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2025年8月11日月曜日

書評『消された外交官 宮川舩夫』(斎藤充功、小学館新書、2025)― 外交官特権を無視してソ連に連行され獄死した悲劇のノンキャリ外交官は、日露戦争から日ソ戦争までの日露関係を支えたロシア通であった

 

『消された外交官 宮川舩夫』(斎藤充功、小学館新書、2025)という本を読んだ。知られざる日本人外交官の人生の軌跡を描いたノンフィクション作品だ。 

宮川舩夫(みやかわ・ふねお)といっても知る人はきわめて少ないだろう。もちろん、この本が出版されるまで、わたしも知らなかった。残された関係者もきわめて少なくなっている状況で丹念な取材と研究を行い、発掘してくれた著者に感謝したい。

1890年(明治23年)に生まれ、1950年(昭和25年)にモスクワ近郊の監獄で獄死した宮川舩夫氏。享年59歳。本の帯に掲載されている丸刈りの写真は、逮捕後にソ連側によって撮影されたマグショットである。本書に挿入されている、逮捕される前の小柄で、穏やかな風貌の写真とは、いかに異なるものであることか。 

日露戦争をきっかけにロシア語の世界に入ったこの人は、ロシア語だけでなく複数の言語に精通した抜群の語学能力の持ち主であり、外務省に採用されてからは、ロシア語のエキスパートとしてノンキャリの外交官人生を送ることになる。 

宮川舩夫の人生は、ロシア革命から始まり、「日ソ戦争」で終わった、戦前の日ソ関係の歴史そのものである。派遣留学でロシア滞在中に革命を体験、その後も通訳官として、「日ソ中立条約」をはじめ、ほぼすべての主要な日ソ交渉の現場に立ち会っている。スターリンやモロトフといった政治家たちの通訳もしていたのだ。もし獄死することがなかったら、生き字引として貴重な財産を遺してくれたことだろう。 

ノンキャリ外交官としての最後の赴任先が、満洲国のハルビン総領事であった。帝政時代のロシアが建設したハルビンは国際色豊かな都市であり、第二次世界大戦末期の当時は各国の情報工作が入り乱れた国際スパイ都市でもあった。帝国陸軍の「ハルビン特務機関」はそのひとつである。宮川舩夫自身も有能なインテリジェンス・オフィサーであったのだ。 

終戦工作にあたって「中立条約」を結んでいるソ連に仲介に期待するという、日本の国家上層部の希望的観測による甘い認識に対して、宮川舩夫は、警鐘をならしつづけていた。だが、その警鐘は上層部を動かすには至らなかった。そのツケは日ソ戦争という形で最悪の状況をもたらすことになった。 

日ソ戦争の停戦交渉に通訳として立ち会ったのち、外交官特権があるにもかかわらずソ連軍に連行され、そのまま二度と日本に戻ることがなかった。ソ連各地の監獄を移動されられたのち、裁判を受けることもなく、モスクワ近郊の監獄で獄死している。 

問題は、ソ連はこの事実さえ日本側に伝えることなく隠し続けたということにある。死亡が通告されたのは、その7年後の1957年のことであり、ソ連によって名誉回復がなされたのは、ソ連崩壊の直前の1991年のことであった。スパイではなかったのだ。 

著者によれば推測するしかないのだが、裁判にかけられなかったので刑期もなく、拘束されたまま死亡したということになるのだろう。真相は闇のなかである。 

著者の斎藤充功氏のものは、スパイ養成機関であった「陸軍中野学校」関連のノンフィクション作品を読んでいたが、この最新刊が出版された時点でなんと84歳! その問題意識と使命感、旺盛な執筆欲と執筆力には驚かされるばかりだ。フリーライターならではなのだろう。 

著者も「あとがき」で述べているように、現在の外務省のていたらくは目に余るものがある。そんな時代だからこそ、過去の日本には宮川舩夫氏のように国家と国民のため、使命感をもって奮闘しながらも、不幸な形で人生を閉じなくてはならなかった外交官がいたことを知らなくてはならないのだ。


(画像をクリック!)


目 次
プロローグ 屈辱の日ソ停戦交渉 
第1章 ハルビン陥落 ―「不当逮捕」された日本人外交官
第2章 修験者の末裔 ― 山形からロシアへの道程
第3章 外務省きってのロシア通 ―「勉強がなによりです」 
第4章 日ソ中立条約という頂点 ― 対ソ外交の最前線
第5章 鳴らし続けた警鐘 ― 熾烈な情報戦から降伏に至るまで
第6章 42年ぶりの遺書 ― 遅すぎた「名誉回復」と家族の物語
エピローグ  “獄中写真” が物語るもの
あとがき ― どうしてこのような 
宮川舩夫 略年譜 
主要参考文献/主要人物索引 

著者プロフィール
斎藤充功(さいとう・みちのり) 
1941(昭和16)年東京生まれ。東北大学工学部を中退後、民間の機械研究所に勤務。その後、フリーライターとなる。共著を含めて五十冊以上のノンフィクションを手がけ、中でも陸軍中野学校に関連する著作が最も多い。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)



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2013年10月14日月曜日

『王道楽土の戦争』(吉田司、NHKブックス、2005)二部作で、「戦前・戦中」と「戦後」を連続したものと捉える



『王道楽土の戦争』(吉田司、NHKブックス、2005)は、「戦前・戦中篇」と「戦後60年篇」の二部作として連続して読むのが面白い。「戦前」と「戦後」を連続性のあるものと捉える視点が重要だからだ。「王道楽土」とは、日本人がその夢を大陸に託した満洲国の建国理念のことである。

