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2010年4月9日金曜日

三度目のミャンマー、三度目の正直 (8) 僧院付属の孤児院で「ミャンマー式結婚式」に参列




 さて、いよいよメイン・イベントに参加しなければならない。ミャンマー式の結婚式に参列することになっているのだ。そのためにミャンマーに渡航することになったのだ。
 といっても私の結婚式ではない(笑)。私の友人の結婚式である。
 日本人女性とミャンマー人男性のカップルが、娘一人を連れてミャンマーの首都ヤンゴンで結婚式を行う、というわけだ。その日本人女性が私の友人である。

 「ミャンマー式結婚式」がどういうものかは、私は何の知識ももっていなかった。たぶん「タイ式」と同じようなものだろう、と。キンキラのカンムリなんかかぶって、男も「おてもやん」みたいな化粧する、というやつ。
 ところが、今回は新婦じゃなくて、新郎の希望でそういう結婚式はあげたくないので、簡素化したものである、と。しかも、新婦の希望で、豪華なものではなく、孤児院でやりたいのだ、と。
 というわけで、僧院付属の孤児院を会場にして結婚式が行われることになったのであった。

 孤児院で結婚式をやる!?、という話を新婦から聞いたときは、「またまた、なんでそんなとこで」と思ったのは正直な感想であったが、ヤンゴンで日本からの「結婚式ツアー」に合流し(・・私は早めにミャンマー入りしていた)、その翌日の朝にバスで孤児院に到着したとき、「ああ、こういう手作り感に充ち満ちた結婚式もいいものだなあ」、と思ったのであった。

 ヤンゴン市内の、その僧院付属の孤児院は、日本でいえば、お寺が経営する幼稚園みたいなものだ、といってもいいだろうか。2階で行われた結婚式のあと、1階の孤児院の昼食風景や授業前の教室を見学させていただいたとき、子どもたちにまったく暗さがないのが実に印象的だった。
 こういう場所で結婚式を行って、食事を振る舞い、お坊さんや子どもたちに日本からのプレゼントを差し上げるということで功徳を積む、これまた正しい振る舞いなのである。

 われわれ「結婚式ツアー」とほぼ同時期に、かの有名な勝間和代女史が特定非営利法人JEN の視察のため、ミャンマー入りしていたらしいということは、私は友人から教えてもらって帰国後に知った。
 勝間女史のやっていることはそれはそれで正しいのだが、社会貢献というものは、必ずしも狭義の NPO(・・日本の法律に基づく NPO法人 のこと)をつうじて行わなくてもいいのである。
 お寺という広義の NPO(=非営利組織。英語ではむしろ広義での使用が当たり前)に寄進して、それが孤児を含めた子どもたちにために直接使われるのであれば、けっして目新しいものではなく、むしろ伝統的な方法であるが、寄進を行った本人にとっても個人として「功徳を積む」ことになるのである。
 「現世で積んだ徳は、あの世で引き出す」、というわけだ。むしろそのした援助のほうがミャンマー社会からは受け入れられやすいだろうし、いかなる政権であれ拒むことはできないであろう。キリスト教色が全面に出過ぎた欧米の援助団体よりは受け入れやすいはずだ。
 とはいえ、上座仏教徒であるミャンマー人たちは、パゴダを建てることが、現世で徳を積むには最高のことだと考えているので、生活を切り詰めてでもお寺に寄進してしまうことがあるようだ。この寄進の一部でも現世で役に立つことに使われるといいのだが。
 それはさておき、勝間女史のような有名人が、直接ミャンマーに入ってその様子をブログやツイッターで報告するのは、たいへんよいことである。フォロワーの皆さんは、ネット上でフォローするだけでなく、リアルワールドで勝間女史をフォローするべきだろう。これを機に、ぜひ直接、ミャンマーの地に足を踏み入れて欲しいものである。
 

 話が先走ってしまったが、メイン・イベントは「ミャンマー式結婚式」である。この話をしなくてはならない。

 それはどういうものかと一言で説明すれば、「仏教式結婚式」なのである。
 日本でも仏教式のものがあるらしいが、残念ながら私は参列したことはない。
 今回は、仏教は仏教でもミャンマーの上座仏教、日本の葬式仏教とはまったく異なり、仏教はミャンマー人の人生を誕生からその死まですべてに仏教がかかわってくる。これはタイも同様である。機能としては、日本でいえば、むしろ神道に近いかもしれない。上座仏教は宗教と云うよりも、人生全般を律する倫理としての意味合いが大きいからだ。

