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2014年11月12日水曜日

映画 『悪童日記』(2013年、ハンガリー)を見てきた(2014年11月11日)-過酷で不条理な状況に置かれた双子の少年たちが、特異な方法で心身を鍛え抜きサバイバルしていく成長物語


東京・有楽町のTOHOシネマズ シャンテで、映画 『悪童日記』(2013年、ハンガリー)を見てきた。この映画は絶対に見ておきたかった。その期待はまったく裏切られることはなかった。いや、期待を大幅に上回る衝撃作であった

過酷で不条理な状況に置かれた双子の少年たちの物語だ。そこから逃れることのできない宿命と受け止め、特異な方法で心身を鍛え上げながら、したたかに、タフにサバイバルしていく濃厚な一年。ハードボルドな成長物語でもある。

そこに貫かれているのは、どんなことがあっても生き抜くという、強烈な意志のチカラである。哲学者ニーチェの著書のタイトルを借りれば、『チカラへの意志』」であり、少年たちが最終的に到達したのは、自分たち以外は何も信じないという『善悪の彼岸』である。

善悪ではなく美醜という価値観。そして価値観の転倒と混乱。美しい少年たちによる、美しくない行為。美しさを生き残りの手段につかうが、その美しさゆえに破壊される登場人物たちもいる。「神」がすでに教会にはいないこともまた、徹底的に確認される。

さすがヨーロッパ映画。一般大衆受けを狙ったハリウッド映画とはまったく違う。安楽死と自殺幇助にかかわるテーマも含めた、芸術的なテイストをもちながらも、哲学すら感じる重厚な映画である。


第二次世界大戦末期から敗戦後のハンガリー

『悪童物語』というのは原作の日本語版のタイトルにあわせている。原作のオリジナルのタイトルは、フランス語で Le grand cahier、つまり大判のノートブックのことだ。双子の少年たちは、このノートブックに日記をつづるのだが、『悪童物語』という日本語版のタイトルは秀逸であったといえる。   

『悪童物語の主人公の双子の少年たちは、たしかに「悪童」そのものである。ワルガキ以外の何者でもない。だが、彼らが置かれている状況は平時ではない。有事なのだ。第二次世界大戦末期の1944年のハンガリーである。当時は、本来は同盟国であったはずのナチスドイツに占領されていた。

文字通り物理的な意味で生き延びるために、過酷な状況をサバイバルするためには「悪童」という生き方しか、選択肢にはなかったのだ。



舞台はオーストリア国境に近いハンガリーの田舎町。ハンガリーは、基本的にプスタと呼ばれる広大な草原が拡がる農業地帯である。都会育ちの少年たちが暮らしていたのは、おそらく国際都市ブダペストという想定だろう。ハンガリーもまた、都市と農村ではまったくの別世界である。

ハンガリーは中欧の一小国。その存在そのものが現代世界のなかで翻弄されてきた。陸続きの大陸国の宿命としかいいようがない。

第一次世界大戦で敗戦するまでは正式名称をオーストリア=ハンガリー帝国、通称ハプスブルク帝国の一翼を担う存在であった。敗戦後の共産革命、そしてその反動の独裁政治を経て、失地回復のためナチスドイツと手を組んで第二次世界大戦に参戦したのであったが・・・

映画でも1944年から1945年という設定以外の事実は明らかにされていない。十分な知識をもたない少年たちの視点としては不思議なことではない。映画を見る側も、そういった知識にこだわる必要がないのは、サバイバルという普遍的なテーマが一貫しているからだ。

その後の敗戦国ハンガリーは、戦勝国ソ連の衛星国としての社会主義政権となるが、1956年には「ハンガリー革命」においてソ連軍と激しい戦う。冷戦構造の崩壊によって西側に復帰するが、経済政策の失敗で失業者が増大し、ふたたび極右の台頭を招くという、左右への振幅の激しい国であることを書き加えておこう。

(フランス語版のオリジナル『悪童日記』 「映画化」とカバー下にある)


「過酷な日常」は戦前のヨーロッパの文脈で捉えるべき

第2次世界大戦下の過酷な時代を生き抜いた双子の日記を通して世界を見つめた映画である。

過酷な環境は、少年たちを肉体的にも精神的にも特異な方法で鍛え上げる。互いに平手打ちしながら肉体も精神も鍛え上げる訓練。

「殴れるものなら殴ってみろ」という、すさまじまでの挑発的な凄味あるセリフ。「右の頬を打たれたら、左の頬をさしだしなさい」という、新約聖書のイエスのコトバをそのまま文字通りつかったものだ。

双子たちの唯一の読み物であった古い聖書からイエスからの引用だが、イエスがこのフレーズに込めた真意を知ったような気もする。そう、このセリフは挑発なのだ。

肉体を鍛錬すれば、気迫が生まれる。心身二元論ではない、心身相関の哲学である。誰から教わったのでもない、自分たちみずからが体験から編み出した哲学とその実践だ。

この哲学が生み出されてきたのは、疎開先の祖母から日常的に平手打ちされるだけでなく、見知らぬ他人から泥棒扱いされ、強烈な平手打ちされる体験からでもある。

映画を見ていて思ったのだが、ヨーロッパでも第二次大戦の頃までは、平気で鞭打ちをしたり、厳しく折檻していたのである。修道院の孤児院が舞台の映画ならかならずでてくるシーンだ。この映画の主人公である双子の少年たちも、実質的に「戦災孤児」といってもかまわない。

