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2018年8月15日水曜日

この本が面白い!-26年ぶりに再読した『トルコのもう一つの顔』(小島剛一、中公新書、1991)、そしてその続編である漂流する『漂流するトルコ-続「トルコのもう一つの顔」』(旅行人、2010)



久々に再発見して読み出した『トルコのもう一つの顔』(小島剛一、中公新書、1991)。パラパラ読んでたらあまりにも面白いので、とうとう最後まで読んでしまった。 

アメリカ滞在から戻ってきてからほどなく、
日本への帰国前にトルコに初めて行ったこともあり、新刊書として書店でみつけてすぐに読んだのが1992年9月。なんと26年ぶり(!)の再読だが、これだけ面白い本はなかなかないと思う。 

内容は、フランスに留学したまま永住を決意してフランスに滞在を続ける著者が、トルコ大好き人間になって深入りするうちに、当時のトルコ政府が否定していた「トルコのもう一つの顔」に気がついてしまう。 


トルコ語とはまったく異なるクルド語をはじめ、トルコがじつは多民族・多言語国家で、きわめて多くの少数民族、宗教が存在するモザイク状態であること。クルド人以外にも、存在すら知られていないような少数民族や、弾圧されている少数民族もいること。 これらの事実は、現在では「常識」となっているが、本書の出版当時はトルコ政府はかたくなに否定していたのだ。


そもそも、現在のトルコ人は、現地に生きていたギリシア人やアルメニア人その他がトルコ化されイスラーム化されたものが多数派であり、出自とされる中央アジア出身のトルコ族そのものではないのである。中央アジアの遊牧民は、トルコではなくテュルク族と表記すべきである。


かつてのビザンツ帝国(=西ローマ帝国)とその周辺が、15世紀にはそっくりそのままオスマン帝国に飲み込まれたからだ。そのため被占領民がトルコ化されたのである。1830年にはギリシアが分離独立、 第一次世界大戦の敗戦でオスマン帝国が解体されたあと、アラブ人、アルメニア人などが分離独立したが、いまなおトルコは多民族・他宗教状態であることに変わりはない。

言語学の立場からの17年に及ぶ著者のフィールドワークの記録をルポルタージュ風に記したこの本は、読み物としてはほんと面白い。学術調査そのものが現地政府に危険視されるだけでなく、調査対象者に累が及んでしまうかもしれないので仮名を使用、著者自身もまた取り調べをうけて拘置所も体験している。著者は最終的に「国外追放」となるのだが、ほとんど秘密調査記録みたいな、手に汗握るスリリングな内容でもある。 


読みながら思ったのは、外国人労働者がなし崩し的に増加している2018年現在の日本は、実質的に多民族・他宗教化が進行している状況であり、そんな社会で生きるとはどういうことか考えるための参考になるのではないか、ということだ。著者自身、多民族・他宗教国家のアルザス地方(フランスとドイツの国境地帯)で暮らしてきた経験がベースにあるようで、日本に生まれ育った日本人とは異なる生活の知恵を身につけている人である。 


この本が日本で出版されたあとでは、トルコ政府はトルコが多民族・多宗教国家であることを事実上認めたようだ。政策変更がなされたのである。学術調査が現実を変えたのである。


現在でもなお版を重ねて読み続けられていることも、この本の存在感を示しているといえよう。





目 次  
まえがき 
1 トルコ人ほど親切な人たちも珍しい  
2 トルコのもう一つの顔  
3 言語と民族の「るつぼ」 
4 デルスィム地方  
5 Y氏との旅  
6 「トルコに移住しませんか」 
7 トルコ政府の「許可」を得て 
あとがき


■『漂流するトルコ-続「トルコのもう一つの顔」-』(小島剛一、旅行人、2010) 


このあと引き続き、同じ著者による『漂流するトルコ-続「トルコのもう一つの顔」-』(小島剛一、旅行人、2010)を読んだ。『トルコのもう一つの顔』(1991)の20年後に出版された「続編」である。これまたじつに面白かった。 

この続編は、すでに2010年に購入していたにもかかわらず、ちょっ読んだだけで「積ん読」となっていたのは、『トルコのもう一つの顔』(1991)に続けて読まなければ意味がないとわかったからだ。その後、読む機会を逸したまま、そうこうしているうちに、あっという間に8年もたってしまったのだ。月日がたつのはじつに早い。 



続編の内容は、前著の最後で「国外追放」処分となり「再入国禁止」となった著者が隣国のギリシアに脱出した話の続きが語られる。正編の出版に至るまでの裏話も知ることができる。


その後、ふたたびトルコ入国が可能となって少数言語のフィールドワークを行うことが可能となるが、2003年には再び「国外追放」処分となる。 正編では仮名となっていた人物の一部が実名公表されている。

フランスとトルコを往復する著者の視点は、専門分野である言語にとどまらず、社会情勢や政治情勢にも考察が及び、余儀なくされたものだとはいえ、フランスとトルコ双方の外交関係者や諜報機関とのかかわりも語られる。といって無神経なわけではない。自分がかかわる人たちに害が及ばないよう、細心の注意を払って生きている。ある言語と、それを話す話者は、分離不可能な存在なのだ。そんな著者による、体験者ならではのインサイド・レポートでもある。 

