「アタマの引き出し」は「雑学」ときわめて近い・・日本マクドナルド創業者・藤田田(ふじた・でん)に学ぶものとは?

◆「アタマの引き出し」つくりは "掛け算" だ : 「引き出し」 = Σ 「仕事」 × 「遊び」
◆酒は飲んでも飲まれるな! 本は読んでも読まれるな!◆ 
◆一に体験、二に読書、その体験を書いてみる、しゃべってみる!◆
◆「好きこそものの上手なれ!」◆

<旅先や出張先で本を読む。人を読む、モノを読む、自然を読む>
トについてのブログ
●「内向きバンザイ!」-「この国」日本こそ、もっとよく知ろう!●

■■ 「むかし富士山八号目の山小屋で働いていた」全5回 ■■
 総目次はここをクリック!
■■ 「成田山新勝寺 断食参籠(さんろう)修行(三泊四日)体験記 」全7回 ■■ 
 総目次はここをクリック!
■■ 「庄内平野と出羽三山への旅」 全12回+α - 「山伏修行体験塾」(二泊三日)を中心に ■■
 総目次はここをクリック!


「個」と「組織」のよい関係が元気をつくる!

「個」と「組織」のよい関係が元気をつくる!
ビジネス寄りでマネジメント関連の記事はこちら。その他の活動報告も。最新投稿は画像をクリック!



ご意見・ご感想・ご質問 ken@kensatoken.com にどうぞ。
お手数ですが、コピー&ペーストでお願いします。

© 2009~2025 禁無断転載!



ラベル 社史 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 社史 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2010年11月20日土曜日

「やってみなはれ」 と 「みとくんなはれ」 ー いまの日本人に必要なのはこの精神なのとちゃうか?




「やってみなはれ」精神

 サントリーの創業者・鳥井信治郎の口癖であり、サントリーという会社を創業以来貫いてきた精神としてよく知られている、と思う。

 「やってみなはれ」とは大阪弁で、挑戦を促すエンカレッジのコトバである。 

 ナイキ(Nike)の「Just do it !」と意味は同じである。ただニュアンスがじ若干違うように思う
 標準語の「やってみなさい」と意味としては同じだが、これまたニュアンスが異なる。

 「やってみなはれ」という大阪弁は、表現だけ取り上げてみたら、なんだか柔らく、暖かい感じがするのは不思議なことだ。
 パラフレーズすれば、「(あんた、そんなにやりたいなら、別に止めやしないから)、やったらええやろ。(そのかわり、成功するも失敗するも、あんた次第やで)」といったところか。( )のなかはクチには出せねど暗黙のうちに語っているコノテーションである。

 ちなみに、「やってみいや」とか「やってみんかい」という表現もあるが、「やってみなはれ」とはかなり違う。まったくもって品のない表現だ。「やってみなはれ」が自助努力を促しているのに対して、「やってみいや」「やってみんかい」は、相手ができないはずだという前提を暗黙に語っている挑発的な表現である。

 そもそも、話しコトバと書きコトバが大きく異なるのは、日本語だけでなく英語でも、どの言語でも同じであるが、東京弁をベースにした書きコトバが、大阪弁を含む話しコトバとしての関西弁とニュアンスの面でかなり差異があるのは当然といえば当然である。

 「やってみなはれ」については、大阪出身の開高健は自分も在籍していたサントリーの70周年記念社史として執筆された「やってみなはれ」のなかでこのように書いている。

細心に細心をかさね、起こり得るいっさいの事態を想像しておけ。しかし、さいごには踏み切れ。賭けろ。賭けるなら大きく賭けろ。賭けたらひるむな。徹底的に食い下がってはなすな。鳥井信治郎の慣用句 "やってみなはれ" にはそういうひびきがあった。八十三年の生涯にもっともしばしば彼が使った日本語はこれである。

『やってみなはれ みとくんなはれ』(山口瞳・開高健、新潮文庫、2003)P.162より引用)

