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2024年1月3日水曜日

「謹賀新年」と言いたいところだが・・・。元旦に大地震、2日には航空事故。まさに「世界大乱」を予想させる2024年の「イヤー・オブ・ザ・ドラゴン」がここ日本を震源地に始まった!

(19世紀前半の浮世絵師・歌川国芳の海龍 Wikipediaより)


2024年の年明けにあたり、「謹賀新年」。「あけましておめでとうございます」。

と言いたいところだが・・・。

元旦には、能登半島で震度7の大地震とそれにともなう津波。2日には、羽田空港で旅客機と海上保安庁の航空機の接触による炎上事故。2日連続でたてつづけに発生。

まさに「大乱」を予想させる「イヤー・オブ・ザ・ドラゴン」が、この日本を震源地に始まった。

前者は自然災害、後者はヒューマンエラーに起因する人災であるが、カタストロフィーともいうべき大事故を引き起こした点は共通している。それもいきなり元旦から2日連続だ。

前者は、スマホで「緊急地震速報」がけたたましく鳴ったので、びっくりした。

すわ大地震かと身構えたが、NHKのTVをつけて能登半島で大地震が発生したことを知った女性アナウンサーによる津波警告の絶叫に、それがただならないものであることをつよく感じ取った。

後者は2日の夕方に、NHKを視聴中に突然一報が入ってきたことでリアルタイムで知った。

事故発生からずっと視聴しつづけたが、燃え上がるJALの機体から乗客乗員379人すべてが奇跡的に無事避難できたことを知って胸をなで下ろしたが、能登半島に被災物資を運ぶための海上保安庁の航空機は全焼し、乗員6人のうち5人が殉職している。任務遂行の途上の死亡事故は痛ましい。

2日たてつづけに発生した事態は、つながっていたのだ。


(Google News 英語版より)


ことし2024年のニューイヤーは、世界中の報道機関で日本発の大ニュースが報道されている。昨年からつづいているイスラエル・ハマス戦争などのニュースを押しのけてだ。

本来なら「今年は昇龍の年」と明るく言い切ってしまいたいところだったが、正月気分など完全に吹っ飛んでしまった

やはり「龍のもつ本性」を知らなくてはならない龍はそもそも水神ないしは海神であるが、人間に恵みを与えてくれる水は、ときに暴れてコントロール不能となる。

ことし2024年は、その「暴れ龍」としての本性がいきなり開示されたと受け止めるべきであろう。



■新年になったから自動的に「おめでたい」わけではない

ところで、「あけましておめでとうございます」という新年のあいさつにかんしては、国学者の折口信夫の『自歌自註』(昭和28年=1953年)に、以下のような一節がある。自分が若き日につくった歌を、30年後に自分でコメントしたものである。


おほとしの日

除夜の鐘つきおさめたり。
静かなる世間にひとり
我が怒る声

大正の五年の朝となり行けど、
膝もくづさず
子らをのゝしる

(・・・中略・・・)
 
「先生おめでたうございます」その声につれて(・・・中略・・・) その語をついで「おめでたうございます」と言った。其時私の発した怒り声が、此歌にまだはりついたやうにして聞こえる。(・・・中略・・・)
正月をめでたいといふやうな伝襲的な(コンヴェンショナル)な考へを、若い者は口にする必要はない。さういふことを思ふのが間違ひだし、思はないでも言はないでもいゝ世の中になるやうに、しなければならないお前達が、「おめでたうさま」としんから言つているのが残念だ。
出発点はそれでも意味はあつたのだが、段々言ひすゝんでゐるうちに、私自身も、何だか理を非に曲げて、若い心をねぢ曲げてゐる気のして来たことを覚えてゐる。(・・・後略・・・)


引用は手元にある『折口信夫全集 第廿六巻 歌論歌話篇2』(中公文庫、1976)によるり。敗戦後の昭和20年代の日本で、若き日につくった歌をコメントしている内容を口述筆記で記録したものである。




歌がつくられた大正5年(1916年)時点で折口はまだ20歳台、大阪から若い生徒たちを連れてきて東京で同居していた経済的にも苦しかった時代の話だ。

正月をめでたいといふやうな伝襲的な(コンヴェンショナル)な考へを、若い者は口にする必要はない」。そこまで言い切っているのである。

「伝襲的な(コンヴェンショナル)」は、原文ではルビの形になっている。英語の conventional である。口述筆記の記録なので、折口自身が実際にそう語ったのであろう。

さういふことを思ふのが間違ひだし、思はないでも言はないでもいゝ世の中になるやうに、しなければならないお前達が、「おめでたうさま」としんから言つているのが残念だ。」とつづけて言っている。

大晦日から元旦にかけて口にすることでもないような気もする。だが、もっともな内容である。「おめでとう」というから「めでたくなる」のではない。コトダマの威力に頼る前にすることがあるだろう、ということだ。「人事を尽くして天命を待つ」ことが大事だと道徳的に説いているのではないか?

