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2023年4月6日木曜日

『古武術に学ぶ身体操法』(甲野善紀、岩波現代文庫、2014)を購入してから9年たって読んだ ー いま自分にとって必要な本を「引き寄せ」てしまうということ

 
ふだんから目にしてながら、手に取ろうとしていなかった本を手に取って読み始めると、それがまさにいま自分が求めていた内容だったことに気づいて驚くことがある。 

それがこの本だ。『古武術に学ぶ身体操法』(甲野善紀、岩波現代文庫、2014)。購入してから9年、原本の出版から20年。  

目につくとこに置いていながら、いまのいままで読んでなかった。そんな本を、いまこのとき手に取って読むのは、自分にとっては必然である。そう思われてならないのだ。 

甲野善紀氏は「古武術」の研究家。甲野氏の本はすでに1~2冊は読んでいた。30年くらい前だろうか。だから、そのエッセンスとなる主張を知らないわけではない。 

だが、20年前に初版がでたこの本には、なぜ甲野氏が「古武術」の道に進むことになったのか、そのきっかけと経緯が率直に語られている。そうか、そんなことがあったのか。その原点はきわめて重いのだな、と。 

現代文明批判からエコロジー、そして宗教へ。その後は宗教から武術へ。

大学時代には街頭での宗教の勧誘には積極的に応じていたという。求道心のなせるわざだが、突き詰めて問いをつづけていくと相手は答えられなくなってしまう。結果として論破してしまうわけでが、きわめて似たような体験をもつわたしは、なんだか甲野氏に共感を感じた。

まず最初に取り組んだ武術が22歳のときに始めた合気道であったことは、今回はじめて知った。しかも6年間も修行していたのだという。なるほど、そうだったのか。 

合気道は、甲野氏も書いているように、その他の武道とは性格を異にするものがある。武道でありながら試合をしないことで武術性を維持し、しかもスピリチュアル性があるということだ。身体操法の面だけでなく、ぜひ知っておいてほしいところだ。 

合気道の身体操法に限界を感じて、その後さまざまな古武術の師範のもとで研鑽を重ねて現在に至る。甲野氏は、まさに探求家であり、求道者である。日々これ新たなり。発見がなくなれば成長は止まる。発見がなくなったとき、それは死ぬときである、と。 

ただし、この本を読んで、まさに自分が知りたかったことは、古武術のことではない。「運命と自由」にかんする考察だ。それこそが、自分が知りたかったことなのだ。

限りある人生、制約条件のもとにある人生運命によって決まっている人生のなかで、自分なりに生きるとはどういうことか。そのヒントとなることが見つかったような気がする。 


■「引き寄せ」はシンクロニシティ現象である

なにか一つのことに集中して探求し、考えつづけていると、偶然にしか過ぎないはずなのに、あたかもそれが運命でもあったかのように、つぎからつぎへと何かが、飛び込んでくるということがある。 

それを俗に「引き寄せ」というのだろう。自分のなかのセンサーが異常なまでに鋭くなっているから、自分がまさにいま必要としているものが向こうから語りかけてくるのだ。さあ、これを取れ、と。 

だから、ふと手にとったのは偶然でも、それは偶然ではない。こちら側、つまり人間の側からみたら偶然に見えるかもしれないが、あちら側からみれば、それは必然なのだろう。 

高校時代、通学のため猛スピードで駅まで自転車を飛ばしていたとき、この考えが突然降ってきた。自分にとってはユーレカ体験である。その場面は強く記憶に残っている。 

「引き寄せ」は、自分の内部の想念と、外界の事象とが一致するときに起こる現象だ。ユングのいうシンクロニシティ(共時性)の一形態なのだろう。因果性ではない同時性。だが、それは、あちら側からみたら必然なのかもしれない。 

とはいえ、「引き寄せ」はかならずしもいいことだけではない。悪しきことを引き寄せてしまうこともある。それには注意しなくてはいけない。 

つねに前向きの、善きことを想念しなくてはいけないのだ。クチに出して発話しなくても、コトダマは働くのである。すべてはつながっているのである。 

まよひなば
悪しき道にも入りぬべし
心の駒に
手綱ゆるすな (植芝盛平) 

ここ数日に起こったさまざまな事象を顧みて、そんなことを考えていた。 




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