吉田司という山形出身のノンフィクション作家は、「偽悪派の仮面」をかぶった事実探求者である。これまでに東北の宮澤賢治や沖縄のひめゆりなどにまつわる「神話」を破壊してきた実績の持ち主である。

基本的な姿勢がリベラル左寄りの「神話破壊者」で、しかもふざけた文体(笑)ゆえに毛嫌いする人も少なくないようだが、かなり重要で難しいテーマを正面から取り組んできた人なので吉田司の作品はほとんど読んできた。

この二部作は、近代日本が「満洲国」で実現できたこと、できなかったことを探求したものだ。そしてその根底にある日本人の不安と夢と欲望という情念と島国日本のメンタリティ。これらが投影されたものが「満洲国」であった。

近代日本は貧しく、飢餓に苦しみ、腹いっぱい食うことが一般庶民にとっては最優先事項であったのだ。そして弱肉強食の西洋列強に追い詰められて、生き延びるために歯を食いしばって頑張ったのはエリートから庶民まで共通していた。遅れてきた近代国家日本。その反動が大陸侵攻となって暴発したのであった。

近代日本を推進した明治維新体制とはいったい何であったのか、そしてその行きついた先は? さらには敗戦後に60年間つづいた現代とは?

「戦前・戦中」と「戦後」のコンセプトを、本書の内容に即して要約すれば以下のようになるだろう。

●戦前・戦中: 「神の国」そして「聖戦」
●戦後:(「戦前・戦中」を密教化した)「密教体制」

たしかに「神の国と聖戦」思想により無謀な戦争に突入し、敗戦という見るも無残な結果に終わった大東亜戦争であるが、敗戦によってすべてが変わってしまったわけではない。これは「戦後篇」を読むとおおいに実感される。「戦後体制」を見えないところで動かしてきた「密教体制」という捉え方だ。

この見方は、当事者である日本人とは異なり、距離をとってものをみることのできる諸外国のほうが正確な認識を持っていたであろうことは、「日本は軍事では挫折したが、経済で侵略を再開した」というような言説が1980年代にはかなり存在していたことからも裏付けられるだろう。

経済人はさんざんこんな事を聞かされてもまったく黙殺していたのだが、しかし案の定、バブルは崩壊して「第二の敗戦」となったのであった。因果はあざなえる縄のごとし。



■コラージュ・ノンフィクションという手法

本書は内容もさることながら、コラージュ・ノンフィクションという手法が面白い。

かなりの情報がデジタルテキストとしてインターネットのなかに存在するようになった現在、リアルとバーチャルの区別がかなりあいまいになっているだけでなく、歴史的事実にかんしても、10年前だろうが100年前だろうが現在からみたた等距離の過去となっている。現時点で検索すれば時間差はあまり意識さえなくなってしまったからだ。

本書は、こういう状態の時代に、いかに「見えない歴史」を浮かび上がらせるかという課題に挑戦した作品であるといっていい。歴史学という固有の枠組みにとらわれた歴史学者には制約があってできない仕事である、なによりも引用された発言や文章がじつに興味深いのだ。

薩長主導の政治体制において「賊軍」とされた東北が、日本近代のナショナリズムにおいていかなる意味をもっていたかについてに書かれた箇所が興味深い。

戊辰戦争で敗れた「奥羽列藩同盟」に参加した東北諸藩は、大東亜戦争で敗れた日本を先取りしていたようにも、わたしには思えてくる。歴史は繰り返さないが、似たようなパターンは繰り返し出現する。

この事情を象徴するのが石原莞爾という存在であろう。

山形は庄内出身の石原莞爾は、その特異な日蓮主義による「世界最終戦論」を唱えた軍人思想家であったが、東北が生み出した政治家や軍人たちの怨念と情念の系譜のなかに位置づけることも可能だ。この視点は山形出身の著者ならではの説得力をもつ。


(帯に引用された文章 上は「戦前・戦中篇」、下は「戦後篇」)


■本書が出版されたのは2005年だが、2013年のいまを予測していたのだろうか?

本書には、安倍晋三と石破茂という二人の自民党政治家のインタビュー記録が収録されている。

●『戦前・戦中篇』の「5章 島に咲く華」の[補遺①] 現代の肖像 安倍晋三 (インタビュー実施 2002年)
●『戦後篇』の「4章 列島改造」の[補遺①] 現代の肖像 石破茂(インタビュー実施 2004年)

自民党がふたたび復活した2013年の時点で読むと、なにやら不思議な感じがしなくもない。

1954年生まれの安倍晋三、1957年生まれの石破茂という「ポスト団塊世代」の二世政治家二人。奇しくも復活した第二次安倍内閣で総理大臣と自民党幹事長という要職についている二人である。

安倍晋三は満洲国で統制経済を主導した「革新官僚」岸信介の孫である。石破茂は大陸や半島に海を挟んで最前線のある島根出身の政治家である。

著者は、団塊世代と団塊ジュニアにはさまれた「ポスト団塊世代」に、「戦前・戦中」と「戦後」をつなぐものがあるとみているのだろうか?

「戦前・戦中」と「戦後」はいっけん断絶したようにみえて、じつは根底のところでつながっているのである。

日本人の「飢餓との戦い」と、その先に夢見たユートピアの二度にわたる破綻が本書には描かれているわけだが、一般庶民の不安と夢と欲望は、「戦後」にはあるものは解消され、しかしあるものは依然として残存している。

断絶とみえながらじつは連続しているのが歴史の本質。そういう歴史のダイナミズムを本書で味わっていただきたいものである。安倍晋三なるもの、石破茂なるものをどう評価するかは、読者自身が考えるべき課題である。

著者の文体と思想は嫌いだとしても、読む価値は大いにある。


(画像をクリック!)