大正5年(1916年)をネットで調べてみたら、なんと「辰年」であった。いまから108年前も辰年だったのだ。干支は9巡している。偶然の符合というべきか、それとも折口は直観的にそういう発言をしたのか、定かではない。


(能登半島の震源地と氣多神社の位置 Google Map より)


こう書いていて気がついたが、折口信夫は、その養子の春洋とともに父子で墓に眠っている。その折口春洋(旧姓藤井)は、羽咋(はくい)にある能登國一宮 氣多大社(けたたいしゃ)の出身であった。

震源からはずれているが、能登半島南部で海に西面した羽咋市もまた、今回の大地震で被災している。幸いなことに氣多神社には被害はなかったようだ。



■さらに「大乱」が予想される「暴れ龍」の一年に

まさに「大乱」を予想させる2024年(辰年)の幕開けである。「大乱」が予想されていたのは、おもに海外のおとであったが、なんと日本がその大乱の「震源地」になろうとは・・・。

大地震の犠牲者となった方々に哀悼の意を表し、被害者の方々、また救助にあたる方々のことを思いながら、新年だからこそ気を引き締めてかからなくてはならないと、つよく思っている。

コトダマは悪しき方向に引っ張る力もある。だからこそ、めでたいと浮かれることなく、引き締めてかかるぞと、口に出してつぶやく必要があるのだ。心身ともに「備えあれば憂いなし」の心構えで臨みたい。


(葛飾北斎の龍 Wikipediaより)


「辰年の龍」は、いかなる性格をもっているのか、新年早々から思い起こさせてくれたことを天に感謝して、ことしもまた、「毎日が人生最期の日」だと思って、日々新たにものごとに取り組んでいきたいと思っている。

ことしは、いやことしもまた、大いに気を引き締めていきましょう!



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2022年1月17日月曜日

書評『折口信夫』(安藤礼二、講談社、2014)―「折口信夫という謎」に迫った「集大成」となる大著

 


読みたくて購入したのだが、あっというまに7年もたってしまった。意を決して538ページの大冊にとりかかるも、途中に空白が生じたりして読み終わるまで結局まる4日もかかってしまった。

「折口信夫という謎」に長年にわたって取り組んできた著者による「集大成」ともいうべき大著である。文芸評論家・小林秀雄の晩年の大著『本居宣長』に匹敵するといっていいかもしれない。おそらく著者自身も意識していることだろう。 


■折口信夫とは

折口信夫というと、日本民俗学の創始者・柳田國男の弟子でライバルであったというのが一般的な理解であろうが、わたしは折口は本質的に国文学者であり、かつ釋釈迢の名による文学者とが一元化した存在であったと考えている。日本語ではうまく表現できないが、ラテン語でいう poeta  doctus というのがふさわしい。 

折口本人が認識していたように、学問が細分化される以前の「国学者」だとするべきであろう。それも本居宣長よりも、より神道神学の方向をくわめた平田篤胤の系譜につらなる国学者である、と。




「万葉集」をつうじて古代人の生活と思考に迫るために、さまざまな学問を身につけた上で柳田國男の民俗学との出会いが大きな意味をもったのだ、と。本書を読んで、わたしの理解は固まりつつある。 

『更級日記』や『伊勢物語』をはじめ、王朝文学は好きだったが、高校三年のときに「自分はまったく日本のことがわかってないな」と自覚して深く反省し、文庫本で柳田國男を読み始めた。 

大学に入ってからは、寮で同室となった親友の影響もあって折口信夫を読み始めた。当時は、中公文庫から『折口信夫全集』も出ていたので手に取りやすかったこともある。


■「安藤礼二氏の折口信夫」は「評伝」ではあるが「伝記」ではない 

わたし自身の回想はさておき、安藤礼二氏の『折口信夫』は、折口信夫の弟子筋を中心に積み上げられた膨大な回想録や評論などとは一線を画している。 

折口信夫の知られざる生涯、とくに大学時代の青年期の神道系の宗教実践活動と、柳田國男の民俗学の出会うまでの学問遍歴に焦点をあてている。著者による長年の調査研究による数多くの新発見が反映されており、読みごたえは十二分にある。 

青年期の神道系の宗教実践活動は、神道教義研究団体の「神風会」におけるものであった。キリスト教プロテスタントの米国発の「救世軍」に対抗する街頭活動も行っていた。

国家神道体制のもと、宗教性を欠いた神道へのアンチテーゼとして敗戦後に打ち出されたのが「神道宗教化」の構想だが、その萌芽はすでに青年時代に芽生え、培われていたのである。 

