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2023年11月3日金曜日

書評『日本を救う未来の農業 ― イスラエルに学ぶICT農法』(竹下正哲、ちくま新書、2019)― 日本農業が抱える諸問題を解決するための「ICT農業」とその大前提となる「ドリップ灌漑」について

 

イスラエルがハマスのテロリストたちによる「サプライズ・アタック」を受けて、多数の死傷者を出したという衝撃的なニュースが飛び込んできたのは、ことし2023年の10月7日のことだった。

最初ニュースになっていたのは、野外コンサート会場が襲撃されたニュースであったが、そのうち情報公開がなされるにしたがって、ガザ地区近辺にあるキブツも襲撃され、多数の死傷者と拉致された人びとがいることが明らかになってきた。

おそらく多くの日本人にとって、イスラエルの農業コミュニティである「キブツ」の実際を映像や写真で見るのは初めてのことだったのではないだろうか。

農業関係者であれば、キブツについて聞いたことのない人は少ないだろう。1970年頃に若者だった日本人なら、キブツに滞在した人もいた。キブツ体験記も出版されている。わたしも1992年にイスラエルを訪問した際に、ツアーに参加して北部のキブツに一泊している。

キブツでどんな農業が行われているのか、なかなか日本では知られていない。その昔、ロケット博士として知られていた糸川英夫博士による『荒野に挑む』(ミルトス、1989)というビジュアル本も出版されている。ベングリオン大学の研究とイスラエル農業への取り組みを紹介した本だ。




だが、イスラエル農業といっても、先端農業に関心のある農業関係者などを除いたら、ほとんど知られていないことだろう。糸川博士のもの以降には、一般向けの関連本として、『イスラエル100の素顔 ー もうひとつのガイドブック』(東京農大、2001)という本がある。

「砂漠を緑に」というスローガンで始まったキブツ。そのキブツや、モシャブといった農場における「イスラエル農業のいま」について書かれた本があったことを思い出して、購入から4年たったいま、はじめて読んでみた。


■イスラエルの先端ICT農業

『日本を救う未来の農業』(竹下正哲、ちくま新書、2019)という本がそれだ。タイトルからはそれとわからないが、副題の「イスラエルに学ぶICT農法」こそ、主題となるテーマである。

著者は拓殖大学の国際学部で農業コースを立ち上げた農業研究者。戦前日本の「拓殖」(=開拓殖民)が農業から始まったことを考えれば、ふさわしいテーマ選択である。イスラエル農業に開眼したのは2015年のことだそうだ。

「目次」を見ておこう。第1章と第2章は、なぜイスラエルの先端ICT農業に注目すべきかという前振りである。それはそれで面白いが、読み飛ばしても構わない。

1970年代で生産性向上がストップしたままになっている日本農業に対して、1970年大以降に試行錯誤しながらも飛躍的に生産性を向上させたイスラエル農業の秘密について書かれているのが第3章である。


第3章 最先端ICT農業とは ― イスラエル式農業
 1 イスラエルの厳しい条件
 2 イスラエル農業を支える根幹 ― ドリップ潅漑
 3 なぜ日本にもドリップ灌漑が必要なのか。その① 収量の増加
 4 なぜ日本にもドリップ灌漑が必要なのか。その② 未来の農業のために
 5 「土つくり」よりも大事なこと
 6 イスラエル農業の特徴。飽くなき収量の追求
 7 IoTクラウド農業の時代
 8 ビジネスとして必要な経営規模
 9 研究機関と農家の密な連携


キーワードは、ずばり「ドリップ灌漑」である。英語では drip irrigation という。

「クラウド農業」や「IoT農業」には日本でもかねてから注目され、取り組みもなされているが、著者によれば肝心要の「ドリップ灌漑」なしにそれに取り組んでも意味はないのである。

というのは、地中海性気候で砂漠地帯の厳しい条件、すなわち降水量が少なく保水力がなく、塩害も発生しやすい土壌が大半のイスラエルでは、植物の生長に必要なだけの水を散布する必要があるからだ。

実際にイスラエルにいってみればわかるが、乾燥がひどいのだ。わたしがイスラエル入りしたのは7月だったが、初日にクチビルがひび割れしてしまい、エルサレムでは薬局に飛び込んでリップクリームを購入したことが鮮明な記憶として残っている。

水が少なければ植物は枯れるのは言うまでもないが、水が多すぎるとムダに流出してしまう。

だがそれだけではない。土に吸い込まれた水が毛細管現象によって土中の水分といっしょに地上に吸い上げられ、水が蒸発したあとには塩分が地表に残ってしまうのである。これでは農業などできるはずがない。

そこで導入されたのが「ドリップ灌漑」である。地面にはわせた散水用の管(チューブ)に開けられた穴から、必要な量だけ水が点滴のようにしみ出る仕組みになっている。

この「ドリップ灌漑」方式は、長年の研究と実践をつうじて完成にいたっている。糸川英夫博士が紹介していたように、イスラエルでは研究機関と農業の現場が密接に連動している。


(ベングリオン大学における「荒野に自生する花の研究」。ドリップ灌漑用の黒いチューブ。『荒野に挑む』より)


現在では、イスラエルだけでなく、欧州その他全世界に普及しているという。だが、日本ではまったく普及していないのは、日本が年間をつうじて降水量にめぐまれた希有な国であるからだ。逆境は人間を鍛えるが、順境は人を慢心させる。

だが、著者はそんな日本でも「ドリップ灌漑」は必要だという。理由は2つある。まずは収穫量の増大が可能になること、そして近未来のAI農業の大前提になるインフラだからだ。

ドリップ灌漑は、水だけでなく、水に溶かした液体肥料も植物に与えることができる。これを「ファーティゲーション」(fertigation)というらしい。肥料を意味する fertilizer と、灌漑を意味する irrigation の合成語である。

