時代の恩師もそうだったし、石原慎太郎など、この世代の日本人たちが戦後日本にはたした役割のひとつとして、小澤征爾の名は記憶にとどめていくべきだろう。
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目 次プロローグ第1章 スクーターと貨物船で第2章 N響事件第3章 二つの恋第4章 日本フィル分裂事件第5章 新日本フィルとボストン響第6章 サイトウ・キネン・フェスティバル第7章 世界の頂点へ第8章 初心に戻る小澤征爾 年表あとがき参考文献
著者プロフィール中丸美繪(なかまる・よしえ)斎藤秀雄没後50年の2024年、『斎藤秀雄 レジェンドになった教育家―音楽のなかに言葉が聞こえる』(決定版)を刊行。原本となった『嬉遊曲、鳴りやまず―斎藤秀雄の生涯』(1996年刊行)で日本エッセイスト・クラブ賞、ミュージック・ペンクラブ賞。2009年『オーケストラ、それは我なり―朝比奈隆 四つの試練』で織田作之助賞大賞。慶應義塾大学卒業。日本航空勤務を経て東宝演劇部戯曲研究科9期(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)
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