目 次


『戦前・戦中篇』
はじめに
1章 夢の中へ
2章 島に散る華 
3章 アラモ系の人びと
4章 ヒルコ系の人びと
5章 島に咲く華
 1. 蒙古の嵐、再び・・・
 2. 日本一の大天狗
[補遺①] 現代の肖像 安倍晋三
6章 魂立国
 1. 狐の里・靖国の都
 2. 石原莞爾の「世界最終戦争論」
引用参考文献
『戦後篇』
1章 ピカドン・プレゼント
2章 鉄道立国-満州からのプレゼント
3章 王様の家来たちの物語
 1. 戦後経済体制の下半身
 2. 自動車と戦争
 3. 戦後の<植民地>文学
4章 列島改造-八百万の神々の<征伐>戦争
[補遺①] 現代の肖像 石破茂
5章 バブルの中の「三つの王国」
6章 万物は流転する
引用参考文献

著者プロフィール

吉田 司(よしだ・つかさ)
1945年、山形県生まれ。早稲田大学在学中に映画監督小川紳介とともに小川プロを結成。『三里塚の夏』などを製作。1970年から水俣に住み、胎児性の水俣病患者らと「若衆宿」を組織する。水俣での体験をまとめた『下下戦記』(白水社、文春文庫)で、1988年、大宅壮一ノンフィクション賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。

PS この投稿で1221本目となった。左右対称のシンメトリーのぞろ目である。まだまだ書きますよ!


<ブログ内関連記事>

書評 『日本近代史の総括-日本人とユダヤ人、民族の地政学と精神分析-』(湯浅赳男、新評論、2000)-日本と日本人は近代世界をどう生きてきたか、生きていくべきか?

書評 『黒船の世紀 上下-あの頃、アメリカは仮想敵国だった-』 (猪瀬直樹、中公文庫、2011 単行本初版 1993)-日露戦争を制した日本を待っていたのはバラ色の未来ではなかった・・・

「神やぶれたまふ」-日米戦争の本質は「宗教戦争」でもあったとする敗戦後の折口信夫の深い反省を考えてみる

書評 『新大東亜戦争肯定論』(富岡幸一郎、飛鳥新社、2006)-「太平洋戦争」ではない!「大東亜戦争」である! すべては、名を正すことから出発しなくてはならない

書評 『アメリカに問う大東亜戦争の責任』(長谷川 煕、朝日新書、2007)-「勝者」すら「歴史の裁き」から逃れることはできない

書評 『原爆を投下するまで日本を降伏させるな-トルーマンとバーンズの陰謀-』(鳥居民、草思社、2005 文庫版 2011)

書評 『命のビザを繋いだ男-小辻節三とユダヤ難民-』(山田純大、NHK出版、2013)-忘れられた日本人がいまここに蘇える
・・小辻節三は満鉄調査部に招聘され、満鉄総裁・松岡洋右の右腕としてユダヤ問題対策にあたっていた

書評 『ノモンハン戦争-モンゴルと満洲国-』(田中克彦、岩波新書、2009)-もうひとつの「ノモンハン」-ソ連崩壊後明らかになってきたモンゴル現代史の真相
・・『虹色のトロツキ-』というマンガもぜひ読むことを薦めたい

書評 『マンガ 最終戦争論-石原莞爾と宮沢賢治-』 (江川達也、PHPコミックス、2012)-元数学教師のマンガ家が描く二人の日蓮主義者の東北人を主人公にした日本近代史

庄内平野と出羽三山への旅 (2) 酒田と鶴岡という二つの地方都市の個性
・・吹浦(ふくら)に石原莞爾の墓所をたずねた記録。庄内藩は西郷隆盛との関係がきわめて太い。そういった近代日本の側面にも触れておいた

「敗者」としての会津と日本-『流星雨』(津村節子、文春文庫、1993)を読んで会津の歴史を追体験する
・・会津戦争の敗戦に太平洋戦争(≒大東亜戦争)の敗戦を重ねる

「雨ニモ負ケズ、風ニモ負ケズ」 と 「And the skies are not cloudy all day」

いまこそ読まれるべき 『「敗者」の精神史』(山口昌男、岩波書店、1995)-文化人類学者・山口昌男氏の死を悼む

書評 『「くにたち大学町」の誕生-後藤新平・佐野善作・堤康次郎との関わりから-』(長内敏之、けやき出版、2013)-一橋大学が中核にある「大学町」誕生の秘密をさぐる
・・ここにも満洲の痕跡がある


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2013年4月28日日曜日

書評『命のビザを繋いだ男 ― 小辻節三とユダヤ難民』(山田純大、NHK出版、2013)― 忘れられた日本人がいまここに蘇える



「命のビザ」の杉原千畝(すぎはら・ちうね)がはじめて知られるようになってからどれだけの時間がたったことだろうか。

調べてみると、未亡人(再婚相手)の杉原幸子氏による 『六千人の命のビザ-ひとりの日本人外交官がユダヤ人を救った-』(朝日ソノラマ)が出版されたのが1990年、それから23年たったことになる。

わたしが Sempo Sugihara(センポ・スギハラ)という日本人の名前をはじめて知ったのは、アメリカ留学中のことだ。「ウォール・ストリート・ジャーナル」で、その聞いたことのない日本人を顕彰する広告記事をみたときだ。帰国後の1992年に杉原幸子氏の本を読んだ頃は、まだそれほど知名度は高くなかった。だが、いまでは杉原千畝の名前を聞いたことのない日本人は少ないだろう。