必要な肥料を、必要なタイミングで施肥することができるのである。河川汚染を引き起こす窒素やリンを減らすことができるだけでなく、農薬も減らすことが可能だという。日本農業で声高に語られる「土つくり」の必要がないだけでなく、生産管理でいう「ムリ・ムダ・ムラ」がなくなるわけだ。

つぎに、「ファーティゲーション」は ICT がそれを支えている。土壌センサや気象センサーなど、さまざまなセンサーをつうじて得られたデータをもとに、植物の生長に必要な肥料を、適切なタイミングで適切な量を流量調整によって施肥することが可能となる。

現場にいなくても、ネットをつうじて遠隔地からスマホで操作が可能となる。これが「クラウド農業」だ。

さらに、その先にくるのが「AI農業」である。データ処理もアクションもすべて機械の判断にまかせるのである。

イスラエルでは「植物生長量センサー」も設置されていて、土壌や気象以外の植物そのもののデータが総合的に判断されている。これがすべてAIによって制御されることになる。ここまでくると、人間が介在する余地が大幅に減少することになる。

「クラウド農業」も「AI農業」も、データの収集と分析だけでは意味がない。データを具体的なアクションにつなげる必要があるが、人手に頼っていては効率性が低く、したがって生産性も向上しないのだ。

ここまで読んでくると、いいことづくめのように聞こえてくる。日本農業も取り入れるべきであろう。いや、農業とはまったく関係ない人なら導入になんら躊躇がないはずだ。



■なぜかピッキングや梱包作業についての記述がまったくない

「10・7」の大規模テロ事件で可視化されたのが、キブツに暮らして働いているのはイスラエル人だけではないということだ。タイ人農業ワーカーが多数働いていたという知られざる事実である。

拉致されて人質となっている250人近い人たちのなかには、多数のタイ人も含まれるという。ハマスのテロリストたちは、その存在をしっていて、片言のタイ語で呼びかけてきたという報道もある。イスラエル全体でなんと3万人(!)のタイ人農業ワーカーが働いているという。

この本には、そんなことはいっさい書かれていない。収穫量の増加について書かれているが、果実や野菜のピッキング作業の効率化にかんする記述がいっさいないのだ。

手間のかかる作業はイスラエル人が行っているのではなく、外国人労働者に依存しているのである。この点にかんしては、日本農業と変わらないではないか。

機械によるピッキングと梱包、そして出荷まで進まなかったら、ほんとうの意味での「未来の農業」とはいえないだろう。どのプロセスでどうコストが発生し、コスト削減をどのように行うか。

もちろん、高級フルーツは人間の手でピッキングする必要があるだろう。だが、それ以外の果実や野菜、とくに加工用原料としては、ピッキング作業や詰め込み作業も徹底的に機械化すべきだろう。その側面についてイスラエルではどう取り組んでいるのだろうか?

イスラエルは物理学者で、全体最適による利益最大化を目的とした「TOC理論」(TOC:Theory of Constraints 制約理論)を体系化したエリヤフ・ゴールドラット博士を生み出した国であることを想起すべきだろう。逆境を逆手にとるマインドセット。サバイバルが至上命題のイスラエルらしい発想だ。

農業においても、「規模の経済」だけがコスト削減策ではない要素ごとのコスト削減も視野に入れなくてならない。

そんな「イスラエル農業のすべて」についての解説本がほしいところだ。


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目 次
はじめに 迫り来る危機
第1章 日本に迫りつつある危機
第2章 すべてを解決する新しい農業の形
第3章 最先端ICT農業とは ― イスラエル式農業
 1 イスラエルの厳しい条件
 2 イスラエル農業を支える根幹 ― ドリップ潅漑
 3 なぜ日本にもドリップ灌漑が必要なのか。その① 収量の増加
 4 なぜ日本にもドリップ灌漑が必要なのか。その② 未来の農業のために
 5 「土つくり」よりも大事なこと
 6 イスラエル農業の特徴。飽くなき収量の追求
 7 IoTクラウド農業の時代
 8 ビジネスとして必要な経営規模
 9 研究機関と農家の密な連携
第4章 イスラエル式農業の日本への応用実験
 1 ドリップ潅漑による露地ピーマン栽培、その意義
 2 ピーマン栽培実験の結果
 3 ドリップ灌漑による露地トウモロコシ栽培
第5章 近未来の農業の形
 1 変わらざるを得ない農業の形
 2 AI農業の姿とは
 3 遺伝子組み換え作物と近未来の農業
 4 ナノテクノロジーの導入
おわりに
参考文献


著者プロフィール
竹下正哲(たけした・まさのり) 
拓殖大学国際学部教授。北海道大学農学部、北海道大学大学院農学研究科で学ぶ。博士(農学)。大学院在学中に小説で第15回太宰治賞受賞。民間シンクタンク、環境防災NPO、日本福祉大学などを経て、拓殖大学国際学部へ。日本唯一の「文系の農業」として知られる国際学部農業コースの立ち上げに尽力し、栽培の実践を重視した指導を行っている。かつて青年海外協力隊でアフリカに行ったことをきっかけに、世界中のフィールドを回り、海外の農業現場に精通している。2015年に初めてイスラエルを訪問し、衝撃を受けた。主なフィールドはイスラエルとネパール。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)


<関連サイト>

イスラエルの農林水産業概況(日本の農林水産省のサイト PDFファイル)

・・タイ人労働者7,000人が去ったあと、イスラエル南部(ガザ地区に近い)の農場では、大学生がボランティアとして駆り出されて農作業をおこなっている。


(収穫されずに放置されているトマト 2023年11月25日放送の aljazzeera番組より)


イスラエルの農作業は、パレスチナ人や外国人ワーカーに支えられていたが、パレスチナ人の入国中止と外国人ワーカーの国外退避で、収穫もままならず大きな損失がでている。





(2023年11月13日、28日、12月9日 情報追加)


