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2024年2月17日土曜日

書評『トヨタ 中国の怪人 ー 豊田章男を社長にした男』(児玉博、文藝春秋、2024)ー トヨタの中国ビジネスを軌道に乗せた男の壮絶な前半生とビジネスマンとしての生き様

 
 
『トヨタ 中国の怪人 ー 豊田章男を社長にした男』(児玉博、文藝春秋、2024)が面白いので一気読み。ことし2月にでたばかりのビジネス・ノンフィクションだ。  

「中国の怪人」こと遠藤悦雄、それが本書の主人公である。トヨタ中国事務所総代表として、ホンダや日産などのライバル企業に遅れに遅れた中国ビジネスを起死回生の秘策で軌道に乗せた男。 

そして、その結果として、御曹司の豊田章男を社長に押し上げた最大の功績者だが、公式の記録からは見えない存在にされてしまった男。 

そうか、そんな男がいたのか、そんなことが内部で進行していたのか・・・。リアルタイムの企業内部ものではないが、そんな驚きを歴史もののビジネス・ノンフィクションとして堪能できる。 

だが、それだけではない。なんといっても、この遠藤氏の前半生があまりにもすさまじいのである。想像を絶しているといっていい。 




満洲に赴任した技術者の父のもと、日本統治下の満洲で生まれた遠藤氏は、日本の敗戦後に父が中国共産党に「留用」されたため一家は中国に残留を余儀なくされ、中共統治下で凄絶なまでの人生を送っている。

日本に「帰国」できたのは、なんと27歳になってから、しかも1970年のことであった。大坂で万博が開催された年である。高度成長期の絶頂にあった日本は、同時期の中国とは雲泥の差があった。まさに別世界といってもよい状態であった。日中国交回復は1972年のことである。

中国で育ち、中国人とおなじ苦難の日々を送り、しかも日本人であるがゆえに、中国人以上の辛酸をなめている。中国と中国人を知り尽くしているといってもいいのである。

そんな遠藤氏が「中国人の本質」だとして著者に示したのが「好 死 不 如 懶 活」という漢字6文字の中国語。意味は、「きれいに死ぬよりも、惨めに生きたほうがまし」

まさに遠藤氏の生き様そのものである。中共統治下の過酷な時代を生き抜いた日本人の口から発せられることばの重みが違う。 潔さに美学を見いだす日本人とはまったく違うのである。 

そんな個性的クセの強い遠藤氏の能力を見抜き、使いこなした数少ない人物が、トヨタ中興の祖ともいうべきサラリーマン社長の奥田碩氏であり、世襲で経営者となった豊田章男氏であった。ともに遠藤氏のネイティブとしての中国語力と豊富な人脈をフルに使い切っている。 

トヨタとは直接関係ないわたしだが、大学の後輩(ただし、学部も部活も違う)として、一部上場企業の世襲を阻止しようとする奥田氏には大いに共感を感じていたものだ。残念ながら、豊田ファミリーへの「大政奉還」が実現して現在に至る。その影にいたのが遠藤氏だったのか・・・。 


今回の『トヨタ 中国の怪人』もまた、日本企業にとっては異質なバックグラウンドをもちながら、日本のビジネス社会で孤軍奮闘しながらも、最後は刀折れ矢尽きていった男の人生を描いている。

時代と運命に翻弄されただけでなく、晩年にいたっても、日本人でも中国人でもないようなアイデンティティの揺らぎを抱き続ける人生。

それほど数奇で濃厚な人生を送った、そんなひとりの「日本人」の聞き書きをもとにした作品である。 読ませるノンフィクションである。それだけでなく、事例としてさまざまな教訓を導きだすことも可能だろう。


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目 次
序章 中国人の本質
第1章 豊田章一郎の裏切り
第2章 日本の子鬼
第3章 毛沢東の狂気
第4章 零下20度の掘っ建て小屋
第5章 文化大革命の嵐
第6章 悲願の帰国
第7章 日米自動車摩擦の代償
第8章 豊田英二の危惧
第9章 はめられたトヨタ
第10章 起死回生の秘策
第11章 豊田章男の社長室
主要参考文献・映像作品

