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2010年3月7日日曜日

書評 『1492 西欧文明の世界支配 』(ジャック・アタリ、斎藤広信訳、ちくま学芸文庫、2009 原著1991)-「西欧主導のグローバリゼーション」の「最初の500年」を振り返り、未来を考察するために




「西欧主導のグローバリゼーション」の「最初の500年」を振り返り、未来を考察するために

 本書のタイトルである『1492』年とは、ジェノヴァ人コロンブスが黄金の国ジパングを求めてスペインから出航し、「意図せざる結果」としてアメリカ大陸に到達した年として一般には記憶されているだろう。

 『1492』年は一方、コロンブスの出航に先行してスペインでは、グラナダ陥落によってイスラーム王朝を滅亡させ、その勢いでユダヤ人を追放した年でもある。

 この二つの出来事が発生した『1492』年こそ、「西欧主導のグローバリゼーション」が事実上始まったといってよいのであり、そしてこの二つの出来事はその後「500年の歴史」の幕開けとして、象徴的な出来事でもあったのだ。

 もちろん、これは『1492』年の時点では誰にもわからなかったことである。「第Ⅲ部歴史を捏造する」の冒頭で、ユダヤ神秘主義カバラの中心書『ゾーハル』を引用して著者が述べているように、「過去は唯一それに意味を与える未来によってしか理解されえない」からだ。

 著者は、ユダヤ史においては「1940年代前半のホロコースト」にも匹敵するインパクトをもった「1492年スペインからのユダヤ人追放」と、コロンブスによるアメリカ大陸「発見」とその後の徹底的な収奪に共通する、「純化」というロジックを掴みだして読者に提示してみせることにより、『1492』年のもつ意味を、ヨーロッパ中心の世界史のなかに位置づけている。

 本書は、年代記風の記述である「第Ⅱ部1492年」を真ん中にもってきて、『1492』年が西欧による世界支配が開始された分水嶺ともなる年であったことを、読者に時系列で同時代体験をさせるという面白い試みをしている。

 この第Ⅱ部に先立つ「第Ⅰ部 ヨーロッパを捏造する」では、『1492』年を用意した西欧のパワー勃興の内発的発展のメカニズムを詳述、最終章の「第Ⅲ部 歴史を捏造する」では、『1492』年以降の欧州パワーが、地中海から大西洋にシフトし、「グローバリズム」の波を主導して全世界を覆い尽くしていく姿を、功罪両面を踏まえて描き出す。

 著ジャック・アタリは、欧州を代表する知性として多数の著作をもつ思想家の顔だけでなく、ミッテラン大統領の顧問をつとめ、冷戦構造崩壊後は欧州復興開発銀行の初代総裁も歴任した、フランスのみならず、欧州のトップエリートである。

 そういう存在でありながら、欧州そのものを相対化できる視点をもっているのは、フランス本国の出身ではなく、地中海をはさんで対岸の植民地アルジェリアで、香水や宝石を扱うユダヤ人商人の家庭に生まれた人であることと無縁ではあるまい。アタリ家が『1492』年にスペインから追放されたスファルディム系ユダヤ人かどうかは、本人が何も言及していないので正確なところはわからないが、自らの出自をも含めて、いっさいすべてを相対的かつ客観的な視点で突き放して見つめることのできる知性が、『1492』年以降の歴史をオモテとウラの合わせ鏡として認識する本書を書かしめたといってよいのではないだろうか。 


本書が、1992年の「コロンブス500年祭」に合わせた出版であったにもかかわらず、欧州が主導したグローバリゼーション時代を相対化し、批判的に描き出している。

 この1992年は、前年12月のソ連の崩壊により冷戦構造が終結、アメリカ一極支配が確立した年でもある。『1492』年の意味が同時代的にはわからなかったように、1991年の意味も本書出版時点では、まだ意味が確定できていなかったかもしれない。

 「海から海へと移動し、他者の追放の上に自らを構築し、純潔を追い求め、自らの残虐行為を忘れ、地上の楽園の名において人類を破壊」してきた「西欧による500年の覇権」。この表現は、そのまま米国の歴史にもあてはまるだろう。米国は西欧文明の直接の継承者であり、これは本書出版後の2001年の「9・11テロ」で顕在化し、誰の目にも明らかになったことである。

 この本を2010年以降に読む意味は、「1992年に終わった500年」の「次の500年?」の最初の20年が終わった時点から見て、未来に向けて思考するためのさまざまなヒントを得ることができることにある。