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2016年5月11日水曜日

映画『レヴェナント 蘇りし者』(2015年、米国)をみてきた(2016年5月10日)-実在の人物ヒュー・グラスが憑依したかのような、鬼気迫るディカプリオ執念の演技


映画 『レヴェナント 蘇りし者』(2015年、米国)をTOHOシネマズで見てきた。先住民(ネイティブ・アメリカン)とのあいだに生まれた最愛の息子を目の前で殺された主人公の復讐劇であり、そのために生き抜く決意をした主人公の過酷なサバイバルを描いた大作である。

最初は見るつもりはなかったのだ。主演のディカプリオが5回目のチャレンジでやっとアカデミー男優賞受賞という朗報(!)もあって見ることにしたのだが、見て損はなかったといっていい。

だが、正直いって、もう一回見たいという気持ちには、なかなかならない。というのも、最初から最後まで見続けるためには、体力と精神力の両方を必要とするからだ。内容だけでなく、映像も、坂本龍一による音楽もまた重いのだ。

最近の映画にしては、上映時間の158分というのはかなり長い。人間の通常の忍耐限界が120分前後であるから(・・たいていの映画はその範囲に収まるように編集されている)、その1.3倍近い息が詰まるような時間を、ひたすらディカプリオの鬼気迫る演技を、最後の最後まで追いかけるわけだ。



「レヴェナント」(revenant)は、もともとフランス語。再帰動詞 revenir(=再び来る、戻る) の名詞形。つまり戻ってきた者、蘇った者という意味である。一度死んだはずなのに、あの世から生き返ったというニュアンスがある。日本版のタイトルが「蘇りし者」という古風な表現になっているのは、あまり英語としては使用されることがないためだろう。

主人公ヒュー・グラス(Hugh Glass)は実在の人物である。舞台は西部開拓時代のアメリカ。時代は1820年代。独立戦争によって建国してから、まだ半世紀もたっていない。だが、西部開拓といっても、映画をつうじてわれわれがよく知っている幌馬車とカウボーイと保安官の西部劇ではない。西部劇以前の時代である。毛皮獲得が目的で狩猟と交易が行われた時代である。ちなみに西海岸のサンフランシスコの「ゴールドラッシュ」は1848年のことだ。

北西部のミズーリ川上流域の森のなかで狩猟を行うアメリカ人狩猟者たち、かれらを雇っている探検隊(という名目で毛皮を買い集める商人)。

予定の数量も集まり、いざ出発という間際になって、探検隊にとっては非友好的な部族の先住民の襲撃を受け、命からがら逃げ延びる狩猟者たち。生き残ったのは、主人公親子を含め、ごく一部の隊員のみだった。かれらの逃避行のなかで悲劇がおこる。そして、そこから「蘇りし者」による復讐とサバイバルの物語が始まる。

(巨大クマに襲われるヒュー・グラス wikipediaより)

主人公は、なんと巨大熊グリズリーとの格闘の末、大怪我を追って動けない状態となる。しかし、世話をするために残った2人の仲間に裏切られ、一切合財を奪われたうえに置き去りにされただけでなく、先住民女性とのあいだに生まれた最愛の息子まで殺害されるという悲劇にあう。そこから主人公の執念の復讐劇がはじまる。

この映画に一貫して貫いているのは、一言でいって執念、である。復讐に向けての執念、目的を達するために生き続けなくてはいけない。壮絶なサバイバルと復讐。復讐のためのサバイバル。

しかもこの作品には、主人公を演じるディカプリオのオスカー(=アカデミー主演賞)獲得にむけての執念もある、。あたかも主人公グラスがディカプリオに憑依しているかのような迫力がある。

見るのにエネルギーを要する映画だが、サバイバル映画としては必見といえよう。集団やチームによるサバイバルではない。主人公は、たった一人でサバイバルし復讐を実行するのだ。強靭な精神力と体力の持ち主にのみ可能なサバイバルである。

知られざるアメリカ西部開拓史としても見ることができる映画である。見る価値はおおいにあるといえよう。






映画の時代背景について(参考)

北米における毛皮交易については、『毛皮と人間の歴史』(西村三郎、紀伊国屋書店、2003)『毛皮と皮革の文明史-世界フロンティアと略奪のシステム-』(下山晃、ミネルヴァ書房、2005)という本にくわしく解説されている。とくに前者の西村氏の遺作は、著者がもともとが生物学者であっただけに、理系的な筋の通った、すっきりして興味深い読み物となっている。

欧州大陸が乱獲で狩りつくされた結果、さらに毛皮を求めたヨーロッパ人。東はロシアからさらにシベリアへ、西は「新大陸」の北米大陸で探検を行いながら、クロテンの狩猟を行い、徹底的に狩りつくしてしまうロシアのシベリア開発も、北米の西部開発も、その動機は高級毛皮を求めての貪欲な狩猟が主導したということは、意外と知られていないようだ。

映画『レヴェナント』では背景説明がいっさいないが、主人公グラスにように、先住民の女性のあいだに子どもをつくった入植者は少なくなかったらしい。かれらの子どもは「白いインディアン」と呼ばれて、狩猟の探検行においておおいに活躍したという。双方のコトバと習慣を理解できたからだ。

この映画でも先住民は誇り高き存在として描かれている。けっして「インディアン」(Indian=インド人)などという蔑称は使用されず、あくまでも部族名で呼ばれる主人公も現地語をしゃべる設定となっており、現地語のセリフには英語の字幕が入る。むかしの西部劇とはまったく違うといっていい。

時代考証も正確に行われているようだ。一端をあげれば、ライフルも先込め式である。弾丸は銃の先から装てんする方式だ。1820年代ではこのタイプがまだ一般的であった。

ミズーリ川といえば「シェナンドー」(Shenandoah)というアメリカ民謡を想起する。先住民の族長の娘を歌った美しい旋律の民謡だ。この歌の旋律をアタマのなかで響かせながら、この時代のアメリカ史を考えてみるのも、アメリカ理解の一助となるだろう。