しかも、仏教とキリスト教の一致を説く、浄土真宗系の謎の青年僧・藤無染との出会いをつうじて、キリスト教など一神教の本質を深く理解したうえでの「一元論」志向の形成が背景にあった。日米で平行した思想運動である。「純粋経験」(西田幾多郎、ウィリアム・ジェームズ)、鈴木大拙(仏教、スウェーデンボルグ)なども視野に入れる必要があるのだ。

その一元論とは、プロティノスの「一にして多、多にして一」というべきものである。折口信夫とキリスト教徒の関係は、表面にはほとんど出てこないが、それだけに無視できないものがある。

 そして、「神風会」における謎の女・本荘幽蘭との接点富岡多恵子氏の『釋迢空ノート』や、富岡氏と安藤氏の共著『折口信夫の青春』で、すでに取り上げられたテーマが本書でさらに深掘りされている。神道系新宗教への親近感、霊性の観点からみた女性の男性に対する優位性など、折口信夫の思想のラディカルな性格などがそうだ。

同時代のフランスの民族学者マルセル・モースの「マナ」の影響も指摘されている「外来魂」としての「たま(しひ)」の考察は、血筋だけでなく外来魂としての「天皇霊」(あくまでも作業仮説ではある)が重要だとした折口信夫の学説の基礎となっている。

この折口説を貫けば、「崎門の学」の浅見絅斎(あさみ・けいさい)の「(政治的)正統性」にかんする議論が「尊皇思想」を生み出しとする、山本七平や小室直樹が強調するとは真っ向から対立することになる。安藤氏自身は、その議論は展開していないが、天皇と天皇制をめぐる折口信夫の学説が、いかに危険なものであるかがわかろうというものだ。

その意味でも、折口信夫はまだまだアクチュアルな問題提起をつづける存在だというべきなのだ。


■いまだ解かれるのを待っている「折口信夫という謎」

本書は、「評伝」であり、生涯全体を論じた「伝記」ではない。膨大な資料探索を背景にしているが、狭い意味での研究書ではない。だから、部分部分を論じてもあまり意味はないだろう。それよりも、この大著全体から感じ取るものが重要だろう。 

「折口信夫という謎」に限りなく迫った本書は、2014年時点の「集大成」ではあるが、いまこれを書いている2022年までの7年のあいだにも新発見やあらたな論著が生み出されている。「折口信夫という謎」にかんしては、個々の謎の解明は今後もさらに進んでいくだろう。 

繰り返すが、折口信夫が提起した問題群は、過去のものになったわけではない。きわめてアクチュアルな問題を提起しつづけている存在だというべきなのだ。日本とはなにか、神とはなにか、その他もろもろの問題を考えていくいうえで、きわめて大きな存在である。 

わたし自身は、大学時代に読みはじめた折口信夫だが、まだまだ理解に至るまでほど遠い。中公文庫版の『折口信夫全集』(ただし内容的には旧版)もすべて読み尽くしたわけではない。安藤礼二氏の著作活動も含め、折口信夫については、今後もつよく意識していきたい。

 
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目 次
はじめに
第1章 起源
 聖父子の墓/藤無染と本荘幽蘭/神風会
第2章 言語
 曼陀羅の花/言語情調論/無我の愛
第3章 古代
 根源の世界/詩と文法/「妣が国」へ
第4章 祝祭
 祝祭の論理/「二色人」(ニイルビト)の発見/民俗学を超えて
第5章 乞食
 魂のふるさと/弑虐された神々/乞丐相(こつがいそう)
第6章 天皇
 大嘗祭の本義/森の王/翁の発生
第7章 神
 餓鬼阿弥蘇生譚/憑依の論理/民族史観における他界観念
第8章 宇宙
 生命の指標/万葉びとの生活/海やまのあひだ
列島論
 国家に抗する遊動社会--北海道のアイヌと台湾の「蕃族」/折口信夫と台湾
詩語論
 スサノヲとディオニュソス--折口信夫と西脇順三郎/言語と呪術--折口信夫と井筒俊彦/二つの『死者の書』--ポーとマラルメ、平田篤胤と折口信夫
後記 生命の劇場
初出誌一覧と謝辞


