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2015年9月6日日曜日

書評『ポーランドに殉じた禅僧 梅田良忠』(梅原季哉、平凡社、2014)-日本とポーランド交流史の一角にこんな日本人がいたのだ!

(カバー写真の左が梅田良忠、隣は親友のミホフスキ)

日本とポーランドの知られざる交流史を描いたノンフィクション。こんな日本人がいたのだ(!)という驚きが、最初から最後まで一貫している内容の本だ。

本書の主人公の名は梅田良忠(うめだ・りょうちゅう 1900~1961)。wikipedia でも、日本語版ポーランド語版にしか取り上げられていない人物だ。

6歳で禅寺に預けられ、その後は禅僧として得度して僧名を名乗ることになったが、音楽好きでいつもバイオリンを弾いていたという芸術肌の人。大正デモクラシーの時代に青年時代を迎えた人である。

そんな一人の禅僧が数奇な半生を送ることになったキッカケは、22歳でドイツに留学する機会を得て欧州に旅立ってことにある。

ところが、ドイツに留学するはずだったのが、40日にわたる欧州航路の船中で意気投合して親友となったポーランド人青年との縁でポーランドに進路変更することになる。第一次世界大戦の敗戦で混乱状態にあったドイツではなく、大戦後の1918年に独立回復して国づくりの熱気のなかにあるポーランドに行ったことが、梅田良忠が現地で大活躍する第一歩となった。

日本とポーランドは、じつはソ連(=ロシア)をはさんだ隣国どうし。日露戦争における情報将校・明石大佐が革命家や独立運動家に資金提供した情報工作の話は比較的知られていることだろう。それ以来、インテリジェンスの世界では、日本とポーランドが密接な関係があったことは、意外と知られていないかもしれない。

独立を回復したポーランドだが、第二次世界大戦ではふたたびドイツに占領され独立を失ってしまう。だが、そんな時期においても、日本はドイツの同盟国でありながら、ポーランド亡命政権の情報機関とは秘密裏に関係をもっていたのである。リトアニアで情報工作を行っていた外交官の杉原千畝もまたその枠組みのなかにあった。

ポーランドから退去させられたあと、ブルガリアの首都ソフィアで朝日新聞特派員となっていた梅田良忠は、一民間人でありながら、連合国が戦後処理を話し合ったテヘラン会談で、「ドイツが降伏した後、ソ連は3ヶ月以内に対日参戦する」という極秘情報を入手する。

ポーランド語を筆頭に語学の達人であっただけでなく、誰もが振り返るようなポーランド美人が同棲相手であったなど、じつに豊富なポーランド人脈をもっていたから極秘情報が入手できたのである。その詳しい内容が、機密解除された公安情報や外交文書などを解析した著者の手によって丹念に追跡されている。

だが、その極秘情報は日本中枢では活かされることはなかた。ドイツの降伏は1945年5月8日、ソ連が対日戦に踏み切ったのは1945年8月9日。文字通り「ドイツが降伏した後、ソ連は3ヶ月以内に対日参戦する」結果となった。じつに確度の高い極秘情報だったのだ。後の祭りである。

著者が梅田良忠のことを知ったのは、欧州駐在員としてバルカン半島のマケドニアで取材中の偶然のキッカケからだという。偶然がもたらした人との出会いから生まれた縁。その縁をたどり、数奇な半生を送った主人公の存在を知り、その息子がなんと日本人でありながら社会主義時代ポーランドの自主管理労組「連帯」の国際局次長として活躍したことも知る。本書の成立にも大きくかかわっている。

1920年代から1940年代にかけての複雑きわまる中東欧とバルカン半島を舞台に、青春を駆け抜けた梅田良忠という一人の日本人。日本に帰国後の後半生においては、禅寺で住職を務めたのち、東欧史や考古学の分野で大学で教鞭をとった。晩年にはポーランドの国民文学であるシェンキェヴィッチの『クオ・ヴァディス』をポーランド語から翻訳し、人生の最晩年にはカトリックの洗礼を受ける。カトリック国ポーランドへの思いの末の決断だったのだろう。

知られざる日本人の発掘を行った貴重な労作である。ポーランドといえば「連帯」(=ソリダルノスチ)という連想をもっている世代や、中東欧史に関心のある人だけでなく、読むことを薦めたい一冊である。





目 次

序章 謎の人物
第1章 若き禅僧の旅立ち
第2章 ポーランドに溶け込んだ日本人
第3章 ブルガリア公使館付の広報官
第4章 「単なるスパイ」
第5章 ウメダを監視下に置け
第6章 クルロバという女
第7章 グループB-ソフィアのポーランド人地下組織
第8章 特派員としての苦渋-記者として①
第9章 テヘラン会談-記者として②
第10章 錯綜する人脈
第11章 プロメテウス同盟
第12章 地下ポーランド情報機関と日本の協力
第13章 失意の帰国、そして敗戦
第14章 再生と死と
終章 国境を越えた「連帯」
あとがき
参考資料

著者プロフィール
梅原季哉(うめはら・としや)
1964年、東京生まれ。朝日新聞ヨーロッパ総局長(ロンドン特派員)。国際基督教大学(ICU)教養学部卒業。88年、朝日新聞社入社。長崎支局で記者生活をスタートし、西部本社社会部、外報部などを経て、97~98年ヨーロッパ総局ブリュッセル駐在、98~2001年ウィーン支局長、06~09年アメリカ総局員(ワシントン特派員)。帰国後、国際報道部デスク、東京社会部デスクなどを経て、13年9月より現職。1993~94年、米ジョージタウン大学外交学大学院(School of Foreign Service)にFellow in Foreign Serviceとして派遣(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。



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