<関連サイト>

映画 『レヴェナント 蘇りし者』 公式サイト(日本語)


『レヴェナント:蘇えりし者』坂本龍一が語る映画音楽という仕事 「映画音楽にルールはないんです」 (AOL News、2016年5月9日)

北アメリカの毛皮交易(wikipedia日本語版)





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2016年2月7日日曜日

映画『オデッセイ』(2015年、米国)を見てきた(2016年2月7日)ー 火星にたった一人取り残された主人公は「意思のチカラ」と「アタマの引き出し」でサバイバルする


先週から日本公開されているハリウッド映画の『オッデセイ』(2015年、米国)を、TOHOシネマズで見てきた(2016年2月7日)。

近未来を舞台にしたSFアドベンチャー映画で、サバイバルものである。主演はマット・デイモン、監督はリドリー・スコット。



NASA の火星探索ミッション遂行中のクルーは、予期せざる突然の砂嵐に巻き込まれ、行方不明になった主人公一人を残したまま命からがら火星を脱出。だが、隊長を筆頭にクルー・メンバーを見捨てたのではないのかという良心の呵責がわだかまる。

ところが、主人公は生き残っていたのだ。チームメンバーも NASA も知ることなのないまま。

生き残ったのはたのはいいのだが、次のフライトが火星に来るのはなんと1,400日後、つまり4年後だ。火星は地球から 2億2,530万kmも離れている。しかも、そう頻繁にロケットが打ち上げられるわけではない。

通信は途絶え、食料も31日分しかないという極限状況に追い込まれていることに気がつく主人公。 こんな極限状況のなか、主人公はとにかく前向きの姿勢でサバイバルすることのみを考える。けっしてあきらめないのだ。

(日本版チラシ)

ネットも使えない状況では検索もできない。頼りになるのは、生き残るというきわめて強い「意思のチカラ」と「アタマの引き出し」のみだ。

植物学専攻の主人公は、次々と発生する難問を一つ一つ問題解決していくが、一難去ってまた一難という状況だ。だが、神に祈ることはいっさいしない。頼るのは自分のアタマのなかにある科学知識と手仕事のスキルのみである。資源の限られた閉鎖空間のなかで生き抜くには、これしか対応がないのだ。この姿勢は最初から最後まで一貫している。地頭(ぢあたま)のよさを感じさせる主人公である。

最後の最後までアクシデントつづきで、一瞬たりとて気が抜けない内容だが、ストーリーの面白さと、ディテールにこだわった圧倒的な映像のパワーで、最後まで楽しめる知的エンターテインメント映画だ。アカデミー賞は間違いないだろう。見て絶対に損はない。

原題は The Martian といたってシンプルなもの。「火星人」という意味だ。英語版のポスターにある Bring him home (帰還させよ)は、 映画のなかでは Bring him home alive ! というセリフとして登場する。「生還させよ」という意味だ。これは「地球人」からの要求だ。

(チラシのウラ)

近未来の設定であるが、正確な年代は映画のなかでは示されない。なぜか全編を流れるのは、ドナ・サマーやグロリア・ゲイナーなど、1970年代から80年代にかけてのディスコ音楽のヒットソングばかりで、なんだかひじょうに不思議な感覚にとらわれるのだ。映画を見ていてカラダが動いてしまう。この感覚は、わたしと同世代の人間ならわかると思う。

リドリー・スコット監督の傑作SF映画 『ブレードランナー』(1982年)では、近未来のロサンゼルスが舞台で日本がテーマとしてかかわっていたが、今回の『オデッセイ』(2015年)では、とってつけたような印象が残るものの中国がからんでくる。映画配給のマーケティング目的もあろうが、こと宇宙分野では中国に優位性があるのは否定できない。東京ではなく北京なのだ。この30年の変化は残念ながらじつに大きいと感じないわけにはいかない。

地球以外の宇宙空間には国際法が適用されるので、火星は公海だという法的扱いにかんする指摘も、ストーリーとは直接は関係ないが興味深い。

リーダーシップとチームワークなど、いろんな観点からも捉えることも十分に可能な内容だ。ぜひ原作も読んでみたいという気持ちにさせられる。アンディー・ウィアのSF作品 『火星の人』(The Martian)は、アメリカでベストセラーなのだという。

期待を裏切らない文句なしの傑作である。もう一度見たい。





<関連サイト>

映画 『オデッセイ』 公式サイト(日本語)

映画『オデッセイ 』予告編

THE MARTIAN | Bring him Home | Official Trailer | HD (トレーラー英語)


全米ベストセラー小説『火星の人』の映画版『オデッセイ』、評価が真っ二つの理由 (日経トレンディ、2016年2月5日)
・・この記事によれば、原作にも中国が描かれているとのことだ


映画にでてくるディスコ音楽のヒットソングから

I Will Survive (Gloria Gaynor) (YouTube)

Donna Summer- Hot Stuff (YouTube)

(2016年2月12日 情報追加)


<ブログ内関連記事>


「アタマの引き出しは生きるチカラ」だ!-多事多難な2011年を振り返り「引き出し」の意味について考える
・・「すべてをアタマのなかに記憶して持ち運んだのです。まさに究極のポータブル・ナレッジ、まさに文字通りのノマド(=遊牧)ライフですね。 すべてを失ったかにみえた災難であっても、アタマをさしながら 「ここにすべてがある!」 とクチにすることができるのです。」


火星探査ミッションのシミュレーション

書評 『バイオスフィア実験生活-史上最大の人工閉鎖生態系での2年間-』(アビゲイル・アリング/マーク・ネルソン、平田明隆訳、講談社ブルーバックス、1996)-火星探査ミッションのシミューレーションでもあった2年間の記録