 日本語訳文庫版のカバーは、原書フランス語文庫版とまったく同じで、ベーハイムの地球儀を使用している。このカバー写真の意味をじっくり考えるべきであろう。そしてこの地球儀を右に回すと現れてくるものは・・・

 全体にカタカナ表記の固有名詞が多くて、ややペダンティック過ぎるのではと思われるくらいだが、歴史を動かす原動力が個々の政治家や個人であるよりも、15世紀欧州の原動力となったのが、総体としての「商人たち」、「数学者たち」、「外交官たち」、「芸術家たち」、「探検家たち」であったことを考えれば、固有名詞の大半を読み飛ばして記憶に残らなくても、とくに論旨には大きな問題はないだろう。

 その意味では詳細な固有名詞索引よりも、「商人」や「ジェノヴァ人」、「マラーノ」、「インディオ」といったキータームの索引が欲しかったところだ。原書の索引をそのまま日本語に移しているだけなのは、ないよりましではあるが、あまり芸があるとはいえないのではないか。

 「ヨーロッパ500年の覇権」が終焉した現在も、「西欧文明の延長線上にあるアメリカ文明」は、1492年以降の最初の100年間の西欧にも似て、いまだ荒々しい姿を隠そうともしない

 500年後、『1991』という本はどのように書かれることになるのだろうか? そんなことも考えてみたくなる本である。


<初出情報>

■bk1書評「「西欧主導のグローバリゼーション」の「最初の500年」を振り返り、未来を考察するために」投稿掲載(2002年3月6日)

*再録にあたって、字句の一部を修正した。




<書評への付記>

現代の「賢者」ジャック・アタリについて

 「アタリ前田のクラッカー」といえば、つい先日亡くなった俳優の藤田まことを幽明にした CM だが(・・このCMは関西中心で関東ではあまりオンエアされていなかったようだが)、ジャック・アタリ(Jacque Attali)は、よくこれだけ大胆で精緻なものを書けるものだと感心する。彼は、まさに現代に生きる「万能人」、驚異的な頭脳の持ち主である。アタマの出来があたり前の人とは違いすぎるようだ。

 しかも、ミッテラン大統領の懐刀(ふところがたな)として特別顧問を務め、欧州復興開発銀行初代総裁を歴任したという公的なキャリアも綺羅星のごとくである。

 学歴もまたエリート中のエリートそのもので、グランドゼコール(grandes ecoles)といわれる、エコール・ポリテクニーク(理工科大学)を首席で卒業、パリ政治学院、鉱山大学校、国立行政学院(ENA:エナ)を卒業、経済学博士号を取得。

 国家公務員として国務院審議官を務めながら、大学では理論経済学を講義、先にもふれたように大統領顧問ののち、冷戦構造崩壊後の1991年には、旧ソ連東欧(・・中央アジアも含む)の支援のための欧州復興開発銀行EBRD: European Bank for Reconstruction and Developmentの初代総裁に就任したが、1993年に任期途中で辞任している。

 欧州復興開発銀行総裁時代のアタリについては、フランス以外の国から批判が集中したことが、日本人職員の手記に書かれてい。経済交渉と人権-欧州復興開発銀行の現場から-』(山根裕子、中公新書、1997) フランス人が総裁を務めることに、ドイツなど中東欧に利権をもつ国々から見れば、はっきりいって面白くなかったであろうことは容易に推察される。

 ジャック・アタリは一度だけ本人をみたことがある。京都の国際会館で行われたシンポジウム 討論「文化の多様性」(2004年11月7日)で、基調講演「グローバリゼーションと文化の多様性」を聞いた。えらい早口の英語でしゃべっていたことを覚えている。講演の内容は以下のようなものであった。

アタリ氏は「グローバリゼーションと文化の多様性」と題した講演の中で、「グローバリゼーションが進むにつれ、文化は変容への圧力にさらされる。固有の文化を守る努力も大切だが、他文化を受け入れる柔軟さも併せ持たなければならない」と文化の多様性維持の条件について述べた。(文化庁「国際フォーラム」ウェブサイトより引用)

 このシンポジウムは、ユング派心理学者の河合隼雄が、文化庁長官として健在だった頃に企画され実現されたものであった。ジャック・アタリの講演と、李御寧(イ・オリョン)による講演のあと、河合隼雄をまじえて日本人3人による鼎談がおこなわれたが、河合隼雄の語りは、関西弁の口調がやわらかく、漫談のようで面白かったことを覚えている。