著者プロフィール  
児玉博(こだま・ひろし)
1959年生まれ。早稲田大学卒業後、フリーランスとして取材、執筆活動を行う。月刊「文藝春秋」や「日経ビジネス」で企業のインサイドレポートを発表。著書に大宅壮一ノンフィクション賞(雑誌部門)の受賞作を単行本化した『堤清二 罪と業 最後の「告白」』など。(本データは2017年の『テヘランから来た男』が刊行された当時に掲載されていたもの)


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2023年9月24日日曜日

『ハルビンの詩がきこえる』(加藤淑子、加藤登紀子編、藤原書店、2006)と 『ハルビン新宿物語 ー 加藤登紀子の母 激動の半生記』(石村博子、講談社、1995)をつづけて読む。女性の視点による「20世紀前半のハルビン社会史」がそこにある




ロシアについて考えているうちに、ふたたび内村剛介氏の著作をひもとくことになるスターリン時代に11年間の監獄生活を送ることを余儀なくされた内村氏の原点は「ハルビン学院」にあり、その文章を読んでいると、必然的にハルビンそのものへと思考が向かう。

ハルビン(Harbin)という響きがいい。ハルビンは漢字で「哈爾浜」と書く。満洲にあった都市である。伊藤博文が暗殺されたのはハルビン駅である。

ハルビンは、もともと帝政時代のロシアが建設した都市だ。

「東方を制服せよ」という意味のウラジオストック(=ヴラジ・ヴォストーク)がロシアの東方進出を象徴する都市であるとすれば、ハルビンはもともと現地人の満州語の地名である。鉄道建設のために新規に開発されたロシアの都市であった。

植民地となった満洲。その満洲にあるハルビンは、おなじくロシアが開発した大連以上に日本人にとってはヨーロッパを感じさせる都市であった。

共産主義を意味する「赤系」のソ連から逃れてきた「白系」のロシア人が多く居住していたハルビン。ユダヤ人もふくめ、かれらの多くは「無国籍者」となっていた。

ハルビンといえば歌手の加藤登紀子である。加藤登紀子氏は、ハルビンに生まれて日本に引き揚げてきた人だ。そしてその母を描いた本である『ハルビン新宿物語 ー 加藤登紀子の母 激動の半生記』(石村博子、講談社、1995)は買ったまま、ずっと本棚にありつづけた。

その後、『ハルビンの詩がきこえる』(加藤淑子、加藤登紀子編、藤原書店、2006)の存在を知って、これも入手することにした。

そうだな、この機会にこの2冊を読んでしまおう。そう思った。いつまでも読んだつもりにしておいてはいけない。読まないままにしておいてはいけない。

まずは、『ハルビンの詩がきこえる』から先に読むことにした。内容は、加藤登紀子の母の手記である。91歳になった著書にとって、すみずみまで記憶のなかで生きているハルビン。まさに著者にとってハルビンは青春そのものだった。

本のカバーの内側に著者のことばがある。昭和10年は1935年、昭和21年は1946年である。


昭和10年から21年までのたった11年のハルビン。
でもそれはまさに二十代の私の青春そのものだった。
同じこの場所にその面影が消えてしまった今も、
私の心の中にはすべてがあざやかに刻まれている。
          ーーーーー 加藤淑子


京都の呉服屋に生まれ育った女性が、因習に縛られた狭い京都から自由をもとめて大陸へ。ハルビン学院卒の男性と結婚にしてハルビンへの渡航、白系ロシア人の住居の一部に賃貸で入居を繰り返したことで、さまざまなロシア人の暮らしぶりを目の当たりにすることになる。

ここにあるのは、日常の「生活」(ジーズニ)、この記述がまさに貴重なのである。男性による「満洲もの」には描かれない世界。その他圧倒的多数の日本人とは違って、加藤夫妻はハルビンには日本的生活を持ち込まなかった。避暑を兼ねたダーチャの生活も含めて。だからこそ、加藤淑子氏の手記は「20世紀前半のハルビン社会史」としても貴重な内容なのである。