マット・デイモン主演作

映画 『インビクタス / 負けざる者たち』(米国、2009)は、真のリーダーシップとは何かを教えてくれる味わい深い人間ドラマだ
・・アパルトヘイト廃止後の南アフリカで開催されたラグビーワールドカップ大会を描いた映画

映画 『プロミスト・ランド』(米国、2012)をみてきた(2014年9月8日)-衰退するコミュニティ(=共同体)とプロミスト・ランド(=約束の地)
・・マット・デイモン主演で、みずからが脚本を書きプロデュースした映画


サバイバルもの

書評 『江戸時代のロビンソン-七つの漂流譚-』(岩尾龍太郎、新潮文庫、2009)-日本人がほんらいもっていた、驚くべきサバイバル能力に大興奮!! ・・航海中に遭難し絶海の孤島で生き延びた日本人たち

書評 『私は魔境に生きた-終戦も知らずニューギニアの山奥で原始生活十年-』(島田覚夫、光人社NF文庫、2007 単行本初版 1986)-日本人のサバイバル本能が発揮された記録
・・大東亜戦争の敗戦を知らずサバイバルした日本人たちの記録

映画 『コン・ティキ』(2012年 ノルウェー他)をみてきた-ヴァイキングの末裔たちの海洋学術探検から得ることのできる教訓はじつに多い
・・ノルウェーのヘイエルダール博士の第1回探検行の映画化

アムンセンが南極に到達してから100年-西堀榮三郎博士が説くアムンセンとスコットの運命を分けたチームワークとリーダーシップの違い
・・ノルウェーの探検家アムンセンはなぜ成功したのか?

(2016年2月18日 情報追加)



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2015年8月28日金曜日

書評『私は魔境に生きた ― 終戦も知らずニューギニアの山奥で原始生活十年』(島田覚夫、光人社NF文庫、2007 単行本初版 1986)ー 日本人のサバイバル本能が発揮された記録



かの有名な『ロビンソン・クルーソー』を筆頭とする漂流ものなど、サバイバルものに読ませる力があるのは、他者の体験を追体験してみたいという欲求が読者にあるからかもしれない。

日本人によるサバイバルものにも数々の名作があるが、『私は魔境に生きた』(島田覚夫、光人社NF文庫、2007 単行本初版 1986)という本もまた、読ませるものがある。文庫本で560ページをこす大著で、最初のうちはそうでもないが、サバイバル生活を開始してからの記述はじつに面白い

副題の「終戦も知らず東ニューギニアの山奥で原始生活十年」というのが刺さるのである。日本が敗戦したことも知らずに10年間、太平洋戦争で激戦地となった、当時はオランダ領であったニューギニア東部の山中で10年間のサバイバルした元日本兵たちがいたのである。そんな存在は、小野田さんや横井さんだけではなかったのだ。

「魔境」とはニューギニアの山奥のことである。本文を読むとわかるが、現地住民すら、そこに足を踏み入れるのを躊躇するという「魔境」だからこそ、10年もサバイバル生活を送ることができたのである。しかも、熱帯雨林という環境のなかでである。

しかしそれにしても10年というのは気が遠くなるような長さだ。日本がすでに敗戦していることも知らず、山中で自給自足の生活を送りながら友軍が迎えに来るのをひたすら待つという人生。当事者である彼らも、まさか10年も「原始生活」を送ることになるとは想像だにしなかったようだ。

サバイバルは、肉体の問題ではあるが、精神の問題でもあるのだ。耐える、ということだ。単身ではなく、最終的には4人のチームだったからこそ、最後まで生き抜くことができたのであろう。小野田さんのような、陸軍中野学校で特殊な教育を受けた強靭な精神の持ち主ではない、ごくふつうの日本人兵士たちにとっては。

そしてまた知恵の問題でもある。知識も知恵なくしては生かし切れない。そもそも知識そのものも、自分たちにとって既知のものが中心となる。

なければないで済ますという態度。ないものは、あるものを使って加工する創意工夫。まったくの原始人ではなく文明人であったからこそ、文明世界ですでに体験していた文明の利器を、ありあわせの道具と材料で再現しようと試みた。これもまた、サバイバルの重要な要件であった。

サバイバル生活では狩猟と農耕が行われる。缶詰類が尽きたあとは、狩猟で動物性たんぱく質を摂取し、農耕で主食を確保することになる。自給自足生活である。サバイバル生活の終盤近くで原住民との接触が始まってからは、物々交換という交易活動も始まる。経済の原初形態である。

いわば「サバイバル型エコライフ(?)」とでもいっていいような生活を10年送ったわけだが、読んでいて思ったのは、はたして現在の日本人に可能だろうか、ということである。原始生活を送ったのは70年前の日本人である。

知識はすでに脳内にあるもの、つまり「アタマの引き出し」を中心に、サバイバル生活で試行錯誤して身に着けた知識と体験しか頼るものはないのだ。ちょっとネット検索して、なんて安直なことは期待できないのである。本すらない環境なのだ。そんな個人の集まりの集団生活では、個人の知恵と知識を持ち寄ったリアルな「集合知」が生きてくる。

著者は「あとがき」のなかで、「原文に忠実なまま」で出版を希望したと記しているが、あまりにも文章がなめらかで読みやすいので、じっさいには編集の手が入っているのではないかと思う。シークエンシャルに配列しなおすには、なかなか大変だったのではないかと思われる。 

とはいえ、内容そのものを創作するのは困難だろう。描写があまりにも具体的だからだ。おそらく手記として執筆した原稿に編集が行われているのであろう。内容にかんしては、だれかニューギニアに詳しい人類学者などが、検証をしてくれるといいいのだが・・・。

サバイバルものが好きな人は、読んでみる価値は間違いなくある。大東亜戦争の戦記ものが中心の光人社NF文庫からの出版だが、戦記にかんする記述は全体の1割以下。その他の文庫からでていてもおかしくない内容だ。