 ジャック・アタリは、冷戦崩壊後は難解な思想書よりも、未来学的な本を次から次へと出版しており、ふだん人文書など読まないビジネスパーソンのあいだでも、知名度がグンと上がったようだ。
 とくに「ノマド」という概念は非常に面白いものがある。携帯電話をはじめ、すべてのものが小型化し、ポータブル化することで、移動することが人間の本性になっていくという将来見通しを、1990年に入る前にすでに行っている。「ノマド」(nomad)とは、本来は遊牧という意味だ。

 1989年に出版され、1991年に英語版がでた Millennium: Winners & Losers in the Coming World Order という本にはすでに、「ノマド化」によって組織ではなく個人のチカラが増大していくだろうという楽観的な未来像が描かれていたことには、大いに感心したことを覚えている。現在はまさにこのプロセスが限りなく進行中であり、このようなことをいち早く主張したジャック・アタリは、まさに現代の「賢者」といわれるのも当然だろう。

 そもそも「ノマド」という概念は、いかにも「ディアスポーラ」の歴史を背負った、ユダヤ系知識人がいい出しそうな発言だ。

 ここで、アタリの出自について少し詳しくみておこう。アタリ家はアルジェリアのユダヤ系の出身で、中東欧のアシュケナージ系ではなく、アフリカ中近東出身のミズラーヒである。Wikipedia の項目 Mizrahi Jews(英語版)には、ミズラヒの一人としてアタリ(Attali)の名前がでてくる。ただし、1492年にスペインから追放されて中近東に移住したスファルディム系かどかまではわからない(・・おそらくそうなのではないか、と推測)。

 Wikipedia の項目 Jacques Attali(フランス語版)には以下の記述がある。
En 1943, le 1er novembre il naît avec son frère jumeau Bernard Attali à Alger en Algérie dans une famille juive. Son père, Simon Attali, est un autodidacte qui réussit dans lecommerce de parfumerie bijouterie (enseigne « Bib et Bab ») à Alger. En 1956, deux ans après le début de la Guerre d'Algérie (1954 à 1962), son père décide de venir s'installer rue de la Pompe à Paris, avec sa famille (Jacques a 13 ans).
Les deux frères jumeaux Jacques et Bernard suivent des études au lycée Janson-de-Sailly, dans le XVIe arrondissement de Paris, où ils rencontrent Jean-Louis Bianco et Laurent Fabius. En 1966, Jacques sort major de promotion de Polytechnique (X1963). Docteur d'État en sciences économiques, Ingénieur du Corps des mines, diplômé de l'Institut d'études politiques de Paris et de l'École nationale d'administration dont il sort troisième de sa promotion en 1970 (promotion Robespierre avec Philippe Séguin et Louis Schweitzer).

 かいつまんで要約すれば、アタリ家はアルジェリアの首都アルジェで、香水や宝石を扱うユダヤ人商人で、父親シモンは独学の人であったこと、ジャックが13歳のとき、1954年に始まった「アルジェリア独立戦争」のため、アルジェリア脱出を決意、フランスに移住してパリに落ち着くこととなった。双子の兄弟の片割れベルナールはフランスのナショナルキャリアであるエール・フランスのトップも歴任している。

 ちなみに、フランスの知的巨人であったもうひとりのジャック、すなわち哲学者のジャック・デリダも、アルジェリア出身のユダヤ系フランス人であった。

 日産とルノーの戦略的提携(アライアンス)が締結された時点の、ルノー公団の総裁であったルイ・シュヴァイツァーは、ジャック・アタリの同期であったようだ。エリートである国家公務員が国全体を指導するという中央集権国家フランスを象徴しているような話である。ちなみに、シュヴァイツァーとはドイツ語でスイス人のことだが、彼自身もスイスのフランス語圏ジュネーヴの生まれらしい。


西欧支配の「500年の歴史」の裏面史であるユダヤ史について

 ところで、1492年以降の西洋史というのは、前半はユダヤ人追放により「純化」を徹底したのであったが(・・プロテスタントのなかからは、文字通りの「ピューリタン」が誕生する)、「異端審問」という手段による「純化」を徹底したカトリック国スペインとポルトガルが衰退し、一方では追放されたユダヤ人を受け入れたオランダや英国、その後フランス革命による「人権思想」によってユダヤ人解放を行ったフランスやドイツが、ユダヤ人の商業能力と金融能力をフルに活用して経済力を蓄え、世界史の中心となっていく。