わたしが本書の主人公・小辻節三(こつじ・せつぞう)の名前を知ったのは大学時代のことだ。杉原千畝は知らなくても、小辻節三は著書をもつ学者であったので、限られた少数者ではあれ知る人は知っていただろう。

おそらく小辻節三がこれまで取り上げられたことがなかったのは、杉原千畝のような外交官でもなく、樋口季一郎のような陸軍中将でもなかったためだろう。生涯を信仰者として、清貧な学者として送った一民間人であった。

わたしは大学学部の卒論に中世ユダヤ史を選んだことによって、小辻節三という名前とその著書 『ユダヤ民族-その四千年の歩み-』(誠信書房、1965)の存在を知った。

1980年代前半当時は、現在と違って日本語で読めるユダヤ史関連の本はきわめて少なかったが、小辻節三によるこの本はそのなかでもきわめて良心的な内容の本であった。


(『ヒブル語原典入門』 と 『ユダヤ民族』・・マイコレクションより)


『命のビザを繋いだ男  ―  小辻節三とユダヤ難民』は、はじめて小辻節三その人を描いたノンフィクションである。満洲国ものを描いた作品に断片的に登場するだけの小辻節三は、なぜか限られた形でしか取り上げられたことはなかった。その意味では、うれしいサプライズ・プレゼントのようなものだ。

本書は、小辻節三の存在を知ったある日本人俳優が、その跡をたどって書きあげた小辻節三のライフストーリーであり、小辻節三を追い続けた彼自身の人生の軌跡でもある。

伝記的事実は、もっぱら小辻自身が英文で出版した回顧録をベースにし、さまざまな文献や直接の聞き取りをつうじてまとめあげたものだ。小辻の回顧録 「From Tokyo to Jerusalem」 は、キリスト教からユダヤ教に改宗後の Abraham Kotusji 名で 1964年にアメリカで出版されている。

日本語では、先にふれた 『ユダヤ民族-その四千年の歩み-』の末尾に 「私の歩んだ道」 としてわずか 6ページでしか語っていない。その意味では、本書によって、はじめて小辻節三の人生が日本語で一冊の本として語られたことになる。

なお、 『ユダヤ民族-その四千年の歩み-』は、反ユダヤ主義を掲げるナチスドイツが日本国内においても脅威となりかけていた1943年(昭和18年)に、身の危険を感じながらも勇気をふるって出版した『ユダヤ民族の姿』(目黒書店)を、戦後の1965年(昭和35年)に改訂して再刊したものである。


(小辻節三の英文自伝 『東京からエルサレムへ』・・マイコレクションより )


著者は俳優を職業とする人であり、学者による研究成果ではないので、伝記的事実についてはまだまだ書きなおされなければならないことも多いだろう。だが、小辻節三という日本人を忘却のなかから呼び戻す役割を果たしていただいたことには感謝したい。

本書の前半 2/3 は小辻節三の人生を上記の英文自伝をもとに親族をふくめた生存者の聞き取りで補強したものだが、のこり 1/3 は著者自身がイスラエルにいって聞き取りによって小辻節三の足跡をたどった記録である。この記録を読むことで、著者をしてなにが本書を完成させたチカラなのかを知ることになる。著者の情熱と行動力は称賛したい。


(小辻節三とユダヤ教のラビ3人 日本にて撮影  wiki英語版より)


「命のビザ」については、ビザを発行した杉原千畝、ソ連から満洲国への入国を認めたジェネラル樋口(・・そして暗黙の了解を与えた東条英機)、日本入国と出国まで尽力をつくした小辻節三とモーラルサポートを与えた満鉄時代の元上司である外相・松岡洋右。これでほぼ「命のビザ」にかかわる日本人たちがつながったことになる。

神道からキリスト教をつうじてユダヤ教へ。神の道を追い求めたその生涯について、すくなくとも外面的な生涯を描くことには成功した。ユダヤ民族の運命を自ら生きることを決意したその人物の内面の精神生活を知るにはユダヤ教を内在的に理解しなくてはならないが、これは非ユダヤ教徒にはむずかしい課題だ。

小辻節三にかんしては、ほかにもまだまだ書かれるべきことは多いと思うが、こうして一冊の本として形になったことは喜ぶべきことだ。

本書がキッカケとなって、今後その人生の軌跡と成し遂げたこの日本人の存在が、さらに顕彰されることを望みたい。


(画像をクリック!)

 

目 次

はじめに
少年期、青春期の小辻
ナチスによるユダヤ人迫害
奇想天外な『河豚計画』
満州へ
小辻と松岡洋右
杉原千畝の『命のビザ』
日本にやってきたユダヤ難民
ビザ延長のための秘策
迫るナチスの影
神戸に残ったユダヤ人
反ユダヤとの戦い
再び満洲へ
ナチスドイツの崩壊
帰国
小辻を支えた妻・美禰子
改宗の旅へ
小辻の死
エルサレムへ
あとがき
参考・引用文献、資料

著者プロフィール

山田純大(やまだ・じゅんだい)
1973年生まれ。東京都出身。俳優。ハワイの中学・高校を経て、米ペパーダイン大学国際関係学部卒。1997年、NHK連続テレビ小説「あぐり」でテレビデビュー(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。

<関連サイト>

日本のユダヤ人(wikipedia日本語版)

Setsuzo Kotsuji (wikipedia英語版)