著者プロフィール
安藤礼二(あんどう・れいじ)
1967年、東京都生まれ。文芸評論家、多摩美術大学美術学部教授。早稲田大学第一文学部卒業。大学時代は考古学を専攻する。出版社(=河出書房新社)の編集者を経て、2002年「神々の闘争――折口信夫論」で群像新人文学賞優秀作を受賞、批評家としての活動をはじめる。2006年、折口の全体像と近代日本思想史を問い直した『神々の闘争 折口信夫論』(講談社)で芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞。2009年には『光の曼陀羅 日本文学論』(同)で大江健三郎賞と伊藤整文学賞も受賞した。他に、『近代論 危機の時代のアルシーヴ』『場所と産霊 近代日本思想史』『祝祭の書物 表現のゼロをめぐって』などの著作がある。(講談社のサイトより一部修正)


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・・「少なくとも歴史家の資料の読み方とは全く異なるスタイルで、本書は鮮烈に幕を開ける。(・・・中略・・・) 全体を通して痛感する。すさまじい力業である。折口研究にかつてない広大な視野をもたらした。世界思想へ通ずる可能性の扉をつくった。安藤氏の曼陀羅は、政治宗教哲学史など諸分野からの関心を呼び、各発信を編集する自由な交叉の塔ともなった。
もちろん今後、個々の思想家と折口学との結合│「一つの起源」の必然と意味が問われ、考究されてゆくのだろう。知の交歓図の世界的な広がりは極まった。さらには縦の深度が求められてゆくはずだ。安藤氏の曼陀羅は、生産力ある壮麗な仮説なのだと思う。
事実と違うと言い立てて批判することにはあまり意味がない。逆に、曼陀羅図を固定し絶対化することにも意味はない。折口は仮説を愛した。仮説とは自らを強く固めず、つねに流動変化する意志をもつ。評論に独特の、けなげな妙なる美しさでもある。」

(2025年5月31日 情報追加)


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・・折口信夫は、たまたま乗り合わせた車中で初対面の長谷川伸に「よいものを書いて頂いてありがとうございました」と直接伝えている。平田派国学に殉じた草莽の志士たちへの挽歌として


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2021年12月17日金曜日

書評『相楽総三とその同志』(長谷川伸、中公文庫、1981)は、非命に斃れた草莽の志士たちの記録を心血を注いで掘り起こしたノンフィクションの鑑(かがみ)

 


昭和18年(1943年)に初版が出てからすでに80年近くたつ作品だ。購入してからすでに40年(!)もたっているが、通読したのは今回がはじめて。

ようやく読み終えたというのは、この2週間読んでいたということだけでなく、40年間のさまざまな思いを吐露したものでもある。作者の長谷川伸(1884~1963)も、この世を去ってからすでに60年近くたっている。

相楽総三(さがら・そうぞう)とは幕末の志士勤王派のいわゆる草莽(そうもう)の志士である。本名は小島四郎。大名貸で財をなした下総国相馬出身の富豪で、江戸に居住していた小島家に生まれた御曹司である。渋沢栄一もそうであったが、維新の志士には豪農や豪商出身者が少なくない。

相楽総三とその同志たちが結成したのは「赤報隊」(せきほうたい)その多くが藩の背景をもたない浪士で、剣術と平田国学の教えによって勤王派となった人たちであった。渋沢栄一が剣術を修行し、漢学を教養としていた点と好対照となるだろう。ただし、おなじ勤王とはいえ、平田国学と水戸学を中心とした陽明学の違いは意外と大きいかもしれない。

相楽総三が名をあげたのは「薩摩藩邸焼き討ち事件」である。この事件は、幕府を挑発するために薩摩藩の西郷隆盛が立案し実行させたものだ。西郷の指示を受けたの相楽総三ら関東浪士は、約300人の浪士を厚め、幕府に対して挑発行為を繰り返した結果、幕府側はまんまとそのワナに引っかかったのである。薩摩藩の「別働隊」として大きな役割を果たしたのである。

相楽総三とその同志の一部は、作戦展開上、焼き討ちされた薩摩藩邸から応戦せず、薩摩藩の軍艦で品川から命からがら脱出し、兵庫から上陸して陸路で京都に上洛している。その京都で「赤報隊」が結成された。

そこで相楽総三が強く主張したのは甲府を攻めて、江戸を背後から叩くという作戦だった。だが、官軍の意志に反したこの作戦の断行が、抗命とみなされることになる。

京都から中山道を経て信州の下諏訪に至り、そこを本拠地として活動していた最中に、非情にも西郷隆盛や岩倉具視の率いる官軍から「偽官軍」の汚名を着せられ、捕縛されさ辱めを受けたのち、弁明を述べることも赦されず、相楽以下数人は斬首され、しかもさらし首となった。粛清されたのである。ときに相楽総三30歳の最期であった。 死に際は立派であったという。

