「アタマの引き出し」は「雑学」ときわめて近い・・日本マクドナルド創業者・藤田田(ふじた・でん)に学ぶものとは?

◆「アタマの引き出し」つくりは "掛け算" だ : 「引き出し」 = Σ 「仕事」 × 「遊び」
◆酒は飲んでも飲まれるな! 本は読んでも読まれるな!◆ 
◆一に体験、二に読書、その体験を書いてみる、しゃべってみる!◆
◆「好きこそものの上手なれ!」◆

<旅先や出張先で本を読む。人を読む、モノを読む、自然を読む>
トについてのブログ
●「内向きバンザイ!」-「この国」日本こそ、もっとよく知ろう!●

■■ 「むかし富士山八号目の山小屋で働いていた」全5回 ■■
 総目次はここをクリック!
■■ 「成田山新勝寺 断食参籠(さんろう)修行(三泊四日)体験記 」全7回 ■■ 
 総目次はここをクリック!
■■ 「庄内平野と出羽三山への旅」 全12回+α - 「山伏修行体験塾」(二泊三日)を中心に ■■
 総目次はここをクリック!


「個」と「組織」のよい関係が元気をつくる!

「個」と「組織」のよい関係が元気をつくる!
ビジネス寄りでマネジメント関連の記事はこちら。その他の活動報告も。最新投稿は画像をクリック!



ご意見・ご感想・ご質問 ken@kensatoken.com にどうぞ。
お手数ですが、コピー&ペーストでお願いします。

© 2009~2024 禁無断転載!



2024年4月27日土曜日

上州への日帰り旅 その4 「久伊豆神社」を再訪(埼玉県越谷市)ー 平田篤胤と縁の深いこの神社は元荒川流域にのみ分布(2024年4月23日)

 (久伊豆神社の本殿 筆者撮影 以下同様)



時間の関係から「藤の牛島」訪問は来年以降にすることにし、今回の旅の最終目的地である「久伊豆神社」に向かう。場所は埼玉県越谷市である。

かつて越谷で勤務していたことがあって、1度だけ訪問し参拝したことがあるので、今回の再訪はほぼ10数年ぶりということになる。


(石鳥居と本殿につづく参道)



■久伊豆神社は平田篤胤との縁が深い神社

「久伊豆神社」と書いて「ひさいず・じんじゃ」とよむ。けっして「くいず・じんじゃ」ではない。

わたしも、「クイズ神社」とは珍しい名前だなと思っていたが(笑)、そうではないことがあとからわかった。越谷の総鎮守である。

東武鉄道の北越谷駅で下車し、徒歩で約10分。このコースだと西門から入ることになる。

10数年ぶりの再訪なので、なんだか記憶のなかの神社とちょっと違うような気がしたのは、この間に石碑が増えたからだろうか。


(まもなく満開を迎えるグッドタイミングの藤)


だが、藤棚は健在であった。藤の花が咲くこの時期に「天然記念物」の藤を見ることができたのは幸いだった。

(藤棚の藤の木は「天然記念物」)


しかも、この枝分かれしてタコ足のような、妖怪のような藤の木は、平田篤胤ゆかりのものだという。

そうなのだ、なぜ久伊豆神社を再訪したいと思っていたかというと、最初の参拝後にこの神社と平田篤胤の縁が深いことを知ったからだ。『古史徴開題記』(岩波文庫)の「序」に「越谷」の文字を発見して驚いたのだ。


(『古史徴開題記』の「序」はパトロンだった山崎篤利が執筆している)


カネに不自由していた篤胤は、門人で越谷の油商人・山崎篤利のパトロネージのもと越谷に滞在、久伊豆神社の境内に庵(いおり)を設けて滞在していたという。




この地で主著である『古史徴』が執筆されている。古伝説や神代文字、記紀(=古事記+日本書紀)や新撰姓氏録などを論じたものだ。


(水神社)


境内にもうけられた池には水神社があり、その池の周囲に「松声庵」という名の「平田篤胤の仮寓」があった。今回はその場所も確認することができた。


(「平田篤胤仮寓跡」は埼玉県指定の旧跡)



■久伊豆神社は元荒川流域にのみ末社が分布

久伊豆神社は、元荒川流域にのみ末社が分布する神社である。かつて物流が水運に依存していただけでなく、領域支配が河川流域をベースにしていたことを物語っているといえよう。


(久伊豆神社の分布図 『[縮刷版] 神道事典』(弘文堂)より)


けっして全国的に有名な神社ではないが、ひじょうに特徴のある神社なのである。そんなこともあって、再訪したいと思ってきたのだ。

境内には「旧官幣大社南洋神社鎮座跡地遥拝殿」も2004年に建立されている。久伊豆神社の姿勢をよく示している。「南洋神社」は、かつて南洋のパラオにあった神社である。


(「旧官幣大社南洋神社鎮座跡地遥拝殿」)


懸案事項であった久伊豆神社の再訪も終え、正門から出ることにして、長い長い参道(・・参道は産道でもあるのだな)を歩いて行くと、正門には見事なまでの「ワラ龍」が鳥居に掲げられていた。


(鳥居にはワラ龍。正門から長い、長い参道がつづく)


最近はビニール製のしめ縄を張った神社も少なくないのが現状で、嘆かわしい限りだが、ワラで編んだ龍のしめ縄を見ると、ほんとうれしくなる。これこそ神社なのだ、と。


■越谷で東武鉄道と第2環状線であるJR武蔵野線が交差する

帰途は北越谷駅に戻ることなく、そのまま南越谷駅まで40分歩くことにした。1駅乗るだけならバカバカしいと思ったからだが、電車に乗ってばかりの旅に飽きていたこともある。

JR南越谷駅は東武鉄道の新越谷駅と交差している。帰途は南越谷駅から武蔵野線で西船橋駅方面に帰る。東京をバイパスして、埼玉県から千葉県に戻ることが可能なのだ。

歩きに歩いたおかげで、この日の歩数は2万歩を超えたのであった。

(終わり)


<ブログ内関連記事>

上州への日帰り旅 その1 「縁切寺満徳寺資料館」(群馬県太田市)を訪問。江戸時代に公認されていた「縁切寺」として、北鎌倉の東慶寺とならぶ存在だった満徳寺について知る



*****




(2023年11月25日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年12月23日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年6月24日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年11月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年10月22日発売の拙著です 画像をクリック!

 (2020年12月18日発売の拙著です 画像をクリック!

(2020年5月28日発売の拙著です 画像をクリック!

(2019年4月27日発売の拙著です 画像をクリック!

(2017年5月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2012年7月3日発売の拙著です 画像をクリック!


 



ケン・マネジメントのウェブサイトは

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどうぞ。
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。

禁無断転載!








end