<ブログ内関連記事>

『ユダヤ教の本質』(レオ・ベック、南満州鉄道株式会社調査部特別調査班、大連、1943)-25年前に卒論を書いた際に発見した本から・・・
・・「なお、国策会社であった南満洲鉄道株式会社の調査部(いわゆる満鉄調査部)が、なぜユダヤ関係の報告書を翻訳ふくめて大連(満洲国)で多数出版しているのか、この理由についてはまた機会をあらためて、後日書いてみることとしたい。 あまりにも面白い話なのだが、このためには「満鉄」そのものと「フグ計画」(Fugu Plan)について知っておく必要がある。 キーパーソンの一人は、小辻節三(=小辻誠祐 a.k.a. Abaraham S. Kotsuji)である」。

書評 『井筒俊彦-叡知の哲学-』(若松英輔、慶應義塾大学出版会、2011)-魂の哲学者・井筒俊彦の全体像に迫るはじめての本格的評伝
・・同書の「第2章 イスラームとの邂逅 セムの子-小辻節三との邂逅」には、世界的なイスラーム哲学の権威で日本を代表する哲学者井筒俊彦が、日本を代表する旧約学者となった関根正雄とともにヘブライ語を小辻節三の私塾「聖書原典研究所」で学んだことが記されている

書評 『ノモンハン戦争-モンゴルと満洲国-』(田中克彦、岩波新書、2009)-もうひとつの「ノモンハン」-ソ連崩壊後明らかになってきたモンゴル現代史の真相
・・このブログ記事で取り上げた 『虹色のトロツキー(全8巻)』(安彦良和)に「フグ計画」の話もでてくる

書評 『指揮官の決断-満州とアッツの将軍 樋口季一郎-』(早坂 隆、文春新書、2010)
・・「ジェネラル・ヒグチといえば、「ユダヤ人を救った将軍」として知る人ぞ知る存在であったが、「ユダヤ人を救った外交官」センポ・スギハラ(杉原千畝)に比べると、日本人のあいだだけでなく、ユダヤ人のあいだでも現在の一般的な知名度は決して高くないようだ。 著者はイスラエルまででかけて、ジェネラル・ヒグチの名前が記載されているという「ゴールデン・ブック」の実物も確認している」
・・ユダヤ民族に貢献のあった人を顕彰するという、いわゆる「ゴールデンブック」に記載されていないことも原因かもしれない。それはユダヤ教徒となった小辻節三がユダヤ民族にとっての異教徒ではないからだ。

書評 『諜報の天才 杉原千畝』(白石仁章、新潮選書、2011)-インテリジェンス・オフィサーとしての杉原千畝は同盟国ドイツからも危険視されていた!

本の紹介 『ユダヤ感覚を盗め!-世界の中で、どう生き残るか-』(ハルペン・ジャック、徳間書店、1987)
・・「ちなみに「タルムード」研究がどういうものかについては、ハリウッド女優で歌手のバーブラ・ストライサンドが監督・製作・主演・歌唱のすべてを行った、1983年度のミュージカル映画作品『愛のイエントル』(Yentle)をご覧になっていただきたい」

『イスラエル』(臼杵 陽、岩波新書、2009)を中心に、現代イスラエルを解読するための三部作を紹介

書評 『ロシア革命で活躍したユダヤ人たち-帝政転覆の主役を演じた背景を探る-』(中澤孝之、角川学芸出版、2011)-ユダヤ人と社会変革は古くて新しいテーマである

書評 『ユダヤ人が語った親バカ教育のレシピ』(アンドリュー&ユキコ・サター、インデックス・コミュニケーションズ、2006 改題して 講談社+α文庫 2010)

書評 『ユダヤ人エグゼクティブ「魂の朝礼」-たった5分で生き方が変わる!-』(アラン・ルーリー、峯村利哉訳、徳間書店、2010)

書評 『日本近代史の総括-日本人とユダヤ人、民族の地政学と精神分析-』(湯浅赳男、新評論、2000)-日本と日本人は近代世界をどう生きてきたか、生きていくべきか?


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2009年8月17日月曜日

書評『ノモンハン戦争 ― モンゴルと満洲国』(田中克彦、岩波新書、2009)― もうひとつの「ノモンハン」はソ連崩壊後明らかになってきたモンゴル現代史の真相




■もうひとつの「ノモンハン」はソ連崩壊後明らかになってきたモンゴル現代史の真相■

 1939年の「ノモンハン」とは、それについて考える人にとって、光を当てるとさまざまな方向に乱反射するプリズムのような事件である。

 なぜこれだけ多くの日本人にとって「ノモンハン」が気になるのか? すでに70年もたっているのに・・・

 現在でも多くの人が「ノモンハン」について書いてきた。

 たとえば村上春樹は 『ねじまき鳥クロニクル』のテーマそのものにかかわる重要なモチーフの一つとして描いている。

 また、大阪外語大蒙古語学科出身の司馬遼太郎は、長年取り組んできたノモンハンを題材にした小説をついに書くことなく世を去った(・・この件については、本書の「あとがき」で著者があるエピソードを紹介している)。

 満洲で勤務し現地で召集された経験をもつ作家・五味川純平原作の大作映画 『戦争と人間』は、「ノモンハン」の戦闘シーンで終わっていること・・・・などなど。

 このほかにも、まだまだ日本人による無数の「ノモンハン」があるのだろう。


■モンゴル学者・田中克彦によるノモンハン(=ハルハ河戦争)