どうやら官軍側の認可のうえで、相楽が農民たちに約束した「年貢半減」が粛清の原因となったようだ。財源問題からそれが実行不可能と悟った官軍が、そのなかでも岩倉具視が、都合の悪くなった赤報隊を抹殺することに決したらしい。革命運動にはつきものの粛清とはいえ、悲劇的としかいいようがない。 


■相楽総三と「赤報隊」の名誉回復に60年

冤罪が雪がれ名誉回復がなされたのは、なんと死後60年たった昭和3年(1928年)のことであった。薩長が牛耳る藩閥政治が続いていたあいだ、相楽総三と赤報隊のことはタブーとなっていたのである。 

その名誉回復のストーリーが「木村亀太郎泣血記」として冒頭に置かれている。祖父の非命を知った孫が、長年にわたって奔走した結果、ようやく実現した血涙の記録である。 

この話のなかに、木村亀太郎が男爵となっていた渋沢栄一と対面し、助力を乞うたエピソードが登場する。

渋沢自身は、相楽総三とは直接面識はなかったが、その同志であった竹内練太郎(のちの金原忠蔵)などと一緒に高崎城焼き討ちを計画した同志だった。この未遂に終わったテロ計画と竹内練太郎の話は、渋沢栄一の自伝である『雨夜譚』でも語られている

その後、赤報隊に入った金原忠蔵こと竹内練太郎は、小諸藩との戦闘で戦死している。そんなこともあって、渋沢栄一もまた相楽総三とその同志たちの名誉回復には影ながら大きな支援をしたらしい。 

著者は「自序」でこう記している。なぜ相楽総三とその同志たちを取り上げたかの理由である。 

明治維新の鴻業は公卿と藩主と藩士と、学者、郷士、神道家、仏教家とから成ったの如く伝えられがちだが、そしてまた、関東は徳川幕府の勢力地域で、日本の西は討幕、東は援幕と印象づけられがちだが、その二つとも実相でないことを『相楽総三とその同志』は事実に拠って弁駁表明している・・

解説を執筆している弟子の村上元三氏によれば、またこのようにもつねづね言っていたという。 

明治維新というものは、京都の公家、薩摩や長州などの倒幕派、それに神官などだけで達成したものではない。関東の武士、ほかに賊軍とされて功績を地に埋もれさせられた名もなき人びと、世にごろつきといわれる人間たちの働きも、あずかって大きな力があった

相楽総三もまた、その一人であった。著者は「自序」の冒頭にこう記している。

相楽総三という明治維新の志士で、誤って賊名のもとに死刑に処された関東勤王浪士と、その同志でありまたは同志であったことのある人びとのために、十有三年間、乏しき力を不断に注いで、ここまで漕ぎつけたこの一冊を「紙の記念碑」といい、は「筆の香華(こうげ)」と私はいっている。 

地味な内容で、あまり読まれないであろうことがわかっていながらも、著者はあえて取り組んだという。13年間の月日をかけて資料を集め、執筆し、自費出版で出したものだ。

たしかに、地味な内容である。だが、著者にとっては縁もゆかりもない人びとの、権力に都合によって抹殺された記録を掘り起こし、記録としてまとめたこの仕事は、大いに顕彰されるべきものであろう。 

相楽総三たちが処刑された下諏訪は、甲府とともにわたし自身も社会人になってからの数年間、出張で何度も通った地だ。かつて中山道の宿場町として栄えた地である。

だが、1980年代後半のその当時、下諏訪で相良総三のこと耳にしたことはまったくなかった。だから、この本を購入していながら読むこともなかったのだろう。問題意識がなかったのだからだろう。おなじく中公文庫から復刊された長谷川伸の『日本俘虜史 上下』のほうは大学時代に読んで大いに感心していたのだが・・。


■折口信夫が長谷川伸に直接伝えた「よいものを書いて頂いてありがとうございました」

購入してから40年目にして、ようやく読む決意を固めたのは、先日のことだが、村上一郎の『草莽論 ー その精神史的自己検証』(ちくま学術文庫、2018 初版1972)の末尾に近くにある文章を目にしたからである。この文章じたいがすばらしいので引用しておこう。(*太字ゴチックは引用者=さとう)


岩田正の『釋迢空』(紀伊國屋新書)によって知ったのだが、折口信夫は或る時、車中で長谷川伸と乗り合わせ、一面識もないこの作家につかつかと歩み寄り、名刺を出して、「よいものを書いて頂いてありがとうございました」とていねいにお辞儀をしたそうである。よいものとは、『相楽総三とその同志』のことであった。折口の久坂玄瑞の歌に対する渇仰は知られているが、東国草莽への想いも、ひとかたならぬものがあったことを知り、わたしは折口信夫を少しく好きになったのである。(P.285) 