この著者が書くものを読んでいて気持ちがいいのは、日本語で書かれていながら、「空気」を読んだり、日本の「世間」を顧慮することがいっさいないことだ。すでにフランスで永住権をもっており、国籍は日本のままだが、日本にはもはや居場所がない。政治的な思惑で主張を曲げることはない。歯に衣着せぬ書き方である。だから読んでいて、さわやかな印象が残る。 

トルコについて書かれた本はそれこそ多数あって、私もかなり読んでいるのだが、この著者の立ち位置はじつに独特だ。そして本の内容は、トルコの礼賛本でも批判本でもない。トルコを「内側から」理解しようとする内容だ。事実そのものを重視する態度である。

 「ありのままの現実」を知りたい、理解したいという知的熱情こそ、この著者がホンモノの研究者であることのあかしなのである。正続2冊つづけて読むことをおすすめする。

なお、『トルコのもう一つの顔』(1991)出版にあたって、担当編集者と編集長から相当の圧縮と書き直しを余儀なくされたことは、『トルコのもう一つの顔・補遺編』(ひつじ書房、2016)を見ればよくわかる。興味があれば、そちらも見ておくといいだろう。







目 次  
序幕 
第1章 トルコ・ギリシャ国境から帰仏  
第2章 あるアレウィー教徒  
第3章 本を書こう  
第4章 トルコ民主化の兆し  
第5章 再びトルコの土を踏む  
第6章 トルコ大使たち  
第7章 フランスの新聞とトルコの新聞  
第8章 トルコの言語状況に関する報告書  
第9章 ラズ人とヘムシン人  
第10章 クルド語、ザザ語、ウブフ語、ラズ語…  
第11章 諜報機関さまざま  
第12章 トルコのメディア  
第13章 出版倫理  
第14章 『ラズ語文法』を友人たちに 
後書き






著者プロフィール 
小島剛一(こじま・ごういち) 
1946年、秋田県生まれ。1968年以来フランス在住。1973年以来、フランス人向けの日本語教育にも携わっている。1978年、ストラスブール大学人文学部で博士号取得。専攻は言語学と民族学。1986年9月、トルコ共和国で少数民族言語臨地調査のための「研究調査ビザ」を所持していたにも拘わらず国外退去勧告を受ける。その後、四度に亘って空き巣被害を受けるが盗まれたものは何も無し。この時以来、身の安全のため、住所や勤務先は非公表(本データは、2016年に出版された最新著書に掲載されていたもの)


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「ナマステ・インディア2010」(代々木公園)にいってきた & 東京ジャーミイ(="代々木上原のモスク")見学記
・・東京ジャーミイ(="代々木上原のモスク")はトルコ政府の支援で再建された立派なモスク

書評 『1492 西欧文明の世界支配 』(ジャック・アタリ、斎藤広信訳、ちくま学芸文庫、2009 原著1991)-「西欧主導のグローバリゼーション」の「最初の500年」を振り返り、未来を考察するために

・・「『1492』年にスペインから追放されたユダヤ人は、オスマントルコ帝国が全面的に受け入れた。 彼らはイスラムの地で、そして何よりもオスマン帝国で最も歓迎される。「オスマン帝国ではバヤズィト二世が『これほど役に立つ臣民を追放するキリスト教徒君主たちのばかさ加減』に驚き、行政機関と人民に彼らの入居を手助けするよう勧告している。(・・中略・・) こうしてイスタンブール、サロニカ、アドリアノプール、ギリシアの島々、つまり混血の人たちの土地が、ほぼ五世紀の間、多くの自由なユダヤ人共同体にとって避難と活動の場所となる。
私はたまたま1992年にトルコのイスタンブールを訪れたことがあるのだが、そのとき冷やかしで入ったトルコ絨毯屋で店主と英語でいろいろ会話をしていた際、「1492-1992」と刺繍された赤いペナントが眼に入ったので店主に尋ねてみたところ、店主のおやじは自分がユダヤ人であること、先祖がスペインから追放されてトルコに移住したユダヤ人の家系であることを話してくれた。」

書評 『物語 近現代ギリシャの歴史-独立戦争からユーロ危機まで-』(村田奈々子、中公新書、2012)-日本人による日本人のための近現代ギリシア史という「物語」=「歴史」


映画 『消えた声が、その名を呼ぶ』(2014年、独仏伊露・カナダ・ポーランド・トルコ)をみてきた(2015年12月27日)-トルコ人監督が100年前のアルメニア人虐殺をテーマに描いたこの映画は、形を変えていまなお発生し続ける悲劇へと目を向けさせる


クルド人の独立国家樹立は心情的には共感するのだが・・・。増殖が止められない主権国家の弊害が指摘される現在、「民族自決」原則の積み残し課題はどうなるのか?


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(2018年8月16日 情報追加)



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