 あらたに刊行された本書は、社会言語学者でモンゴル学者の田中克彦が、分断された民族であるモンゴル人の視点から、 「ノモンハン戦争(=ハルハ河戦争)」を検証したものである。モンゴル人の視点からみる「ノモンハン」は、日本の視点でもソ連(現在ロシア)の視点でもない、きわめて重要な第三の視点である。

 著者は、1991年に東京で開催された「ノモンハン・ハルハ河戦争国際学術シンポジウム実行委員会」の代表をつとめ、ソ連・モンゴル人民共和国(現在はモンゴル国)・日本の研究者をつなぎあわせる役割を果たしている。戦争当事国の4カ国(日本・ソ連・満洲国・モンゴル人民共和国)で使用された、日本語・ロシア語・モンゴル語の三つの言語に精通し、学問をつうじてモンゴル人に限りない愛を注いできた人である。

 本書には、急速に進展しているモンゴル学の最新成果が惜しみなく注ぎ込まれている。とくに、ソ連崩壊後あらたに公開された事実による歴史の書き換え作業の成果が大きい。

 モンゴル人民共和国と満洲国の二国間に発生した国境紛争、そして二つの"傀儡"(かいらい)国家のそれぞれの背後にいたソ連と日本の真の動機をめぐる考察からみる「ノモンハン」は実に興味深い。

 本書は、1973年に刊行された、著者による幻の名著 『草原の革命家たち-モンゴル独立への道』(中公新書、増補改訂版が1990年刊行)の続編として読まれるべき本である(・・長らく品切れ状態なのが残念だ)。


(画像をクリック!)


 『草原の革命家たち  ― モンゴル独立への道』を読んだ人は多くないと思われるので、参考のために「目次」を掲載しておこう。「モンゴル革命」による「モンゴル独立」(1911年)と、世界2番目の社会主義国としての経緯は「ノモンハン戦争」(1939年)の前史である。


序章 社会主義革命は民族を解放するか 
第1章 独立の夢 
第2章 国を失った民族 
第3章 最初の核と波紋の中心 
第4章 コミンテルンと極東共和国 
第5章 党首ダンバドルジの文学作品 
第6章 ジャムツァラーノのたたかい 
終章 「最初の七人」のその後


 辛亥革命による清朝崩壊後、宗主国である中国のくびきから脱した外蒙古(=外モンゴル)は、ソ連の力を借りてかろうじて独立を達成した。しかし民族として生き残るためソ連の衛星国として生きるという苦難の歴史を歩まざるをえなかった。

 満洲国の一部となった内蒙古(=内モンゴル)との統合によるモンゴル民族統一の夢は断念、しかしながらソ連の指示のもと「ノモンハン」に参戦し勝利を収め、またソ連による対日戦争に従うことでスターリンの信頼を確固たるものにし、第二次大戦後には国連にも加盟、ソ連が崩壊した1991年には文字通りの独立を勝ち得ることとなった。

 中国国内にある内モンゴルの遊牧地は、農耕民族である漢民族によって浸食され、民族を支える基盤としてのエコロジーが危機に瀕している。

 このことを考えると、満洲国ではなくソ連側につき、「ノモンハン」で勝利したモンゴルの選択が、長い目でみれば結果として成功であったことがわかる。

  かつて私は、安彦良和の『虹色のトロツキー』(中公文庫)を bk1 書評で取り上げている。

 主人公の日蒙二世の青年ウンボルトは満洲国の側に身を置き、同じモンゴル民族のモンゴル人民共和国軍の兵士とはノモンハンの戦場において向き合うことになる。

 本書はこの名作マンガをよむための参考書のひとつとして読むことも可能だ。モンゴルにかんするトリビアルな知識も楽しめる。


■bk1書評「もうひとつの「ノモンハン」-ソ連崩壊後明らかになってきたモンゴル現代史の真相」投稿掲載(2009年8月12日)


(画像をクリック!)

目 次
第1章 「事件」か、「戦争」か 
第2章 満洲国の国境とホロンボイル 
第3章 ハルハ廟事件からマンチューリ会議まで 
第4章 抵抗するモンゴルの首脳たち 
第5章 受難のブリヤート人―汎モンゴル主義者 
第6章 汎モンゴル主義 
第7章 ソ連、モンゴルからの満洲国への脱出者 
第8章 戦場の兵士たち 
第9章 チョイバルサンの夢―果たせぬ独立 
第10章 誰がこの戦争を望んだか 

著者プロフィール
田中克彦(たなか・かつひこ)
1934年兵庫県に生まれる。1963年一橋大学大学院社会学研究科修了。現在、一橋大学名誉教授。専攻は言語学、モンゴル学。著書多数。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)


<書評への付記>

 田中克彦は、NHK番組の『爆笑問題のニッポンの教養』で、お笑いコンビ「爆笑問題」の訪問を受けてTVに出たりしているので、一般には言語学者として知られているが、そもそもの出発点はモンゴル学である。

 履歴では一橋大学大学院社会学研究科卒とだけ記されることが多いが、学部は東京外国語大学のモンゴル語学科卒であり、地域研究をヨコ糸としたら、言語学をタテ糸として研究生活を続けてきた人である。

 私は大学入学以来、田中克彦の著書はほとんど読んできており、また学部での言語学の授業は受講しているので、現在まで大きな影響を受けてきた。残念だったのは、モンゴル学は大学院でのみ開講し、学部では一般言語学と社会言語学しか授業をもっていなかったことだ。モンゴル学の授業がもしあったら、私はモンゴル研究者になっていたかもしれない(?)、てなことはなかろう。