 大阪人・開高健による誇張に満ち満ちた表現であるが、「やってみなはれ」の説明としては、これ以上ないほど詳細で懇切丁寧なものだといっていいだろう。

 「やってみなはれ」が意味するところは、やるのはまったく構わないが、自己責任でやりなさいということだ。あくまでも上位者が下位者に向かって、そのやらんとする企てを容認する表現である。

 だからこそ、「やってみなはれ」に対しては、「みとくんなはれ」が対(つい)表現になるわけだ。
 「みとくんなはれ」とは、標準語でいえば、「見ていてくださいよ、かならずやり遂げますから!」という意味である。


いまから25年前、「就活」まっただ中の私が知った「やってみなはれ」

 「やってみなはれ」というコトバを初めて知ったのは、いまから25年前の就職活動中のことだ。下宿に送られてきたサントリーの就職案内パンフレットに書いてあったと記憶する。
 就職活動中の大学生は、いわゆる企業研究を始めるわけだが、その時以来記憶に残っているのが、サントリーの「やってみなはれ精神」であった。

 その当時の就職活動は、現在とは違い、大学4年生に入ってからであった。いまからは考えられない、のんびりとした(?)と思いきや、「就職協定」というものがあって10月1日までは活動してはいけないといわれていたのにかかわらず、実質的には10月1日でほぼすべての活動が終わっていた。つまり短期集中の一気勝負だったのだ。

 私は9月末まで就職戦線においては「連戦連敗」で、就職が決まらずにバタバタと右往左往していたが、チャッカリ組は夏休み中には内定をもらって、他社に引き抜かれないように高級ホテルやリゾートに「拘束」されていたらしい。
 私はそういう経験はまったくもたずに終わってしまったので、「バブル世代」とは一緒くたにはされたくない(笑)。

 大学4年にはすでに単位はほとんど取ってしまっていたので、卒論研究を中心にしながら、単位を前提にしないで、他学部のものも含めて、いろんな講義を聴講聴講していた。

 「市場開発論」という講義があって、商学部の友人に誘われて出席してみることとした。私が在籍していた一橋大学というのは、学部はあっても学部間の壁はそれほど高くなかったので、こういうつまみ食いも十分い可能であった。
 「市場開発論」は、当時サントリー監査役を務めていた大学 OB が講師を務めていた授業で、立ち見がでるほどの盛況であった。大学教師ではなく、現役の企業人によるナマの話が実に面白かっただけでなく、当時は(・・いまでもそうだが)サントリーの人気は実に高かったのである。サントリーに就職を希望する学生にとては、絶対に参加して顔を売るいい機会になっていただろう。
 一方で、大学キャンパスには「産学協同絶対反対」などというプラカードがあったのも、いまから考えるとまったく不思議な気もする。

 当時1980年代半ばは、松田聖子の歌う「Sweet Memory」とペンギンがでてくるサントリーCANビールの CM が爆発的な人気があった。講師のサントリー監査役の方も、ペンギンのノベルティを授業にもってきたりしていたような記憶がある。

 私はこの授業で、毛澤東の「実践論」やボストン・コンサルティング・グループ(BCG)が開発したポートフォッリオ分析のマトリックスを初めて知った。いま風にいえばフレームワークの一つである。

 まさか、経営コンサルタントになるなどとは考えもしなかったが、大学卒業後いきなりコンサルティング・ファームに入った際にはすでにBCGマトリックスのなんたるかは知っていたことになったので、人生においてムダなことはまったくないとあらためて実感もする。


サントリーはビール事業に新規参入してから、なんと45年目(!)にしてはじめて黒字化の悲願を達成した

 当時は、ビール市場はキリンビールが圧倒的なシェアをもっていたのであり、このい状態を指して「ガリバー型寡占」と表現していた。ガリバーとは『ガリバー旅行記』のガリバーのことだ。こんなことを思い出したのも、当時の耳学問のおかげである。