平手打ちというと、わたしの少年時代までは、当たり前のように行われていた。「踏ん張って腹にチカラを入れろ! 歯を食いしばれ!」、といわれてから往復ビンタを食らっていた。教師による生徒の平手打ちで、生徒の鼓膜が破れる事件が続出して教室での平手打ちは下火になったが・・。

日本の軍隊では平手打ち(=ビンタ)は当たり前だったが(・・日本の初等中等教育は戦前の軍隊の影響が強い)、もしかすると、平手打ちはヨーロッパが起源なのかもしれない。江戸時代の日本にはさまざまな「お仕置き」があったとはいえ、平手打ちがあったという話は聞かないからだ。

ドイツでは、日本人女性が、なんと2001年時点でドイツ人女性から平手打ちされたケースもある。表沙汰にならないだけで、いまだにヨーロッパでは平手打ちは消えていないのかもしれない。

シンガポールで以前、国際的問題になったアメリカ人の「悪童」に対する鞭打ちも、じつは植民地時代に英国がシンガポールに持ち込んだものだ。スイスでも教育家のペスタロッチが登場する以前は、暴力は当たり前だったようだ。

ヨーロパ全体で、教育現場においてすら暴力は当たり前だったと考えるべきだろう。




原作を読んでいても映像作品から受ける衝撃は大きい

原作を読んでいなければ、衝撃の大きさは計り知れないだろう。原作をすでに読んでいても、映画版は勝るとも劣らない内容に衝撃を受ける。

原作の『悪童物語』は、1956年の「ハンガリー革命」で難民となってスイスに移住することを余儀なくされたアゴタ・クリストフによるものだ。移住したのはスイスのフランス語圏。著者はサバイバルのために必死になって身につけたフランス語で自己表現を試みる。みずから「敵語」とよぶフランス語でだ。

フランス語で発表したために世界的ベストセラーとなり得たが、映画版は全編ハンガリー語(=マジャール語)で通している。これは正解ではないかと思う。すでに著者は亡くなっているが、もし生きていたら喜んだのではないだろうか。さすがに著者も、母語のハンガリー語では書けなかったかもしれない内容だ。

おそらくハンガリー以外では、欧州諸国でも市場ごとに吹き替えしてしまうのだろうが、幸いなことに日本ではハンガリー語のまま日本語字幕つきで見ることができる。ドイツ人将校がしゃべるドイツ語以外は、最初から最後までハンガリー語のみだ。

わたしはハンガリー語はほとんど理解できないが、それでもまったく構わない。こういう根源的なテーマは、やはりその民族の母語でないと表現できない。母語ならではの息づかいを感じることができればそれでいいのだ。同じようなテーマの日本映画でも、もしセリフが英語に吹き替えられていたら、興ざめだろう。

原作にあって映画では割愛さえているシーンも多々ある。さすがに映像表現としてはためらわれるシーンだからだろう。それでもこの映画は凄い。

むかし角川文庫のキャッチコピーに、「見てから読むか、読んでから見るか」というものがあったが、『悪童日記』もまた小説と映画の双方を味わってほしいと思う。

原作をすでに読んでいる人にも、ぜひこの映画は見るべきだといっておきたい。






<附録>

『悪童日記』(ハヤカワ文庫epi、2001)は、単行本初版は 1991年の出版、フランス語オリジナル は 1986年の出版である。

原作は数ページの小編で構成されている。双子の少年たちが日々の出来事を「大判ノート」に綴った内容という設定だ。目次を紹介しておこう。

目 次

おばあちゃんの家に到着する
おばあちゃんの家
おばあちゃん
労働
森と川
不潔さ
体を鍛える
従卒
精神を鍛える
学校
紙と鉛筆とノートを買う
ぼくらの学習
ぼくらの隣人とその娘
乞食の練習
兎っ子
盲と聾の練習
脱走兵
断食の練習
おじいちゃんのお墓
残酷なことの練習
ほかの子供たち

郵便配達夫
靴屋さん
万引き
恐喝
非難
司祭館の女中
入浴
司祭
女中と従卒
外国人将校
外国語
将校の友人
ぼくらの初舞台
ぼくらの見世物(スペクタル)の発展
芝居
警報
"牽(ひ)かれて行く" 人間たちの群れ
おばあちゃんの林檎
刑事
訊問
監獄で
老紳士
ぼくらの従姉(いとこ)
宝石
ぼくらの従姉とその恋人
祝福
逃走
死体置場
おかあさん
ぼくらの従姉の出発
新しい外国軍の到着
火事
終戦
学校再開
おばあちゃん、葡萄畑を売る
おばちゃんの病気
おばあちゃんの宝物
おとうさん
おとうさんの再訪
別離

淡々とした、そっけないような簡素な文体。フランス語の原文はみてないが、あえてそうしたという側面と、母語ではないことよる限界の両方があるのだろうか。

続編の『ふたりの証拠』『第三の嘘』とあわせて三部作は、間違いなく今後も生き続ける作品だろう。あまり文学作品を読まないわたしですら衝撃を受けた。






<関連サイト>

映画 『悪童物語』 公式サイト(日本版)

A nagy füzet(映画のハンガリー語タイトル wikipedia英語版)



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(2015年10月6日 情報追加)




(2012年7月3日発売の拙著です)










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