 私が属していた歴史学・西洋社会史の阿部謹也ゼミナールの阿部先生とは大学院時代の同期で、現在主流の米国流の社会科学とはまったく異なる、ある意味、古き良き時代のドイツ風の学問で鍛えられた学者である。

 ところで、阿部先生を「偲ぶ会」二次会での田中氏の挨拶は、出席者は長く記憶にとどめることになるだろう。私は田中氏のいわんとしたことは十分に理解できるのだが、少し酩酊していたとはいえ、その場の「空気」にはそぐわない発言だったようだ。その意味では、「"まわりに合わせる"という考えのないモンゴル文化」(宮脇淳子・・当ブログの「書評」を参照)を体現している人といえるかもしれない。

*****

 さて本書は、本来の専門であるモンゴル学の最新著書であるとして取り上げて、書評としてまとめておくこととした。タイトルの『ノモンハン戦争』から、おそらく大半の読者は、ノモンハンの全体像を新書版でコンパクトにまとめた本を想像するだろうが、そう思って読むと失望する恐れがあるだろう。

 「戦争」と銘打った本を出す以上、モンゴル民族以外にも、日本側、ソ連側について、軍事的諸事実をおさえた上で、全体像を描くのが筋というものだと思うが。タイトルで潜在読者を釣るのは、まあ出版社も本を売るためだから仕方ないか。

 本書は、副題になっている「モンゴルと満洲国」が主たる内容となっている。そう読むと実に面白い内容の本である。

 そもそも1991年にソ連が崩壊するまで、モンゴル自身も完全に独立した状態であったわけではなく、観光客だけでなく、研究者も簡単にアプローチできる対象ではなかったようだ。以来18年、ようやく「ノモンハン」の真相が明らかになりつつある段階であり、本書は今後またさらに部分的には書き直されていく性格の本だと考えた方がいいだろう。

 軍事史にかんしては、著者が編訳している『ノモンハンの戦い』(シーシキン他、田中克彦編訳、岩波現代文庫、2006)が、ソ連側からみた貴重なドキュメントとなっている。日本人の視点によるものでは、民間現代史家、自称"歴史探偵"の半藤一利による『ノモンハンの夏』(文春文庫)がもっともよいだろう。


 書評のなかで、村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』について触れているが、実はこの書評を書くまで読んだことがなかったのだ。書評のなかで触れる以上、中身を知らないわけはいくまいと思って、文庫本で3冊の長編小説を読み始めたのだが、読んでいるうちにすっかり内容にはまってしまった。なんだか自分のことが書かれているような気がしてならなかったからだ。

 これは村上春樹の多くの読者に共通する読書体験なのだろう。ノモンハンに対する村上春樹のこだわりは、『辺境・近境』(新潮文庫、1999)においてある程度触れられているので、こちらもぜひ読んでみるとよいと思う。


 私自身は、実はモンゴルには、前から行きたい、行きたいとは思っているのだが、いまだに実現していない。

 中国国内の内蒙古(=内モンゴル)も、1999年の夏に北京発モスクワ行きのシベリア鉄道で通過しただけで、しかも夜中だったので何もわからないまま通り過ぎてしまった。ロシアとの国境の街、満洲里(マンジョウリ)で、レール幅がロシア国内ではさらに広軌になるため、車輪つけかえのための数時間、駅で発車をまっていただけの滞在であった。

 満洲は1999年の夏、シベリア鉄道に乗るために北京に行く前に、遠回りになるが現地を踏んでみた。大連(満鉄、すなわち南満州鉄道株式会社の本社所在地)、長春(旧 新京:満洲国首都)、沈陽(旧 奉天:日露戦争陸戦の激戦地)、撫順(同じく日露戦争の激戦地)、哈爾浜(ハルビン)と見て回った。

 いずれ訪問すべき時が自ずからやってくるだろうと思うので、モンゴルはその時まで取っておくつもりだ。


 また書評の終わりで、安彦良和(やすひこ・よしかず)の『虹色のトロツキー』について触れている。

 私が読んで所有しているのはオリジナルの潮出版社版だが、このマンガは本当に面白い。なんといっても、合気道開祖・植芝盛平が実名で登場するのがうれしい。このほか、陸軍参謀の石原完爾、辻政信をはじめとして、フグ計画にかかわったユダヤ問題の専門家・安江陸軍大佐と犬塚海軍大佐、東洋のマタハリ川島芳子など、満洲にかかわった人間が多数実名で登場する。

 安彦良和はアニメーターとしてロボット・アニメ「ガンダム」にかかわった人だが、マンガ作品では歴史ものが多く、緻密な取材の上に大きな構想のもとに描いているので、歴史エンターテインメントとして一級品といってよい。何よりも、主人公のキャラクター設定が、このマンガが成功した最大の要因だろう。ただ構想が大きすぎて、作者が息切れしてしまったようだが・・・。

 作品にはほかに、『ジャンヌ・ダルク』、『クルドの星』など多数。

 参考のために、8年前に書いた書評を転載しておく。





『虹色のトロツキー(全8巻)』(安彦良和、中公文庫、2000 原本1992~1997)
 
 ■大陸(旧満洲)に関心をもつ者なら、必ず読んでおくべき「知る人ぞ知る名著」■
 サトケン
 2001/03/28 21:58:00
 評価 ( ★マーク )
 ★★★★★