 本書『1492』も、ユダヤ史というヨーロッパ世界の「裏面史」と重ね合わせた読み方をすれば、「500年の歴史」の意味がはっきり見えてくるのである。
 書評のなかで、私は以下のように書いている。

「第Ⅲ部歴史を捏造する」の冒頭で、ユダヤ神秘主義カバラの中心書『ゾーハル』を引用して著者が述べているように、「過去は唯一それに意味を与える未来によってしか理解されえない」からだ。

 日本語訳では、カッコ書きの注釈で、ただたんに『ゾーハル』(モーセ五書の注釈書(十三世紀)」としているに過ぎないが、これではアタリの真意を十分に読み取ったとはいえないだろう。

 ユダヤ人の「記憶」における『1492』の意味は、ユダヤ人の記憶 ユダヤ人の歴史』(ヨセフ・ハイーム・イェルシャルミ、木村光二訳、晶文社、1996)を読むとよく理解できる。『1492』の「スペインからのユダヤ人追放」が、ユダヤ人コミュニティに、いかに大きなインパクトを与えたかは、そしてイサアク・ルーリア(1534-1572)のようなカバリスト(=ユダヤ神秘主義のカッバラー主義者)の思想形成に大きな影響を与えたかが語られている。

 ルーリアの「ツィムツーム」(・・世界創造に先立って、神が自己自身の内部に収縮・撤退するという理論)は、「スペインからのユダヤ人追放」以後のユダヤ思想の際だった反映であるらしい。

 また、この本には、ユダヤ人は「記憶」の民であり、「歴史」の民ではないそもそも「ユダヤ史」というコンセプト自体が、きわめて新しいものであることも、この本には繰り返し強調されていることにも触れておく。

 私が大学学部の卒論を執筆する際に使用した、Baron, Salo.W. , A Social and Religious History of the Jews Vol.7, Columbia University Press, 1968 の著者サロー・バロンが「ユダヤ史」のコンセプトを確立した人であることが、その弟子にあたるイェルシャルミ自身が、『ユダヤ人の記憶 ユダヤ人の歴史』のなかで述べている。それくらい新しいコンセプトである。

 中国文明の圧倒的影響を受けた日本や韓国と、インド文明の影響を受けた文明圏では、歴史意識が根本的に異なるようだ。つまりインド文明では歴史意識が弱いのである、ユダヤ文明も同様に歴史意識が強くないようなのだ。すなわち@「記憶の民」といわれるゆえんである。「エルサレム第二神殿」破壊、そして「スペインからのユダヤ人追放」、そして「ショア」(ホロコースト)。

 このテーマについては、やや情緒的な印象がもなくはないが、小岸昭の一連の「マラーノ」関係センチメンタル・ジャーニーが、日本語で読める本としては、良質な作品となっていることを紹介しておきたい。

スペインを追われたユダヤ人-マラーノの足跡を訪ねて-』(小岸 昭、ちくま学芸文庫、1996)は、この分野では先駆的な意味合いをもった本だといえる。初版は1992年
マラーノの系譜(みすずライブラリー)』(小岸 昭、みすず書房、1998)
十字架とダビデの星-隠れユダヤ教徒の500年-(NHKブックス)』(小岸 昭、日本放送出版協会、1999)
離散するユダヤ人-イスラエルへの旅から-』(小岸 昭、岩波新書、1997)は、中近東に移住したスファルディム系ユダヤ人の足跡をたどった内容の本であり、モロッコからエジプト、イスラエルまでの旅と思索の記録。私にはこの本が一番面白く思えた。

 「マラーノ」とはポルトガル語でブタの意味、カトリックに改宗した「隠れユダヤ人」のことである。ウェットで情緒的な日本人・小岸 昭からではなく、ドライなユダヤ人・ジャック・アタリの『1492』から引用をしておこう。「マラーノ」の存在が何を近代にもたらしたかについて。