関心のある人は、読んでみるといいだろう。


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目 次  
はじめに
流転(昭和17年12月~19年6月)
籠城(昭和19年6月~20年8月)
原始生活(昭和20年8月~23年1月)
石器時代(昭和23年2月~24年10月)
鉄器時代(昭和25年1月~26年12月)
隠棲発覚(昭和27年1月~28年2月)
原住民の風習・知恵(昭和28年2月~28年12月)
現地官憲に漏れて(昭和29年1月~29年9月)
生きて祖国へ(昭和29年9月~30年3月)
あとがき



著者プロフィール

島田覚夫(しまだ・かくお)
大正10年(1921年)5月、岡山県に生まれる。昭和10年(1925年)、尋常高等小学校卒業、所沢陸軍飛行学校に入校。昭和30年(1955年)3月、復員。郷里で桐箱製造会社に勤務、平成6年(1994年)工場長で退職。平成7年(1995年)1月歿 (本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)


<ブログ内関連記事>

Where there's a Will, there's a Way. 意思あるところ道あり


日本人のサバイバルもの

書評 『江戸時代のロビンソン-七つの漂流譚-』(岩尾龍太郎、新潮文庫、2009)-日本人がほんらいもっていた、驚くべきサバイバル能力に大興奮!!
・・「無人島・鳥島(とりしま)に漂着して20年間生き抜いた男たち・・(中略)・・鳥島はかつてアホウドリの宝庫であった。漂流民たちはアホウドリを捕獲して、食いつないで生き抜いたのだ。渡り鳥アホウドリの肉は干し肉にして保存し、雨水で渇きを癒し、アホウドリの羽衣を身にまとって・・・」


電気に頼らない文明

電気をつかわないシンプルな機械(マシン)は美しい-手動式ポンプをひさびさに発見して思うこと

「アタマの引き出しは生きるチカラ」だ!-多事多難な2011年を振り返り「引き出し」の意味について考える
・・「アタマの引き出し」がすぐにつかえる状況にあれば、電気をつかう情報機器がなくてもサバイバル可能!

動物は野生に近ければ近いほど本来は臆病である。「細心かつ大胆」であることが生き残るためのカギだ


ニューギニア戦線

水木しげるの「戦記物マンガ」を読む(2010年8月15日)
・・ニューギニア・ラバウル線線で視線をさまよった経験をもつマンガ家の水木しげる。爆撃で左腕を失った水木氏は、原住民と深いレベルでの交流をもった人でもある


オランダと東インド植民地

書評 『西欧の植民地喪失と日本-オランダ領東インドの消滅と日本軍抑留所-』(ルディ・カウスブルック、近藤紀子訳、草思社、1998)-オランダ人にとって東インド(=インドネシア)喪失とは何であったのか

書評 『五十年ぶりの日本軍抑留所-バンドンへの旅-』(F・スプリンガー、近藤紀子訳、草思社、2000 原著出版 1993)-現代オランダ人にとってのインドネシア、そして植民地時代のオランダ領東インド

『戦場のメリークリスマス』(1983年)の原作は 『影の獄にて』(ローレンス・ヴァン・デル・ポスト)という小説-追悼 大島渚監督 
・・日本占領時代のジャワ島の捕虜収容所が舞台

書評 『学問の春-<知と遊び>の10講義-』(山口昌男、平凡社新書、2009)-最後の著作は若い学生たちに直接語りかけた名講義
・・文化人類学者の山口昌男は、アフリカのつぎにインドネシアの島々で本格的なフィールドワークを行っている

(2015年9月3日、6日 情報追加)


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2015年5月1日金曜日

コクリコの生命力はタンポポ並だ


4月末から5月にかけてのこの時期になると、いっせいに花を咲かせるのがヒナゲシ。別名コクリコ、虞美人草(ぐびじんそう)。

美しい花だが、人がタネをまいたわけではない。人の手を借りずにタネが拡散して自生しているのだ。とにかく生命力がつよい。写真のように、どんなところでも落地生根する生命力の強さは、タンポポ並といっていい。
   
歌人・与謝野晶子の歌にこういうものがある。

ああ皐月(さつき) 仏蘭西(ふらんす)の野は火の色す 
君も雛罌粟(コクリコ) われも雛罌粟(コクリコ)

これはフランスに外遊させていた夫の与謝野鉄幹とパリで合流した34歳の晶子が詠んだ歌だ。いまから103年前の1912年の5月、「ベルエポック」まっさかりののフランスも、ヒナゲシの花咲く季節なのである。作家・渡辺淳一による与謝野夫妻を描いた伝記文学のタイトルにも採用されている。

だが、これだけ日本に自生していると、これが西洋からの伝来だとは、もはや誰も思わなくなっているのかもしれない。

爆発的に広がったタンポポも、じつは西洋タンポポであることを知っている人は、意外と少ないような気がする。

なぜか外来種のほうが生命力がつよいという印象があるが、ヒナゲシもまた生き残りにかけての執念はすさまじい。花が咲いている時期以外にはヒナゲシの存在そのものも忘れ去られている。

「美しい花には毒がある」とはよく言われるが、それは生き残りのための戦略でもあるのだ。





<ブログ内関連記事>

「雛罌粟(コクリコ)の花の咲く季節」に世を去った渡辺淳一氏のご冥福を祈ります(2014年5月)

書評 『女三人のシベリア鉄道』(森まゆみ、集英社文庫 、2012、単行本初版 2009)-シベリア鉄道を女流文学者たちによる文学紀行で実体験する 
・・夫の鉄幹をフランス遊学させた晶子は、後を追ってフランスに渡る。そのとき利用したのがシベリア鉄道であった

片隅で可憐に咲くちいさなすみれ

タンポポの花をよく見たことがありますか?-春の自然観察

冬のたんぽぽ 冬のライオン

芥子坊主(けし・ぼうず)-ヒナゲシは合法です(笑)