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目 次
プロローグ
第1章 太陽は地平線を昇る 
 大地の夜明け/マリア・ニコラーエヴナの家/炊事場のロシア語レッスン/ハルビンでのお買い物/見知らぬ街での生活がはじまる/男の友情/お茶を飲む女たち/いつも音楽があった
(コラム) ウォトカの飲み方/サモワール 
第2章 チェリョームハの木陰で 
 サハロフの家/ロシア人のお祭り/ロシア語を習う/スンガリーで遊ぶ/ストラグスの家/ユシコフはマネキン屋/大和アパートへ/太陽島でのひと夏/父のハルビン訪問/スンガリーのダーチャで/トホール家の動物たち 
(コラム) ペチカ 
第3章 戦火しのびよる街 
 再び京都へ/祖母ハナとの暮らし/祖母ハナの死/トホール家の結婚パーティー/イワノフの家へ/ピアノのレッスン/義弟の結婚、そして召集/新町の家で/夫は露語教育隊/ハルビンへの帰郷/家をつくる若いロシア人夫婦/登紀子の出産/奉天は臨戦態勢/昭和19年年末の空襲/夫はいよいよ戦地へ/ソ連参戦 
(コラム) ハルビン学院/ハルビンという街 
第4章 今日を生きる野草の如く
 終戦の日/トラックに乗って収容所へ/略奪がはじまる/北方からの避難民/将校オサッチ /人形づくり/秋林(チューリン)のお針子になる/星輝寮をでる/ミシンで開業/中国式の食べ物/ソ連軍の撤退/ハルビンに残る?/引き揚げを決心/出発の日 ―― 9日6日/フローシャの最後のごはん/地平線の向こうに 
エピローグ(加藤登紀子) 
あとがき(加藤淑子) 
加藤淑子年譜(加藤淑子・加藤登紀子) 
図版出典一覧


その「生活」を乱したのは外部の状況であった。悪化する戦況は「内地」では大きな被害をもたらしていたが、大陸とのタイムラグが存在したのである。出産のたびにハルビンと京都を往復していた著者だが、昭和20年(1945年)の6月になってからハルビンに戻るのである。

だが、状況は突然やぶられることになる。米国ではなくソ連が侵攻してきたからだ。8月9日のことである。

ソ連軍によって占領されたハルビン、出征したまま帰ってこない夫。そんな状況のなかでも洋裁の技能を活かし、ユダヤ人の顧客たちから信頼されて生き抜いてゆく著者。ユダヤ人とロシア人の違いにかんする観察もさすがである。

戦後のハルビンでの生活も安定してきたが、最終的に日本への帰国を決意し、女手ひとつで3人の子をつれて脱出する命からがらの逃避行へ。手記はそこで終わっている。




『ハルビンの詩(うた)がきこえる』の帯には、作家のなかにし礼氏の推薦文が記されている。

「女たちの満州」
満州の歴史とは、実は女たちの物語なのである。
満州建国を夢見たのは男たちであったが、その夢破れたのちのあとかたづけはすべて女たちがやった。その一つの証言をここに見る思いがする。
加藤登紀子も私も、阿修羅のごとく戦った母によって守られ、日本に流れついた命なのだということをあらためて痛感する。


満洲からの引き上げを描いた『赤い月』の作者だけに、まさにそのとおりだと思う。これに付け加えることはなにもない。『流れる星は生きている』だけではないのである。


■『ハルビン新宿物語』は加藤淑子氏の「戦後」まで描く

『ハルビン新宿物語』は、1995年の出版から28年目にはじめて通読した。しかも、購入から22年もたっている、とは! 

