『アースダイバー 神社編』(中沢新一、講談社、2021)を読了。東京の古層を縄文時代までさかのぼり潜って探索した『アースダイバー』(2005年)の最新作。この間にでた他の2冊は読んでないが、本書はさらにあらたな境地を開拓したという印象がある。
あくまでも仮説の域をでない想像力の産物とはいえ、温暖期に進行「縄文海進期」の地形を見ることで、東京(とその周辺の関東地方)の縄文人の心性に迫った意欲作が「アースダイバー」だった。
現在につながる神社が、ほぼすべて縄文時代には陸地だった場所にあるという指摘は刺激的だった。聖地の場所は、時代が変わっても移動しないのだ、と。地層学的なアナロジーで太古の歴史に迫るというアプローチである。
『アースダイバー 神社編』では、日本の固有信仰形態である神道を3つの層が重なり合って形成されているという考えにたって、アースダーバーを行っている。
それは古い順からいって、「縄文古層」「弥生中層」「新層」である。言うまでもなく「新層」がいちばんうえに覆い被さっているが、場所によっては「弥生中層」が露出していることもあり、例はすくないが「縄文古層」が地面に現れていることもある。
(「日本の神社の古層学」P.31より)
「縄文古層」の代表例が、諏訪大社、出雲大社、大神神社(三輪神社)であり、狩猟採集民であった縄文人の自然観・世界観が生き残っているのだと。
つまり自分たちのことを自然界のなかの一構成要素とみなし、増やすと志向しない志向しな 循環型のサステイナブルな生き方を1万年以上つづけていたのが日本列島の先住民である縄文人。ご神体としてのヘビ。
「弥生中層」は、その後に南方から国家による統制を嫌って逃れてきた「海民」たちの信仰。
縄文人も海民の末裔であったが、弥生人(=倭人)は縄文人を上回る海民性を発揮していた。稲作と潜水漁労という技術を携えて日本列島にやってきた半農半漁を生業とする弥生人たちは、時間をかけてゆっくりと縄文人と融合していく。
増やすことを農業によって実践する弥生人は、太陽神信仰をもたらした。母子という見える神々と父である太陽神の三元論構造。山と海。天(あま)と海(あま)。
そして「新層」とは、国家統一をなしとげたヤマト政権が、朝鮮半島経由で北東アジアからもたらされた垂直軸的な王権神話によって改変された太陽神信仰。もともと父であった太陽神が、アマテラスとして女性に転換される。大化の改新以降、このあらたな「新層」が日本列島を覆い尽くすようになった。
ざっと要約すればこんなかんじになるが、実地踏査を踏まえた文献調査がイマジネーションによって、読ませるストーリーに仕立て上げられている。牽強付会という感もなくはないし、あくまでも仮説の域をでないが、なるほどと納得させられる思いがして、楽しませてくれる知的エンターテインメントになっている。
さまざまな要素がてんこ盛りの内容だが、「もともと日本人は海民である」というのが本書を一貫したテーマである。たとえ内陸に住んでいようと、海から河川づたいに内陸に遡行して定住するに至った人びとなのである。沿岸に定住した人びとは言うまでもない。
本書ではもっぱら「海民」のポジティブな側面が強調されるが、中沢氏が言及していない「板子一枚下は地獄」というネガティブな意識があることを忘れてはなるまい。
日本人にまとわりつく存在不安は、海民としての太古の記憶に由来すると考えるべきなのだ。火山列島で地震列島の日本全体が、ある意味では地球に浮かんだ船のようなものだ。揺れる地面、揺れる船のようなものという感覚が日本人の深層意識にある。
毀誉褒貶の強い中沢氏だが、もう70歳の大台に入っている。「日本人の海民性」は、叔父にあたる歴史家・網野善彦氏のテーマでもあった。このテーマをさらに深めてほしいと思う。
民俗学の父たちである柳田國男や折口信夫がその代表的な例であるが、日本人は、だれもが海の向こう側にある遠い世界にルーツを求めている。それを知りたいという強い欲求をもっているからだ。
目 次プロローグ 犬の聖地第1部 聖地の三つの層第1章 人間の聖地第2章 縄文原論第3章 倭人の神道第2部 縄文系神社第4章 大日霊貴神社(鹿角大日堂)第5章 諏訪神社第6章 三輪神社第7章 出雲大社第3部 海民系神社第8章 対馬神道第9章 アヅミ族の足跡第10章 伊勢湾の海民たちエピローグ 伊勢神宮と新層の誕生参考文献あとがき
著者プロフィール中沢新一(なかざわ・しんいち)思想家、人類学者。京都大学特任教授、千葉工大日本文化再生研究センター所長、秋田公立美術大学客員教授。1950年山梨県生まれ。東京大学大学院人文科学研究科博士課程満期退学。著書多数(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)
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・・「古代日本人が、海の彼方から漂う舟でやってきたという事実にまつわる集団記憶。著者の表現を借りれば、「波に揺られ、行方もさだまらない長い航海の旅の間に培われたであろう、日本人の不安のよるべない存在感覚」(P.212)。歴史以前の集団的無意識の領域にかつわるものであるといってよい。板戸一枚下は地獄、という存在不安。」
・・「読んでいてひじょうにうれしく思ったのは、知的自伝を語りながら、レヴィストロースの少年時代からの、地質学と考古学への深い関心が歴史学的思考の基礎にあることを知ったことだ。この歴史学認識は、わたしも共有しているものであり、地層に歴史を読む込む発想をもっていたことにあらためて驚きと感嘆を感じるのである。時間と空間にかんする認識こそが、歴史学と民族学(=文化人類学)の融合を実り豊かなものとする。」
(2021年9月22日 情報追加)
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