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2012年3月5日月曜日

どれどれ 春の支度にかかりませう 赤い椿が咲いたぞなもし(北原白秋)-椿は春の訪れを告げる花


きょう(2012年3月5日)の関東地方は、朝から氷雨で寒い一日になるようだが、春は確実に近づいている。

この写真は、一昨日に撮影したもの。椿の花である。

椿というと、この歌を思い出す。むかし愛読していた園芸書に引用されていたものだ。

どれどれ 春の支度(したく)にかかりませう 
赤い椿が咲いたぞなもし

北原白秋の作である。倒置文による歌は、なんだか昔話の世界か童謡みたいでほほえましい気持ちになる。

椿(ツバキ)は、日本原産の常緑樹。おなじくツバキ科でも、冬に咲くサザンカや、秋に咲く茶(チャノキ)の木とは違って、椿の花は春に咲くから、木偏に春で椿。日本でつくられた国字である。椿は、春の訪れを知らせる花である。

椿の花が咲いているのを撮影した翌日、なんだか鼻がムズムズしてきた。わたしのカラダもまた、春の訪れを敏感に感じ取っているようだ。春は花粉症の季節。痛し痒しというか、うれしムズかゆしとでも言うべきだろうか。

国文学者で民俗学者の折口信夫に「花の話」という論文がある。そのなかから、椿にかんする一節を引用しておこう。「昭和三年六月、國學院大學郷土研究会例会講演筆記」とのこと。『古代研究 第一部 民俗学篇第一』に収録された一編である。

椿の花は疑ひもなく、山茶花の事である。海石榴と書いて居るのが、ほんとうである。椿には意味がある。大和にも豊後にも、海石榴市(つばいち)があつた。市は、山人が出て来て鎮魂して行く所である。此時、山人が持つて来た杖によつて、市の名が出来たものである。椿の杖を持つて来て、魂(たま)ふりをした為に、海石榴市と称せられたのであらうと思ふ。豊後風土記を見ると、海石榴市の説明はよく訣る。
椿の枝は、近世まで民間伝承に深い意味があつて、八百比丘尼(はっぴゃくびくに)の持ち物とせられてゐる。八百比丘尼はよく訣らないものであるが、室町時代には出て来て居り、其形から見ると、山姥が仏教的に説明せられたものに違ひない。何時までも若く又は、死なぬ長寿者であつて、熊野の念仏比丘尼が諸国を廻つたものと、山姥の考へとが結合したものである。山姥は、椿の枝を山から持つて来て、春の言触(ことふ)れをするのである。春の報(しら)せには、山茶花は早く咲くから、都合のよい木である。即、山姥が、椿でうらを示したのである。
口から吐く唾と花の椿とは、関係があつて、人間の唾も占ひの意味を含んでゐたのは事実だ。つはつばの語根であり、唾はつばきである。椿がうらを示すもの故、唾にも占ひの意味があるのだらうと考へたのである。どの時代に結合したか訣らぬが、時代は古いもので、つに占ひの意味が含まれてゐる。だから、椿と言ふ字が出来て来る。春に使われる木だから椿の宛て字が出来た。
私は、椿の古い信仰は、熊野の宗教に伴うて残つたものではないかと思ふ。熊野の男の布教者は、梛(なぎ)をもつて歩き、女の布教者は、椿をもつて歩いたのではあるまいか。此は、私の仮説である。とにかく、山人が椿の桙を持つて来たから、海石榴市である。
(出典:『折口信夫全集第二巻』 本文は「青空文庫」より  http://www.aozora.gr.jp/cards/000933/files/46314_25549.html


折口信夫によれば、「つ」は「つば」の語根、「つばき」は唾であり椿である。しかも、それは占いだと言っている。また、「椿の枝は、近世まで民間伝承に深い意味があつて、八百比丘尼の持ち物」だという仮説を示している。そもそも椿は、占いと女性と長寿に深くかかわるものであることが示唆されている。

椿の花は美しいが、咲き終わるとボタリと落ちる。物理学者で随筆家としても有名な寺田寅彦の最後の論文は、「空気中を落下する特殊な形の物体-椿の花-の運動について」(1933年)であったらしい。中身は読んだことはないが、いかにも寺田寅彦らしい内容を予想させるものだ。昭和8年であるから、折口信夫の講演から5年後のことである。

椿は花が美しいだけでなく、実もまた有用だ。実から椿油がとれる。相撲取りの髪を結うのにつかわれるのが椿油。お茶の実と同じような、堅い殻の実が椿の実だ。

椿といえば、椿の花を図案化した資生堂(SHISEIDO)のロゴが思い浮かぶ。その SHISEIDO の世界商品が TSUBAKI だ。椿油ではなく椿オイルと言い換えているのは、椿油のイメージがやや古くさいので、椿のイメージと効能だけは強調したいということだろう。

先にも書いたように、椿は日本原産!! 

その椿が美しい日本女性を象徴するものとして商品名になる。すばらしいことではないか。Tsubaki が一日も早く世界語になることを望みたい。

椿は春の訪れを示してくれる花である。それも日本の春の訪れを示してくれる花だ。







<関連サイト>

TSUBAKI公式サイト(SHISEIDO)


<ブログ内関連記事>

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・・本記事の3年後に執筆したもの。椿の実について

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書評 『折口信夫 霊性の思索者』(林浩平、平凡社新書、2009)

書評 『折口信夫―-いきどほる心- (再発見 日本の哲学)』(木村純二、講談社、2008)

書評 『折口信夫 独身漂流』(持田叙子、人文書院、1999)

グルマン(食いしん坊)で、「料理する男」であった折口信夫

「天災は忘れた頃にやってくる」で有名な寺田寅彦が書いた随筆 「天災と国防」(1934年)を読んでみる

(2015年7月21日 情報追加)





(2012年7月3日発売の拙著です)









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