2001年1月7日に amazon で購入していたことが「履歴」からわかった。さすが電子取引である。いまではまず目にすることもない「amazon.co.jp のしおり」がはさまっていたことに気がついた。新刊書として購入していたのだ。

amazon が日本に進出したのは、2000年11月のことである。そんな初期から利用していたわけである。まだ amazon は書籍中心の取り扱いであり、初期段階で利用者が多くなかったのでプロモーションの一環として「紙のしおり」がつけられたのであろう。




先に『ハルビンの詩がきこえる』を読み、ついで『ハルビン新宿物語』を読んだのは正解だった。

前者は加藤淑子氏の「青春時代」であり、後者はそれも含めた「戦後」まで描いているからだ。

女性の自立の物語でもある。洋裁の技能を活かして生計をたて、その後は夫が開いたロシア料理店スンガリーの切り盛りに追われることになる。スンガリーはハルビンを流れる川の名前である。スンガリーは松花江である。

先になかにし礼氏の文章を引いたが、加藤淑子氏の戦後もまた「夢破れた男のあとかたづけを」やることになったわけである。

「戦後日本」は「満洲時代」の遺産抜きにはありえないことは、戦後復興や新幹線の存在を知れば明らかである。そんな「男たちの世界」だけでなく、当然のことながら「女たちの世界」でもそうだったのである。

加藤登紀子氏の兄の加藤幹雄氏は一橋大学経済学部の出身で、わたしからみたら大先輩にあたる人だ。

1960年の安保闘争における挫折とその後の国際ビジネスマンとしての人生は、一橋大学卒業生の会である如水会の『如水会報』への本人の寄稿で知った。

その他の関連記事がないか検索していて、父親が京都で開いたロシア料理店キエフの経営を数年前に継いだことを知った。「住金副社長からロシア料理店経営へ 生涯現役モデルに」という記事がある。

加藤淑子氏は夫の遺骨をスンガリーに流すため、加藤幹雄氏ら子どもたちとともに1993年にハルビンを再訪している。『ハルビン新宿物語』の著者である石村博子氏も同行し、その記述が本書の最終章に書かれている。

そのことはまったく知らずに、わたしは1999年にハルビンを含めた満洲に旅している。大陸から引き揚げ者の家庭ではないが、満洲というものは学校の先生をつうじて子ども時代から聞き知っていた。そんなこともあり、どうしても自分の目で見て、自分で歩いて体感したかったのだ。

わたしが訪れたとき、ハルビンにはまだわずかながらロシアの痕跡をとどめていた。ハルビンのロシア料理店で食べたロールキャベツは美味かった。

そんな1999年のハルビン旅行のあと、2001年1月に『ハルビン新宿物語』を購入していたのであった。


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目 次 
はじめに 加藤登紀子
Ⅰ章 敗戦―ハルビンで
Ⅱ章 自由への旅立ち 
Ⅲ章 焦土から、ふたたび
Ⅳ章 出会いと別れ―新宿 
終章 スンガリーの流れのように
おわりに 加藤淑子
あとがき 石村博子
関連略年表

著者プロフィール
石村博子(いしむら・ひろこ)
1951年、北海道生まれ。ノンフィクションライター。法政大学卒業。加藤淑子が切り盛りしたロシア料理店スンガリーで働いていたロシア人女性クセニアの息子ビクトル古賀を主人公にした『たった独りの引き揚げ隊 ― 10歳の少年、満州1000キロを征く』(角川書店、2009)など著書多数。


<ブログ内関連記事>

・・「この本でとくに興味深いのが、「物書く商社マン」であったロシア文学者で評論家の内村剛介氏(故人)の回想。(・・・中略・・・)シベリアで抑留され、ソ連の収容所に11年間も抑留されていた内村剛介の諸著作は、ロシアについて考えるためには必読書であり、ほんとうの知識人とはどういう存在かを身をもって教えてくれる存在だ。内村剛介氏は、日本に帰国後は総合商社の日商(のち合併して日商岩井)で、ロシア語を駆使して辣腕の商社マンとしてソ連貿易に携わっていた。大学教授に転身する前は、「物書く商社マン」として知られていたらしい。そんな話が読めたのもうれしい。」




・・『危機の宰相』 のもう一つのテーマは、満洲国の存在と戦後日本におけるその意味である


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2019年2月26日火曜日

JBPress連載コラム第46回目は、「知られざる戦争「シベリア出兵」の凄惨な真実 「失敗の本質」の原点がそこにある」(2019年2月26日)


