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2021年12月30日木曜日

書評『明治維新の研究』(津田左右吉、毎日ワンズ、2021)-「明治維新」を政治プロセスと政治道徳の観点から見た身もふたもない歴史評論

 
 『明治維新の研究』(津田左右吉、毎日ワンズ、2021)を読了。日本の近現代史のはじまりともいうべき「明治維新」を、政治と政治道徳の観点から俯瞰的に見た、身もふたもない歴史評論というべき内容の本。  

著者自身はそういう言い方はしていないが、「薩長史観」(=王政復古史観)と同時に「皇国史観」も否定している。 

歴史学者の津田左右吉(つだ・そうきち)が、戦後昭和20年(1946年)から没年の1961年まで雑誌などで発表した論考を編集して1冊にしたものだ。 

津田左右吉は早稲田大学教授だったが、戦前に古代史研究を皇国史観の学者たちから批判され、「不敬」だとして古代史関連の著書が発禁になるという被害にあっている。だが、あくまでも実証主義の歴史家であって、マルクス主義者ではなかった。 

いまから40年前の大学時代に『文学に現れたる我が国民思想の研究』という、岩波文庫で8冊にも及ぶ本を通読して大いに感心したことがあるが(・・われながら、よくあんな本を読んだなと思う。当時出たばかりの加藤周一の『日本文学史序説』のつぎに読んだと記憶する)、『明治維新の研究』もまた、やや平版な記述が最初から最初までつづく文体で、正直いって読みやすい本ではない。  

基本的に、「明治維新」の政治プロセスを解剖するかのように記述している論考が7つ収録され再編集されている。 以下に目次を紹介しておこう。

はじめに-明治維新史の取り扱いについて 
第1章 明治の新政府における旧幕臣の去就
第2章 幕末における政府とそれに対する反動勢力
第3章 維新前後における道徳生活の問題
第4章 トクガワ将軍の「大政奉還」
第5章 維新政府の宣伝政策
第6章 明治憲法の成立まで
おわりに-サイゴウ・タカモリ

初出情報がないのが残念だが、いずれも「戦後」に発表されたものだ。固有人名がカタカナ書きなのは著者独自の考えによるものだが、正直いって読みにくい。 

「明治維新」というのは、ある意味では偶然の産物であって、最初から見取り図があったわけではない

きわめて複雑な政治プロセスを経ていくなかで、勢いというか流れができあがり、最終的な勝者となったマキャヴェリストともいうべき薩長勢力が、強引に武力で政権を奪取したものの、政権奪取後にはさらに試行錯誤を繰り返し下からの民衆の動きを押さえるために、上からの憲法制定に至ったというのが、著者の考えている「明治維新」なのである。 そう読み取れる。

藩主という封建諸侯による主導権争いであり、ある意味では戦国時代の再現であった。ただし、違いといえば、長州藩あるいは薩摩藩が単独で制覇できず、薩長同盟という形での制覇となったことである。

したがって、新政府が誕生した時点では、いまだ「封建制」であり(この用語の扱いは現在では慎重を要するが)、「封建制」が解消されるには「廃藩置県」まで待たねばならなかった。

著者が歴史を見る見方は、「政治道徳」にもとづくものであり、ある意味では「人としての常識」にもとづくものだ。だから、道徳的観点から、実質的に朝廷を牛耳り、正統性を担保する天皇を「玉」として扱ったことには否定的な立場になる。

また、著者の歴史に対する態度は、合理主義というか、現実主義といってもいいかもしれない。歴史をある種の特定の枠組み(フレームワーク)に当てはめたり、あるべき理想をそこに見たり、ロマンを見たりはいっさいしないのである。「身もふたもない」というのは、そういうことだ

なるほど、こんな見方や書き方では、必要以上に読者を不快にさせたであろうことは容易に想像がつく。戦前の「皇国史観」の時代にあっては、なおさらだろう。 




帯のウラには、「明治維新とは一口にいうと、薩長の輩が仕掛けた巧妙な罠に征夷大将軍がかかって了ったということである・・・」(本文より)という一節がある。つまり、「薩長史観」を否定しているわけである。

