『黒船前後・志士と経済 他16編』(服部之総、岩波文庫、1981)を読んだ。この本は古い本だが面白い。語り口が平易で、知的好奇心を満足させてくれる内容だ。
マルクス主義経済史家による幕末維新史関連エッセイ。なんていうと敬遠したくなるかもしれないが、内容はいたって面白い。テーマと切り口の鮮やかさと、細部に至るまで探求して止まないオタク的ともいうべき研究魔の精神が活かされているからだろう。
戦前から戦後にかけて、ざまざまな雑誌に執筆された歴史エッセイを1冊に再編集したものだ。編者の奈良本辰也氏が解説も書いている。
解説でも触れられているが、服部之総(1901~1956)は、戦前戦中のマルクス主義者受難時代には、縁あって花王石鹸で社史編纂に従事し、その功績もあって取締役となり、大陸担当重役として上海に渡り、アジアビジネスを経験している。単なる学者ではなく、ナマの経済と経営を知っていた人でもあるのだ。
タイトルにもなっているエッセイ「黒船前後」は、「開国」の迫った米国艦隊の黒船が来日する前後の、船舶の技術史と産業史的観点からの読み物。
帆船時代から蒸気船時代へのシフトと、蒸気船時代であるがゆえに必要とした石炭補給基地。当時の米国が日本に求めていたのはそれであり、つまり対中貿易推進のためのロジスティクスの観点から日本列島へのアクセスを確保したかったのだ。 (*当時はまだフィリピンはスペイン領であり、ペリー艦隊も太平洋を航海してきたのではない)。
日本列島をロジスティクス基地とみる戦略眼は、現在に至るまで変わらない。大東亜戦争で日本を軍事的に屈服させたのちは、よりその色彩が明確になっただけだ。この件は、拙著『ビジネスパーソンのための近現代史の読み方』にも記述してあるとおりだ。
「志士と経済」こそ、このエッセイ集の白眉だろう。幕末の変革を担った志士たちの経済的バックグラウンドがなにであったかを示した内容だ。
このエッセイの中心となるのは、安政の大獄に連座し獄中死した儒者・梅田雲浜(うめだ・うんぴん)の経済活動だ。長州と大和を結ぶダイレクトな交易ネットワークを中心とした経済活動は、志士たちの交流ネットワークとしても機能していたという話だ。極貧の貧乏儒者の生活から、京都での華やかな生活を享受した実業家への転身。あまりにもコントラストが鮮やかだ。
(梅田雲浜 wikipediaより)
志士というと、一般に下級武士というイメージが強いが、渋沢栄一がそうであったように豪農層や豪商層出身者もすくなくない。幕藩体制という既存の枠組みのなかでの経済活動に限界を痛感していたかれらが、生業から離れて志士になった理由がそこにある。あらたな政治経済体制を熱望していたのだ。
これに対して、おなじく豪農層出身の尊皇攘夷派でありながら、最後の最後まで幕府に忠義を尽くした近藤勇や土方歳三など、新撰組の隊士たちとの意識の違いに注目すべきであろう、というのが「新撰組」で語られている内容だ。
著者の服部之総がマルクス主義者で、しかも講座派であったことから、明治維新はブルジョア革命であったとする図式的な傾向がチラチラしていなくもないが、テーマと切り口はじつに面白く、かつ斬新である。現時点で読んでも、なるほどと思わされるものがある。
このほか、個人レベルで大量生産システムを仕組み化していた「蓮月焼」の大田垣蓮月や、政治的な旗印を明確にしないで生き延びた近代インテリとしての福澤諭吉、財政問題と通貨レートからみた幕末の金(ゴールド)流出事情や、維新の負け組による北海道入植など、なかなか面白い内容のエッセイが精選されている。
すでに著作権が切れているので、個々のエッセイはネット上で無料で読めるが、バラバラの単発エッセイではなく、こうやって1冊にまとまった形で読むのもいい。経済という切り口で読み解く幕末維新史のはしりとして、古典的価値があるといっていいだろう。
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