国立歴史民俗博物館の第4展示室 「列島の民俗と文化」 が 2013年3月19日にリニューアルオープンとしたということで、ようやく本日(5月3日)いってみた。
国立歴史民俗博物館(通称 歴博)はオープンから30年。早いものである。
国立歴史民俗博物館の展示室は全部で6つある。
第1展示室 原始・古代
第2展示室 中世
第3展示室 近世
第4展示室 民俗第5展示室 近代
第6展示室 現代
今回リニューアルされたのは第4展示室 民俗である。歴史民俗博物館には「民俗」の名称が入っているように、日本の歴史文化に則した民俗にかんする実物展示が行われている。大阪・千里の国立民族学博物館の「民族」は文化人類学的な「みんぞく」であるが、歴博の「民俗」は民俗学の「みんぞく」である。
テーマは公式サイトには以下のように解説されている。
「列島の民俗文化」のテーマのもと、ユーラシア大陸に寄りそうようにつらなる列島において人びとの生活のなかから生まれ、幾多の変遷を経ながら伝えられてきた民俗文化を展示します。全国各地の資料とともに写真や映像を通して民俗文化を学ぶことができます。また、副室では最新の研究動向や館蔵資料を展示し、民俗研究の最前線を紹介します。
展示は以下の分類で構成されている。
「民俗」へのまなざし
Ⅰ. ひろがる民俗
Ⅱ. 開発と景観
Ⅲ. 現代の家族像
Ⅳ. 民俗学の成立
おそれと祈り
Ⅰ. めぐる時間と祭
Ⅱ. 妖怪の世界
Ⅲ. 安らかなくらし
Ⅳ. 死と向き合う
くらしと技
Ⅰ. くらしの場
Ⅱ. 職の世界
Ⅲ. なりわいの技
■第4展示室「列島の民俗と文化」を見ての感想
結論から先にいうと、正直いって期待していたほどではなかったが、古き日本の民俗を保存し、すでに死滅寸前の日本民俗学をなんとか蘇生させようという意思は感じられた。
だが、もっと冒険してもよかったのではないかとも思う。歴博の他の展示室のインパクトのつよさと比較すると、どうしても地味すぎるのだ。国立民族学博物館の日本民俗関連の展示よりも面白くない。
すでに過ぎ去った民俗文化を実物として博物館に展示するという姿勢はただしいのだが、どうしても農村や漁村、そして狩猟生活が中心で、通過儀礼についての展示も含めて、歴博の第6展示室の現代生活のような面白さが感じられないのは仕方がない。
ただし、第4展示室にも面白い展示はあった。
まずは、ビリケンさん。幸運の神様ビリケン。大阪通天閣のビリケンである。
(大阪通天閣のビリケンさん複製)
ただし残念なことに「さわらないで!」という表示がある。触ることによってその功徳を得たいという一般庶民の願いは、江戸時代以来の「びんずる様」にもつらなるものだ。触ってなでる民俗文化という共通コンセプトから、ビリケンと「びんずる様」の複製を並べて展示し、見学者に実際に触らせるくらいのことが必要なのではないかと思う。
つぎに河童にかんする展示。実物大の河童の模型(?)による再現は面白い。意外と大きいのだ。だがこれも「さわらないで!」。子どもの好奇心は寸止めにはできないものだ。これもまた改善を期待したい。
(河童の立体模型)
気仙沼の民家の復元による再現展示はいい。とくに箪笥をならべて階段にしているのは、わたしの母方の実家の商家の建築物を思い出させるものがある。
(大津波で倒壊した気仙沼の尾形家の復元)
沖縄の民俗を集中的に展示しているのもよい試みだと思う。だが、日本民俗学のなかでもっている沖縄の意味や、その限界などについてわかるような展示のほうがよかったのではないかと思う。
(沖縄のミロク信仰)
■わたしの第4展示室構想
わたしだったら、東日本と西日本、そして沖縄の民俗を対比させて違いや共通性がわかるような展示など、もっと従来型ではないテーマ設定があったほうが面白かったのではないかと思う。
東日本と西日本がかなり異なる民俗文化であることは以前から指摘されていることであるし、柳田國男や折口信夫以来定説となっているが、沖縄がほんとうに日本の民俗文化の原型なのかどうかも検証が必要だからである。
柳田國男と折口信夫は別格として、アイヌ研究者の金田一京助や知里真志保(ちり・ましほ)、沖縄研究の伊波普猶(いふぁ・ふゆう)への言及はいい。アチックミュージアムの渋澤敬三への言及もよい。