「開国」後の幕府の高級官僚たちによる開明的な政策を邪魔したのが、攘夷という妄想にもとづく志士たちのテロ行為であり、長州藩の動きだったとする。最終的に薩摩藩が長州藩と組んだことで討幕が実現したわけである。まさにその通りである。

岩倉具視や薩長関係者によるクーデターとして仕掛かけられた「王政復古イデオロギー」の虚妄性を暴き、その延長線上にあった「皇国史観」も否定しているのである。「天皇親政」という、日本史上において、ほとんど存在しない虚構を隠れ蓑にした虚偽宣伝であったのだ、という見方はその通りだろう。

さすが、先にもふれた『文学に現れたる我が国民思想の研究』(1916~1921)の著者ならではである。日本史を通観して研究して得た、日本人の天皇観を熟知している歴史家ならではである。

皇国史観の被害者ではあったが、マルクス主義者ではなかったこの歴史家は、戦前と戦後で論旨にブレがない。「津田史観」というものが存在するとすれば、それはそういうものだ。 

とはいっても、著者の立場は、旧幕寄りというわけではない。「薩長史観」が嫌いだという人が読んで、鬼の首を取ったように溜飲を下げる内容ではない。そういう観点から本書を手にとった人は失望するのではないか。

政治道徳的には否定される薩長による討幕であるが、政治におけるマキャヴェリズムという観点に立てば、ある意味では見事であるともいえる。水戸藩主斉昭の息子として生まれ育ち、尊皇姿勢を持ち続けた慶喜は、アタマの切れがすばらしかったが真情においてはナイーブに過ぎたのかもしれない。

幕府の開国政策の開明性については高く評価しているものの、廃藩置県を行って武士階級を解体した維新政府の功績についても語っている。功罪の両面について指摘しており、歴史に対して比較的フェアな態度だといえよう。 あくまでも醒めた精神の持ち主による是々非々の立場である。

とはいえ、あくまでも政治プロセスを観察した政治史であり、政治道徳の観点から「明治維新」を見たものであって、経済史や社会史の観点はいっさいない。ましてや、人物伝でもない。その意味では、面白みに欠けるものだ。 

薩長を結んだ坂本龍馬にであれ、幕府側に立った近藤勇にであれ、自分を投影して歴史上のヒーローたちを追体験したいという気分の持ち主には、不快感以外のなにものでもないかもしれない。司馬遼太郎などのヒーローものの歴史小説が大好きな人には不向きな本である。 

著者は、あくまでも戦後の1946年から1961年にかけての時点で、「明治維新」を振り返って上空から俯瞰しているのであって、その「渦中」にいた人たちには見えていなかったものを見ているのである。 

著者のように見ることのできる人は、当然のことながらリアルタイムには「明治維新」の時代には存在しなかったことに注意しなくてはならない。しかも、本書に収録された論考がは発表されてから、すでに60年以上もたっている。

歴史というものは、おなじ事実を対象に扱ったとしても、誰がどの時点で見たかによってもまた、違う絵が見えてくるものなのだ。 認知バイアスが働くからである。





PS 収録論文は、『維新の思想史』(津田左右吉、書肆心水、2013)と重なっている。こちらのほうは見ていないが、初出情報などが掲載されているのであろう。http://www.shoshi-shinsui.com/book-tsuda-ishin.htm

参考までに目次を掲載しておこう。太字ゴチックは、『明治維新の研究』(津田左右吉、毎日ワンズ、2021)とは重ならない論文である。タイトルを見れば、津田左右吉が「政治道徳」の観点から「明治維新」を見ていることがわかる。
  
幕末における政府とそれに対する反動勢力
幕末時代の政治道徳
維新前後における道徳生活の問題
君臣関係を基礎とする道義観念
明治の新政府における旧幕臣の去就
維新政府の宣伝政策
明治憲法の成立まで
近代日本における西洋の思想の移植 福沢・西・田口-その思想に関する一考察


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・・「明治維新は薩長土肥という「西南雄藩」が主導の革命だが、財政改革によって強化された経済を背景にした西日本の「人口圧力」が明治維新の主動力になったという「仮説」も興味深い(P.125)。人口が増大したのは北陸と西日本の大都市であり、同時代の関東地方や近畿地方には、そういった人口圧力は存在しないようなのだ。」


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