JBPress連載コラム第46回目は、知られざる戦争「シベリア出兵」の凄惨な真実 「失敗の本質」の原点がそこにある(2019年2月26日) ⇒ http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/55568


いまだに解決しない北方領土問題。この問題がボトルネックとなり、日本とロシアの間では平和条約も締結されず、国境線の最終画定も終わっていない。 

日ロ関係を理解するためには、まずは戦前の約70年間について振り返ってみておくことが重要だろう。それは「熱戦」の時代であった。 

日ロ間で戦われた4つの戦争とは、「日露戦争」(1904~1905)、「シベリア出兵」(1918~1925)、「ノモンハン事件」(1939年)、第2次世界大戦末期の「日ソ戦争」(1945年)である。 


(シベリア出兵は最初は多国籍軍だった Wikipediaより)

今回はその中から、多大な戦費と戦死者数を出したにもかかわらず、現在の日本ではいまだに“知られざる戦争”となっている「シベリア出兵」について重点的に取り上げたい。 


(ウラジオストクを行進する米国軍 Wikipedia)

前回のコラム記事(「高級チョコを日本に広めたロシア人が受けた仕打ち」 で、白系ロシア人のモロゾフ一家が難民として日本に移住することになった背景がこの戦争の時代であった。 

つづきは本文にて  http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/55568



<ブログ内関連記事>

バレンタイン・デーに本の贈り物 『大正十五年のバレンタイン-日本でチョコレートをつくった V.F.モロゾフ物語-』(川又一英、PHP、1984)

JBPress連載コラム第22回目は、「日本は専制国家に戻るロシアを追い詰めてはいけない-「東洋的専制国家」の中国とロシア、その共通点と相違点」(2018年3月27日)

『ピコラエヴィッチ紙幣-日本人が発行したルーブル札の謎-』(熊谷敬太郎、ダイヤモンド社、2009)-ロシア革命後の「シベリア出兵」において発生した「尼港事件」に題材をとった経済小説

マンガ 『はいからさんが通る』(大和和紀、講談社、1975~1977年)を一気読み

石川啄木 『時代閉塞の現状』(1910)から100年たったいま、再び「閉塞状況」に陥ったままの日本に生きることとは・・・

飛んでウラジオストク!-成田とウラジオストクの直行便が2014年7月31日に開設

(2019年3月1日 情報追加)


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2018年8月17日金曜日

書評『五色の虹 ー 満洲建国大学卒業生たちの戦後』(三浦英之、集英社文庫、2017 単行本初版 2014)ー わずか8年の歴史しかなかった「満洲建国大学」という実験とその後


『五色の虹-満洲建国大学卒業生たちの戦後-』(三浦英之、集英社文庫、2017)を読んだ。いわゆる満洲ものであり、日本を含めたアジア現代史でもある。単行本は2014年の出版。 

建国大学とは、建国後に「五族協和」をうたった満洲国を支えていく人材を育成するために作られた高等教育機関のことだ。満洲事変の立役者で関東軍の陸軍参謀だった石原莞爾の強い思いが実現したものだ。構想をプランに落とし込んだのは、石原完爾の部下でかつ熱烈信奉者であった辻政信である。 

「五族」とは、日・漢・朝・満・蒙を指す。この五族から選抜されたエリートが入学し、濃密な人間関係のなかで青春時代の6年間を過ごしたのが建国大学であった。 

そこで保証されていたのは、徹底的な「言論の自由」毎日のように学生同士で激論が行われていたという。まさに満洲ならではの「実験教育」であった。あまりにも時代を先駆けすぎていたのかもしれない。 

建国大学は8年でその歴史を閉じることを余儀なくされる。日本の敗戦により満洲国も崩壊、大学もその短い歴史に幕を閉じることになった。 

本書は、そんな建国大学に学んだ日本人、中国人、朝鮮人(=韓国人)、モンゴル人、ロシア人の「その後」を追ったノンフィクションだ。 

著者は、1974年生まれの朝日新聞の記者で、取材当時は35歳。取材対象は90歳前後。孫と祖父のような関係にあたるからこそ、素直に話を聞き取ることができ、かつ話をしてくれたのだろう。知らないからこそ聞ける孫世代、知らないだろうから話しておきたい祖父世代。 

