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今週、「美しき挑発 レンピツカ展」にいってきた。東京では、渋谷の Bunkamura で、5月9日まで開催中。
タマラ・ド・レンピツカ(1898-1980)は、ポーランドの裕福な家庭に生まれた美貌の女性画家。ロシアのサンクトペテルブルクで暮らし、その地で結婚もしたが、ロシア革命勃発によってフィンランドに亡命、その後フランスのパリに移住。
1920年代に絶頂期を迎えたアールデコの時代に、フランスのパリで、一度見たら必ず記憶に残る、非常にインパクトの強い、現代的な描法で数々の肖像画を残した人である。
第二次大戦中に米国ニューヨークに移住、晩年はメキシコのクエルナバカで過ごし、その地で没した。
冒頭に掲げたのは、実の娘をモデルに描いた「緑の服の女」(1930年)で、フランス政府買い上げとなった、レンピツカの代表作である。
1980年代の日本のバブル期には、レンピツカ自身の作品や、レンピツカ風のイラストレーションを多く目にしたものである。
1920年代のアールデコの時代が、60年後の1980年代と非常に親和性の高い時代であったことは、1980年代に出版された数々の本や、アート作品に大きな痕跡を残している。
アール・デコ(art deco)とは、装飾芸術(art decoratif)の略、デフォルメの多い、華やかで様式性の強い装飾形式で、いわゆる芸術性の高いアートと商業性の強いアートが融合して、広告宣伝やファッション、建築にと広く影響を及ぼした。モダンガールの時代であり、アメリカのジャズ・エイジであり、フィッツジェラルドの『ザ・グレイト・ギャツビイ』の時代でもある。
だから、1980年代の時代精神と非常に親和性が高かったのだ。
1929年の米国発の大恐慌がすべてを終わらせ、その後不景気と戦争の時代に突入していったことと、日本では1989年にバブルが崩壊して、その後長い「失われた時代」が続いているのも、なにやら暗合を感じさせて気分も重くなる。 幸いにして第三次世界大戦は現在のところ回避できているが・・・
実際、今回の美術展も、レンピツカの生涯にわたる作品約80点を一同に集めたものになっているが、1930年代以降の作品は、正直いってあまり私の好みではないし、素晴らしいとまではいえるものではなかった。趣味の違いはあろうが、1920年代の華やかさは永遠に封印されてしまったかのような印象を受ける。
奇しくもレンピツカが亡くなった1980年、日本で大々的に取り上げられるとは、予想だにしなかったのではなかろうか。
この美術展の特色として、彼女自身が自分をプロの写真家たちに撮らせたポートレート写真が多数展示されていることだ。グレタ・ガルボなみの美貌の持ち主で、スラブ系美女の一つの典型といってよいレンピツカは、そうしたポートレート写真じたいが芸術作品になっている。
批評家ヴァルター・ベンヤミンの、いわゆる「複製芸術時代」にあって、自ら多数の注文を受けて肖像画を制作、セルフ・ポートレートの絵画作品も数多く残しながら、自らを被写体として作品にして表現しているという行為が、実に面白く感じられた。
見る側であり、見られる側であるという二面性。
セルフ御用達の肖像画家であり、自らもセレブであったという二面性。
こうした二面性を明確に意識していたアーチストであったわけだ。かなり高度な知性の持ち主であったのだろう。現在でもレンピツカ作品は、映画俳優のジャック・ニコルソンなど個人蔵のものが多く、世界中のセレブの好みに合致しているようだ。
ルネサンスやマニエリスム絵画を徹底的に研究し、自らの技量を落とさないために、つねにデッサンを欠かさず、世界中の美術館で名画の模写をつづけていたという。後半生においては、オランダやフランドル画家も熱心に研究していたらしい。
今回の美術展は絵画作品もさることながら、ポートレート写真も必見である。
いまの時代精神とは必ずしも合致していない気がしなくもないが、個人蔵も多いだけに、画集以外では、これだけまとまってレンピツカ作品を見る機会も当分ないだろう。
連休にでもお出かけになってはいかがだろうか。
<美術展情報>
「美しき挑発 レンピツカ展」 渋谷の Bunkamura で、5月9日まで開催中。
兵庫県美術館で、5月18日から7月25日まで。
今回の美術展カタログは購入する価値はある。
画集としては、『レンピッカ』(タッシェン、2002)が一番コンパクトで、しかも値段が手頃。
(2012年7月3日発売の拙著です)
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