いまから40年前のことだが、大学に入学した1981年に体育会合気道部に入部した。18歳のときのことだ。 入部してしばらくしてから読んだのがこの『合気道入門』(植芝吉祥丸、光文社カッパブックス、1972)という1冊。
いまは亡き親友H.S.君が合気道部の部室に持ってきた本。この本を読んだから合気道を始めたのではない。その逆だ。 合気道を始めてから読んだのだ。
読んだ記憶が濃厚に自分のなかに残っていたこの本を、オークションで落札して40年ぶりに手に取った。こんなことも書いてあったか、そんなことも書いてあったかと、読み返してみてあらためて驚きも感じている。
(浄土宗で作家の寺内大吉氏は植芝吉祥丸先生と同窓生だった!)
この本がすぐれているのは(・・というより、開祖植芝盛平(=大先生)の息子で二代目道主の吉祥丸先生の本はすべてそうだが)、「入門書」であるにもかかわらず、合気道のもつ精神的な側面にも多く触れていることだ。「合気道はたんなる武術ではなく、精神の修行を重んじる精神の科学でもある」(本書p.22)。
(『合気道入門』本文よりスキャン。ただし、このイラストは、ほんとうは正確ではない。綾部時代の開祖は50歳代で、白髪の老人ではなかった)
植芝吉祥丸先生の「吉祥丸」という名は、大江山の鬼退治で有名な源頼光の幼名だが、大本教の出口王仁三郎師じきじきの命名である。夭折した2人の息子についで生まれた息子だったからということもあろう。当時、開祖は京都の綾部にて王仁三郎師のもとで精神修行を行っていた。だから、合気道用語には「古神道」由来のものがすくなからずある。
開祖が開眼した際の神秘体験についても書かれている。「黄金体と化す」という神秘体験の記述は、わたしの心のなかに深く刻まれて現在に至る。その体験で得たものが「我即宇宙」という深い哲理なのだ。
そんなことが書かれているこの本は、「入門書」としてはきわめて異色というべきであろう。ここではあえて説明はしないが、「1972年という出版年」のもつ意味も考える必要があるかもしれない。
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