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2014年11月12日水曜日

映画『悪童日記』(2013年、ハンガリー)を見てきた(2014年11月11日)― 過酷で不条理な状況に置かれた双子の少年たちが、特異な方法で心身を鍛え抜きサバイバルしていく成長物語



東京・有楽町のTOHOシネマズ シャンテで、映画 『悪童日記』(2013年、ハンガリー)を見てきた。この映画は絶対に見ておきたかった。その期待はまったく裏切られることはなかった。いや、期待を大幅に上回る衝撃作であった

過酷で不条理な状況に置かれた双子の少年たちの物語だ。逃れることのできない宿命と受け止め、特異な方法で心身を鍛え上げながら、したたかに、タフにサバイバルしていく濃厚な一年。ハードボルドな成長物語でもある。

そこに貫かれているのは、どんなことがあっても生き抜くという、強烈な意志のチカラである。哲学者ニーチェの著書のタイトルを借りれば、『チカラへの意志』であり、少年たちが最終的に到達したのは、自分たち以外は何も信じないという『善悪の彼岸』である。

善悪ではなく美醜という価値観。そして価値観の転倒と混乱。美しい少年たちによる、美しくない行為。美しさを生き残りの手段につかうが、その美しさゆえに破壊される登場人物たちもいる。「神」がすでに教会にはいないこともまた、徹底的に確認される。

さすがヨーロッパ映画。一般大衆受けを狙ったハリウッド映画とはまったく違う。安楽死と自殺幇助にかかわるテーマも含めた、芸術的なテイストをもちながらも、哲学すら感じる重厚な映画である。


第二次世界大戦末期から敗戦後のハンガリー

『悪童物語』というのは原作の日本語版のタイトルにあわせている。原作のオリジナルのタイトルは、フランス語で Le grand cahier、つまり大判のノートブックのことだ。双子の少年たちは、このノートブックに日記をつづるのだが、『悪童物語』という日本語版のタイトルは秀逸であったといえる。   

『悪童物語の主人公の双子の少年たちは、たしかに「悪童」そのものである。ワルガキ以外の何者でもない。だが、彼らが置かれている状況は平時ではない。有事なのだ。第二次世界大戦末期の1944年のハンガリーである。当時は、本来は同盟国であったはずのナチスドイツに占領されていた。

文字通り物理的な意味で生き延びるために、過酷な状況をサバイバルするためには「悪童」という生き方しか、選択肢にはなかったのだ。




舞台はオーストリア国境に近いハンガリーの田舎町。ハンガリーは、基本的にプスタと呼ばれる広大な草原が拡がる農業地帯である。都会育ちの少年たちが暮らしていたのは、おそらく国際都市ブダペストという想定だろう。ハンガリーもまた、都市と農村ではまったくの別世界である。

ハンガリーは中欧の一小国。その存在そのものが現代世界のなかで翻弄されてきた。陸続きの大陸国の宿命としかいいようがない。

第一次世界大戦で敗戦するまでは正式名称をオーストリア=ハンガリー帝国、通称ハプスブルク帝国の一翼を担う存在であった。敗戦後の共産革命、そしてその反動の独裁政治を経て、失地回復のためナチスドイツと手を組んで第二次世界大戦に参戦したのであったが・・・

映画でも1944年から1945年という設定以外の事実は明らかにされていない。十分な知識をもたない少年たちの視点としては不思議なことではない。映画を見る側も、そういった知識にこだわる必要がないのは、サバイバルという普遍的なテーマが一貫しているからだ。

その後の敗戦国ハンガリーは、戦勝国ソ連の衛星国としての社会主義政権となるが、1956年には「ハンガリー革命」においてソ連軍と激しい戦う。冷戦構造の崩壊によって西側に復帰するが、経済政策の失敗で失業者が増大し、ふたたび極右の台頭を招くという、左右への振幅の激しい国であることを書き加えておこう。


(フランス語版のオリジナル『悪童日記』 「映画化」とカバー下にある)



「過酷な日常」は戦前のヨーロッパの文脈で捉えるべき

第2次世界大戦下の過酷な時代を生き抜いた双子の日記を通して世界を見つめた映画である。

過酷な環境は、少年たちを肉体的にも精神的にも特異な方法で鍛え上げる。互いに平手打ちしながら肉体も精神も鍛え上げる訓練。

「殴れるものなら殴ってみろ」という、すさまじまでの挑発的な凄味あるセリフ。「右の頬を打たれたら、左の頬をさしだしなさい」という、新約聖書のイエスのコトバをそのまま文字通りつかったものだ。

双子たちの唯一の読み物であった古い聖書からイエスからの引用だが、イエスがこのフレーズに込めた真意を知ったような気もする。そう、このセリフは挑発なのだ。

肉体を鍛錬すれば、気迫が生まれる。心身二元論ではない、心身相関の哲学である。誰から教わったのでもない、自分たちみずからが体験から編み出した哲学とその実践だ。

この哲学が生み出されてきたのは、疎開先の祖母から日常的に平手打ちされるだけでなく、見知らぬ他人から泥棒扱いされ、強烈な平手打ちされる体験からでもある。

映画を見ていて思ったのだが、ヨーロッパでも第二次大戦の頃までは、平気で鞭打ちをしたり、厳しく折檻していたのである。修道院の孤児院が舞台の映画ならかならずでてくるシーンだ。この映画の主人公である双子の少年たちも、実質的に「戦災孤児」といってもかまわない。

平手打ちというと、わたしの少年時代までは、当たり前のように行われていた。「踏ん張って腹にチカラを入れろ! 歯を食いしばれ!」、といわれてから往復ビンタを食らっていた。教師による生徒の平手打ちで、生徒の鼓膜が破れる事件が続出して教室での平手打ちは下火になったが・・。