取材の苦労とその後の出版に至るまでは「あとがき」に書かれているが、取材対象が老齢であること、いまだ「脱共産化」がなされていない中国在住の卒業生が置かれた立場の困難など、事実関係の裏付けの確認に手間取ったことが記されている。一度は出版は断念したらしい。

それにしても激動のアジア現代史である。敗戦後の日本人のその後もさることながら、「共産化」された大陸に生きることを余儀なくされた中国人とモンゴル人、ロシア人のその後は、運命に翻弄され、まさに波瀾万丈としかいいようがない。

「8月15日」にどこにいたかによって、その後の運命が決まってしまったのである。ただし、韓国では建国大学卒業生はエリートとして遇されたようだ。それぞれの国家が必要とした人材の違いである。 

そんな建国大学出身者たちの絆は深い全寮制で寝食を共にし、激論にあけくれるような青春時代の6年間を過ごしたからだ。思想信条を越えた人間どうしの深い絆。これこそ、建国大学という「実験教育」の大きな成果だ。この存在をいまだに越えた大学が生まれていないのは、ある意味では仕方がないかもしれない。だからこそ、建国大学については知る必要があるのだ。 

私が建国大学について初めて知ったのは、安彦良和氏の『虹色のトロツキー』というマンガである。建国大学に入学したモンゴル人を主人公にした大河ドラマのような長編マンガ。このマンガでは、満洲国の建国大学そのものが扱われているので、このマンガはぜひ読むことを勧めたい。わたしのイチオシのマンガである。 

『五色の虹-満洲建国大学卒業生たちの戦後』に戻るが、最後の章は、カザフスタンに移住することになったロシア人卒業生の話である。最後のページまで読み進めたとき、心の奥底から熱い感情がわき上がってきた。日本とは何か、日本人とは何か・・・。 

ぜひ読むことをすすめたい。






目 次  
序  最後の同窓 
第1章  新潟  第2章  武蔵   第3章 東京  第4章 神戸  第5章  大連  第6章 長春  第7章 ウランバートル  第8章 ソウル  第9章 台北  第10  中央アジアの上空で  第11章 アルマトイ   
あとがき 
解説 梯久美子



著者プロフィール 
三浦英之(みうら・ひでゆき) 
1974年、神奈川県生まれ。京都大学大学院卒業後、朝日新聞社に入社。東京社会部、南三陸駐在、アフリカ特派員などを経て、現在は福島総局員。2015年、『五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後』で第13回開高健ノンフィクション賞を受賞。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)



<ブログ内関連記事>

23年間「積ん読状態」だった藤原作弥氏の『満洲、少国民の戦記』(現代教養文庫、1995)を読んで自問自答する「日本人にとっての満蒙とは何か?」という問い


書評 『ノモンハン戦争-モンゴルと満洲国-』(田中克彦、岩波新書、2009)-もうひとつの「ノモンハン」-ソ連崩壊後明らかになってきたモンゴル現代史の真相
・・『虹色のトロツキー』について触れてある

書評 『カルピスをつくった男 三島海雲』(山川徹、小学館、2018)-カルピスの背後にはモンゴルと仏教思想がある

いまこそ読まれるべき 『「敗者」の精神史』(山口昌男、岩波書店、1995)-文化人類学者・山口昌男氏の死を悼む
・・山口昌男の『挫折の昭和史』(岩波書店)の第8章「読書する軍人」に石原完爾が取り上げられている

書評 『マンガ 最終戦争論-石原莞爾と宮沢賢治-』 (江川達也、PHPコミックス、2012)-元数学教師のマンガ家が描く二人の日蓮主義者の東北人を主人公にした日本近代史

『王道楽土の戦争』(吉田司、NHKブックス、2005)二部作で、「戦前・戦中」と「戦後」を連続したものと捉える


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