 人々は自分が誰なのかを忘れるために追放する。人文主義(ユマニスム)の勢いに乗じて、ヨーロッパは自らがローマであることを望み、もはやエルサレムであろうとはしない。自らの父祖を選ぼうとする意思が、ユダヤ人の優れた知識人たちに改宗を強制するだろう。彼らは少なくとも二世代にわたって裏表のある言動、曖昧さを余儀なくされ、不安定で精神を隠す生活を味わうだろうが、それが彼らの批判精神に磨きをかけるだろう。やがて彼らは自由であろうとし、自分たちを受け入れる二つの教義(*引用者注:カトリックとユダヤ教のこと)とはかかわりなく思考しようと決心する。そこから<近代知識人>が誕生する。
 だから私は、スペインのユダヤ人追放は、キリスト教ヨーロッパの純潔の強迫観念がもたらした結果であると同時に、逆に、近代知識人、つまりどっちつかずの、曖昧で裏表のある、冷ややかで仮面をつけた、不純で拒否的な人間を出現させたひとつの理由でもあると思う。(P.384)

  彼らの誰もがその時代で最も自由な精神の持ち主(エスプリ)である。矛楯する事柄を尊重し、受け入れ、信じることができ、絶対的な説を拒否し、絶えず二枚舌を使い、疑うように育てられ、相次いで取り入れた二つの宗教の板挟みになっているマラーノは、新しい哲学を探し求める。(P.395)

 近代精神の誕生は「マラーノ」にあるという説の主張である。ジェノヴァ人コロンブス自身、ユダヤ人の血をひいていてらしく、マラーノではなかったのかという説もあるくらいだ。 
 
 『1492』年にスペインから追放されたユダヤ人は、オスマントルコ帝国が全面的に受け入れた。

 彼らはイスラムの地で、そして何よりもオスマン帝国で最も歓迎される。オスマン帝国ではバヤズィト二世が『これほど役に立つ臣民を追放するキリスト教徒君主たちのばかさ加減』に驚き、行政機関と人民に彼らの入居を手助けするよう勧告している。
 のちにフリードリヒ二世(引用者注:訳文ではフレデリック二世となっているが、プロイセン国王なのでドイツ風に表記すべき)も、これと全く同じように、フランスが新教徒を追放した『愚かさ』に驚いている。
 こうしてイスタンブール、サロニカ、アドリアノプール、ギリシアの島々、つまり混血の人たちの土地が、ほぼ五世紀の間、多くの自由なユダヤ人共同体にとって避難と活動の場所となる。(P.386-387)

 私はたまたま1992年にトルコのイスタンブールを訪れたことがあるのだが、そのとき冷やかしで入ったトルコ絨毯屋で店主と英語でいろいろ会話をしていた際、「1492-1992」と刺繍された赤いペナントが眼に入ったので店主に尋ねてみたところ、店主のおやじは自分がユダヤ人であること、先祖がスペインから追放されてトルコに移住したユダヤ人の家系であることを話してくれた。

 オスマントルコにおけるユダヤ人受け入れは、ジャック・アタリが言及している「ユグノー」受け入れと同様の現象といえるだろう。ドイツ人でフランス語風の名字をもつ人は、ユグノーの末裔か、亡命フランス貴族の末裔であることが多い。「ユグノー」については、「急がば回れ」-スイスをよりよく知るためには、地理的条件を踏まえたうえで歴史を知ることが何よりも重要だ にも書いておいた。

 ユダヤ史の文脈においては、1492年に始まった「500年の歴史」の最初に「スペインからのユダヤ人追放」があり、「500年の歴史」の終盤には「ショアー」(=ヒトラーによるホロコースト)が発生している。「次の500年」においても、再びユダヤ人迫害が起こらないという保証は何もない。ジャック・アタリは書いていないが、そのように思考するユダヤ人もいる。たとえば、3つの原理-セックス・年齢・社会階層が未来を突き動かす-』(ローレンス・トーブ 、 神田昌典=監修、金子宣子訳、ダイヤモンド社、2007)では、ユダヤ人が米国で迫害され、イスラエルに脱出するであろうという予言(?)が語られている。


西欧支配の「500年単位の歴史」と日本の関係

 では、西欧支配の「500年の歴史」の歴史に、日本はそう関わったか、あるいは関わらなかったのかについては、「500年単位」で歴史を考える-『クアトロ・ラガッツィ』(若桑みどり)を読む を参照していただきたい。日本にきた最初のポルトガル宣教師に隠れユダヤ教徒である「マラーノ」がいたことは興味深い事実である。

 戦国時代末期の16世紀、日本は西欧主導の「第一次グローバリゼーション」の波に全面的にさらされた。その本質に気がついていた為政者は、信長も秀吉も、国内統一戦争においてグローバリゼーションをうまく活用、最終的に天下をとった徳川幕府は「世界システム」から日本を切り離すことで、盤石の国内支配体制を確立する。