だが、その弟子の宮本常一を全面にだしたほうが、現代的な関心との接点も多かったのではないかと思うのである。日本中世史の網野善彦との接点で「歴史民俗」の意味も生きていくるはずだからだ。
どちらかというと「民族」の側にちかい南方熊楠(みなかた・くまぐす)がないのも残念である。
やや辛口の感想になってしまたが・・・・
(正面入り口)
■歴博は時代区分の全面的見直しが必要ではないだろうか
第4展示室以外の歴史コーナーでは、個人的にはなんといっても第3展示室の近世と第6展示室の現代が面白い。
だが、今回ざっと回ってみて思ったのは、全体の時代区分にも大きな変更が必要ではないかということだ。
従来型の「原始・古代・中世・近世・近代・現代」という時代区分では見えてこないものが多いのだ。
「世界のなかの日本」というのが21世紀の現在に生きるわれわれにとっての最大のアクチュアルな関心事であるとすれば、「グローバリゼーションと日本」という観点の時代区分が必要になるとわたしは考えている。
現在は第三次グローバリゼーションのなかにあるが、幕末から明治にかけては第二次クローバリゼーション、戦国時代末期から徳川時代初期は第一次グローバリゼーションの時期にあたる。
いままでの日本史の「常識」は、日本という島国が外からのインパクトに翻弄されながらもなんとかサバイバルしてきたというものだろうが、すくなくとも西欧と日本はお互いに接触する以前からパラレルに発展してきたという歴史がある。そういう歴史観も反映させるべきではないだろうか。
第一次グローバリゼーションはいまから500年前にあたる。戦国時代末期は広い時代区分でいえば室町時代末期であり、応仁の乱以降の日本はそれ以前の日本とはまったく異なるものとなったことは、民俗学者の柳田國男だけでなく、歴史学者の内藤湖南も指摘してきたことである。
つまり、日本史も西洋史も「500年単位」で時代区分して考えるべきではないか、ということだ。
今後の日本も日本人もグローバル世界のなかで生きていかねばならない以上、日本固有の歴史への理解とともに、世界のなかで日本がどう生きてきたかについての歴史をともに深く知らねばならない。固有性と普遍性の二つの側面である。
いまの歴博にそれを求めるのは無理であろうが、いずれ展示の全面的な見直しの時期がくるとすれば、歴史区分の問題は避けて通れないはずだ。
歴史書とちがって博物館の展示はおおがかりなものなので、そうめったにできるものではないが、将来のいずれかの時点で時代区分の見直しはぜひ取り組んでほしいと思う。
あらたな時代にはあらたな時代区分が必要である。
<関連サイト>
国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)
心に残った「死」の展示について 国立歴史民俗博物館 日本の葬儀と死生観 山田慎也(6) (川端裕人、日経ビジネスオンライン、2016年5月21日)
・・日本人の葬儀について民俗学の立場から研究をつづけている山田慎也氏が企画にかあくぁっている展示について
(2016年5月21日 情報追加)
<ブログ内関連記事>
国立歴史民俗博物館は常設展示が面白い!-城下町佐倉を歩き回る ①
ひさびさに大阪・千里の「みんぱく」(国立民族学博物館)に行ってきた(2012年8月2日)
書評 『日本人は爆発しなければならない-復刻増補 日本列島文化論-』(対話 岡本太郎・泉 靖一、ミュゼ、2000)
梅棹忠夫の『文明の生態史観』は日本人必読の現代の古典である!
「500年単位」で歴史を考える-『クアトロ・ラガッツィ』(若桑みどり)を読む
書評 『終わりなき危機-君はグローバリゼーションの真実を見たか-』(水野和夫、日本経済新聞出版社、2011)-西欧主導の近代資本主義500年の歴史は終わり、「長い21世紀」を生き抜かねばならない
世界のなかで日本が生き残るには、自分のなかにある「日本」を深掘りしてDNAを確認することから始めるべきだ!
・・テーマ性のある展示とはこういうものをいう
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