 式次第を簡単に説明すると、まず僧院の大僧正による法話40分。結婚式をあげるカップルは15分くらいに短くしてくれと頼んだそうだが、大僧正からは即座に却下されたらしい。大僧正いわく、キチンと決められて通りにやらないと祝福したことにならない、と。ごもっともである。
 ただし、日本と違ってずっと正座していなくてもいいので、その点は参列者にとってはラクなものだ。とはいっても、ミャンマーでもタイでも、目上の者や高僧の前でする正式な横座りは、慣れていないと日本人には腰への負担が大きいので、ロンジーをはいて「にわかミャンマー人」になりすました私も、日本人ということで正座と胡座(あぐら)を交互に繰り返して、足がくたびれるのを防止したのであった。
 
 大僧正の法話だが、まったく理解できなかった、というのが正直な告白である。私にとってだけでなく、日本から来た人たちにとっては、まったくもって「お経のようなもの」であり(・・文字どおりお経なのであるが)、ミャンマー人にとっても仏教要語をすべて理解できりうわけでもないらしい。
 なぜなら、法話はミャンマー語(ビルマ語)ではなく、聞くところによるとパーリ語らしい。上座仏教圏に産まれた男子なら、とくにミャンマーでは子どものときに一時出家するのは重要な通過儀礼の一つだから、パーリ語のお経は内容はわからなくても、耳にはしているはずである。
 私のパーリ語の知識といえば、仏法僧の三宝にたてまつるという意味の、「ブッダム サラナム ガッチャーミー、ダンマム サラナム ガッチャーミー、サンガム サラナム ガッチャーミー」くらいしかないので、法話の内容は、結婚を祝福し人生の門出にあたって云々というような意味だろうと推測するくらいしかないのであった。法話の最中に聴き取れたのは、アルハットくらいである。アルハットとは阿羅漢のことである。
 ちなみに誤解あるようだが、上座仏教の経典はパーリ語、大乗仏教の経典はサンスクリット語である。涅槃はパーリ語ではニッパーナ、サンスクリット語ではニルバーナ。仏法の法はパーリ語ではダンマ、サンスクリット語ではダルマ。まあ似たようなものではある。

 大僧正による法話の最中、両隣に高僧が座っているが、まったく一言も発しない。大僧正の衣の色はややオレンジ。この三人はイスに座っている。
 そのまわりに小坊主たちが床に直か座りをしているが、これがまあ落ち着かないといったらありゃしない。まったくもって退屈なのだろうし、じっと座っていられないようだ。そんな小坊主を観察するのも面白い。日本的な形式主義文化ではなさそうだ。

 法話が終わると、そのお礼に食事を差し上げる儀式がある。丸テーブルというよりもちゃぶ台に所狭しと並べられた食事を前に座った高僧と祝福されたばかりのカップルが、ちゃぶ台を持ち上げる儀式が行われる。この意味はよくわからないが、江戸時代の武士が殿中(でんちゅう)でお膳を捧げ持つのと同じようなものなのだろうか。この儀式は、ちゃぶ台ごとに行われる。
 この儀式のあと、高僧から先に食事をとることになる。高僧たちの食事が終わったら、今度は小坊主たちのい食事である。小坊主たち全員でお祈りのコトバを大声で唱えてから、食事をいただくことになる。
 時間は午前11時過ぎ、昼食の時間であるが、上座仏教においては出家僧は、一日2回しか食事をとることが出来ない。しかも、午後12時以降は水以外はクチにすることができないのである。このため、小坊主たちは腹一杯食ってお腹にため込まなくてはならないのだ。育ち盛りの小坊主たちにとっては、空腹を耐えるのもまた、なかなか大変な修行であろう。 
 まかないの人たちが、ご飯をよそって歩き回る光景を眺めているのは、われわれ参列者の食事が一番最後になるからだ。