おそらく折口信夫にとっては、平田国学に準じた草莽の志士たちのことが他人事ではなかったのではないだろうか。柳田國男も折口信夫もまたそうだが、日本民俗学は平田国学の圧倒的影響のもとに生まれたものであるからだ。

伊那の平田国学の徒は、下諏訪で処刑された相楽総三とその同志たちの死を悼んで「魁碑」(さきがけひ)を建立している。企画展の図録明治維新と平田国学』(国立歴史民俗博物館、2004)には、その図像が収録されている。


 (『明治維新と平田国学』(国立歴史民俗博物館、2004)より)


わたしもまた「維新の負け組の末裔」とはいえ、官軍であった「相楽総三とその同志」たちとは縁もゆかりもない者である。

だがそれにもかかわらず、折口信夫ならずとも「よいものを書いて頂いてありがとうございました」と、この場を借りていまは亡き著者には伝えたい。 


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PS 『相楽総三とその同志』の中公文庫版は現在入手不能だが(・・文庫版もあまり売れなかったようだ)、現在は講談社学術文庫から再刊されている。 


PS2 相楽総三と赤報隊

その後、相楽総三と赤報隊については、さまざまな研究蓄積がなされている。相楽総三については、『日本近代化の思想』(講談社学術文庫、1986)でも民衆史の鹿野政直氏が言及しているように、民衆史の観点から、とくに左派からは大きな関心を寄せられてきたようだ。とはいえ、先鞭をつけた本書の価値は、いささかなりとも減ずるものはないと言って過言ではないだろう。


PS3 「赤報隊」の前に「偽官軍」として処刑された事件があった

福岡在住の作家で郷土史家の浦辺登氏の教示で、赤報隊の前に「偽官軍」として処刑された事件があったことを知った。天草(熊本県)と宇佐(大分県)でおきた「花山院隊事件」である。この「偽官軍事件」の犠牲者である草莽の志士たちもまた、維新史に取り上げられことなく闇に消されていたらしい。非命に斃れた草莽の志士たちの鎮魂は、いまだ終わっていないのである。


PS4 相楽総三とその同志たちの肖像画なり写真は残されていないのはなぜか?

活動家やテロリストなどは当然だが、相楽総三とその同志もまた「地下活動」をしていたので、変名を使用しており、肖像画や写真が残されていないのは当然だと考えるべき。渋沢栄一の丁髷姿の写真は、幕臣となってフランス渡航前のものであり、近藤勇の写真もまた正式に幕臣になる前だが、浪士隊時代のものではなく、新選組隊長時代のものである。


PS4 「赤報隊」と名乗るテロリストについて

「赤報隊事件」とは、1987年に朝日新聞阪神支局で記者が散弾銃によって殺傷されたテロ事件だ。言論機関を狙った卑劣な犯罪である。当時から右翼関係者による犯行だとされていたが、迷宮入りしたまま時効が過ぎ、現在に至るまで真相が明らかになっていない。 朝日新聞記者の30年にわたる執念の取材の成果である『記者襲撃-赤報隊事件30年目の真実』(樋田毅、岩波書店、2018)は、「統一教会」関与疑惑に迫っている。テロリストの「赤報隊」と相楽総三の「赤報隊」には、なんら関係はない。

(2021年12月30日、2025年7月17日 情報追加)


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■相楽総三とその同志とのつながりのあった尊皇攘夷の志士であった渋沢栄一




■下総と平田国学



■相楽総三とその同志を切り捨て、死に追いやった岩倉具視と西郷隆盛


 



■下諏訪という土地の重層性

・・諏訪神社のある諏訪の重層的な土地柄についての話がある

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2013年8月15日木曜日

「神やぶれたまふ」― 日米戦争の本質は「宗教戦争」でもあったとする敗戦後の折口信夫の深い反省を考えてみる



日米戦争の本質は「宗教戦争」でもあった。このような見方をしている人もいるのである。

それは、国文学者で民俗学者でもあった折口信夫(1887~1953)である。敗戦後の昭和24年(1949年)6月に発表した「神道の新しい方向」の冒頭で以下のように語っている。

昭和二十年の夏のことでした。
まさか、終戦のみじめな事実が、日々刻々に近寄つてゐようとは考へもつきませんでした。その或日、ふつと或(ある)啓示が胸に浮かんで来るやうな気持ちがして、愕然と致しました。それはこんな話を聞いたのです。あめりかの青年達がひよつとすると、あのえるされむを回復する爲に出来るだけの努力を費やした、十字軍における彼らの祖先の情熱をもつて、この戦争に努力してゐるのではなからうか、と。もしさうだつたら、われわれは、この戦争に勝ち目があるだらうかといふ、静かな反省が起こつても来ました。・・(以下略)・・
(出典:「神道の新しい方向」1949年 『折口信夫全集第二十巻 神道宗教篇』 P.461 傍線はオリジナルでは右サイド。ただし漢字は新字体に直した。ゴチックは引用者=さとう)