 サントリーは宣伝広告はうまいので消費者には受け入れられているように思われていながら、実は1980年代半ば時点でもビール事業は赤字であった。

 「健全なる赤字部門」をもつことが重要なんだぜ、と商学部にいた友人がいっていたが、サントリーにとってのビール事業は、そんなキレイ事ではなかっただろう。第二創業の柱として、社内で危機感をもたせるという意味もあったのだろうが、しんどい話だったのではないだろうか。

 サントリーのビール事業が黒字化したのは、なんと一昨年の2008年のことである。

 二代目社長の佐治敬三が1963年に、創業者で父親の鳥井信治郎から「やってみなはれ」といわれてから、なんと45年(!)かかって悲願を達成したことになる。悲願達成は、創業者の孫である三代目社長の佐治信忠になってから、実に息の長い話である。
 
 大企業とはいえ、非上場のオーナー企業であるからこそ、経営にはいっさいのブレがなく、悲願達成できた、といっていいのではないだろうか。めげず、くじけず、へこたれず、あきらめない。
 サントリーの社員ではない私も、なんだか自分のことのようでうれしく思ったものである。


「サントリー文化圏」は関東にも存在していたが少数派であった

 そもそも関西出身の両親のもとに育った私は、幼少のみぎりに関東に移住してからも、ものごころついた時からずっと、もしこういう表現が可能なら「サントリー文化圏」のなかにいたのである。
 
 家庭内言語が関西弁であるだけでなく、食生活を始めとして関西文化圏の飛び地のような家庭であった。在米の日系二世のようなものだったのかもしれない。

 ウイスキーは、ニッカではなく、サントリーのダルマ。
 ビールも、キリンでもサッポロでもアサヒでもなく、サントリーの純生(じゅんなま)。

 子どもは当然のことながら酒は飲まないが、そういう家であった。銘柄の選択を除けば、1960年代から1970年代の日本人家庭は、多かれ少なかれ似たようなものだったのではないだろうか。
 とはいえ、関東ではサントリーは実はマイノリティであったということは、大人になってから知った。気がつかなかったのは不思議である。

 サントリー関連のノベルティ・グッズや印刷物などが家にあった。
 柳原良平のイラストをもとにした、バイキング姿のトリスオジサンの爪楊枝立てが食卓にはあったことを覚えている。このほかかにも多々あったように思う。

 開高健は小説は読んだことがなくても、そういった印刷物に掲載されていた文章は読んでいた。

 「人間」らしく
 やりたいな

 トリスを飲んで
 「人間」らしく
 やりたいな

 「人間」なんだからな

 開高健によるこのコピーを読んだのは、もちろん大人になってからだが、いまここに書き記しながらも、なんだかじ~んとくる名コピーである。


サントリー70周年社史を文庫化した『やってみなはれ みとくんなはれ』(新潮文庫)

 冒頭に掲載した文庫の表紙イラストにでてくるのはサントリーウイスキーのダルマ、正式にはサントリー・オールドという。トリスではなくオールド。オールド・パーではなく、サントリー・オールド。

 いまから考えると隔世の感だが、ジョニ黒とジョニ赤が幅をきかせていた時代、その後は円高で並行輸入も行われるようになって、ジョニーウォーカーの価値はまったくなくなってしまった。タイ王国ではいまだにジョニーウォーカーが幅をきかせているので不思議な感覚をもつ。

 近年また「ハイボール」なる飲み方が流行っているが、『やってみなはれ みとくんなはれ』(新潮文庫)にも「ハイボール」の話は何度もでてくる。サントリーが洋酒のサントリーとして認知されていたころの話である。

 『やってみなはれ みとくんなはれ』(新潮文庫)は、サントリー70周年社史として1969年に出版されたものをカーブアウトして文庫化したものである。以下の二編が収録されている。

 「青雲の志について-小説・鳥井信治郎-」(山口瞳)
 「やってみなはれ-サントリーの七十年・戦後編-」(開高健)