 そして、西欧主導の「世界システム」の絶頂期であった19世紀に、再び開国して荒波のなかに乗り出していったのが、幕末・明治の日本であったのである。再び19世紀後半に「世界システム」への再参入を余儀なくされた日本は・・

 グローバリズムとの関係でいえば、日本と日本人の歴史は、欧州主導のグローバリゼーションの発端で追放されながら、後半において主要なプレイヤーとなったユダヤ人の歴史と、パラレルな関係にあることがわかる。後者のユダヤ人は、うまくグローバリズムの波にのったが、その後の大規模な迫害も経験してもなお、しぶとく生き続けている。さて日本人は・・・?

 この問題については後日あらためて書くこととする(・・いつになるかは、筆者多忙につき、現在のところ未定)。


 2010年の4月に、ジャック・アタリによる「ユダヤ経済史」の大冊が、フランス語から英訳されて出版される予定である。

 Jacques Attali, The Economic History of the Jewish People, Eska Publishing. (フランス語原著は、Les juifs, le monde et l'argent, Fayard, 2002 というタイトル。フランス語を直訳すれば、『ユダヤ人、世界、そしてカネ』という、そのものズバリのタイトルになっている)。

 『ユダヤ経済史』はユダヤ人ジャック・アタリの本領発揮ということだろうか。現代の「賢者」も、商人の家庭に生まれたユダヤ人であるから。

 日本語版が出版されるのかどうかは知らない。フランス語で読むのはしんどいので、英語版の出版が待ち遠しいものだ。


P.S.  2010年3月12日に一部加筆した。

P.S. Twitter に投稿。

現代の賢者 Jacques Attali の The Economic History of the Jewish People がやっと届いた。フランス語から英訳されたばかりだが550ページもある。どのタイミングで読み始めるか悩ましい・・・・読めないで終わってしまうかも。
posted at 13:32:08 (2010年6月2日)


(追記) アタリの『ユダヤ経済史』の日本語版が出版(2015年1月30日)

『ユダヤ人、世界と貨幣-一神教と経済の4000年史-』(ジャック・アタリ、的場昭弘訳、作品社、2015)として日本語版が出版された。訳者はマルクスの『資本論』の研究者。日本語版タイトルは、副題を除けばフランス語をそのまま訳している。訳文については直接手にとって見たわけではないので、この場での論評は差し控えておこう。(2015年1月31日 記す)


          



<ブログ参考記事>

書評『100年予測-世界最強のインテリジェンス企業が示す未来覇権地図-』(ジョージ・フリードマン、櫻井祐子訳、早川書房、2009)

「500年単位」で歴史を考える-『クアトロ・ラガッツィ』(若桑みどり)を読む


『資本主義崩壊の首謀者たち』(広瀬 隆、集英社新書、2009)という本の活用法について

書評『エリートの条件-世界の学校・教育最新事情-』(河添恵子、学研新書、2009) ・・フランスのエリート教育にも触れている

本の紹介 『ユダヤ感覚を盗め!-世界の中で、どう生き残るか-』(ハルペン・ジャック、徳間書店、1987)・・ユダヤ人に天才的頭脳が生まれる理由


ジャック・アタリの著作

書評 『21世紀の歴史-未来の人類から見た世界-』(ジャック・アタリ、林昌宏訳、作品社、2008)-12世紀からはじまった資本主義の歴史は終わるのか? 歴史を踏まえ未来から洞察する

書評 『国家債務危機-ソブリン・クライシスに、いかに対処すべきか?-』(ジャック・アタリ、林昌宏訳、作品社、2011)-公的債務問題による欧州金融危機は対岸の火事ではない!


新大陸への侵略と略奪

映画  『アバター』(AVATAR)は、技術面のアカデミー賞3部門受賞だけでいいのだろうか?
・・異星人である「アバター」は、「新大陸」における「インディオ」のメタファーであろう

書評 『現代世界と人類学-第三のユマニスムを求めて-』(レヴィ=ストロース、川田順造・渡辺公三訳、サイマル出版会、1986)-人類学的思考に現代がかかえる問題を解決するヒントを探る

書評 『幻の帝国-南米イエズス会士の夢と挫折-』(伊藤滋子、同成社、2001)-日本人の認識の空白地帯となっている17世紀と18世紀のイエズス会の動きを知る

(2014年7月28日 情報追加)





(2012年7月3日発売の拙著です)





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