日本の軍隊では平手打ち(=ビンタ)は当たり前だったが(・・日本の初等中等教育は戦前の軍隊の影響が強い)、もしかすると、平手打ちはヨーロッパが起源なのかもしれない。江戸時代の日本にはさまざまな「お仕置き」があったとはいえ、平手打ちがあったという話は聞かないからだ。

ドイツでは、日本人女性が、なんと2001年時点でドイツ人女性から平手打ちされたケースもある。表沙汰にならないだけで、いまだにヨーロッパでは平手打ちは消えていないのかもしれない。

シンガポールで以前、国際的問題になったアメリカ人の「悪童」に対する鞭打ちも、じつは植民地時代に英国がシンガポールに持ち込んだものだ。スイスでも教育家のペスタロッチが登場する以前は、暴力は当たり前だったようだ。

ヨーロパ全体で、教育現場においてすら暴力は当たり前だったと考えるべきだろう。





原作を読んでいても映像作品から受ける衝撃は大きい

原作を読んでいなければ、衝撃の大きさは計り知れないだろう。原作をすでに読んでいても、映画版は勝るとも劣らない内容に衝撃を受ける。

原作の『悪童物語』は、1956年の「ハンガリー革命」で難民となってスイスに移住することを余儀なくされたアゴタ・クリストフによるものだ。移住したのはスイスのフランス語圏。著者はサバイバルのために必死になって身につけたフランス語で自己表現を試みる。みずから「敵語」とよぶフランス語でだ。

フランス語で発表したために世界的ベストセラーとなり得たが、映画版は全編ハンガリー語(=マジャール語)で通している。これは正解ではないかと思う。すでに著者は亡くなっているが、もし生きていたら喜んだのではないだろうか。さすがに著者も、母語のハンガリー語では書けなかったかもしれない内容だ。

おそらくハンガリー以外では、欧州諸国でも市場ごとに吹き替えしてしまうのだろうが、幸いなことに日本ではハンガリー語のまま日本語字幕つきで見ることができる。ドイツ人将校がしゃべるドイツ語以外は、最初から最後までハンガリー語のみだ。

わたしはハンガリー語はほとんど理解できないが、それでもまったく構わない。こういう根源的なテーマは、やはりその民族の母語でないと表現できない。母語ならではの息づかいを感じることができればそれでいいのだ。同じようなテーマの日本映画でも、もしセリフが英語に吹き替えられていたら、興ざめだろう。

原作にあって映画では割愛さえているシーンも多々ある。さすがに映像表現としてはためらわれるシーンだからだろう。それでもこの映画は凄い。

むかし角川文庫のキャッチコピーに、「見てから読むか、読んでから見るか」というものがあったが、『悪童日記』もまた小説と映画の双方を味わってほしいと思う。

原作をすでに読んでいる人にも、ぜひこの映画は見るべきだといっておきたい。




<附録>

『悪童日記』(ハヤカワ文庫epi、2001)は、単行本初版は 1991年の出版、フランス語オリジナル は 1986年の出版である。

原作は数ページの小編で構成されている。双子の少年たちが日々の出来事を「大判ノート」に綴った内容という設定だ。目次を紹介しておこう。

目 次

おばあちゃんの家に到着する
おばあちゃんの家
おばあちゃん
労働
森と川
不潔さ
体を鍛える
従卒
精神を鍛える
学校
紙と鉛筆とノートを買う
ぼくらの学習
ぼくらの隣人とその娘
乞食の練習
兎っ子
盲と聾の練習
脱走兵
断食の練習
おじいちゃんのお墓
残酷なことの練習
ほかの子供たち

郵便配達夫
靴屋さん
万引き
恐喝
非難
司祭館の女中
入浴
司祭
女中と従卒
外国人将校
外国語
将校の友人
ぼくらの初舞台
ぼくらの見世物(スペクタル)の発展
芝居
警報
"牽(ひ)かれて行く" 人間たちの群れ
おばあちゃんの林檎
刑事
訊問
監獄で
老紳士
ぼくらの従姉(いとこ)
宝石
ぼくらの従姉とその恋人
祝福
逃走
死体置場
おかあさん
ぼくらの従姉の出発
新しい外国軍の到着
火事
終戦
学校再開
おばあちゃん、葡萄畑を売る
おばちゃんの病気
おばあちゃんの宝物
おとうさん
おとうさんの再訪
別離

淡々とした、そっけないような簡素な文体。フランス語の原文はみてないが、あえてそうしたという側面と、母語ではないことよる限界の両方があるのだろうか。

続編の『ふたりの証拠』『第三の嘘』とあわせて三部作は、間違いなく今後も生き続ける作品だろう。あまり文学作品を読まないわたしですら衝撃を受けた。



<関連サイト>

映画 『悪童物語』 公式サイト(日本版)

A nagy füzet(映画のハンガリー語タイトル wikipedia英語版)



<ブログ内関連記事>

ハンガリー難民であった、スイスのフランス語作家アゴタ・クリストフのこと

『移住・移民の世界地図』(ラッセル・キング、竹沢尚一郎・稲葉奈々子・高畑幸共訳、丸善出版,2011)で、グローバルな「人口移動」を空間的に把握する

ハンガリー映画 『人生に乾杯!』(2007年)-年金問題は社会問題ではあるが、個人個人の人生にとっての大問題

ハンガリーの大平原プスタに「人馬一体」の馬術ショーを見にいこう!

ウニクム(unicum)は、ハンガリーの "養命酒" で "国民酒"


サバイバルもの

映画 『キャプテン・フィリップス』(米国、2013)をみてきた-海賊問題は、「いま、そこにある危機」なのだ!

映画 『コン・ティキ』(2012年 ノルウェー他)をみてきた-ヴァイキングの末裔たちの海洋学術探検から得ることのできる教訓はじつに多い

アムンセンが南極に到達してから100年-西堀榮三郎博士が説くアムンセンとスコットの運命を分けたチームワークとリーダーシップの違い・・ノルウェーの探検家アムンセン

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