 本書の原版が出版された 1969年はサントリー創業70年の年である。この年は、大阪万博の一年前であり、また三島由紀夫割腹自殺の1年前の年にあたる。

 山口瞳と開高健の個性は正反対。1926年東京生まれの直木賞作家・山口瞳と、1930年大阪生まれの芥川賞作家・開高健とでは、生まれも育ちも、小説家としての趣味趣向も文体もまるで異なる。
 開高健にさきにサントリー(当時は寿屋)の宣伝部にいたのだが、芥川賞受賞で忙しくなったので、編集部員補充のためにあとから入ったのが山口瞳だということだ。山口瞳はのちに直木賞を受賞している。

 頻発するダジャレに、誇張にみちた表現、豊富なボキャブラリーに、饒舌な文体。私は個人的にこの開高健の文体が好きなのだが、人によってはもちろん趣味が異なるであろう。
 山口瞳のユーモアがありながらも端正な文体とは大いに異なる。

 この二編を読むと、サントリーという会社が、創業以来つねにベンチャー精神をもってきた会社だということがよくわかる。
 その根本精神に、創業者の「やってみなはれ」というコトバと事業家精神があった。
 しかも、創業者は「陰徳は陽報なり」というコトバのもと、神仏の信仰がきわめて篤い慈善家でもあった。フィランソロピーなどというコトバが導入される以前の慈善家である。このタイプの慈善家は欧米では当然であるが、大企業から非上場のオーナー企業が少なくなってからは主流ではなくなってしまったように思われるのは残念なことだ。
 サントリー美術館やサントリーホールなど、文化への貢献もきわめて大きい。その意味においては、キリンとの合併が破談になったことは、個人的にはうれしく思う。企業文化が根本的に違うからだ。

 いまでも関西の中堅中小企業には、このタイプのオーナー企業経営者が多いように思う。


 ところで、トヨタやホンダ、最近はパっとしないのが残念なソニーだけが、日本を代表する製造業ではない。

 宣伝広告のうまさで世に知られるサントリーではあるが、ブランドの基本はいうまでもなく製品の品質そのものである。研究開発型製造業としてのサントリーにおける、製造業とマーケティング・コミュニケーションの関係についても考えてみるのもいい。 

 たまには、大阪発の酒類食品製造業サントリーの草創期と戦後復興期の物語を読んでみることも必要ではないのかと思う。
 破天荒、はちゃめちゃ、熱い熱気・・・。草創期を過ぎてもこれだけ熱気に満ちた会社も珍しい。もちろん、サントリー内部の人間ではないので、真相は知るよしはないが、文庫版に「その後の「やってみなはれ」」を書いている "窓際OL" 斎藤由香ではないが、「おもろい会社」であることは現在でも代わって異な事と思いたい。

 「第二の敗戦」といわれたバブル後のデフレ時代、たしかにハイパーインフレ時代とは時代の空気がまったく違うが、要は心も持ち方次第ではないか?

 これこれをやりたいと、部下が情熱を込めて訴えきたら「やってみなはれ」といいたくはないかな?

 もちろんその際には、即座に「みとくんなはれ」という答えを期待したいものだ。


画像をクリック!


<ブログ内関連記事>

『連戦連敗』(安藤忠雄、東京大学出版会、2001) は、2010年度の「文化勲章」を授与された世界的建築家が、かつて学生たちに向けて語った珠玉のコトバの集成としての一冊でもある
・・負けてくじけているヒマがあったら次のコンペに挑戦せよ! 大阪人のど根性

書評 『梅棹忠夫 語る』(小山修三 聞き手、日経プレミアシリーズ、2010)-本質論をズバリ語った「梅棹忠夫による梅棹忠夫入門」
・・京都人の最晩年の放談集。「困難は克服するためにある」など、日本人に勇気を与える元気のでるコトバの数々。

書評 『7大企業を動かす宗教哲学-名経営者、戦略の源-』(島田裕巳、角川ONEテーマ21、2013)-宗教や倫理が事業発展の原動力であった戦前派経営者たちの原点とは?
・・第4章でサントリーが取り上げられている

Where there's a Will, there's a Way. 意思あるところ道あり

in vino veritas (酒に真理あり)-酒にまつわるブログ記事 <総集編>

(2014年8月21日、12月21日 項目新設)


(2023年11月25日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年12月23日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年6月24日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年11月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年10月22日発売の拙著です 画像をクリック!