 大陸(旧満洲)に関心をもつ者なら、必ず読んでおくべき「知る人ぞ知る名著」である。五族協和を謳う満洲国で、創立間もない建国大学に学ぶ日蒙二世の主人公ウンボルトを軸に、見えざる「裏主人公」トロツキーをめぐる血湧き肉躍る冒険マンガ。
 日本の大陸関与政策の実態、抗日パルチザン、満蒙独立運動、合気道、フグ計画(ユダヤ資本の満洲国誘致計画)といった話題がてんこもりで、十分過ぎるほど楽しめる。実は、私は本書ではじめて「建国大学」の存在と、その創立構想に石原莞爾だけでなく、辻政信(本書では悪役の狂言回しを演じる)が関係していることを知った。
 マンガそのものは、あまりにも話が錯綜した結果、結局ノモンハン事件で、モンゴル民族どうしが敵(=モンゴル人民共和国軍+ソビエト赤軍)と味方(=満洲国軍+関東軍)にわかれて戦闘するシーンで終わる。五味川純平の大河小説『戦争と人間』の映画版が、ノモンハン事件で終わっているのと、偶然ながら一致した結果となった。  
 終わり方としては、ちと残念な気もするが、とはいえ全8巻、まさに大河小説のごとき読みごたえのあるマンガである。超おすすめ。(書評は以上)


 なぜトロツキーなのか? ちょっと種明かしをしておこう。

 満洲国で民族共和の理念を実現するための人材育成機関である建国大学を構想するにあたって、石原完爾は、教授陣にインド独立運動のガンディーやチャンドラ・ボース、そしてなんとメキシコに亡命中のロシア革命指導者レオン・トロツキー(!)を招聘することを真剣に考えていたらしいのだ。

 歴史人類学の名著『「挫折」の昭和史』(岩波書店、1995)の第8章「読書する軍人」で石原完爾を取り上げた山口昌男は、石原完爾の建国大学構想について詳しく触れているが、「既成の日本の大学教授、及びその教育と研究の方法は、完全に排除」という方針を掲げたことについて、全共闘による大学批判をはるかに先行していたとして高く評価している。

 トロツキー招聘については、実際にメキシコ駐在の日本の外交官が指令により秘密裏に接触したらしい。結局、招聘には成功しなかったのだが、確度としては高い情報である。何という文献か出所か思い出せないのが残念だが。

 建国大学では正課として合気道が採用されていた。大本教教主の出口王仁三郎とともに蒙古で死線をくぐった合気道開祖・植芝盛平もまた、満蒙とは浅からぬ縁の持ち主であった。

 1938年に開学し、1945年に廃校となった満洲の建国大学は、時代を突き抜けた実に壮大な構想であったのだ。日本の敗戦ですべてが潰えてしまったのはまことにもって残念でならない。     

(以上)
                       


PS 読みやすくするために改行を増やし、写真を大判にし、小見出しを加えた。本文には手を入れていない。あらたに<ブログ内関連記事>を加えて、この記事を執筆した以降のブログ記事を参照できるようにした。 (2014年2月15日 記す)

PS2 あらたに『ノモンハン戦争』の「目次」と「著者プロフィール」を付け加えた。(2024年8月13日)

PS3 『草原の革命家たち―モンゴル独立への道 増補改訂版』(中公新書、1990)の「書影」と「目次」をあらたに挿入し、加筆を行った。(2026年9月6日 記す)



<ブログ内関連記事>

■満洲国関連

書評 『五色の虹-満洲建国大学卒業生たちの戦後-』(三浦英之、集英社文庫、2017 単行本初版 2014)-わずか8年の歴史しかなかった「満洲建国大学」という実験とその後

23年間「積ん読状態」だった藤原作弥氏の『満洲、少国民の戦記』(現代教養文庫、1995)を読んで自問自答する「日本人にとっての満蒙とは何か?」という問い

『王道楽土の戦争』(吉田司、NHKブックス、2005)二部作で、「戦前・戦中」と「戦後」を連続したものと捉える
      
書評 『マンガ 最終戦争論-石原莞爾と宮沢賢治-』 (江川達也、PHPコミックス、2012)-元数学教師のマンガ家が描く二人の日蓮主義者の東北人を主人公にした日本近代史

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・・「ジェネラル・ヒグチといえば、「ユダヤ人を救った将軍」として知る人ぞ知る存在

いまこそ読まれるべき 『「敗者」の精神史』(山口昌男、岩波書店、1995)-文化人類学者・山口昌男氏の死を悼む


■田中克彦関連

書評 『「シベリアに独立を!」-諸民族の祖国(パトリ)をとりもどす-』(田中克彦、岩波現代全書、2013)-ナショナリズムとパトリオティズムの違いに敏感になることが重要だ

書評 『漢字が日本語をほろぼす』(田中克彦、角川SSC新書、2011)


■南北モンゴル関連(分断民族としてのモンゴル)

書評 『回想のモンゴル』(梅棹忠夫、中公文庫、2011 初版 1991)-ウメサオタダオの原点はモンゴルにあった!

書評 『朝青龍はなぜ強いのか?-日本人のためのモンゴル学-』(宮脇淳子、WAC、2008)-モンゴルという日本人にとっての「異文化」を知る上で、信頼できる手頃な入門書

書評 『モンゴル帝国と長いその後(興亡の世界史09)』(杉山正明、講談社、2008)-海洋文明国家・日本の独自性が「間接的に」あきらかに

書評 『帝国陸軍 見果てぬ「防共回廊」-機密公電が明かす、戦前日本のユーラシア戦略-』(関岡英之、祥伝社、2010)






書評『モンゴル抑留 ― 見捨てられた死者たち』(井手裕彦、角川新書、2026)― 知られざる「モンゴル抑留」の真相を解明してきたジャーナリストの熱意と執念に感謝申し上げる

(2014年月15日 項目新設)
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