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2024年4月24日水曜日

上州への日帰り旅 その1  「縁切寺満徳寺資料館」(群馬県太田市)を訪問。江戸時代に公認されていた「縁切寺」として、北鎌倉の東慶寺とならぶ存在だった満徳寺について知る(2024年4月23日)


昨日(2024年4月23日)のことだが、「上州」への日帰りの旅に行ってきた。上州とは、いわゆる「北関東」の群馬県のことである。 

千葉県から埼玉県を経て群馬県に向かう。埼玉県の羽生市までは仕事で行ったことがあるが、その先は今回がはじめてだ。昨日は曇りではあったが、雨降りではなかったので決行した次第。 

千葉県北西部の住人にとって、「北関東」は意外と意識のなかで遠い。なぜなら、ふだんから目は東京しか向いていないから(笑) 

いやいや、実際にきわめて遠かった。朝6時過ぎに家をでて東武鉄道エリアを乗り継いで伊勢崎方面へ。着いたのは10時前。なんと3時間半もかかったのだ。新幹線ならとっくに大阪に着いているはずの時間距離である。 

館林から先の東武伊勢崎線は単線区間となり、朝夕を除けば1時間に1本しかないローカル線となる。 訪れたのは群馬県太田市の世良田と細谷、栃木県の足利、それから埼玉県の越谷である。

それぞれ、「縁切寺満徳寺資料館」、「高山彦九郎記念館」、「足利学校」、「久伊豆神社」である。最後の久伊豆神社は15年ぶりの再訪であった。

では、時系列に沿って訪問場所について書いていくことにしよう。 



***** その1 縁切寺満徳寺資料館(群馬県太田市) ****** 




さて、まずは東武伊勢崎線の世良田駅で下車して「縁切寺満徳寺資料館」へ。 

縁切寺というと、グレープ時代のさだまさしの歌もあって鎌倉の東慶寺がすぐに想起されるだろうが、江戸時代においては、その東慶寺と満徳寺のみ「縁切寺」として公認されていたという。 

尼寺であった東慶寺は、鎌倉時代からの由緒あるアジール(=避難所)として、徳川家の支配下においても、その存在意義を維持しつづけた。

満徳寺もおなじくアジールからの出発だが、徳川家とゆかりの深い尼寺として公認されたのである。もともと時宗の末寺であったが、徳川家との関係が深いので独立して存在していた。

ともに徳川家の支配が終わったことで、縁切寺としての機能は失い、東慶寺は尼寺ではなくなり、禅寺として生き残ったものの、満徳寺は廃寺となってしまった。 



(縁切寺満徳寺資料館 筆者撮影)

ただ、いかんせん交通事情が悪いので、東武伊勢崎線の「無人駅」の世良田駅からは徒歩だと片道30分かかる。幸いなことに「無料レンタサイクル」があることを事前に調べて知っていたので利用させていただき、片道10分ほど畑のなかをママチャリをかっ飛ばす。




 「縁切寺満徳寺資料館」じたいは、古文書を中心とした展示内容で、それはそれで貴重な資料ではあるが、研究者を除けばそれほど関心度の高いものではないだろう。


(「寺法」にもとづいて満徳寺の離縁状フォーマット 筆者撮影)


全般的にそれほど充実したという印象もないが、ほかに観光資源もない土地としては、位置づけとしては重要なのだろう。縁切りを希望する女性が一歩でも踏み込んだら、追っ手は踏み込むことができないことになっていた「駆け込み門」も復元されている。


(復元された「駆け込み門」 寺内はアジールであった 筆者撮影)


廃寺となった満徳寺も本堂が再建され、お寺としての機能はないものの、一般公開されている。 




満徳寺は利根川の北岸に位置しており、その対岸の埼玉県側には渋沢栄一の故郷である血洗島(現在の深谷市)がある。後者はいまだ訪れたことはないが、当時の交通状況を念頭におけば、「利根川流域」というくくりで考える必要はあるだろう。 


(常設展示のパネル)


資料館の展示パネルには、縁切寺である満徳寺に駆け込んだ女性たちが、どこからやってきたのか地図上にプロットされている。この地理的分布を見ると、満徳寺を中心として利根川対岸からもやってきていることがわかる。なかなか興味深い展示である。 


(車中で読んだ『三くだり半と縁切寺』の著者高木氏は満徳寺文書の研究者)



■電車で行く場合は本数が少ないことに注意!

「縁切寺満徳寺資料館」を訪問したあとは、そのまま速攻で世良田駅に戻る。ほかにめぼしい訪問先がなく、しかも電車が1時間に1本しかないためだ。 

そもそも満徳寺はメインの訪問先ではなく、先日ひさびさに北鎌倉で東慶寺を参拝してから、縁切寺関係の文献を見ていてきゅうきょ思いついた過ぎないためでもある。 

東武伊勢崎線に乗って世良田駅から館林方面に2駅目の細谷駅へ。この細谷駅は有人駅であった。 

さてここからは徒歩で「高山彦九郎記念館」へ向かう。今回の訪問の最大目的地がそこである。 

(つづく) 


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