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2019年11月30日土曜日

「大勲位」の「大往生」-戦後最大の名宰相であった中曽根康弘元首相が逝く(2019年11月30日)


中曽根康弘元首相が亡くなったというニュースが飛び込んできた。享年101歳。まさに大往生であろう。ご冥福を祈ります。合掌

「人生百年時代」というキャッチフレーズが声高に叫ばれる現在だが、実際に100歳を超えて生きる日本人は、それほど多いわけではない。しかも、100歳すぎて頭脳明晰というケースはさらに少ない

「大勲位」の「大往生」である。大勲位とは、日本国家と社会に勲功のあった人に与えられる最高位の勲等のことだ。これは普通名詞だが、中曽根康弘元首相は生前は「大勲位」と呼ばれていた。実際、名実ともに、それに値する戦後最大の名宰相であったといってよい。「国葬」をもって応じるに相応しい。戦後に「国葬」となったのは1967年の吉田茂元首相だけだが、中曽根康弘元首相もそうすべきではないだろうか。

中曽根氏が首相だったのは、1982年から1987年までの足かけ7年間。在職期間は戦後5位になるという。ちなみに、現在の安倍晋三首相は、憲政史上1位の在職期間を更新中である。

中曽根時代は、ちょうどわたしの大学時代(1981~1985年)のことであった。内政面での最大の功績は、「国鉄民営化」を筆頭に「電電公社」と「専売公社」を「民営化」したことであろう。時代は、民営化と規制緩和(よりただしくは規制撤廃)が始まった時代である。英国のサッチャー首相、米国のレーガン大統領と同時代であり、政治経済にかんしては思想的にも同期していたのであった。

終活、もとい就活を行ったのは大学4年生のとき、正確にいえば1984年の夏のことであったが、なかなか就職が決まらなかったので、国鉄と電電公社と電源開発も回ってみた。それは、民営化になる前の最後の年であった。

「国鉄民営化」の最大の成果は、「労組」弱体化であったことは、JR東海の社長を歴任した葛西敬之氏の著書を読めばわかる。民営化して地域別に分解し、資産と債務は国鉄清算事業団に移管するという方式は、社会人になってからだが、なかなか巧みなものであったことが理解できた。

当時はまだ「左翼」が「サヨク」になりつつあったころで(小説のタイトルである)、中曽根流の改革には強い反対があったことが記憶に強く残っている。キャンパスでは「産学協同反対」が叫ばれ、マスコミでは「浮沈空母」発言が叩かれていた。サッチャーやレーガンと同じく、不退転の決意で改革を断行した中曽根氏の功績は、功罪相半ばするといっていいかもしれない。そもそも、改革には抵抗はつきものである。

外政面に目を転じたら、中曽根時代はまだ「冷戦」時代であり、ソ連崩壊(1991年)はまだ絵空事と思われていた。日米関係ではロンヤス関係であった。この件については、何度も繰り返しマスコミで取り上げられて回顧されているが、経済関係においては対立することも多々あったことには触れなくてはならない。

日韓関係は、いまからは考えられないほど蜜月の時代であった。まだ植民地朝鮮と満洲時代の日本語人脈が生きていた時代のことだ。元大本営参謀で伊藤忠商事の会長を歴任した瀬島龍三氏が韓国に特使として派遣された。初の外遊先に米国でなく韓国を選んでいる。韓国からは全斗煥大統領が来日して、都心は厳重な警戒態勢にあった。そんな暑い8月の日に、就職活動中にスーツを脱いで日比谷公園で休憩をとっていた光景がイメージ画像として自分の記憶にある。

日中関係もまた、蜜月であった。とはいえ、胡耀邦主席との蜜月は、それがあだとなって中国共産党内の権力闘争を生み出し、胡耀邦氏は失脚しただけでなく、中曽根首相が靖国参拝を自粛したことが、現在の靖国問題に尾を引いていることに触れないわけにはいかない。ちなみに、胡耀邦氏は死して「招魂」され、天安門事件のキッカケになっている。

中曽根康弘元首相の時代は、高度成長時代が終わって成熟時代に入り、日本が世界に打って出ようとしていた時代であった。1980年代について語る際、バブル経済だけでなく、中曽根康弘元首相の政治について避けてとおるわけにはいかないのである。

ただし、功罪のうち罪については1つ記しておかねばならない。それは、中曽根氏が「海軍善玉論」をまき散らしたことだ。職業軍人ではなく学徒兵として主計将校として海軍に身を置いた中曽根氏は、作家の阿川弘之氏などが拡散した「陸軍悪玉論」をかついだ一人であった。現在では、大東亜戦争は陸軍は海軍に引きずられたという見解が主流になっている。これが中曽根康弘元首相の「罪」の最たるものであると、わたしは考えている。

いずれにせよ、中曽根康弘元首相の死去によって、中曽根時代は「歴史」となる






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