 このあと、うながされて1階におりて孤児たちの食事風景を見学させていただいた。先にも触れたが、孤児院という感じではなく、幼稚園みたいな感じで、子どもたちはまったく屈託がない。
 ついでに授業開始前の教室も見学させていただいた。私が大声でミンガラバー!(こんにちは)というと、子どもたちも声をそろえてミンガラバー!と返してくれた。


 この教室の場合は、机と椅子があるので、三度目のミャンマー、三度目の正直 (6) ミャンマーの僧院は寺子屋だ-インデインにて (インレー湖 ⑤)で書いたような寺子屋ではないが、僧院付属の孤児院ということもあり、ここでの先生はお坊さんたちである。ある意味で、ミャンマーの基礎教育は仏教抜きには語ることはできないであろう。
 ちなみにミャンマーの識字率は90%以上と、発展途上国とは思えないような高い数値を示している。ミャンマー語(ビルマ語)の独特な丸文字は、漢字仮名交じりの日本語よりは習得は容易だろうと思われる。
 教育は国作りの基礎である。こうして教育を受ける機会にめぐまれた孤児たちのあいだからも、立派な人物がでてくるかもしれない。
 つくづく教育の機会均等の必要性を痛感させられるとともに、基礎教育レベルが行き届いていることに、ミャンマーという国の潜在能力の大きさもまた感じるのである。まあ、もともと第二次大戦後の1950年代には、敗戦国日本よりも生活水準が高かったらしいのだが。


 やっとわれわれの食事の番が回ってきた。お坊さんたちと同様、ちゃぶ台の前に座ってミャンマー料理をいただくことになる。
 メニューはいうまでもなく各種のミャンマー風カレー。中華料理と同様、ミャンマー料理も、大人数でいろんなものを注文して、ちょっとずつ食べるのがよい。
 なんせ腹が減っているし、久々の本格的なミャンマー料理なので、たらふく食べてしまう。

 ついでにでてきた、お茶の葉を発酵させて味付けしたラペットウをいただく(写真左)。ああこれを食べるとミャンマーだなあ、という気持ちになる。
 デザートででてきたマンゴーがまたうまい! 前回の投資ミッションでマンダレーのマンゴー農園を訪問したときに食べたマンゴーもうまかったが、ミャンマーのマンゴーは知られざる名品だなあ。日本ではフィリピン産かタイ産しか入手できないが、ミャンマーのマンゴーはうまい! と繰り返しておく。
 このあとさらにスイーツがでてきたのだが、さすがにちょっとだけ食べてみるだけにとどめておいた。濃いい紅茶があればいいのだが、ミャンマーではインドと同様に砂糖入りのミルクティーになってしまって甘すぎるのだ。まあ、そんな贅沢は求めてはいけないのであるが・・。


 ということで、お昼過ぎには結婚式とその後の食事会もすべて終了、次のスケジュールは、孤児たちへのプレゼントを贈るイベント。エンピツや消しゴムをあげたのだが、こういった形で直接孤児たちに手渡しであげることができるのはよいことだ。

 援助しても本当に必要な人たちに、本当に必要なものが届かない、ということはよくある話である。モノを媒介にしているわけであるが、「収益の一部は寄付しました」というような免罪符的な形よりも、はるかに意味のあることだし、あげる側も貰う側も、ともに幸せを実感することができる機会となる。
 この孤児院じたい、日本の援助によって建築されたものであることが、プレートとして飾られている。具体的に見える形で寄付をする、援助することが重要なだけでなく、こういった本当に必要な援助まで現在は抑制されているのは、どうしたものか、という感もうけるのである。
 杓子定規で、原理原則だけで物事をすすめるのがいいのだろうか、日本人としては、原理原則もさることながら融通無碍(ゆうづうむげ)にフレクシブルに振る舞うべきなのではないかと思ってみたりもした、ミャンマーでの一日であった。

 書き始めると、ついつい長くなってしまうのは悪いクセ。少しまじめな内容になりすぎてしまっただろうか・・・・


(ミャンマーの話、もう少しだけ続きます)




<ブログ内関連記事>

「ミャンマー再遊記」(2009年6月) 総目次

「三度目のミャンマー、三度目の正直」 総目次 および ミャンマー関連の参考文献案内(2010年3月)

(2015年10月4日 項目新設)





(2012年7月3日発売の拙著です)










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