『「あの戦争」は何だったのか』(辻田真佐憲、講談社現代新書、2025)という本を読んだ。面白い内容だった。この手の本は大量に出版されつづけているが、これは読むに値する本だ。
「あの戦争」は何だったのかという問いは、現在に生きるわたしたちが「あの戦争」を全体としてどう位置づけたらいいのか、という問いである。
「あの戦争」は、上皇陛下がつかわれたことで世の中に浸透している「先の大戦」と言い換えてもいい。近年の歴史学の世界でいう「アジア・太平洋戦争」のことである。アメリカ占領軍が強いてきた「太平洋戦争」は、「あの戦争」の一部しか表現していない。
とはいえ、「アジア・太平洋戦争」では地理的な範囲がおぼろげながら示されるものの、時間軸という要素が示されないことが問題だ。「そもそもいつ始まったのか」という問いに応えていないからだ。 これが「第1章 あの戦争はいつ始まったのか」のテーマである。これは「あの戦争」の名称問題でもある。
著者は結論として、「大東亜戦争」でいいだろう、としている。わたしも基本的に賛成だ。「大東亜戦争」ということによって、「あの戦争」の地理的空間も時間軸も明確になるからだ。イデオロギーとは関係のない名称としてつかうべきなのだ。
歴史的事実としては、「あの戦争」は1937年の日中戦争に始まり、1941年12月8日の米英蘭への宣戦布告を経て、中国大陸から東南アジア、太平洋を主戦場とした。 1945年8月14日のポツダム宣言受諾に到り、日ソ戦争を経て9月2日に連合国に対する降伏文書に署名し、「あの戦争」が形式上は終結した。
「あの戦争」こと「大東亜戦争」は、中国大陸を主要な戦場として、8年間にわたってつづいた戦争なのである。「太平洋戦争」は、英米アングロサクソンの経済領域である上海に、日本が手をつけたことが導火線になったのである。 上海を基盤としていたのが国民党の蒋介石であった。
■現代人が現在視点で「あの戦争」を位置づけることが必要
本書は、現代という時代に生きる日本人が、現代的視点に立って、「あの戦争」を全体としてどう解釈し、どう位置づけるかという問いに対して答えようとした試みである。
先にみた「いつ始まったか」の答えにもあるように、左右のイデオロギー対立とは関係のない、きわめて公平で健全な常識にもとづいたものだといえる。
テーマ別の構成をとっている本書で、とくに読んでいて面白く、読むに値するのは「第2章 日本はどこで間違ったのか ――原因は「米英」か「護憲」か」である。ここでいう「護憲」の対象は「大日本帝国憲法」のことだ。お間違えなきよう。
「大日本帝国憲法」は、そもそも幕府的なものが発生しないよう、そのような意図をもってつくられた憲法であり、その結果、最終責任者が不明瞭という根本問題をうみだすことにつながってしまったのだ。首相といえばでも大臣の罷免権すらなかったのである! したがって、大臣職をいくつも兼任した東條英機首相も、独裁者とはほど遠い存在であった。
著者は、さまざまな「イフ」を投げかけて、その時点での意思決定が絶対にただしかったわけでも、絶対に間違っていたわけでもないことを示している。凡庸な歴史家は「歴史にイフはない」とうそぶくが、歴史を題材にした思考訓練として「イフ」はきわめて有効だ。
「大東亜共栄圏」というスローガンは、戦争が始まってから創られたものだが、戦時に強調された「八紘一宇」というフレーズに普遍的な「理念」があったのかどうかを検証している。「八紘一宇」とは、全世界を一つの家として統治するという理念を表現した、『日本書紀』に由来するフレーズである。
第3章 日本に正義はなかったのか 」で理念を打ち出した日本側について検証し、「第4章 現在の「大東亜」は日本をどう見るのか」で、「理念」が適用された「大東亜」地域、すなわち他者である中国と東南アジア地域での「建国ミュージアム」のフィールドワーク記録を紹介している。
「あの戦争」について、内向きの視点と外向きの視点でのギャップを感じることができたら、著者の試みは成功しているといっていいだろう。むしろ、「あの戦争」を経て建国するに到った、中国や東南アジア各国の「建国物語」への注目は、東アジアと東南アジアを考えるうえできわめて有益だ。戦争は相手あってこそ、戦争相手から見る必要があるだけでなく、 近代史は国際関係のなかで見る必要がある。
これは重要なことだが、日本には国立の「戦争ミュージアム」がない。全国地に存在するさまざまな民間ミュージアムが補完的機能を果たしている。靖国神社の遊就館や、おなじく九段にある昭和館、空襲や原爆関連の施設、などである。
「第5章 あの戦争はいつ終わるのか」は、「戦後80年」を経てなお「終わっていない」、言い換えれば日本近代史において位置づけがいまだに確定していない「あの戦争」の評価にかかわる問いへの答えである。 ここでもさまざまな思考実験が行われている。
■イデオロギーに引きずられることなく公平にものを見る必要
在野の近代史研究者である著者の姿勢は、特定の思想や左右の極端なイデオロギーに引きずられることなく公平であり、きわめて健全であり、むしろ常識的すぎるといえるかもしれない。
現代に生きる日本人が「昭和時代」、とくにその前半を象徴する「あの戦争」をどう解釈し、どう位置づけるか。本書はその問いを自分のものとして考えるための、よき手引きになっている。ぜひ読むことを薦めたい。
目 次
はじめに
第1章 あの戦争はいつはじまったのか ― 幕末までさかのぼるべき?
第2章 日本はどこで間違ったのか ― 原因は「米英」か「護憲」か
第3章 日本に正義はなかったのか ― 八紘一宇を読み替える 第4章 現在の「大東亜」は日本をどう見るのか ― 忘れられた「東条外交」をたどる 第5章 あの戦争はいつ「終わる」のか ― 小さく否定し大きく肯定する おわりに 主要参考文献 【著者プロフィール】 辻田真佐憲(つじた・まさのり) 1984年、大阪府生まれ。評論家・近現代史研究者。慶應義塾大学文学部卒業。政治と文化芸術の関係を主なテーマに、著述、調査、評論、レビュー、インタビューなどを幅広く手がけている。著書多数。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)
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・・大東亜戦争は、1937年の盧溝橋事件から始まった日中戦争が泥沼化したことから
・・大東亜戦争は1945年8月15日に終わったのではない
・・日本がタイに進駐していた3年半、この短い期間にあったことは?
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