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2021年9月17日金曜日

むかしのアフガン関連本が面白い-1979年のソ連軍による「アフガン侵攻」以前のアフガニスタン

 
ことし2021年8月15日、駐留米軍の撤退作戦の渦中にあるアフガニスタンで、首都カーブルがタリバーンによって無血開城される事態が発生した。誰もが「まさか!」とあっけにとられた電撃作戦であった。

そんなアフガン情勢であるが、1979年のソ連軍による「アフガン侵攻」以前のアフガニスタンについて書かれた本は面白い。アフガニスタンはもともとどういう地域なのか、ということがよくわかるからだ。以前に読んだ記憶を呼び起こして書いてみよう。 

チョンマゲ議員として有名だった松浪健四郎の『アフガン褐色の日々』(中公文庫、1983)は、体育教師としてアフガンに派遣された若き日のみずみずしいノンフィクション。松浪氏自身がレスリング出身だけに、アフガンが格闘技(レスリング)発祥の地であった記述が興味深い。1979年のソ連軍の侵攻前の「古き良き日々」の記録。 

東洋史家・岩村忍の『アフガン紀行』(朝日文庫、1992)は、「京大カラコルム・ヒンズークシ探検隊」による実地踏査による現地調査の記録。梅棹忠夫の『モゴール族探検記』(岩波新書、1956)は、おなじ探検隊の人類学班の記録。この2冊で、アフガンの歴史と土地柄を知ることのできる貴重なノンフィクションだ。前者には紀元前4世紀のアレクサンドロス大王以来のアフガン蹂躙の歴史が、後者には13世紀のモンゴル帝国時代の置き土産というべきモンゴル人の末裔「モゴール族」の存在が確認される。 

大野盛夫の『アフガニスタンの農村から-比較文化の視点と方法』(岩波新書、1971は、現地でフィールドワークを行っていた人類学者によるノンフィクション。アフガンが基本的に農村社会であることがよくわかる。タリバンは、麻薬用の大麻栽培を奨励して農村を抱き込んでいる。 

こういった本を読んだうえで、ジャーナリストや評論家にはアフガニスタンについて論じてもらいたいと思うのだが・・・ 



■「アフガン関連本」が旬のテーマだった2000年前後

ついでなので、「9・11」後の米軍によるアフガン展開前後には、こんな本も出版されていた。2001年前後は、「アフガン関連本」が旬のテーマだったのだ。「マイ蔵書」(=「埋蔵書」)から見ておこう。

『タリバン』(アハメド ラシッド、坂井 定雄/伊藤力司訳、講談社、2000)。分厚いハードカバーの単行本。この本は出版されてすぐに読んだ。20年前、なぜ当時の米国がタリバンを「敵」とみなしたかがわかる。 

『アフガニスタン史』(前田耕作/山根聡、河出書房新社、2002)。この本は、タリバンによって「バーミヤンの石仏」が国際世論を無視して無残にも破壊されたあとに出たもの。一部しか読まないまま積ん読。読まないうちに新版がでるかも・・・ 

「埋蔵書」のなかに埋没しているので、すぐには発掘できなかったが、『大仏崩壊-バーミアン遺跡はなぜ破壊されたか』(高木徹、文藝春秋社、2005)も、「バーミヤンの石仏」破壊後に、その謎を追ったNHKディレクターのジャーナリストによるノンフィクションだ。この本は、現在でも読み返す価値が十分にある。

アフガン問題が国際的な関心でありつづけるか次第で、またあらたなアフガン本も出ることだろう。 それを期待すべきかどうかは、なんともいえないが・・・





(附録)「バーミヤンの石仏破壊」(2001年)について

かつて nifty で作成していたマイ・ウェブサイトにアップしていた「つれづれなるままに」(2001年3月3日)の記事を再録しておこう。その当時、日本人仏教徒である自分がどう受け止めていたかの記録となる。

 

タリバーンによる「人類の文化遺産」バーミヤン仏教遺跡の破壊について

 アフガニスタンを事実上制圧しているイスラーム原理主義集団タリバーンが、「人類の文化遺産」バーミヤンの仏教遺跡の破壊を開始したと報道されている。考えただけで激しい怒りを感じる。このように不寛容なタリバーンに対しては、武力行使を含めた国際的制裁が必要ではないか。武力行使が仏教の理念に反することは十分わかっているが、とはいえ、このような文化破壊が公然と行われるのを座視していいのだろうか? 

 同じアジアでも、東南アジアの状況はまったく異なる。事実上のイスラーム国インドネシアには、世界の三大仏教遺跡の一つであるボロブドゥール立体曼荼羅があるが、ジャワ島民はこれを破壊するどころか、ジャワ島の誇りとして旗に描いているぐらいだ。アフガニスタン隣国のイスラーム国パキスタンですら、観光資源ともなりうるガンダーラの仏教遺跡を保護している。

 イスラームは本来的に寛容なはずである。オスマン帝国がかつてそうであった。しかしながら、タリバーンは違う。イスラームの国際的イメージをはなはだしく悪化させているタリバーンの行為は、イスラーム法に照らしてまったく問題がないといえるのだろうか。

 国連ユネスコの破壊中止勧告のほか、ニューヨークのメトロポリタン美術館やインド政府が磨崖仏を引き取ってもかまわないと申し出ているらしい。タリバーンには、イスラーム法の厳密な解釈にとらわれることなく、柔軟な交渉をおこなってもらいたい。イスラームの国際イメージを取り返しのつかないまでに悪化させることは、自らの命運に跳ね返ってくることを認識しなくてはいけない。それとも、イスラーム原理主義者には因果応報なんて観念は存在しないのか(3月3日)。


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・・「文明の生態史観」の発想は、アフガンから陸路でインドに抜けた際に思いついたのだそうだ



 
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