 (2020年12月18日発売の拙著です 画像をクリック!

(2020年5月28日発売の拙著です 画像をクリック!

(2019年4月27日発売の拙著です 画像をクリック!

(2017年5月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2012年7月3日発売の拙著です 画像をクリック!


 



ケン・マネジメントのウェブサイトは

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどうぞ。
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。

禁無断転載!








end

2010年10月4日月曜日

「もの知りしょうゆ館」(キッコーマン野田工場)の「工場見学」にいってみた。「企業ミュージアム化」が求められるのではないかな?





 昨日(2010年10月3日)、キッコーマン野田工場の工場見学にいってきた。「もの知りしょうゆ館」という名称のもと、企業博物館的要素の強い、観光客向けの見学コースが設定されている。


「大人の社会科見学」としての「工場見学」

 最近は、工場見学が流行りらしい。テレビの報道番組でもときどき取り上げられている。

 従来は子供向きであった「社会科見学としての工場見学」、最近は、「大人の社会科見学」は、けっして珍しいものではなくなっている。子供連れの家族というわけでは必ずしもなく、大人が大人の関心から工場見学にいくのも増えているらしい。

 私の場合は、仕事柄、クライアント企業の工場を魅せてもらうことが多かったので、一般見学を前提としない工場も、内外を問わずかなりの量を見てきた。

 企業博物館タイプの工場見学についても、昨年の秋にキリンビールの横浜工場に団体で「大人の工場見学」にでかけたほか、長野県小諸のマンズワイン工場見学(・・ちなみにマンズワインは山梨県勝沼のワイナリーが観光地としては有名。マンズワインは現在キッコーマン傘下)に出かけている。

 食品は、もっとも消費者に近い一般消費財であるので、一般見学を前提とした工場見学ツアーは多くの会社で実施している。工場見学は広報のなかでも双方向性で費用対効果の高いものであるからだ。
 工場見学の終わりにお土産をもらっても、持って帰って食べてしまえば場所をとらないというのも好ましい。しかも、お土産は無料の試供品のようなものだから、顧客サービスとしての位置づけはもちろん、新たな顧客開拓の意味合いももつ。
 工場見学者にとって、売店でお土産を買うのも楽しみの一つである。

 今回「もの知りしょうゆ館」にでかけた直接のキッカケは、下総航空基地の一般公開で千葉県柏市までいったので、ついでに千葉県野田市まで足を伸ばしたということである。東武野田線の新親鎌ヶ谷駅から野田市駅までは40分かかり、しかも柏駅で乗り換えなければならない。埼玉県と
県境に近い野田市までいく用事はあまりない。

 私にとっては、醤油工場見学は長年の懸案事項であった。


東武野田線の野田市駅前はキッコーマンの「企業城下町」。利根川流域の野田は江戸時代以来の醤油の一大生産地帯

 東武野田線の野田市駅で下車。ここはキッコーマンの「企業城下町」である。

 利根川流域で物流の観点から一大消費地の江戸に近いこの地は、同じく利根川河口の銚子と並んで醤油製造の一大生産地であった。野田の醤油産業にrついては、『野田の醤油史』(市山盛雄、崙書房ふるさと文庫、1980)という、千葉県の地方出版の本が参考になる。この本は帰りの電車のなかでざっと目を通したが、概略をつかむことができる。ちょっと入手しにくいのが難点だが。


 野田市駅は、キッコーマンの工場以外、これといってめぼしいものはない。ここで昼飯を食べようと思ったが、コンビニしかなく、ファストフードもないので断念、とりあえず工場見学にいってから考えることとした。工場までは駅から徒歩3分。


「もの知りしょうゆ館」の工場見学

 事前に予約すれば、計60分のガイド付き工場見学ツアーがあるが、団体客と一緒に行動するのもうっとおしいので、単独で回ることにした。個人客は予約がなくても見学することはできる。