ほぼ同じ内容の発言を、敗戦からほぼ一年後の昭和21年(1946年)8月に神職の人たちを前に講演のかたちで行っている。翌年の昭和22年に「神道宗教化の意義」という論文にまとめられている。


私は終戦前に、牧師の団体に古典の話をしたことがあるが、その時に牧師達は、記紀に現れてゐる物語の或ものが、我々のきりすと教の旧約聖書の神話と、殆(ほとんど)同じだといふことを言いだした。それは、神道にも、きりすと教にも比較研究に値するものを、持つてゐるといふことになる。
其(その)人達のお話の中の、「或はあめりかの青年達は、我々と違つて、この戦争にえるされむを回復する爲に起こされた十字軍のやうな、非常な情熱を持ち初めてゐるかもしれない」という詞を聴いた時に、私は愕然とした。何故なら、日本人はその時、日本人が常に持つてゐる露悪主義が世間に露骨に出て、戦争に疲れきつてゐた時だつたからである。さうして日本人はその時、神様に対して、宗教的な情熱を持つていなかつた。我々にも十字軍を起こすやうな情熱はないのだ。・・(中略)・・戦争中の我々の信仰を省みると神々に対して悔いずには居られない。我々は様々祈願をしたけれど、我々の動機には利己的なことが多かつた。さうして神々の敗北といふことを考えなかつた。我々は神々が何故敗けなければならなかつたか、と言ふ理論を考えなければ、これからの日本国民生活はめちゃめちゃになる。・・(中略)・・それほど我々は奇蹟を信じてゐた。しかし、我々側には一つも現れず、向うばかりに現れた。それは、古代過去の信仰の形骸のみにたよつて、心の中に現に神を信じなかつたのだ。だから過去の信仰の形骸のみにたよつて、心の中に現実に神の信仰を持つてゐないのだから、敗けるのは信仰的に必然だと考へられた。・・(以下略)・・
(出典:「神道宗教化の意義」1947年 『折口信夫全集第二十巻 神道宗教篇』 P.445~446)


現役の米国大統領ジョージ・ブッシュ(ジュニア)から「十字軍」というコトバが不用意に(?)出てきたのは、2001年の「9-11」のテロ事件の追悼式においてであった。

報復としてのアフガニスタン紛争やイラク戦争などの軍事行動が「第十次十字軍」(The Tenth Crusade)と言われたのは、歴史的な意味での十字軍になぞらえた名称であるが、イスラーム側で激しい反発を招いたことを記憶している人も少なくないだろう。

アメリカ側の「十字軍(クルーセイド)」に対して、テロリスト側は「聖戦(ジハード)」と応酬、まさに政治学者のハンチントンの著書のタイトル「文明の衝突」ともなりかねない状況だったのだ。

そのとき思い出したのが先に引用した折口信夫の敗戦後の発言である。日米戦争の本質は「宗教戦争」でもあったという認識を示した発言である。しかも、宗教的情熱にあふれていたのはアメリカ側であり、必勝祈願という日本側の形骸化した国家神道は宗教的情熱をともなうものではなかったという痛切な反省である。日本政府は国家神道は宗教ではない、としていたのであった。

この文章を知ったのはずいぶん前のことだ。折口は戦争末期にキリスト教関係の団体からよばれて「古事記」についての講義を行ったらしい。

その後、『神道学者折口信夫とキリスト教』(濱田辰雄、聖学院大学出版会、1995)という本で、キリスト教関係者とは沖縄出身の宗教研究者 比屋根安定(ひやごん・あんてい)であることを知った。

ネット上の 「世界宗教用語大事典」によれば、比屋根安定の経歴は以下のようになっている。

【比屋根安定】 宗教史学者・牧師。東京出身。青山学院神学部・東大宗教学科卒。青山学院・東京神学大・ルーテル神学大教授(1892~1970)。

比屋根安定はキリスト者であったが、民俗学にも目配りのきいた宗教学者であった。『諸宗教事典』(聖文舎、1963)にはその成果が十分に反映されている。「折口信夫」という項目もある。 

内弟子であった国文学者で歌人の岡野弘彦氏の回想によれば、比較宗教学の研究も行っていた折口は英文の宗教学関連専門雑誌も読んでいたという。キリスト教にある種のシンパシーを感じていたらしいことは、日本の神の本質が現象的には多神教的でありながら、限りなく一神教に近いという発言にも反映しているような気もする。

おそらくキリスト教への関心は、折口信夫が平田篤胤(ひらた・あつたね)の大きな影響を受けているからでもあろう。国学者の平田篤胤はじつに多芸多才な人でもあったが、ひそかに入手した漢籍でキリスト教を知り、その教えを換骨奪胎して自分の著作に活用しているくらいなのだ。

『折口信夫全集第二十巻 神道宗教篇』に収録されている「平田国学の伝統」という論文にもあるように、折口信夫もその師である柳田國男も、国学者の平田篤胤の大きな影響を受けている。民俗学を「新国学」と表現したのもそのためである。

折口信夫の同時代人で、思想家でもあった陸軍軍人・石原莞爾は、日蓮主義の法華経信仰に基づいて「世界最終戦争論」を主張していた。このこともあわせてみると、「宗教戦争」であった日米戦争の本質についても考えてみる必要はあると思うのである。

いまでもマスコミは「終戦記念日」という名称をつかいつづけているが、ほんとうは「敗戦記念日」というべきだ。たしかに一般国民の実感としては戦争が終わったというものだろうが、日本は原子爆弾という非人道的兵器によって完膚なきまでに叩きのめされ、そして敗れ去ったという事実を認めない限り、いつまでも自己欺瞞がつづくことになる。

「正常化」するためにも「敗戦」という事実を認識することが必要なのだ。「先の大戦」の敗因についてはさまざまな分析がなされつづけているが、精神面でも日本は負けていたという事実を認識することも重要なことである。

『折口信夫―-いきどほる心- (再発見 日本の哲学)』(木村純二、講談社、2008)によれば、 折口信夫は敗戦後、弟子の岡野弘彦氏に、憂い顔でこう洩らしていたという。「日本人が自分たちの負けた理由を、ただ物資の豊かさと、科学の進歩において劣っていたのだというだけで、もっと深い本質的な反省を持たないなら、五十年後の日本はきわめて危ない状態になってしまうよ」。 68年後のいま、この発言をアタマから否定できる人ははたしているだろうか?

日米戦争の本質は「宗教戦争」でもあったという発言は極端に響くかもしれない。しかしながら、本質を突いたものであることが否定できないのはそういう意味なのだ。




<ブログ内関連記事>

書評 『折口信夫―-いきどほる心- (再発見 日本の哲学)』(木村純二、講談社、2008)
・・「折口信夫は敗戦後、弟子の岡野弘彦に、憂い顔でこう洩らしていたという。「日本人が自分たちの負けた理由を、ただ物資の豊かさと、科学の進歩において劣っていたのだというだけで、もっと深い本質的な反省を持たないなら、五十年後の日本はきわめて危ない状態になってしまうよ」(P.263 注23)。 日本の神は敗れたもうた、という深い反省をともなう認識を抱いていた折口信夫の予言が、まさに的中していることは、あえていうまでもない」

書評 『折口信夫 独身漂流』(持田叙子、人文書院、1999)
・・「古代日本人が、海の彼方から漂う舟でやってきたという事実にまつわる集団記憶。著者の表現を借りれば、「波に揺られ、行方もさだまらない長い航海の旅の間に培われたであろう、日本人の不安のよるべない存在感覚」(P.212)。歴史以前の集団的無意識の領域にかつわるものであるといってよい。板戸一枚下は地獄、という存在不安」

書評 『折口信夫 霊性の思索者』(林浩平、平凡社新書、2009)
・・「私は大学時代から、中公文庫版で『折口信夫全集』を読み始めた。日本についてちっとも知らないのではないかという反省から、高校3年生の夏から読み始めた柳田國男とは肌合いのまったく異なる、この国学者はきわめて謎めいた、不思議な魅力に充ち満ちた存在であり続けてきた」

「役人の一人や二人は死ぬ覚悟があるのか・・!?」(折口信夫)


書評 『聖書の日本語-翻訳の歴史-』(鈴木範久、岩波書店、2006)

書評 『メイド・イン・ジャパンのキリスト教』(マーク・マリンズ、高崎恵訳、トランスビュー、2005)-日本への宣教(=キリスト教布教)を「異文化マーケティング」を考えるヒントに

書評 『マンガ 最終戦争論-石原莞爾と宮沢賢治-』 (江川達也、PHPコミックス、2012)-元数学教師のマンガ家が描く二人の日蓮主義者の東北人を主人公にした日本近代史

「精神の空洞化」をすでに予言していた三島由紀夫について、つれづれなる私の個人的な感想

『王道楽土の戦争』(吉田司、NHKブックス、2005)二部作で、「戦前・戦中」と「戦後」を連続したものと捉える
・・連続はしているが敗戦によって「神がやぶれたもう」た戦後は・・・


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