 ちょうど時間があっていたので、醤油製造の映画15分を見てから、自由に見学する。
 醤油醸造の製造工程そのものは、映画を見れば十分に理解できる。基本的に発酵食品である醤油は、発酵のプロセスそのものは生物にまかせるので製造プロセスはそれほど複雑ではない。複雑なことはすべてこうじ菌がやってくれる。単純な食品であるだけに、難しいのは材料の選定である。

 醤油たまりを布で絞る工程が以前は人手に頼らなければならないので大変だったようだが、現在では完全に自動化されているので、工場見学としてはそれほど面白いものではない。


 あっという間に見終わってしまうが、途中に醤油を使ったカフェがあるので、ここで軽く昼食をとった。醤油の効き比べようの木綿豆腐は無料、これに醤油生うどん150円を食べる。関東の濃い口醤油のうどんは、私にがちと濃すぎてイマイチであった。

 お土産は卓上の Kikkoman の醤油差し。どこの食堂でも置いてある、瓶入りの醤油である。


 せっかくの機会なので、売店で数量限定という「亀甲萬 御用蔵醤油」(527円)を買って帰る。伝統的醸造方法で醸造された「昔ながらの醤油」。さっそく今夜使ってみたが、関東の濃い口醤油そのもの、という感じの醤油であった。

 ちなみにキッコーマンのロゴマークは、この六角形の亀甲(きっこう:亀の甲羅)のなかに萬(まん:万)の字を象(かたど)ったものだ。「鶴は千年、亀は万年」にあやかったものだと、説明映画のなかで語られていた。

 日曜日だったので製造装置は止まっていたのが残念だが、百聞は一見にしかず、だ。
 今回は仕事ではなく、「大人の社会科見学」として、訪問してみた。


世界最大の醤油メーカーには「企業ミュージアム化」が必要なのでは?

 ただ、「もの知りしょうゆ館」は、企業博物館としての要素が弱いのが残念であった。なんせ醤油は江戸時代以来の伝統産業であるのだから、もっと江戸時代の醸造道具などの民俗学的な展示が欲しかったところだ。現在、展示されているものはごくわずかである。

 東京農大の大学ミュージアム「食と農の博物館」には、日本酒の醸造関係の資料が多数収集されて展示されている。

 日本を代表するというより、世界を代表する醤油メーカーのキッコーマンには、醤油にかんしては世界一のミュージアムを目指してほしいものだ。ただ単に野田の醤油造りだけでなく、銚子や、その起源である紀州を含めた関西の醤油造り、さらには中国のたまり醤油、タイのナンプラーやベトナムのヌクマムに代表される東南アジアの魚醤など、世界の醤油づくりをすべてカバーしたミュージアムが。

 売店には、醤油関係の書籍が一冊もなかったのは、企業ミュージアムとしての意識が欠けていることを示しているのだろうか。
 食品産業のリーダーとして、さらにワンランク上の企業を目指すためには、学芸員もそろえた企業ミュージアム化が必要あると私は思う。それまもた、企業の社会貢献の一つのあり方である。

 




<関連サイト>

「もの知りしょうゆ館」工場見学(キッコーマンのサイト)


<ブログ内関連記事>

大学と卒業生の関係とは?- Hitotsubashi University Homecoming Day 2010 (5月8日)で考えたこと
・・「大学博物館」あるいは「大学ミュージアム」(の不在)について考えてみる

味噌を肴に酒を飲む

「まめバス」というコミュニティバスが千葉県野田市にはある-ユニークな外装のミニバスは一見の価値あり

「櫻木神社」という神社が千葉県野田市にある-すべてを「桜花」の意匠で統一した見事なまでの一貫性

(2015年12月7日、2017年5月2日 情報追加)




(2012年7月3日発売の拙著です)








Clip to Evernote 


ケン・マネジメントのウェブサイトは
http://kensatoken.com です。

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどうぞ。
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。

禁無断転載!



end